spiral~pain~2
体が急激に冷えていく。指先が冷たい。誰か知らない人が運転する車に乗せられ、見覚えのある道を走っていく。
「……どこ、行くの? ママ」
助手席にいるママにバレないようにと、お兄ちゃんに電話をかけた状態で聞く。
さっき通話って画面に出たもの。多分、大丈夫。
(お兄ちゃんなら、気づいてくれる)
そう思いながら震える声で聞くと、「お楽しみにー」とか楽しげに返してくる。
ずっと笑ってるママ。
車内には、ママの好きなアーティストの曲が流れている。
「椿ちゃん、こっちだっけ」
椿とは、ママの店での名前。ってことは、お客さん?
「そうよ。そこの先にある止まれの標識を右に曲がってすぐよ」
指示した先にあるのは、「あ」と思わず声を上げた場所。
「久しぶりでしょ? 来るの」
あたしが一人で暮らしてた場所。あのアパート。
「ほら、早く降りなさいよ」
引きずられるように腕を絡められつつ歩く。
夕暮れ。誰も関わらないようになのか、こっちを見もしない。
お兄ちゃんは気づいてくれただろうか。
顔だけ振り向くと、たった一人だけ、男の人がこっちを見てた。
縋る思いで見たものの、すぐさまママがあたしの頭の向きを戻す。
「どっち見てんの? あんたが助けてと言ったところで、そんな気の利いた人間がいるわけないでしょ?」
今ある現実に引き戻す言葉をくれた。
「……うん」
お兄ちゃんが万が一気づいたところで、法事の最中。どうしようもない。
大人しくママに連れて行かれるがまま、元いた場所に入る。
「ちょっと蒸すわね」
窓を開け、換気をするママの姿。離れる前にはよく見てた姿だ。
入り口には、さっきの男の人が立ってる。
「言っとくけど、逃げようだなんて思わないこと。っていうか、逃げられなくなるけどね」
クスクス笑って、
「脱ぎなさいよ」
そういいながら、あたしを指さした。
「え?」
「早く」
「何、言って」
「脱ぐの。それとも、なぁに? 高校生にもなって、自分で着替えも出来ないの?」
ゆっくりと近づくママ。
「出来る! 出来るけど、だって」
いいながら、入り口の男の人を見る。
「あぁ、気にしなくていいのよ。あんたの裸に興味なんかないから、彼」
そうは言われても、男の人の前で脱いだことない。
お兄ちゃんと暮らしてても、お風呂に入る時にはお互いに脱衣所で着替えるし。
「……あぁ、もう。じれったい!」
ママがスタスタと歩いてきて、窓を勢いよく閉める。
大股で一気にあたしの方に来たと思ったら、次の瞬間には裾を乱暴に掴んでそのまま、
「はい、ばんざーーーい」
と、上に捲りあげた。
「きゃあああっ」
ブラだけになった上半身。
「次は下ね」
剥いだ服を床に放って、さらに近づくママ。
「やだ! ママ、止めて!」
そういったところで、ママの足が止まることはない。
ブラひもを掴まれ、抵抗するとそのまま呆気なくブラが剥ぎ取られた。
抵抗した拍子に、転んでしまう。
「ほら、大人しくしてなさいよ」
そう言われたって、嫌なものは嫌だ。
「前はあんなに素直ないい子だったのにねぇ」
四つん這いになって逃げようとすると、その格好のまま器用に脱がされた。
「ママァッ!」
呼んでも鼻歌まじりに、最後の一枚に手をかけようとしていた。
「や、や……っ」
ショーツだけはと、手で引っ張る。
「は・な・し・な・さ・い・よ!」
頼りない薄い布を、グイグイ引っ張り合う。なかなか決まらない結末に、ママの平手が頬を打った。
その瞬間、離れた手。その隙を逃すはずがない。
「あら、いろんなとこ大きくなったのね、ちょっと見ない間に」
ショーツも床に放って、見下ろすママの姿。あの時みたいに、天井の明りを背にしているママ。
よみがえる記憶に、反射的に首に手をあてる。
「大丈夫よ、殺しはしないから。あたしはね」
そういい、ママは振り向いて男の人にバッグをちょうだいと言った。
バッグの中を楽しげに弄って、「あったあった」と長い箱を出す。
「あんたね」
そう切り出し、「大人になりたいって思ったことなかった?」と聞いてくる。
「え? なんで今、そんな」
心臓がドクドク強く激しく鳴り続ける。
「いいから答えなさいな。一人で暮らしてて、ママに置いていかれて」
思い出す、一人ぼっちの生活。
「お金を振り込んでもらえなきゃ生きていけない。苦しかったでしょ? 生きるって」
ズリズリと裸のまま後ずさる。気づけば壁を背負ってた。
「大人になるとね、自分で働けるし、そのお金は好きに使えるし」
きれいに包装されたものを解きながら、ずっと楽しげに話すママ。
「今、あたし……働いてる、し」
そうポロッと洩らすと「知ってるわよ」と返ってきた。
「知って、る?」
驚くと、箱の中から長い棒状のものを取りだしながら言った。
「じゃなきゃ、あの場所で待ってるはずないでしょ」って。
「それって」
言いかけて、言葉が喉で詰まった。ママがニヤッと笑ったのを見て、わかってしまったから。
「あんたが引っ越したのも、手助けしたのが一馬さんだってことも。それに、どこの高校に入ったのかも知ってるに決まってるでしょ」
「だって、伊東さん……」
何も言ってないって言ってた。
「大人はね、嘘をついて世の中を渡っていくのよ」
その言葉で、伊東さんに嘘をつき続けられたんだと思った。
脱力する。
信じかけてて、贈り物をしたいって選んでたあの時間。
ドキドキしながら選んだメガネケース。
「大人には自由があるわよ。それと、生きる術もね。いろんな経験をして、そうしてママも大人になったの」
バッグからもうひとつ、きれいなピンクの瓶を手にした。
「で、でも、ママ」
言わなきゃよかったのに、この時のあたしはママが言った言葉に疑問が浮かび上がってしまったんだ。聞かずにはいられなかった。
「ママ、ちっとも自由にお金使えなかったじゃない」
パパに渡したり、支払いしたり。ママが自分に使った時って、あまり見た記憶がなかった。
「……ん? 何か言った?」
ゆっくりと確かめるように呟く声。とても低い声になった。
「え。だ、だから」
もう一度言いなおそうとすると、バチンという音と、痛みが一瞬で走った。ポタポタと鼻から血が流れた。
「バカね、やっぱあんたって」
そういい、反対の頬をまた大きな音をさせ叩いた。放心し、痛む頬に手をあてた。
「殺しゃあしないわよ。……死にたくなるかどうかは、あんたに選択肢をあげるから」
そういいしゃがんで、あたしの足首を握る。思い切り引っ張られ、床に仰向けになった。
「マナ」
低い声が、命じる。
「足、開くのよ」
やっぱりあの時と同じ、目で見下ろしながら。
ママがそういった、その向こうで音がした。
「ケンちゃん、早いわよ。まだ待ってて」
その音は、シャッター音。
「ほぉら、早くしてよ。こっちも忙しいんだから」
そういわれても、見知らぬ男の人がいて、カメラを構えてて、自分は裸で。
「出来ない!」
足を閉じようとするものの、ママの膝が足の間に入り込む。
「聞きわけがないわね」
またバシンと叩かれて、口の中が鉄の味しかしなくなる。
「ほら、さっさと開いて」
力が入らない。というよりも、震えが止まらなくなった。
「ガクガクしないでよね、やりにくいったら」
文句を言いながら開いた足の間に、ナニカをあてる。
「何、し……て」
たどたどしく聞くと、「今、わかるわ」と言った。
冷たいヌルヌルした感触。恥ずかしい場所にママが触れている。
「力抜かなきゃ、痛いわ……よ」
痛いわよの“わ”の時に、背中に電気が走った。
「痛ぁぁぁ……い」
悲鳴。足をジタバタ動かすたびに、ママが顔を叩く。
「ほら、動かすわよ。動くともっと痛いわよ」
体内に異物感が入り込む。
粘着質な音が部屋に響き、その隙間にカシャカシャとシャッター音が響いた。
「これが大人になるってことの第一歩よ」
ママの目が光ってるように見えた。ギラギラとして、怖いだけ。
いろんな角度から撮られている、こんな姿のあたし。次第に涙でなにもかも見えなくなる。
「そう。大人しくしてて、いい子ね。マナ」
ちっとも褒められている気持ちになんかなれないよ、ママ。と、心の中で呟く。
もっと違う形で褒めてほしかった時が、あの幼い悲しみの日から何度もあったんだよ、とも。
ママが呟く。
「そういう顔、いつまでしてんのよ。……だから嫌いなのよ、あんたが」
そういったママの声は、苦しげに聞こえた。