spiral~one~10
伊東さんの方を見て、
「お兄ちゃんに一体、何を話したんですか?」と、聞く。
あたしの散々な毎日を知ってるはずがない。
「僕は、一緒に暮らすことが叶わないけど、お前には妹が出来た……と。病気で会えないわけじゃない。でも、きっといつかは暮らせるようになるよと話した」
「それっぽっちで、どうしてここまで関わろうとするの?」
お兄ちゃんを怒鳴りつけると、逆に穏やかな声でこういった。
「それっぽっち? お前を見てるだけで、十分にみえるって。どんな暮らしをして、どんな思いをしてきたのか」
そういってから、お兄ちゃんは涙をひとつだけ流して、こぶしで拭った。
「お前が安心して眠れる場所に連れて行ってやる」
自分のために涙を流したお兄ちゃんに、戸惑いを隠せない。
「それって」
「俺とお前の部屋だ。俺はお前を傷つけない。安心して眠っていい場所を、お前にやりたいだけなんだ」
喉がギュッと絞まってく感じがして、声が出ない。
「オヤジには悪いけどよ。俺は新しい母さんよか、この数時間みてきたマナを信じたい」
そう語るお兄ちゃんは、とても辛そうで。
「……わかってる」
そう返した伊東さんも、お兄ちゃんと同じように辛そうな表情をしている。
「ごめん、オヤジ」
「……いいさ」
伊東さんは哀しげな顔で、どこか遠くを見てる。
伊東さんとママの間にあるもの。
お兄ちゃんとママの関係。
見えないものが多すぎるまま、決めてしまっていいのかな。
安心して眠れる場所に、一歩進んでいいの?
いろんなことが起きすぎて、どう考えていいのかわからず涙がこぼれた。
しゃくりあげるように泣くあたしに、お兄ちゃんが聞いた。
「マナ、ベッドカバー決めようぜ」って。
肉親という、血がつながっている人に突き離され。他人という、血のつながりのない人に手を差し出されている。
独りにならなくていいのなら、試す……?
「……」
涙をぬぐって、ゆっくりと立ち上がる。
小さなことだけど、勇気を出そう。
「んー?」
カートに先に戻ってたお兄ちゃんと伊東さん。二人に向かって、両手を差し出す。子供みたいな試し方。笑われてもいい。
「バカだな、案外」
そういいつつも、黙って伸ばされる手がある。
いい、もう。今日、眠れたらいい。繋いだ手の温度を、今は信じるしかない。
もしも裏切られたら、そこからまた考えればいい。
あの夏の日に、ママに置いて行かれた時のように……。
赤いチェックのベッドカバーに、ピンクのラグ。いろんなものをどんどんカートに入れていく。
「必要最低限でいいです」
さすがに、金額が気になってきた。
「全部必要だよ」
そういった後、伊東さんはコソッと耳打ちをする。
「女の子しか使わないものあったら、入れていいよ」
そういった伊東さんは、少しだけ耳が赤い。
「あ」
一瞬でわかった。コクンと小さく頷き、近くの売り場に駆けていく。
「マナー?」
お兄ちゃんの声がするけど、一緒になんて買いに行けない。アチコチみながら、腕に抱えて戻る。
「……ぷっ」
アチコチみたのに、やっぱり贅沢は出来ないと思う自分がいる。
そんなあたしを見て、なんでか噴き出すお兄ちゃん。
「それだけで足りるの?」
伊東さんも笑ってる。
「あ、はい」
そっとカートに入れると、
「後で足りないもの買うお小遣い渡さなきゃな」って、伊東さんが頭を撫でてくれた。
店を出て、しばらく車を走らせる。
途中で夜食にと買ってもらった、サンドウィッチとレモンティー。お兄ちゃんは焼き肉弁当を買ってもらってた。
新しい部屋だよと言われた場所には、あたしがカギを開けて最初に入る。
「早く電気つけろよ」
「あ、うん」
らしい場所に手を伸ばし、明かりをつけて驚いた。
「は……」
ため息とも何とも言い難い息が出た。
冷蔵庫に、小さめのレンジ。テーブルがあって、ローソファー。キッチンとすぐ横のバスルームの間に、コンパクトな洗濯機。
「あ! ベッド」
隣の部屋には、何も敷かれていないベッドがポツンと置かれていた。
「マーナー! 荷物ー」
玄関でお兄ちゃんが叫んでる。
「はぁい」
気分が高揚してくる。
本当に新しい生活をここで始めるんだっていう気分が、自分の胸の中に溢れだしてきたんだ。
「ラグは重いから、こっちのベッド関係の持っていけよ」
「うん」
元気よく返事をして、レジ袋を受け取った。
「じゃ、どんどん置いてくから、持てるものあったら持ってけよ」
「はぁい」
慌てなくていいのに、自然と動きが軽く、早くなっていくんだ。
早く荷物を整えて、自分の部屋を作りたいって。
ラグ、どの位置に敷こうかな。
さっき伊東さんがオマケって言って買ってくれた、水色のパジャマ。
ふかふかの真新しいバスタオル。
どれもこれも、あたしのためだけに揃えられたもの。
単純だっていいよね。楽しい。まるでさっきの食事みたいなんだ。
「これって」
「あー、食器だから」
「気をつけなきゃだね」
「あ……そうだな」
タタタッとリビングに行き、テーブルの上にレジ袋をソッと置く。
「まだあるのかな、お兄ちゃん」
きっと恥ずかしいくらい浮かれてる。興奮気味に急かしてるあたし。
あれもこれもやってもらってる立場なのに、本当はダメ……だよね。
「いいな、お前のそういう顔」
ダメだよねとよぎっても、お兄ちゃんの言葉がそれを許してくれる。
「そ……っかな?」
嬉しいのに照れくさい。あたし、今、どんな顔してる?
「後はオヤジがこっちに来たらおしまい」
「そっか」
落ち着かない。
「ソファーに座ってればいいだろ?」
「あ、うん」
言われるがままに座るものの、なんだか座ってられない。
「どうした?」
お兄ちゃんが不思議そうに聞いてくる。
「あ、えっと」
バカだなって思う。子供だ、すっごく。時間が遡ってるみたいな高揚感しかない。
「部屋、セッティングしてもいいのかな」
つまりはそういうことで。
「あ?」
「伊東さん来てからじゃなきゃ、叱られるのかな」
俯きがちにしつつ、目線だけ盗み見るように動かすと、肩先だけ震えて笑ってる。
「お兄ちゃん?」
なんかおかしなこと言った?
「ごめんなさい」
意味なく謝る。ママといる時に身についてしまった、とにかく謝るという方法。
「なんで謝ってんだよ、バカ」
まだ笑いつつも、拳を軽く頭にコツンとぶつけてから呟く。
「好きにやっていいんだっての。ここはお前の部屋なんだし」
「いいの? 本当に? 叱られない?」
「なんで叱られなきゃなんねぇんだよ」
「だって、お金出してくれたの伊東さんだから」
勝手に動くとママに叱られたことを、思い出した。
「金を出したのがオヤジなんだとしてもな、お前がやんなきゃ自分の部屋にならねぇだろ」
そういってから、トンと背中を押す。
「早くお前の部屋みせろよ」
「う、うん!」
まだ笑ってるお兄ちゃんの横を通り、部屋に入る。まだなにも出来ていない部屋。これから作る、あたしの部屋。
「んと、最初になにすればいいんだろ」
早く部屋らしくしたいのに、どこから手をつければいいのか悩む。
「そうだ、マナ。ラグをさ」
いいながらラグを運んできたお兄ちゃん。
「……どうしよう、お兄ちゃん」
ポカンとした顔で、あたしを見下ろしてる。
「ドライバーがないと作れないよ、コレ」
ピンクのカラーボックスの梱包を解き、早速困っていた。
伊東さんが家に入ってきて、最初に見たのはお兄ちゃんの笑い転げてるとこ。
「やっ! 笑わないで!」
普通に困ってただけなのに、そんなに笑わなくたっていいじゃない。
「悪い。で、でもよ、なんでそれっぽっちのことで泣きそうな顔になって……くっくっく、あははは」
「ホントに困ってたんだもん」
「なんだ、ナオ。マナちゃんを泣かせてるのか」
そういいながら部屋に入ってきた伊東さんは、優しく笑ってて。
「違うって、オヤジ。……あ、ドライバーある?」
それを聞き、あたしを見て、「あぁ」と頷く伊東さん。
リビングに戻ってすぐに、「僕が組み立ててあげるよ」ってあたしの横に座った。
「すいません」
ペコリと頭を下げると、お兄ちゃんがまた拳をコツン。
「え? なんで?」
聞き返すと、こういった。
「そういう時は、すいませんじゃなく、ありがとうって言えばいいんだぞ」
と、教えてくれる。とても新鮮な言葉。
パパやママにはありがとうって言っても叱られてた。
「ありがとう?」
「そ、ありがとう」
満足そうにそういって部屋を出て、リビングで食器の片付けを始めた音がした。
「あの」
「うん? なんだい」
あっという間に形になっていくカラーボックス。
「その」
目が合うと言えない気がして、少し視線を外してから小さな声で呟く。
「どれもこれも……その、感謝、してます」
ありがとうって簡単にいえばいいのにな。緊張しちゃって、堅苦しいものになっちゃった。
「わかってるよ、大丈夫。ちゃんと伝わってるからね」
ニコニコして、最後の板にねじを差し込んでいく。
「あとはね、このシールをねじの上から貼って目隠しするだけ。それは出来るだろう?」
「はい」
「じゃ、また困ったら呼ぶんだよ。……ナーオー」
「なんだよ」
お兄ちゃんを呼びながら、リビングへと消えていった伊東さん。これで一つ、自分の部屋のモノが出来あがった。
ゴロンとラグを敷き、その上に買ってきた物を広げる。
うんうんいいながら、カバーに布団を収める。まっ白な布団が、可愛い布団になった。
胸の前でギュッと手を握る。もう緊張感はなく、高揚感のみ。
ラグで寝転んでみたり、ベッドに腰かけてみたり。カラーボックスに何を入れようか想像したり。
自分の部屋なんかもらえなかった時、紙に書いたことがある。夢の部屋。
「あとはパジャマに着替えてー」
ベッドにボスンと腰かけて、パジャマを袋から出した。
「可愛いなぁ」
自分にあててみたり、高く掲げてパジャマを見たり。
「自分で働けるようになったら、ルームシューズなんかもいいなぁ」
独りごと。しかも普通のボリュームより、興奮してるだけに大きめ。
「うわぁ、今日眠れるのかな」
パジャマを抱いてベッドに寝転がった時、視線を感じた。