プロローグ『欠陥』
二〇二六年一月一日、正午。
世界が静止した。
新宿の交差点を歩いていた僕、芥川蓮の視界から、すべての色彩が剥ぎ取られた。
行き交う人々、巨大なビジョン、騒々しい車の音。それらすべてが、まるで古い映画のフィルムが燃え尽きるように、白銀の虚無へと溶けていく。
(……え? なんだ、これ。夢か?)
僕の思考を遮るように、空そのものが「声」を発した。
『――地球は、その寿命を使い果たした。これより、全人類から「種子」を選別し、新世界「アルトリア」への再配置を開始する』
それは、生物としての本能が理解を拒むほど、圧倒的で冷酷な神の宣告だった。
瞬きをした次の瞬間、僕は見たこともない「白い部屋」にいた。
いや、部屋ではない。果てのない、魂の集積所だ。そこには僕と同じように、呆然と立ち尽くす一〇〇万人の人間がいた。
虚空に浮かぶのは、巨大な黄金の眼球。それが僕たちを見下ろすたび、脳内に直接「システム・ログ」が流れ込んでくる。
【個体識別を開始……】
【適性、魔力保有量、魂の格を数値化します】
悲鳴と歓喜が入り混じる。
光に包まれた二十人の男女が、僕たちの頭上、天に近い場所へと吸い上げられていった。
彼らの胸には、神々しい黄金の刻印。
『Sランク――英雄種』
彼らは新世界の王。神々に選ばれ、最強の権能を約束された「勝者」たち。
その一人、整った顔立ちの男が、僕たち見下ろされる群衆を憐れむように一瞥した。その視線は、もはや同じ種族を見るものではなかった。
(……ふざけんな。何が決まったっていうんだ。勝手に、勝手に決めるなよ!)
僕は自分の胸を見た。
そこには、黄金でも、銀でも、銅でもない。
薄汚れた、ドブネズミのような灰色の文字が浮かび上がっていた。
【個体名:芥川 蓮】
【適性ランク:E(最下位・欠陥品)】
【固有スキル:弱者の共鳴】
「……なんだ、この個体は」
神々の声が、白銀の空間に冷たく響き渡った。
「一〇〇万人の選別を潜り抜けながら、この脆弱さ。魂の器はひび割れ、魔力回路は詰まっている。スキルも『弱者の共鳴』……ただ弱者同士で傷を舐め合うだけの無能。これは
『欠陥品』だ」
「選別の誤りだ。システムのバグに過ぎん。救済の価値なし。……棄てろ。原生林の肥やしにでもなれば、少しは世界の役に立つだろう」
(……棄てる? 救済の価値なし? 僕を、人間としてすら見ていないのか?)
足元の地面が、唐突に消失した。
一〇〇万人の「選民」たちが、祝福の光の中で新世界の王都へと転送されていく中、僕だけが、底なしの暗黒へと突き落とされる。
「待てよ……ふざけるな! 僕は、僕はまだ何もしてない! スキルだって、この『弱者の共鳴』が何なのか、自分でもわからないのに!」
必死に手を伸ばしたが、神々はすでに僕に関心を失っていた。
二十人の英雄たちは、僕の落下すら見ようとしない。彼らにとって、Eランクの死など、路傍の蟻が踏み潰されるのと同義なのだ。
「あああああああああああああ!!」
重力が僕の身体を破壊せんばかりに引きずる。
耳元で、不吉なシステムメッセージが鳴り響いた。
【通知:個体名『芥川 蓮』を『最果ての原生林』に投棄します】
【周辺魔獣の平均レベル:Lv.50以上】
【警告:生存確率は、限りなく零に近い数値です】
神々が「ゴミ箱」として用意した場所。
そこへ、僕は一振りの錆びた短剣と共に投げ出された。
(……いいさ。ゴミだって、欠陥品だって構わない。でもな、神様)
落下する暗闇の中で、僕は自分の灰色の刻印を、爪が剥がれるほど強く握りしめた。
その瞬間、スキルの深淵から、ドロリとした黒い熱が逆流してきた。
『条件未達成……否。絶望指数の蓄積により、スキル:弱者の共鳴の【裏ルート】を開放します』
(……覚えてろよ。お前たちが棄てたこのゴミが、いつかその黄金の玉座を引きずり下ろしてやる。お前たちの作ったルールを、僕が全部、食い殺してやるからな!!)
僕の身体が、魔獣の咆哮が轟く「死の森」の地面に叩きつけられる寸前。
欠陥品の少年の瞳には、神殺しの業火が宿っていた。
【個体名:芥川 蓮――再定義。世界への『特異点』として覚醒を開始します】
これが、一〇〇万分の一の絶望から始まる、反逆の物語の幕開けだった。




