九話 無人の駅にて
荒井カコと侃螺はまず歩いて20分、最寄りの駅に来た急行電車に乗り、終着のターミナル駅で別路線の電車に乗り換えた。
座り慣れないシートに腰を下ろし、見慣れない風景の中をゴトゴトと揺られて行く。
それから十と何駅か進んだところで下車、本日最後のバスに飛び乗ってローカル線の駅へ。
……と思ったが、どうやら目的の駅までは行かないようで、すぐにまた徒歩に切り替え、スマホを頼りに夜道を進む。
歩きながらふと道の脇、田んぼの広がる方を見れば、淡く光る鷺が1羽いた。
鷺はカコたちを物珍しげに見ながら、彼女らの少し先をのそのそと行く。
悪意や敵意は無いようで、しばらくするとバササと飛び立って行った。
街から離れたからだろう、妖怪の行き交う気配が少し強くなっているのを、カコと侃螺は感じつつまた足を動かす。
そうして何とか日付を跨ぐ前には、美在所山の麓まで延びる路線の駅に到着することができた。
「ようやくここまで来られましたね。補導されなくて良かったです」
「ホドウ」
「子どもが夜1人でほっつき歩いてると、保護されるんですよ」
人が居なければ改札も無い駅のベンチに座りつつ、カコは説明する。
「何故私が人間の真似事などせねばならぬ」とのことで侃螺はずっと本来の姿のままであるから、傍からは女子高生が1人で居るように見えていたはずだ。
着ているのも地元の制服ではないから、不審に思われたことだろう。
本当に、補導されなかったのは幸運である。
「手厚いことだ」
侃螺は短く言い、膝を折ってカコから少し離れたところに座り込んだ。
「次はどうする。またあの速駕籠に乗るのか」
「はい。ですがもう朝まで来ませんから、ここでひと休みします」
「ふん、便利なのか不便なのかわからぬな。……して、荒井カコ」
振り向き、侃螺は閉じた目で暗がりを見る。
「休むとは、このような中でか?」
反対側のホーム、草むら、線路の上、屋根の裏。
そこらじゅうから、妖怪たちがカコに視線を向けていた。
体の大きいものが居れば、小さいものも居る。
同族で群れているものたちが居れば、独りで佇んでいるものたちも居る。
姿かたちは各々異なり、けれども滲み出る悪意はみな同じだ。
カコは今にも襲って来そうな妖怪たちを一瞥し、変わらぬ調子で頷いた。
「もちろんです。それ以外に選択肢がありますか?」
「言っておくが私は追い払ったりなどせぬぞ」
「期待してないので大丈夫です」
数秒の沈黙。
両者は無言で立ち上がる。
無論、喧嘩だ。
悪意ある妖怪たちに囲まれていて、なぜ仲間割れなどしていられるのかというところだが、如何せん荒井カコと侃螺である。
仲間かと言われると微妙な関係であるし、敵前逃亡は自前のしょうもないプライドが許さない。
自分たちを放って何やら険悪な雰囲気になる2人に、妖怪たちはざわつく。
と、そこへ新たな影がひとつ、現れた。
「お嬢さんや、こんな夜更けにどうしたんだい。妖怪なんか連れて、どこへ行くんだい」
それはざんばら髪の老人……の姿をした妖怪だった。
杖をついた彼は、皺の多い顔を更に皺だらけにして笑う。
しかし好意の笑顔でないことは、彼の纏うねばついた空気から明らかだった。
老妖怪は周囲の妖怪たちには目もくれず、カコの方へと歩み寄る。
小さいというよりもはや細かい妖怪の群れから、「ひえ」とか細い悲鳴が上がった。
群れはそそくさと、草むらの中へと消えていく。
「たっぷりの妖力、でも妖術師じゃないね。あいつらはもっと恐ろしい目つきをしているもんだからね」
侃螺の横を通り過ぎた老妖怪は、カコの目の前で立ち止まった。
長い舌を口から出して、月明かりに照らされたカコの艶やかな髪と滑らかな肌をまじまじと見る。
「珍しいものだよ。こんな美味しそうなおなごは、そう居ないものだ――おぶっ!?」
が、そこまでだった。
荒井カコの右の拳が、迷いなく老妖怪の左頬に突き刺さったのだ。
素手による純然たる暴力。
相手が老人の見た目をしているとか、そういうことは一切考慮していない速度だった。
老妖怪はよろめき、目を白黒させて、だがそれでもギリギリ平静を装う。
「い、いやあ、思ったより骨のある子だね。何も言わずに殴ってエブッ」
もう一発。
全く同じ場所に拳が叩き込まれた。
次いで一発、二発、カコは老妖怪の襟首を掴み、文字通り息を吐く間も与えず彼を殴打する。
「ちょ、ちょっと、待て、待たんかア゛ッ、ギャッ!」
無情である。
非情である。
老妖怪の歯が何本か飛ぶが、なおもカコは攻撃の手を緩めない。
やがて彼がぐったりとすると、思い出したかのように過去帳を鞄から取り出して彼の頭をバコンと叩いた。
老妖怪から過去帳に移る淡い光は、清々しいほどきれいである。
「次の方、どうぞ」
カコは一部始終を見ていた妖怪たちの方を向き、老妖怪を投げた。
受け止めるものはおらず、憐れなしなびた体は茂みに突き刺さる。
やや間があり、老妖怪の化けの皮は剝がれ、手のひら大の芋虫が姿を現した。
妖怪たちの間から、また悲鳴が上がる。
かと思えば芋虫はどこからか飛来した烏によりひょいと掴まれ、どこへともなく連れて行かれた。
さて、一連の出来事を目にして、戦意を失わないものは居るだろうか。
少なくともこの場の妖怪たちの中にはおらず、彼らは何事もなかったかのように暗闇へと消えていった。
「数が数だ、さすがの貴様も手を焼くと思ったのだがな。よくぞ容易く退けたものだ。野蛮も役に立つものだな」
「ありがとうございます。侃螺さんも漬物石の物真似、お上手でしたよ」
「…………」
侃螺は足元の小石をカコに向けて蹴り飛ばす。
カコは過去帳で難なくそれを防いだ。
***
さて、かくして安眠環境を手に入れた荒井カコは、ベンチに横たわってすやすやと寝息を立て始めた。
真冬に防寒具も無く制服だけで野宿、という中々にハードな状況であるが、いかなる法則がはたらいているのだろう、カコは少しも寒がっていない。
暖房の効いた部屋で布団にくるまってでもいるのかと問いたくなるほど、その寝顔は健やかである。
とまあ不条理に平穏な眠りを享受するカコだったが、ホームの柱の陰から、ゆらりと1人の妖怪が現れた。
それは曲がった背に骨の浮き出た女の体をしており、まん丸の目と、大きな口に大きな牙を生やしている。
枝毛の目立つ長い髪を地面に引きずり、彼女はひっそりとカコに近付いた。
「ケケケ、堂々と眠るとは愚かな娘っ子よ。所詮は人間、こうして寝ている間は無防備よなあ」
目を弓なりに細め、妖怪はほくそ笑む。
「何だか知らねえが、あの妖怪も邪魔はして来ねえようだしなあ。おれのモンさ、独り占めさ」
ちらりと見たのは座り込んで微動だにしない侃螺。
妖怪に気付いているのかいないのか、どちらにしてもカコを助けに来るふうには見えない。
骨と皮だけのような腕を伸ばし、カコの首を掻き切ってやろうとする妖怪。
しかし当然、そう上手くいくはずはなく。
「グエッ!?」
過去帳を持ったままのカコの右手が、彼女のみぞおちにぶち当てられた。
妖力を吸い取る過去帳と、暴力器官こと荒井カコの拳。
二重の痛みをもろに食らい、妖怪は尻もちをつく。
「ね、寝たふりだったのか?! くう……恐ろしい奴だ、残念無念……」
一瞬の出来事だったが、すっかり恐れをなした妖怪は尻尾、いや髪を巻いてあっさりと逃げ出した。
駅のホームに、再び静寂が訪れる。
ややあって、本当に漬物石よろしくじっとしていた侃螺が、むくりと立ち上がった。
どうやら最初から起きていたらしい。
「荒井カコ」
彼はベンチで眠るカコの傍に立ち、声をかける。
しかし返事は無い。
「……荒井カコ」
もう一度、声をかける。
やはり返事は無い。
ムッと眉間に皺を寄せ、彼はしばし考える。
「愚か者。暴虐人間。無礼職人」
悪口を言って反応を見よう作戦だ。
が、やはりやはり、カコはすうすうと寝息をたてるばかり。
「完全に寝ているな……」
侃螺はようやく諦め、踵を返す。
「わけのわからぬ人間だ。ふむ、斯様なことであれば、私が見張ってやるまでも無いか」
そうは言いつつも引き続き、先ほどまでもそうしていたように、眠らないまま座り込む侃螺であった。




