第5話『死者の遺産』
静寂が、耳の奥で鋭い耳鳴りのように響いていた。
古代式自動人形の巨体が石塊となって崩れ落ち、その動力源から膨大な古代の魔力を強引に『略奪』してから、どれほどの時間が経過しただろうか。僕は崩れた瓦礫の上に腰を下ろし、仮面の下で荒い呼吸を繰り返している。
全身の毛穴という毛穴から血が滲み、使い古されたシャツは赤黒く染まって肌に張り付いていた。Lv.35からLv.42への急激なレベル上昇。そして無機物からの魔力抽出。それは、本来なら「才能なき欠陥品(ランクE)」である僕の肉体が耐えられる限界を、遥かに超えていた。
【警告:身体組織の崩壊率 18%。魔力回路のオーバーヒートを確認】
【固有スキル『二重思考』により、痛覚を30%遮断します】
「……はぁ、はぁ……遮断しなくていい。この痛みは、僕がまだ『システム』の家畜になっていない証拠だ」
顔に張り付いた『名もなき者の仮面』から、氷のような冷気が脳へと直接注ぎ込まれる。沸騰しかけていた思考が強制的に冷却され、真っ白に塗り潰されていく。
舞を殺した。いや、生き残るために「燃料」にした。
その事実に対する罪悪感すら、この仮面は効率的に処理し、冷徹な「経験値」としてのデータに変換していく。僕は自分の中の人間性が、一滴ずつ零れ落ちていくような恐怖を覚えた。だが、その恐怖すらも今の僕には心地よい。
僕は震える足で立ち上がった。視界は『魔力感知』によって変質している。かつては真っ暗闇だった遺跡の奥が、今は魔力の流れを可視化した「青い回路の迷宮」に見えていた。
遺跡の奥。そこには、ガーディアンがその身を挺して守っていた「真実」が眠っている。
一歩、足を踏み出すごとに、周囲の空気は乾燥し、鼻をつく古びた魔力の臭いが強まっていく。壁には発光する地衣類がへばりつき、僕が歩くたびに不気味な光を放っては消えていく。やがて辿り着いたのは、巨大な二枚の黒石門の前だった。門の表面には、神々のシステムが翻訳を拒否するような、禍々しい楔形文字が刻まれている。
【検知:神々のシステム外における『負の遺産』を確認しました】
【警告:これより先は管理外領域です。立ち入りは推奨されません】
「推奨されない、か。なら、そこが僕の行くべき場所だ」
扉に手を触れる。瞬間、右手の灰色の刻印が、焼けるような痛みを伴って激しく明滅した。扉は僕の血に反応するように、どす黒い光を放ちながら、重低音を響かせてゆっくりと左右に開かれた。
その先に広がっていた光景に、僕は息を呑んだ。
そこは、金銀財宝が眠る宝物庫ではなかった。
そこは――「英雄たちの墓場」だった。
広大なドーム状の空間。その壁際や床には、数えきれないほどの白骨化した死体が積み重なっていた。ある者は剣を杖にして立ち尽くし、ある者は互いに抱き合うようにして絶命している。彼らが纏っている装備はどれもボロボロだが、かつては神々に愛されたであろう極上の魔導具であった名残がある。
ここは、過去に神々に挑み、敗れ去った「先代の反逆者たち」の廃棄場なのだ。神々が地球を「更新」するたびに生み出された、システムの不純物たちの終着駅。
そして、その中心。一段高い玉座のような場所に、一体の死体が腰掛けていた。
他の死体とは放つ威圧感が違う。その骨は漆黒に変色し、背中には千切れた翼の跡がある。胸の中央には、今なお眩い光を放つ一本の「光の槍」が突き刺さっていた。それは、神々が下した絶対的な処刑の証。
【検知:個体識別不能。先代の『反逆者』。残留思念の抽出を開始します】
「が、ああああああああっ!!」
突然、視界が真っ赤に染まった。頭が割れるような衝撃。脳内に、僕のものではない記憶が、濁流のように流れ込んでくる。
ビジョンが見える。空を埋め尽くす黄金の軍勢。神々。彼らは慈悲深い笑みを浮かべながら、地上に光の雨を降らせ、人々を「更新」という名の下に焼き払っていた。逃げ惑う人々、塩の柱に変えられる子供たち。
その地獄の中で、一人の男が折れた黒い剣を掲げて叫んでいた。
『神々よ! 我らは貴様たちの庭を飾るための、人形ではないのだ!!』
その絶望、怒り、怨念。すべてが『弱者の共鳴』を通じて僕の魂に直接流れ込み、僕の右腕の刻印をどす黒く塗り潰していく。
【固有スキル『略奪者』が、先代の遺志を検知――】
【特殊遺物:『復讐者の断片』を獲得しました】
【クラス特性が進化:『略奪者』 → 『深淵の捕食者』】
【レベルアップ:Lv.42 → Lv.45】
僕は目を開けた。
玉座にいた漆黒の死体は、役目を終えたかのように、音を立てて砂へと還っていく。
そして僕の手には、あの記憶の中にあった「折れた黒剣」が握られていた。
不思議なことに、あんなに重かった身体が、今は羽のように軽く感じられた。
石造りの門を背に、僕は遺跡の外へと歩みを進めた。
右手に握られた『復讐者の断片』は、まるでもう一つの心臓のように、僕の拍動に合わせてどす黒い光を放っている。折れた刃先からは、実体のない闇の奔流が揺らめき、周囲の空間を微かに歪ませていた。
原生林の湿った空気が肌を撫でる。だが、もう以前のような不快感はない。
『真理の眼』へと進化した視界には、鬱蒼と茂る樹々の隙間に潜む魔獣たちの気配が、熱源のような光となってはっきりと映し出されていた。
「ひっ……あ、ああ……」
低い呻き声が聞こえた。
巨木の影に身を潜めていたのは、佐藤と宏だった。
二人は、遺跡から現れた僕の姿を見て、腰を抜かしたまま後退りしている。
無理もない。
顔には無機質な銀の仮面。右腕は漆黒の鱗のような皮膚に覆われ、その先には不気味に蠢く闇の剣。返り血と煤にまみれた僕の姿は、彼らの目には新手の魔獣よりも遥かに恐ろしく映っているはずだ。
「……蓮、なのか? 本当に、芥川蓮なのか……?」
佐藤が震える声で問いかけてくる。その瞳には、救いを求める光ではなく、明確な『拒絶』の色があった。
「仲間を、舞をあんな風に殺して……その腕はなんだよ! その化け物みたいな力はなんだって言うんだ!」
彼の叫びは、僕の心に微塵の波紋も広げなかった。
仮面の『精神安定』機能が、彼の言葉をただの音波として処理していく。いや、それだけではない。僕の中に溶け込んだ『先代』たちの残留思念が、英雄たちに縋る弱者への苛立ちを焚きつけていた。
「言ったはずだ。神様なんて、ここにはいないと」
僕は冷たく言い放ち、二人を通り過ぎようとした。その時――。
ガサリ、と頭上の枝が大きく揺れた。
凄まじい風圧と共に、漆黒の影が空から舞い降りる。
それは、このエリアの捕食者の頂点に立つ魔獣、『ヴェノム・グリフォン(Lv.58)』だった。
「ギィィィヤアアアア!」
猛毒を滴らせる鋭い爪が、佐藤の頭上に迫る。
佐藤は悲鳴を上げることすらできず、死の恐怖に身を硬くした。
以前の僕なら、迷わず逃げ出していただろう。Lv.45の僕にとっても、Lv.58の飛行魔獣は死を意味する強敵のはずだ。
だが。
(……遅い)
僕の思考は、グリフォンの動きを止まった映像のように捉えていた。
『影移動』を発動させるまでもない。僕はただ、無意識に『復讐者の断片』を横になぎ払った。
一閃。
物理的な衝突音はなかった。
黒い刃が空を切り裂いた瞬間、グリフォンの巨体が、まるで蜃気楼のように真ん中から真っ二つに割れた。
「ガ、ア……?」
グリフォンは自分が斬られたことすら理解していなかった。
切断面から噴き出したのは血ではなく、凝縮された魔力の霧だ。この剣は肉体を斬るのではない。存在の根源である『理』を断ち切るのだ。
【ヴェノム・グリフォン(Lv.58)の討伐を確認】
【経験値を獲得:Lv.45 → Lv.47】
【略奪成功:『飛行』の魔力因子を抽出しました】
バラバラに崩れ落ちる魔獣の残骸を横目に、僕は再び歩き出した。
背後では、佐藤と宏が言葉を失い、ただ呆然と僕の背中を見送っている。
彼らと僕の住む世界は、もう二度と交わることはない。
原生林の出口、遠くの地平線に、神々が英雄たちのために用意した『光の都』の尖塔が、宝石のように輝いているのが見えた。
(待っていろ、アーサー。待っていろ、神々)
僕は仮面の下で、静かに口角を上げた。
舞の命。先代たちの怨念。そして、僕の中に宿る底なしの空腹。
その全てを燃料にして、僕はあの光り輝く玉座へと駆け上がる。
二〇二六年一月三日。
太陽が昇り、新しい一日が始まる。
だが、それは人類にとっての希望の朝ではない。
神々の楽園を喰らい尽くす、『イレギュラー』の進撃が始まる日だ。
「……まずは、この森を掃除してからだ」
僕は影へと溶け込み、次の獲物を求めて森の深部へと消えていった。




