spiral~pain~3
ズルリと一気に引き抜く音がした瞬間、体が楽になった。
腰から下が、ずっと痺れている。
あたしのことを何度も嫌いといいながら、何度かママは棒状のものを挿し込んだ。
痛さと冷たさと悲しさが入り混じってた。
「けんちゃん、上手く撮れたの?」
ママが男の人にくっついて、カメラを見ながら二人でニヤニヤしてる。
「先に車に戻ってて」
ママがそういうと嬉しそうに頷き、男の人はいなくなる。
窓際でタバコに火をつけ、長く煙を吐き出すママ。
「おめでと、大人の仲間入り」
決しておめでたく聞こえない口調に、また涙をこぼす。
「あたし言ったわよね、不要だって」
メールの話。頷きはすれども、本当は認めたくなかった。自分は要らない子だなんて。
冷たい床に、自分の涙が溜まってた。
「あんたの名前の由来、話したことないでしょ」
由来があることすら知らなかった。
アキの名前が秋生まれだからっていう理由でつけたのを病室で聞いてしまったから、興味が削がれたのかもしれない。
「マナは、愛と書いて、マナ」
煙を吐きながらそういうけれど、ちっとも愛情がこもっている気がしない。愛情を感じたことがあったのか、この十五年間一度もあったのか、自分のことなのにわからない。
「ま、そんなこといっても、与えたつもりはないけど。愛なんてモノ」
そう思っていても、本人にそう認められると結構がっかりした。
「あんたのおばあちゃん、会ったことないわよね。どんな人だったかわかる?」
なんとか首を小さく左右に振る。
「おじいちゃんにも会ったことないものね。……会えるはずもないか」
そういい、自嘲的に笑ってから、しゃがんであたしの太ももにタバコを押しつけた。
体が大きくビクンとなるものの、声を上げる気力もなくなっていた。
呼吸が乱れ、もう十分流しただろうと思ってた涙はまだ出てくる。
熱くて、痛くて、焼けた肉の匂いが自分からする恐怖感。
「そりゃそうよね。……小学二年の時にあんたのおじいちゃんは女を作っていなくなって。おかしくなったあの女が、一人で勝手に首つって死んじゃったんだもの。…………散々、人に当り散らしてから」
次のタバコに火を点けた時、体がビクンと反応する。
また押しつけられそうで、もうアチコチから汗がにじみ出てる感じだ。気持ちの悪い汗が。
「あんたのパパも結局、最低の男だったわよね。子守りは出来ない。仕事もしない。金食い虫なだけの男」
こんなに話すママは初めて見る。
それも逆に怖くてたまらなかった。
「子供に期待しなきゃよかった。産まれたら何か変わるって」
煙を吐きながら、どこか遠くを見てるママ。
あたしは一体、どんな気持ちでママを見ていればいいの?
「だいたい妊娠してる時から邪魔くさかったし。……なんでたかだか子供に期待してたんだか、今じゃわからないわね」
その言葉に思わす、言葉を返す。
「邪魔」
確認のように発した言葉に、フンと鼻を鳴らして、
「そう、邪魔」と、言い切った。
そうしてもう一本、今度は胸の先端に押しつけられたタバコ。
言葉にならない悲鳴。ジクジク痛む傷。
「体型変わるし、寝かせてくれないし。人に仕込むだけで、他の女のところウロウロする旦那だったし。愛情もへったくれもないじゃない」
ゆっくりと立ち上がり、カーテンと窓を閉め、ニッコリと微笑んだ。
「二人目はね、あんたがいたから堕ろさなかったのよ。ハナッから子守りのために生かしていたのよ」
「それだけ……で?」
か細い声でやっとそれだけいうと、
「それだけよ」
微笑んだまま呟く。
「子供を産んだからって世界が変わる? ……冗談でしょ? 何が変わったっていうの。旦那? 旦那の親? 近所の誰か?」
微笑んでいるのに、どうして? ママが……泣いてるみたいだ。
「あたしを取り囲む何もかもが、あたしのためや……子供のために変わることなんかなかったわよ。なんか、賭けに負けた気分だわ」
開けていない窓。そっちに向かって、ただ何かをみているようにみえる。
何を見てるの? 何を思っているの? ママ。
こんなママの過去の話を聞いて、あたしはどうあればいい?
傷ついてる。そう思った。
本当は悲しい? そう感じた。だけどあたしになにが出来る?
ママがあたしにして欲しかったのは、消えるということ。けど、あたしは生かされて今こうしている。
ママには今、伊東さんがいる。
なのに、どうしてこんなに辛そうなの?
「ママ」
こっちを見ずに「なに?」とだけ返ってくる。
「寂しいの?」
聞いちゃいけないことを、つい聞いてしまった。
子供ゆえの浅い考え。思いついたからといって、言っちゃいけないものもあるんだということを、痛みの後に気づかされる。
「うぐっ!」
ママの足が脇腹を思いきり蹴り上げた。
「余計なこと言ってんじゃないわよ! 一人で生きてもいけないくせに」
鬼のような形相。
「あたしが一人になってからなんて、今のあんたみたいに恵まれてなんかいなかったわ」
ハァハァと呼吸を乱しながら、反対側からまた蹴り上げられる。
「うあ……っ」
中で骨がジンジンしてるみたい。もう一度、お腹を踏みつけてあたしに唾を吐くように言い捨てる。
「繰り返すわよ、あんたも。あたしが親にされたことを繰り返したようにね。っていっても、親になるような歳まで生きていられればの話だけど」
床に転がっていたあたしの服を、そのへんにあった袋に放り込む。
キッチンのシンク下の扉を開け、「ほら」という。
「ここに包丁だけはあるから。死にたくなったらいつでも使いなさいな」
裸のままで、置き去りにされた。
スタスタと玄関の方に行きかけて、顔だけ振り向いて一言。
「それがママからの最後の贈り物よ。……くくっ、あはははは」
笑いながら部屋から出ていく。
ママがいなくなって、急に寒気が体中を走っていく。
ママがあたしにしたことを頭の中で思い出す。最初から最後まで思い出すと、それはどう考えても自分の子供にする仕打ちじゃない。
愛されていない。
わかってても、どこか依存して心の中で甘えられるその時を待ってたんだ。
ゆっくりと体を起こし、部屋を見回す。
本当に何もない部屋。カーテンと、包丁。それだけの部屋。
持っていた携帯も、買っておいた三人への贈り物も。なにもかも、この手に残っていない。
(伊東さん)
ママは言ってた。伊東さんが教えてくれたって。
(伊東さんのこと、一馬さんって呼んでたな)
そんなどうでもいいことを思い出す。パパにはそんな風に呼んだことなかった。
どこか小馬鹿にしたような呼び方だった。それでよくケンカになってたっけ。
俯くと、胸と太ももに紅く残るタバコで出来た火傷の痕。本当に起きたことなんだと実感せざるを得ない。
「……うあ、あぁぁぁっっ」
頭を抱え、床に正座したままうつ伏せた。
夢じゃない。嘘なんかじゃない。あれは現実に起きたことなんだ。
「ママ、に……犯され、て。それ……から」
腰に背中に響くような鈍い痛みが残ってる。
その痛みは生きている証。けどその証は、さっき起きたことが本当に現実なんだという証でもある。
「うっ」
さっきお腹を蹴られたからか、急激な吐き気をもよおした。
裸のままトイレに行き、胃の中のものをぶちまける。涙と鼻水と嘔吐物と……。
口や鼻の中が、よくわからない匂いになってく。
「うっ……うえぇぇぇぇ」
その匂いにつられて、何度も吐く。胃液しか出なくなっても、吐き気はなかなかおさまらなかった。
吐くという行為。
それは、体温を奪われる行為でもある。散々吐いて、冷たい床に座ったまま放心してた。
トイレの床も冷たくて、さっきよりも体が急激に冷えていくのがわかる。カタカタと歯が鳴り出す。
寒いということがわかるってことは、あたしまだ生きてるんだななんてくだらないことを考えてた。
このままここにいても、裸で出ていけるはずもない。食事も取らず、このケガでいて。
(きっと死ぬんだろうな)
そうなるとしか思い浮かばない。
「いっそ、さっき……ママの手で」
殺してくれてよかったのになんて、チラッとよぎった。
味方だと思ってた伊東さんが、実はママ寄りだった事実。
こんなにも愛されていないあたし。それだけでも死にたい理由には十分じゃないのかな。きっとママに殺してって言っても、こういうに違いない。
「そんな面倒なこと嫌よ」
自分の手は汚さず、自分は関係ないわっていいながら、希望を叶えようとするんだろうね。
伊東さんを一馬さんといい、信頼してるようにも取れる。でも、あの男の人って?
お客さんっていうだけの感じがしなかった。もしもそうだったら、伊東さんは許してくれるの?
けど……今、ママは、
「伊東さんがいて、幸せ……だから、あたし、邪魔……で」
そういう方程式が成り立って、あたしを消したくなった。あたしと一緒にじゃなく、自分だけ幸せになりたくなったんだ。
「……ママ」
呼んでも聞こえるはずがないのに、何度も呼ぶ。
「ママ……、ズル、イよ。そんなの」
ママが今の状態を維持したいのと同じで、
「あ……たしだ、って、普通に笑ったり……した、い」
カタカタ体が震え出す。歯がかみ合わなくなった。ママに対しての感情で、初めて感じたもの。
「く、悔しい」
急激にくる怒りの方がよかったのに、どこまでもあたしって人間は呑気だ。じんわりと侵食していくかのように、悔しい気持ちが滲み出る。
あたしを子守りだと言った。ママの過去の経験が、今のママの姿を作ったんだとしても。
「それでも、ちが……う」
寒さに震えながら、押し出す声。
ママはママだ。あたしは、あたしだ。
ママの過去はママのもので、あたしのものじゃない。
経験があって生かされることも多いって、よくいう。けど、これは生かしていい経験じゃないよ。それくらいは分かるもん。
繰り返すことがいいことだらけなんて、思えない! 思わない。
生きたくてもがいて、必死になって。それのどこが悪いんだろう。
「う、ぐっ」
ゆらりと立ちあがり、カーテンを掴む。取り外そうと背伸びをしかけて、結局、
「あ、うわっ」
体を支えていられなくて、カーテンを掴んだまま倒れた。