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ノリッピーが死んだ。新年を迎えて二週間が経ったころだった。ニュースでもやっていたが、なぜ死んだのかはわからない。葬式の時に彼の家族に聞こうにも息子を失い、途方に暮れる彼らに聞くのは憚られた。
彼が死ぬ前、俺がいつものようにユメ、リアと空き教室でだべっている時にユメのスマホが震えた。会話を抜け、彼女はしばらく話していたが切羽詰まったように鞄を肩にかけ、走り去っていった。彼女の様子からノリッピーと話をしているようだった。徐々に口調が激しくなっていったのを覚えている。だから、彼の姿を最後に見たのは彼女のはずだ。
「なあ、教えてくれ。ノリッピーはなんで死んだんや」
ユメは彼の通夜にすら来なかった。当初は彼が死んだことを認めたくないからだと思った。現に彼女は大学に姿を見せなくなってしまった。しばらく時間を置くべきだと思った。しかし、彼女を図書館で見かけたとリアやノリッピーの友達から聞くようになった。大学だけでなく市内の図書館でも見かけることがあり、何かを熱心に調べている様子だったらしい。話しかけてみても、ずっと独り言を呟くか無視されたらしく、以前からよくない印象があった彼女の立場はさらに悪くなっているようだった。
「ずっとそれについて調べとったんやろ、ユメ」
耐え切れず、彼女が借りているアパートの一室を訪ねた。ドアは開いており、暗闇の居室に彼女の姿を認めた時は思わず心臓が止まりかけた。彼女の枕元には大量の薬があり、決して良い状況とは言えそうにない。
「電気消して」
彼女は布団を頭から被っている。俺が部屋に上がって電気をつけると悲鳴を上げたきりこの状態だ。
「昼間やのにカーテンも閉めて、どないした」
「何も見とうないけん」
ノリッピーが死んで精神的に参っているのだろう。俺はスイッチを押し、部屋の明かりを消した。
「ほら、消したで」
そういうと、彼女はもぞもぞと布団から這い出てきた。
「コウか」
「なんや期待外れやったか?」
「そげんやなか」
薄暗い部屋ではっきりとはわからないが、彼女の髪の毛はボサボサだった。食事もまともにとっていないのか、頬がこけ、唇もひびが入っている。だというのに目だけが異様に輝いている。
「あいつが変な行動した日、覚えとーと?」
「あいつはずっと変やけど」
「くらすぞ。冗談で言うとるとやなか。新年会で家に帰ってきたとき、妙に焦ってたやん?」
彼がコンビニから帰ってきたときのことだ。扉ののぞき窓から外をしきりにうかがっていたし、俺たちがいることに驚いていた。そのあとの英梨の登場と乾杯でも少し元気がなさそうだったが、そのことを聞いてみても答えてくれなかった。
「ああ。そんなことあったな」
「アイツが死ぬ前に電話かかってきたと」
「死ぬ前?」
「うん。ニュースになったけん、亡くなった時刻が分かったんよ。ちょうどアタシがアイツから電話もらった後やった」
「んで、何言うとった?」
「ずっと泣いとった。理由聞こうとしても時間がないから言うて一方的に話してて。大学顔出せてなくてごめん、とか新年一発目に撮るつもりの動画の話できてなくごめん、とかどうでもええことばかりっちゃ」
薄暗闇の中、彼女の声だけが聞こえる。ノリッピーが泣いているところを全く想像できず、俺は少しうわの空で聞いていた。
「アイツ、最後に変なこと言うとった。『最後にお前の顔見たかった』とか」
「最後? なんや自分が死ぬの分かってたみたいな言い方やな」
「うん。アタシもそう思った。ばってん、今ならわかっとよ。その言葉の意味」
彼女はため息をひとつつき、再び布団にもぐる。
「おいユメ。ずっと家に籠っとらんと、外出た方がええで」
「嫌や。外には絶対出られん。もう誰にも会いとうない」
彼女の声は布越しでくぐもっているが、投げやりな表情を浮かべていることは想像に難くない。
「わかった。今日はもう帰るわ。何かあったら電話しろよ」
返事はなかった。諦めて帰ることにした。
ユメとノリッピーの家はさほど離れていない。俺はあの日彼が通った道をたどることにした。
コンビニは山中の大学とは反対側、住宅街と丘陵地帯の狭間にある。県道を時々軽トラが通り過ぎる以外は静かな場所だ。凧を揚げた公園は別の丘をもう少し上った先にあり、帰省で人が少なくなる冬休み中は静かさを通り越して寂しささえ感じた。
どことなく感傷に浸りながら道を歩く。彼はコンビニでお酒を買った後、ここを通ったはずだ。そのレジ袋にはチューハイ、ビール、ハイボール、カップ酒、etc……あの時乾杯した光景が思い浮かび、無意識に鼻を啜った。
ふと、立ち止まった。あたりを見渡すと何の変哲もない住宅街を歩いていた。目の前に三角形のコインランドリーがぽつんと建ち、道は引き裂かれたように二手に分かれている。
「こんなところに三叉路なんてあったんか」
誰へ向けるでもなく声が漏れる。方角的にノリッピーの家が近い左を選ぶ。少し先には四辻がある。
正直なところ、この時点で俺は飽きかけていた。親しい友人が死んだことに無関心だったわけでは決してない。葬式には行ったし、ノリッピーもユメもいない空き教室でリアと話していても沈黙が多くなった。ふとした時に彼のことを思い出して無性に彼と話したくなる。だから彼がいなくなったことに悲しみの感情がないわけでは決してない。それでも彼の足跡を辿って平凡な街並みを見るのは苦痛だ。
だから、交差点に近づいた時、気温がぐっと下がったのは恐怖と同時に高揚感をもたらしてくれた。四隅がコンクリートブロックの塀で形作られているせいか、圧迫感を感じる。曲がり角から誰かが姿を表すかもしれない。俺は背筋を伸ばし、歩みを進める。こめかみを汗が流れ、冬の冷たい風が体温と共に拭い去る。なんとなく左方向に視線が吸い寄せられる。身体を壁に近づけ、途切れ目まで慎重に足音を殺して歩く。呼吸も必要以上に白くならないように自然と短い間隔になる。少し時間をかけて道に交わる、壁の途切れ目にたどり着いた。顔をコンクリートブロックに近づける。灰、白、黒の入り混じる窪みと波のようなざらつきが皮膚をわずかに刺激する。おそらく周囲から見れば他人の家の塀に身体と顔をこすりつける奇妙な若い男に見えただろうが、その時の俺は周囲に人がいることなど全く考えもしなかった。それほど静かな空間だった。
曲がり角の向こうに見えた道は今まで歩いてきた風景と全く変わらなかった。灰色のブロック塀、電柱、どこかの家の表札。目を滑らせ、身体を戻したとき、背中に悪寒が走った。言葉にできないが、何かが見えてしまった。心臓がはっきりと音を立てるのをなだめながら、俺は先ほどより慎重に曲がり角の向こう側を覗き見る。動くものはいない。誰かが家から出てきたわけでもない。そしてある一点に視線が吸い寄せられる。電柱に顔が半分。笑顔を浮かべてこちらを見ている。それは
選挙ポスターだった。
「はぁ~」
身体を再度戻し、長く息を吐く。心臓はいつのまにか平常運転に戻り、疲労感が身体にのしかかる。真正面の道も、右側の道も電柱や自動販売機をのぞけば、あきれるほど何もない。交差点は非常に静かだっ
『最後に何見たの?』
後ろから囁き声が聞こえた。声は小さいが、なぜかはっきりと聞き取れる言葉だった。
『最後に、何を見たの?』
俺は何も言わずにその場から走り出した。どの道をどう通ってきたのかわからないが、階段を上っていつの間にか自分の家にたどり着いていた。ばたんとドアが閉まり、玄関で崩れ落ちる。足が震え、自分の身体を動かすことが難しい。ドアスコープを覗いてみるが、外には誰もいないようだった。扉を背中に背負いながらずるずると滑り落ちる。ふと、ノリッピーが同じことをしていたことを思い出した。そこでようやく彼の恐怖心を理解できた。
あいつは同じ場所で同じ現象に遭遇したに違いない。
カン、カン、カン
外から聞き覚えのある音が響いてくる。誰かがアパートの階段を上がってくる。俺の部屋は二階。このアパートの最上階だ。慌ててカギを閉め、チェーンまでかける。ノリッピーの家では英梨が来た。だが、今日は誰も来る予定なんてない。もしかしたら他の部屋への来訪者かもしれない。ほとんど祈りに近い希望的観測を抱きながら俺はドアから離れ、玄関でじっと息をひそめていた。
カン、カン、コツ、コツ
足音の響き方はコンクリートを蹴る音に変わった。規則正しく、じわじわと近づいている足音の主の恐ろしい姿を想像しながら永遠に思えるほどの一瞬を過ごした。
ガチャガチャ
ドアノブが回され、金属の板を隔てた外界から侵入する試みが行われる。無意識で施錠していたことに安堵する。少なくとも扉を隔てた向こうには物理的な形を持った相手がいる。警察に通報することを思いつき、ポケットのスマホに手が伸びる。
だが、鍵がかかっていることに気づいた相手はあろうことか何かを差し込み、サムターンを回す。あっさりと開錠に成功し、今度こそ正体を表す。
「あれ、コウくんどうしました?」




