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二十二話 帰路を邪魔するものだから

 カコと侃螺が荒井家付近に着く頃には、もうすっかり日が暮れていた。


 街頭がぽつぽつと照らす暗がりの道を、彼女らはてくてくと行く。

 夜を怖がる感性を持ち合わせない2人の足取りは、昼間のそれと何ら変わらない。


 辺りはしんと静まり、家屋の光もいくらか消え始めていた。

 地上から澄んだ空の向こうへと、冷たい風が吹き抜けていく。


 と、その時、街頭と街頭の間で、カコが不意に立ち止まった。


「? 荒井カコ、どうした」


 侃螺は眉をひそめて彼女を見やる。


 言葉より先に行動することがままあるこの人間のことだから、また何かし出すのではないか……という疑いを持って。


 しかして、その疑いは的中した。


「…………」


 カコは無言のまま、侃螺を横から蹴り飛ばし、己は逆方向へと飛び退く。

 構えも何も無い侃螺は軽く吹っ飛び、道の反対側まで転がった。


「うぐッ」


 縁石で背中を強打した侃螺は、呻き声を上げる。

 それと重なるように、キン、という甲高い音が響いた。


 カコはその耳慣れない、耳障りな音に、ぴくりと眉を動かす。

 視界には、瞬きながら消えていく、火花のような光を捉えていた。


「大丈夫ですか」


 カコはすたすたと侃螺に歩み寄り、手を差し伸べる。

 当然、侃螺は「貴様が蹴ったのであろう!」とご立腹だ。


 だがカコは有無を言わせず彼を立ち上がらせると、2つ先の街灯へと視線を向ける。


 ややあって、聞こえてきたのは人の声だった。


「あら、よく避けられましたわね」


 街灯の陰から、声の主がするりと姿を現す。

 それは銀色に輝く髪をなびかせ、白い服に身を包んだ1人の女性であった。


 歳の頃は20前後であろうか、彼女は若々しい生命力を誇示するかのように、自信に満ちた佇まいをしている。


「ごきげんよう。良い夜ですわね、荒井カコさん」


 女性は目をきゅっと細め、カコに微笑みかける。

 挑発的な笑みだった。


「あなたは誰ですか」


 怪しく、そして恐らく敵対的な女性にも、カコは動じた素振りを見せない。

 いつも通りの落ち着いた声色で、自己紹介を要求した。


 しかし女性は、肩をすくめて彼女を半ば嘲笑った。


「ふふ。せっかちは良くありませんわよ」


「質問に回答する術を知らぬのか? 哀れな奴め」


 隣で聞いていた侃螺が口を挟む。

 女性の口元が一瞬、不愉快そうに歪んだ。


「侃螺さんは余計なことを言わずに、黙っている術を知るのが良いと思いますよ」


「ふん。私はいつでも過不足なく言葉を発している」


「計量カップでも貸しましょうか?」


 隙あらばとはこのことだろう。

 女性を放って、言葉の応酬が始まる。


 あっという間に蚊帳の外に閉め出された女性だったが、彼女はそのままで居ることを良しとしなかった。


 女性は素早く何かを手に取り、カコに向かって投げる。

 これを横目で捉えたカコが避けると、『何か』はキン、と音を立てて小爆発を起こした。


「余所見はいただけませんわよ、荒井カコさん」


 カコは侃螺と言い合う口を止め、じっと女性を見つめる。

 真っ黒な瞳が、きょろりと動いた。


「先ほどから、私の名前ばかり呼んでいますが。侃螺さんのことは呼ばないのですか」


「呼ぶに能わず、ですわ。そのような無名無力の妖怪風情」


 女性は侃螺を一瞥し、鼻で笑う。


 侃螺のことを知った上で言っているのか、あるいは口からでまかせで煽っているのか。

 いずれにせよ誹りを受けた侃螺は思い切り眉間に皺を寄せ、反論しようと口を開く。


 が、その時。


「おーい、姐さーん?」


 道の角から、升がひょこりと現れた。

 元々赤い顔を更に赤くしており、片手にはほぼ空の酒瓶がひとつ。

 相当呑んでいたらしいことが見て取れる。


「おお、やっぱり。帰ってきたんですね。道理で、どうも表が賑やかだと」


 彼は千鳥足で蛇行しながら、カコと侃螺の傍へと寄った。


 カコたちと女性の間に停滞する張り詰めた空気も、酔っぱらいには関係ないようだった。


「や、や、今回も姐さんたちが無事で何よりだ。どうです、1杯呑みますかい」


「未成年なので呑みません」


「カランは? 酒は美味いぞ? ん?」


「呑まぬ。それから私の名は侃螺だ二度と間違えるでない」


 カコは淡々と、侃螺は呆れと苛立ち混じりに、どうしようもないへべれけの相手をする。

 特別大目に見れば、和気あいあいの光景だ。


 一方、女性はというと、ギッと強い感情を込めた視線を升に突き刺していた。


「汚らわしい妖怪が……」


「お? 俺ァ風呂には入る派だよ。つい先週も入ったばっかだ。」


 てんで空気を読まない升に、女性はますます不愉快を顔に出す。


 しかしそれは瞬きの間にスッと仕舞い込まれ、代わりにわざとらしくさえある笑顔が貼り付けられた。


「さて! 楽しく会話も弾んできたところで、そろそろ名乗らせていただきましょうか」


 そこでいったん言葉を区切り、咳払いをひとつ。


 女性は息をたっぷり吸い込むと、高らかに声を張った。


「私は妖怪退治術師連合が分隊『(ほむら)』に属する妖術師――名を、苑ノ崎(えんのさき)結華(ゆいか)!」


 そうしてまた間を置くこと数秒。

 女性、改め結華は三日月のごとく口角を上げる。


「ねえ荒井カコさん、私、あなたを退治しに参りましたのよ」


 その言い草に、カコはこくりと首を傾けた。


 結華は確かに、『妖怪退治術師連合』の一員であると申告した。

 悪質な名前詐欺でないのなら、彼女の属する団体は妖怪を倒すことが目的であるはず。


 それが何故、カコに矛先を向けるのかという話だ。


「私は妖怪ではありませんが」


「今一つ人間とも言い難いがな」


「俺は姐さんが妖怪でも構いませんぜ!」


 ほとんど余計なコメントを挟んでくる侃螺と升はさておき、いまひとつ辻褄の合わない結華に、カコは真っ直ぐ視線を注ぐ。


 カチカチと、彼女の頭の中で思考が進んでいた。


「概ね調べは付いておりますわ。例の帳面を構えなさいな。私、妖退連の誇り高き妖術師として、妖怪に与するあなたのような外道妖術師を見逃すわけにはいきませんの」


 結華はつらつらと語る。

 どうやらカコのことを妖術師だと勘違いしているようだ。


 しかしカコに妖怪たちとの付き合いがあるのは事実であり、そこが結華、ともすると妖退連にとっても看過しがたい点らしかった。


 とはいえ、カコがその主張を大人しく受け入れるはずもなく。

 彼女はおもむろに升の方を向いた。


「んあ? なんだい、姐さん」


 首を傾げる升の手から、カコは酒瓶をむしり取る。


「おい、荒井カコ……」


 何かを察した侃螺がカコを呼び止めようとする。

 たがなぜ、その程度でこの暴虐の化身が止まろうか。


 カコはくるりと振り返る。

 結華からは、彼女の右手とそこに握られた酒瓶は見えていないようだった。


 ただ結華はカコが何らかの支度をしていることだけは感じ取り、余裕綽々にゆるく腕を組む。


「どうぞ、存分にご準備なさって? 正々堂々、妖術勝負といきま」


 瞬間、カコは酒瓶を結華の頭でかち割った。


 換言すれば、酒瓶が割れるほどの勢いで、結華の頭をぶん殴った。


 結華は倒れる。

 気絶したようだった。


「帰ってください」


 聞こえるはずがないだろうに、カコは平然と言い放つ。

 そして気が済んだのか、酒瓶の残骸を升に手渡した。


「升さん、留守番ありがとうございました」


「え? あ、ああ。へへ、お安い御用ですとも!」


 升は困惑気味に目を泳がせるが、まあいいかとばかりにすぐ切り替え、得意げな面持ちで応える。

 妖怪らしい適当な倫理観では、他人への心配は長持ちしなかった。


 カコは道の真ん中で倒れる結華を、端の方までごろりと転がす。

 気遣いというには、あと数歩くらい足りない行動だ。


 転がされた拍子に小石がやんわりと刺さり、結華の口から小さな呻き声が漏れた。

 死んではいないようだったが、死んでいなければ良いというわけでは無論ないだろう。


「家の中に入りましょう。外は冷えますから」


 そう言って、外で転がされたままの結華を放置し、カコは荒井家の方へと歩き出す。

 無慈悲と評するに能う容赦のなさだ。


 升も彼女に追随し、侃螺だけがしばし場に留まった。


「……雉も鳴かずば撃たれまい」


 だが、やがて雀の涙ほどの哀れみを残して、侃螺も立ち去っていった。

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