spiral~pain~4
冷たい床で、カーテンを体に巻いて寝転がる。
昼間はあんなに暑かったのに、この時間になったらこんなに涼しい。それ
に付け加えて、体温が奪われていく行為の繰り返し。
「これ、ぽっちなの、に」
あたたかい。それと、何かに包まれているっていうこの状態がいいなぁって思った。
長く息が洩れた。
このままほっとけば死ぬかもしれないのに、この瞬間は幸せだ。包まれるっていいなぁ。
「……」
カーテンが外れて見えた空。
あの荷物、捨てられちゃったのかな。
「初めての贈り物だったのにな」
二度と会えないかもしれない。せめてお兄ちゃんに最期に会いたかった。
あの電話でお兄ちゃんがこの場所を探すことなんか出来ないよね、きっと。
「お兄ちゃん……」
まだ聞いていない、お兄ちゃんの哀しい過去。
聞きたかったって思いながら、襲ってくる眠気に抗えずに眠る。
もしかしたら、起きることが叶わなくなるかもとどこかで思いながら。
もう何も吐けないのに、吐き気のせいで目が覚めた。カーテンを引きずるようにして歩き、トイレで吐く。
カラカラなのに、まだ出ていくの? 体に水分あったの?
「はぁ」
四つん這いにならなきゃ歩けない。吐いたらこんなにも力が抜ける。
リビングとトイレの間で、寝転がったまま動けなくなった。
「お腹空いたな」
ポツリと出た呟きに、失笑した。あたしって、おかしいのかも。こんな時ですらお腹が減ったとか思ってるし。
体の痛みの方が上回ってるのに、吐き気はまだあるのに。
「それでも、お腹は鳴るんだね」
吐いて出ちゃってるんだからと言い訳すればいいのかも。
にしても、この状況下でなんて平和な考え事だろう。
「あの時の茶そば、美味しかったっけな」
三人でした食事が真っ先に浮かんだ。
ママやパパとした食事じゃなく、明るい店で二人が笑ってた楽しい時間。
小さな気づかいをたくさん感じられた時間だった。チョコのことだって。
「あ」
伊東さん。
伊東さんのことを思い浮かべるものの、これ以上考えることを止めたくなる。
どうしたらいいのかわかんないよ、これじゃ。行ったり来たりの頭の中。
もしも生きて帰れたら、どう接したらいいのか決められないよ。
「チョコ、頑張って食べてくれたっけ」
ママが言う伊東さん。
あの時みて、感じた伊東さん。
どっちもを大事にしてくれているって思えばいいだけなの?
「お兄ちゃんに聞いたら、答えてくれるの……かな? それとも」
はぁはぁいいながら呟く。
「お兄ちゃんも? ……信じちゃ、ダメ?」
ママのこと、普通に見えたって言ってたもんね。
「またあたしだけ独り?」
まだ決まってもいないのに、頭に浮かんでは消える三人の姿。
あたしと離れた場所で、伊東さんとお兄ちゃんとママが楽しそうにしてる。
「やっぱり一緒にはなれない?」
寝転がったまま泣く。
あの頃から変わらない現実は、いつになったらあたしを解放してくれるの?
思えば思うほど、胸が苦しくてたまらない。
孤独という言葉を思い出す。
寂しくないと思えるのはいつなんだろうと思いながら、何年も過ごし。
愛されたいと願い。やっと手を伸ばした先に、誰かのぬくもりが触れると思ってたのに。
「やっぱりアキんとこ、逝った方が、いい?」
力が抜けていく。
人間生きたいと思えるナニカがなきゃダメっていうけど、本当だって思えた。
今のあたしには守ってくれる人も、一緒に笑いたいと思える人も。何かをしたいという目標も、いたいと思える場所も……ない。
ゼロだ、あたし。
「う……ふ、っく」
誰もいないのに堪えながら泣く。
泣けば体の水分が減ってしまうのに、体に残っている水分のすべてを出しつくすほどに泣けてきた。
「一回だけ、でいい、か……ら。誰かに」
誰もいないのに手を伸ばす。
触れたかった。誰かのぬくもりに、心に。
そしてそれは、あたしも同じだった。触れてほしかった。興味を持ってほしかった。
「あ…ぁ」
力がどこにも入らなくなってきた。目がかすむ。白くぼんやりとした景色。
玄関から誰かが入ってくるわけないのに、顔はそっちに向いてしまう。
気づいてって最期の最後まで祈りたくてたまらなかった。
「ママ」
絞り出した言葉は、最後まで求め続けた人の名。
涙の温かさが頬から伝って、床にこぼれる頃には冷たくなってく。その冷たさにまた涙がこぼれて、意識を失くした。
もうこのまま死んでしまえば、寒い思いも辛い思いもしなくていいよねと諦めかけてた。
ふわり。
揺れて温かくって、思わず頬が緩んだ。
目を開けた先。そこが天国だったならあたしは許されたことになるのかな。
アキに、ママに、パパに、すべての人に。
目を開けたいのに、目が開かない。やっぱり死んだんだ、あたし。
でもここ、あったかいよね。かろうじて何かが聞こえる。
誰かが話してる。それから、車のエンジン音。
(エンジン音?)
じわりと背筋が凍った。そこの場所は温かさを感じるのに、まずい人がいる気がした。
誰かがあたしを運んでる。聞いたことがない声の誰か。
どこに連れて行かれるの? ママに暴行されて、哀しい過去を聞いて、独りになって。
それでもまだあたしは何かの罰を受けなきゃいけないの?
体がブルッと震えた時、何かが動いた感覚。
目を閉じててもわかった。
(あたしに何か掛けてくれた?)
どうやら助手席らしい。真横から腕が伸びてきたようだった。声がしてるのは一人だけ。
なんとなくだけど、他に気配がない。あたしに何かを掛けてから、また話し始めた。
「あ、あぁ。大丈夫。んー? あぁ、うん。とりあえず俺んち運ぶ」
すこしだけ低めの声。柔らかい話し方。
誰? この人。周りにこんな声の人いないし。
「オヤジさん連れてくるのか? ナオト」
その名を呼んだ瞬間、不思議なことに腕が動いた。感覚だけで、誰かの腕をつかんだ。
そして、目が開く。
「え?」
驚く声。そして、ゆっくりと車が停まった。
「ちょっと待て、ナオト。あとでもっかい連絡するから」
携帯をパクンと閉じて、携帯をダッシュボードに置いた。
「大丈夫? 病院行く?」
言葉は好意的な言葉なのに、お兄ちゃんの知り合いらしいと思っただけで怖くなった。
もしかしたらこの人も、あたしを壊す人? 裏切るための誰か? って思いたくなる。
「だ、れ?」
かろうじて出た声。
「あ、あぁ。うん」
声が低くなってる。体中の水分がなくなってる感覚はまだある。
「なにか飲む?」
ううんを首を振る。そしてもう一度「誰?」と聞く。
ややしばらく間が開いて、ゆっくりと「凌平」と名乗った。
「りょうへ、さん?」
声が上手く出ない。お腹に力が入らないし、喉が乾いてるし。
「うん、凌平。ナオトの友達」
お兄ちゃんの知り合いなのか、やっぱり。
でもなんであたし、この人に運ばれてるの? というか、あたしのこと知ってる風。
「病院行こうか?」
ううんと首を振る。
「じゃさ、ナオト呼んでもいい?」
自分が立てた予想が頭によぎる。やや間を開けてからまた、首を左右に振る。
「マナ」
名を呼ばれて、体が硬直した。
「体、大丈夫ならさ。……俺んち連れて行ってもいい?」
真意がわからないけど、どこか諦めたように頷いたあたしがいた。
「大丈夫。何もしないから、俺」
そういい微笑む。ゆっくりとまた動きだした車。車の時計を見ると、夜の十一時過ぎ。
「本当に病院行かなくていいの?」
行ったところできっと聞かれる。火傷の痕に、殴られたり蹴られた痕。
それをどうごまかすかなんて、浮かばない。また首を左右に振ると「そっか」とだけ返ってくる。
「ナオトに会うの、嫌なの?」
嫌というのか、怖いというのか。お兄ちゃんにまだ何もされていないのに、会っていいのかわからない。
「わかんな、い」
声が震えてしまう。
「そっか」
車内が静かになった。ふと俯くと、自分のしている格好がすごいことに気づく。
裸にカーテンを纏い、胸からお腹辺りまでに掛けられたジャケット。
体はアチコチ痛む。車に揺られてたら、ムカムカしてきた。
何も言えずに窓に顔を向けたまま、口元を押さえる。
ダメ、吐いたりしちゃ。
誰かわからないけど迷惑がかかる。そう思った。
堪えていると、どんどん哀しくなってきて涙が溢れた。吐きたくてなのか、泣いてるからなのか、肩が上下してしまう。
苦しくなってくると、意識がぼやけてくる。
意識が飛びかけた時、肩を掴まれた。
「ちょっと、大丈夫? 吐きそう? 車停めようか」
ううんと振り向くこともなく首を振る。
(ダメだ。誰も信じちゃ、頼っちゃダメだ。迷惑かけたらダメ)
自分をどんどん小さく狭くしていく。
きっとそうすれば生きていける気がした。誰の邪魔にもならずにいられれば、生かしてもらえるんじゃないかって。
いろんな苦しさに涙が止まらない。
また意識が落ちると思った瞬間、車が急停車して、大きな音がした。