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spiral  作者: 本城千聖
16/20

spiral~pain~5

振り向くと隣にいたはずの人がいない。

それを確かめた刹那、寄りかかってたドアがガクンと開きそのまま車外に落ちかけた。

引力のまま落ちそうになった時、力強く支えられる。

「こっちおいで」

落ちかけたあたしを抱きかかえ、数歩歩いたところで背中をさすりながら、

「泣くのも吐くのも我慢しちゃダメなんだよ」

どこか怒りを含んだ声で、囁いた。

「マナ」

吐いてる間、ずっとあたしの名を呼ぶ。

「ナオトからさ、妹出来たって聞いてたんだ。俺」

聞いてもいないことを話し出す。

「一緒に撮ったって写真見せてくれてさ、携帯で。すっげー、自慢してた」

一体なにを自慢してたんだろう。

「さっき、俺と目が合ったの覚えて……ないかな」

目が合った? いつ? 思い出せばその記憶はあるかもしれない。でも、朦朧としてて、それどこじゃないのが正直なところ。

「ママって人と一緒だったよね」

コクンとなんとか頷く。

「でもさ、なんか様子おかしかったし、俺の記憶違いだったらって思ったし」

吐くだけ吐いたら、体の力が抜けてしまった。支えてもらっても立てない。

「車に戻るからね」

そっと抱きあげて、あたしを車まで運んでくれる。この抱き方は、あの時伊東さんがしてくれたことと一緒。

思い出しただけで、また涙がにじむ。

「う……っく」

口をおさえ、声を上げずに泣く。

「……いいのに、声出しても」

ポンポンと頭を手のひらで軽く叩き、そのまま撫でる。

「泣いていいよ。俺しか聞いてないし、見てないから」

そういってからドアを閉め、運転席に戻ってきた。

「動くよ」

あたしに確認をし、また動きだす車。さっきよりもゆっくりと走ってくれてる気がした。

「吐いたから寒いだろ? もうちょっとで俺んち着くからね」

言った通りで、わずかな時間で車はまた停まった。

「ちょっとだけ待ってて」

そういい車を出て行って、数分。戻ってきて、さっきのようにあたしを抱きあげた。

「お待たせ。それじゃ、俺んちに招待するね」

なんて軽い口調でいいながら、運んでくれる。階段もグラつくことなく上がっていく。

「さてと」

赤いソファーにあたしを下ろして、キッチンの方から何か持ってきた。

「とりあえず消毒とかしちゃおうか」

救急箱、それと冷水に浸ったタオルが入った洗面器。

「ケンカしなれてるから、こういうのは得意なんだ」

あははと笑う顔があまりにもあどけなくって、つられて少しだけ笑ってた。

そのあたしと目が合った瞬間、目をそらされる。

どうしてそらされたのか、その時のあたしには悪い方向にしか考えられなくて。

「沁みるよ」

すこし上がりかけた口角を、また下げて俯いた。

「俯いたら手当出来ないでしょ」

そうして、この人の指先があたしのあごをとらえ、顔を上向かせた。

ふわふわした軽いパーマがかかった髪。

薄茶の髪が、部屋の明かりで少し透ける。キレイだなってぼんやりみてしまう。

肌もきれいだ。男の人なのにな、なんて思った。

まるでキスでもしそうな距離に、凌平さんて人の顔がある。

でもあたしはときめきもせずに、視線だけまた俯いた。

「こっち見てればいいのに」

クスクス笑い、テキパキと手際よく手当てしてくれる。

ソファーに腰かけているだけなのに、わき腹に痛みが走った。

「ん? そこも痛む?」

まさか蹴られたとはいえずに、頷くだけのあたし。

「じゃ、湿布でも貼ろうかな」

大きな湿布を手のひらで挟んで、いつまでも貼らない。不思議そうに見てると、ふふと笑ってから教えてくれた。

「場所が場所だけに急に冷たいのを貼ったら、マナがビックリしちゃうだろうと思って」

そういい、笑うんだ。

あたためてくれてたってことなのかな。

(変な人。初対面なのに、あたし)

こんな風に小さな気づかいをされると、どう反応していいのかわからない。されたことないから、どうしていいのかなって迷う。

「あとは服だね」

救急箱と洗面器を片付け、奥の部屋に入って行った。

「これ、着てもらってもいいかな」

長いTシャツ。それと、短パン?

「女の子の下着なんてないからさ、ごめんね」

受け取り、立ちあがって着替えようとした時、カーテンがするりと床に落ちた。

「……あ」

太ももに、薄茶色の汚れ。それを見た時、ママにされたことがよみがえる。

裸のまま、ストンとソファーに腰を落とす。

「マナ?」

頭がガンガンと打ちつけられたかのように痛む。

「う……」

両手のひらで顔を覆う。

涙が溢れて、指の隙間からこぼれていく。涙でこの汚いシミがなくなればいいのに。

「さっきの男にやられたの?」

静かな、さっきまで聞いてた声より低い声で聞いてきた。ううんと首を振りながら涙が流れ続ける。

「ママ……ッ」

恐怖感しかくれないママの顔が目の前にあるみたい。

呼吸が一気に早くなって、朦朧とした。

「マナ!」

凌平さんという人が、なにか袋をくれて、

「これ、口と鼻覆うみたいにして。……そう。そのまま深呼吸だよ。……ゆっくり、そう……スーッ、ハーッ……そう。大丈夫だよ」

そのまま呼吸をしろと教えてくれた。しばらくして呼吸が楽になった途端、力が抜けた。

「マナ?」

このまま目が覚めなきゃいいのにと願いながら、意識を手放した。

 何か、音楽が聴こえる。

その隙間で、誰かが泣いている。

あたしは水の上を歩いてて、一歩歩くたびに波紋がポーーーンと広がっていく。

空の青。水の中に映り込んでて、空の中を歩いている気分だった。

音楽が止んで、立ち止まった刹那、

(……?)

不思議に思い、空を見上げた瞬間、ガクンと沈んでいく体。

水の中に引きずり込まれていく。

歩いていたのは空の中のような場所だったのに、沈んでいく先には、青なんかなくってただ……、

(黒……ぃ)

薄暗いというのもなく、ただ黒い水の中。

どこまでも、どこまでも引きずり込まれていく。

どこまで行くの? 息継ぎが出来ない。

苦しいよ……。お兄ちゃん、苦しいよ……。

さっき見た空、もう一度あの場所に帰りたい。

水の中、自分が流していく涙が一緒くたになっていく。黒い水と自分の涙が変わらなくなっていく。

このまま黒くなっていくのかな。あたし、もう……あの空の中には戻れないの?

(嫌だ)

もう一度見せて、神さま。

さっき見た、あの青。深呼吸だってしていない。どんな匂いだったのかも知らない。

春の空気だったのか。冬の空気みたいに、シンとした、でも気持ちのいい空気だったのかも。

それに、普通の呼吸すらしていない。手も伸ばしていない。

あの空に向かって、思い切り伸ばしてない。

「空、返して」

涙が止まらない。

こんな黒いだけの世界にいたくない。どこまで続くのか分からない、底が見えない場所になんて行きたくない。

そんな場所で……生きたくない!

「助け……てぇ……」

誰かに向かって手を伸ばす。

もう、空の青なんか見えなくなっているのに。届きやしないって分かってても、伸ばさずにはいられなかった。

 目を開けると、さっきの空はもちろんなくて。

「マナ?」

白い天井があって、あたしの顔を覗き込む凌平さんて人の顔があった。

ふわりと柑橘系の香りがする。

「夢みてたの?」

顔を横に向けると、涙が目尻からこぼれた。

「何か飲む?」

「……うん」

さすがに何か飲みたくなった。

「これ」

背中を支えられ、体を起こすと一本のペットボトルが渡された。

「好きだよね、これ」

驚いて思わず目を見張った。

これはあたしが好きなレモンティーだ。

こくんと一口飲めば、乾ききってた体に浸みこんでいくのがわかる。

「ナオトから聞いてた、好きなメーカーだって」

その名前に体を強張らせると、頭を撫でてこういう。

「ナオトと会いたくない理由、聞いちゃダメかな」

話してもいいものなのかな、まだ不確かなことで悩んでいることを。

「マナはナオトのこと、嫌いなの?」

しばらく考えて、また首を振る。

「じゃあどうして会いたくないのかな。ナオト何かやったの?」

“何かやった”

お兄ちゃんになにかされたかといえば、逆だよね。きっと。

あの出会った日から、お兄ちゃんはあたしに近づこうとしてくれた。あたしの痛みに近づこうとしてくれてた方だ。

伊東さんも、お兄ちゃんと同じかそれ以上によくしてくれた。

でも、ママはハッキリ言った。

あたしの生活の変化のことを、伊東さんから聞いたって。

そして、時々家の様子をみてくるお兄ちゃんは、ママが普通じゃないかといった。

直接なにかされてなくても、嘘をつかれているという気がしてる。それだけで距離を置いてはいけないのかな。

「マナ?」

でもその前に、気になることがもうひとつある。

「あの」

「んー?」

ソファーであたしの横に腰掛けて、ニコニコしてる凌平さんという人に聞く。

「どうして、どうやってあたしをあの場所から連れてきたの?」

あの場所で死ぬんだろうって思ってたあたしを救ってくれた人。

「どうして?」

その理由もなにもかもを知りたかった。


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