怪物
恐怖という物は、人に強く深く刻み込まれて時に惑わすこともあるだろう。
僕は小さい頃、レントゲンの写真を見て大いに泣いたことを非常によく覚えている。その時に刻み込まれた記憶は恐怖の証として今後、僕の人生の中で何度も遭遇することとなる。単に恐怖とは言ったが、それは敵意あるいは悪意をもって接するものにも当てはまり総じてそういう輩は人の姿を持って人ならざる者であるのだ。いや、他の人から見ればそれはただの人にしか見えないだろう。ただ私の目にはかの幼き日の骸骨のような異形にしか見えないのだ。
異形についてであるが、元より異形である者はない。突然、化けの皮が剥がれるのだ。日常に何気なく生活している人間であっても、悪意を持った瞬間にそれはやってくる。むしろ、何気なく日々に溶け込みすぎていて僕には見破ることはできない。あと異形の最大の特徴は化けの皮が剥がれれば人の言葉を話さなくなるのだ。今のところ異形が人間に戻るところを僕は見たことがない。
異形は年によって増えたり減ったりしている。増減するというか見え方の問題なのかもしれない。実際は毎年、同じだけしか会って無くても向ける意識が違えば変わっているように見えなくもないだろう。
では、それに対して僕がどう対処するかというと、どうもしない。そう、何もしない事が一番の対処法であるのだ。奴らは何か、それに反応すれば必ず反応を起こす。好奇か、あるいは戯れか、僕には分かりえないがそれでも絶対にこの規則だけは守らねばならない。前に一度あったのだ、町行く人々が急に怪物へと変貌したことが。その時に奴らは僕に音も無く忍び寄ってきた。無言ではあったが、圧倒的存在感、圧倒的恐怖は何物にも代えがたい苦痛であった。その苦痛から逃げるために僕は走った。走って走って走った。心臓をエンジンのように震わせ、肺というピストンをあらん限りに動かして全速力で足が壊れようとも血反吐を吐こうともそれでも走るのを止めない。体がよいと言っても、心が止まることを良しとしない。どれほど走ったかは定かではないが、人気の無い畑の端の方まで来たところでようやく足を休めた。止まると急に強烈な吐き気に襲われ、激しく嘔吐した。本当に辛い体験だったのだ。
別に僕はあの異形のことを無駄に嫌っていたわけでは無いのだ。むしろ、歩み寄ったことさえある。だが、異形は歩み寄った僕を車に無理やり乗りこませ、ある施設に連れて行った。そこでは僕と同じように異形に連れてこられた人間がチラホラいた。彼らはどれも虚ろな目をしていたり、言語能力を著しく退化させていたりしていた。僕はその施設において学力テストを受けた。案外簡単なものであったものの、やはり不気味であった。その後、拘束されそうになって大暴れして何とか逃げることに成功した。それ以来、僕は異形に歩み寄ることは無くなった。
それじゃあ、今は何をしているのかって?僕はね、異形に脅かされるゴミみたいな生活に嫌気が差しちゃってね、あるキッカケがあって異形を殴り飛ばしたんだけど案外簡単に倒せちゃったんだ。だから今は、僕に敵意を剥きだしてくる異形は全て始末しているのさ。異形は食料にもなるしね便利だよ。とても、そう、とてもね。
お久しぶりです。実体験というのは時折、現実にまるで思えないこともありますよね。なんだか、そういう時は変な感じですけど、後から思うと笑えちゃうんですよね。




