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七話 留守番探し

「100年か200年くらい前やったかな。此岸で暮らしとった妖怪たちの大半が地獄に移ったんよ」


「地獄に?」


「そ。人間たちの文明と反りが合わんくなってきてなあ。光は眩しいし、機械はうるさいし、もうこんなとこで生きとれやんやんってなったん」


 何に対してか、肩をすくめて季玖露は言う。


「中には人間と戦争しよって言う奴らもおったんやけどな、地獄の主様がこっちおいないって誘ってくれたんよね。やからよっぽど人間が憎いか此岸が好きな妖怪以外は、地獄に移住したん。そんで、人間が『鵺』って呼ぶ妖怪で此岸に残っとるんは雷轟だけ……ってわけやね」


 話を聞き終えた侃螺は、ほう、と嘆息した。


「そんなことになっていたのか。道理で妖怪たちを中々見ぬわけだ」


「カコちゃんは千年前の妖術師かっちゅうくらい妖力がようけあるから、周りに妖怪が集まって来やすい方やと思うけど。そんでもその程度ってことやで、減りようがようわかるわな」


 まあ寂しい世にはなったよなあ、と季玖露は笑った。

 カコは彼女がわざわざこんな閑散とした商店街に棲み付いている理由が、少しわかったような気がした。



***



「ではこれより作戦会議を始めます」


 季玖露の相談所から帰宅したカコと侃螺は、荒井家の居間にてちゃぶ台を挟んで座った。


 カコがどこからか引っ張り出して来た大判の地図を広げれば、ばさりと風が起こって向かいの侃螺の顔に当たる。

 わざとか否かは不明だ。


 琴稀(きんき)地方の一部を記したその地図の、中心近くをカコは指さした。


「美在所山は巳恵(みえ)県と志雅(しが)県の境にあります。ここからは直線距離にして約300km、電車等を乗り継いで片道4時間ほどかかります」


「300キロメートル、4時間とはどのくらいだ」


「……76里、2刻くらいです。4kmで約1里、2時間で約1刻と教えたでしょう。早く覚えてください」


「慣れぬだけだ」


「じゃあ慣れてください。それとも、カビの生えた脳みそでは難しいですか?」


「ふん。人間は気が短くてかなわぬな」


「あなたも長いのは髪と寿命くらいでしょうに」


 驚異的な速度で場の空気が悪くなる。

 言葉の売買が凄まじい勢いで行われ、口論市場が一気に拡大された。


 ここまで綴って来た通り、2人が出会ってから今までの数日間、1回も喧嘩腰にならないまま会話を終えたことは片手で数えられるほどしかない。

 ほぼ常に、この調子である。


 かと言って、彼女らも話が進まないことを望んでいるわけではない。


 カコは咳払いをひとつして、本題に戻る。


「現在の雷轟の根城は美在所山ということでしたが、詳細な出現場所は不明です。よって私たちは現地で捜索活動をする必要があります。しかし美在所山付近には宿泊施設がありません」


「前置きが長いな」


 ぴき、とまた空気が凍った。


 侃螺は、今の発言に関しては悪意あってのことでない。

 議論を早く進めようという純粋な意思の表れである。


 だが悪意が無ければ良いという話でも当然なく、カコは立ち上がり、ちゃぶ台の上に片足を乗せ、侃螺の襟元を引っ掴んで投げ飛ばした。


 不意を突かれた侃螺はもんどりうって壁に激突する。

 ごちん、と明らかに頭をぶつけたであろう音がして、彼は擬人体から元の姿に戻った。


 化けの皮が剝がれるほどだ、相当、痛かったのだろう。


「できるだけ活動時間を多く確保するために、日を跨ぐ場合は現地付近で野宿します。以上」


 言いながら、カコは何事も無かったかのように元の位置に帰る。


 対する侃螺はのそりと起き上がって、こちらもまた元の位置につくと、恨めしげな表情を彼女に向けた。


「野宿だと? そのような行為は危険だ、看過できぬ」


「では侃螺さんが私を乗せてひとっ飛びしてくれますか?」


「…………」


「決まりですね」


 カコは笑顔で宣言する。


「問題はこの家をどうするかです。丸1日か、捜索が長引けば数日、もぬけの殻になりますから」


「それの何が問題なのだ」


「空き巣に入られるかもしれないでしょう」


「可能性は低いだろう」


「私は万に一つもここを荒らされたくないだけです」


「ふん、随分と心配性だな」


 念のためだと主張するカコだが、侃螺はなおも小馬鹿にした態度を崩さない。

 傍若無人な彼女の臆病なところを意図せず見つけられて、鬼の首を取ったような気分だった。


「では誰かに番を頼めば良い。それとも何か、貴様にはそのような近しい間柄の人間はおらぬか?」


「……妖怪とか、来るかもしれないでしょう。そもそも制約がありますし、そう軽々と普通の人には頼めません。あなたこそ居ないのですか?」


「…………」


 侃螺は黙秘に転じた。


 鵬天のような「何もせずとも勝手にあちらからやって来る妖怪」を除き、彼に知人らしき者はほとんどいない。

 ギリギリ積極的な付き合いがあったと言えるのは、過去帳を作った例の妖術師くらいである。


 なお当然ながらその妖術師は寿命を迎えて久しいため、今回の件に関しては論外だ。


 カコも侃螺も互いに痛いところを刺し合い、居たたまれない空気が流れる。

 ややあって、意を決したようにカコが口を開いた。


「その辺の妖怪を脅して留守番をさせましょう。それしかありません」


「それしか無いことはないだろう」


「無いです。文句より先に代替案を出してください」


 両者睨み合い――と言ってもカコは笑顔だが――の末、溜め息と共に目を逸らしたのは侃螺の方だった。


 2人はどちらからともなく立ち上がり、部屋を出、家を出る。

 そうして暮れ始めた日の光が橙色に染める道を、微妙に速足で歩き出した。


 夕暮れ時、すなわち黄昏時……逢魔が時。

 妖怪が人前に現れやすい時間帯である。


 少し行くと、木の上に鎮座する軟体の妖怪が侃螺の目に留まった。


「あやつはどうだ」


「却下です」


 カコは即答する。

 侃螺は口をへの字に曲げ、今度は塀の傍らで佇む妖怪に目を向けた。


「そこな四つ足の者は」


「却下です」


 またもや即答。

 だがそれには理由があった。


 留守番をさせる妖怪は、それなりに理性があり、また強くなくてはならない。


 しかしながら侃螺が示した2体は、どちらもカコが過去帳を手にする前から、日常的に絡まれては苦も無く叩きのめしている類のものだった。

 その程度の妖怪では話にならない、ということだ。


「いっそ、季玖露さんに頼んでみましょうか」


「正気か?」


「ああして堂々と1人で活動しているのですから、そこらの妖怪よりは外敵に対処できるでしょう」


「助言してやろう。あの手合いの者は人間の家の管理などできぬぞ。茶の件といい、態度といい、適当な性格が――」


 と、その時。


「あれえ! こんなとこに牛がいらあ!」


 がさついた男の声がカコたちの後ろから飛んで来た。


 見ると、顔を赤くして片手に酒瓶を持ち上機嫌に笑う中年の男性……要するに酔っぱらいの男が1人。

 彼は千鳥足で彼女らに近付いて来たかと思うと、がばりと覆いかぶさるようにして侃螺を撫でまわし始めた。


「貴様ッ、私は牛ではない! この無礼者め! 離れよ!」


「肉屋から逃げ出して来たかあ? おお、大変だったなあ、わしが故郷まで送り届けてやろうなあ、今タクシーを呼ぶからなあ。ほれ、わしの酒を呑んで待っているといいぞお」


 逃れようともがく侃螺を難なく押さえ込み、男は饒舌に喋る。

 しかしその内容はいまひとつ理性に欠けているし、酒を呑めと言って瓶を侃螺の口に押し付けているが、中身は空っぽだ。


「このッ……荒井カコ、何とかせよ!」


 こんな酔っぱらいの相手をするなどたまったものではない。

 侃螺は抵抗を続けながらカコに助けを求める。


 ところがカコは、彼の言葉が耳にはいっていないがごとく、通常通りの笑みを浮かべてこう言った。


「こんにちは、(しょう)さん」


 数秒間を置いて、声を掛けられた、と男は理解する。

 理解して、声の主を認識するが早いか、彼はパッと笑顔をより明るくした。


「おやあ姐さん! お久しぶりです!」

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