二十話 暴力と対話と
鋭い刃が外殻を突き破り、内側までしかと食い込む。
モモシはたまらず悲鳴を上げた。
「ぎゃアッッ!?」
けたたましいその声にも少しも怯まず、カコは短刀を引き抜く。
次いでそのまま、もう片側の牙の根元も同様に切り裂いた。
一瞬の間を置き、裂傷を負ったそこから、紫色の毒液が噴き出す。
カコが破いたのは、モモシの毒袋だったのだ。
「荒井カコ!」
飛び散った毒液がカコの体に触れる寸前、全速力で駆けてきた侃螺が彼女を掬い上げる。
毒液は誰にもかかることなく、ただ地面に零れ落ちてじゅうじゅうと煙を噴いた。
その様子を見つつ、カコは侃螺の背に乗り直す。
「丁度良いタイミングでした。ありがとうございます」
「貴様に死なれては困るからな」
侃螺はぶっきらぼうに答え、空中を旋回した。
向き直った正面では、モモシが鬼の形相で2人を睨みつけていた。
「やって、くれたなァ……!」
損傷した毒袋からとめどなく毒液を零し、モモシは呻く。
無尽蔵の毒液と言えど、普通の百足のようにいったん溜めておく袋があるのなら、それを破れば自在に使うことは叶わない。
いくら水を汲み上げても、貯水タンクが壊れていては……という理屈だ。
「はい」
巨体をぐらつかせるモモシの眼前に、カコは飛び出す。
その手には、束の間に拾い上げていた過去帳があった。
最大の武器を失い、大きな傷を得たモモシには、迫りくる暴虐に対応する力が残っていなかった。
全力で振り下ろされる過去帳が、彼の眉間に直撃する。
「グ、う……」
モモシは弱々しく声を漏らし、右へ左へと頭部を揺らすと、ズシンと地に倒れ伏した。
彼が意識的に生成していたのだろう、袋から流れ出ていた毒液は、水源が枯れたようにぱったりと止まる。
カコがそんな彼に近付き、もう1発過去帳で殴ると、ふわりと煙が立ち始めた。
毒液が物に接触して出るそれではなく、雷轟の時にも見た、あの煙だ。
煙は何十、下手をすると3桁に届きそうなほど多くの人型を成す。
そのうち十何人かはカコたちに頭を下げ、残りはそのまま何をすることもなく、風と共に消えた。
「往ったな。これで目的は遂げた」
「そうですね」
魂が無事に解放されたことを見届けると、カコはモモシの方に向き直る。
そして地面に突っ伏す彼の顔の横にしゃがみ込み、短刀を見せた。
「これは友人から譲り受けました。彼の歯が材料の一部になっているそうです。なんでも彼の歯はとても丈夫だそうで、とある旅の鍛冶師が、彼に頼んで歯を刀の材料にさせてもらったという話です」
流れを読まないを通り越して狂気の沙汰である。
今しがた使用した凶器の解説を、よりにもよって負傷させた相手に向かって始めるなど、まずもって正気ではない。
が、カコにとってはそれ何か、気遣いに類するもののようだ。
そんな空気をなんとなく感じ取った侃螺は、呆れたっぷりながらも、彼女の奇行を制止することなく傍観することにした。
「クソ……小賢しい真似をしやがって……!」
対してモモシは、カコの意図など眼中に無いようで、ただただ思わぬ手段によって負かされたことに、ガチガチと牙を鳴らす。
「もういい。封印でも何でもしろ。地の底からでもお前らの不幸を願ってやる」
「いえ、封印はしません」
「『できぬ』の間違いであろう」
侃螺がそう言い終えるが早いか、カコは彼の襟首を掴んで投げ飛ばす。
重箱の隅をつつくような補足が、癪に障ったに違いなかった。
「もう人を襲いませんか?」
カコは地面に転がされた侃螺を捨て置き、モモシに再び話しかける。
「はっ。無理な話だ」
「そうですか。…………」
譲歩する気など毛頭無い様子のモモシに、カコは過去帳を振り上げた。
が、不意にぴくりとわずかに目を見開き、その手を下ろす。
「荒井カコ?」
地面から起き上がり、恨めしげな視線をカコに向けていた侃螺が怪訝な声を出した。
荒井カコは、何かを考えているようだった。
「カコ! 侃螺! 待ってくれ!」
と、そこへ焦ったふうな高い声が飛び込んでくる。
「艇雲さん」
見れば何やら艇雲が、村人たちを十数人ほど引き連れて駆け寄ってきていた。
「あのさ、あの……ちょっとだけ、そいつと話させてくれねえかな?」
カコたちのところへ辿り着いた艇雲は、弾む呼吸も整わないうちに言う。
後ろの村人たちは、皆そわそわしながら、艇雲とカコたちとを見ていた。
「どうぞ」
言って、カコは1歩下がる。
特に渋る素振りは無かったが、過去帳はしかと手に持ったままだった。
艇雲は彼女と侃螺に「ありがと」と軽く礼を言うと、恐る恐るモモシの前に立つ。
2つの視線が交わり、数秒。
村人たちが見守る中、艇雲が口を開いた。
「モモシ、お前はなんでそんなに、人間に当たりが強いんだ? 食いたいとか、戦いたいとかじゃなくて、ほんとにただ……殺そうとするだろ。なんでなんだ?」
「……ああ、お前は妖怪か」
モモシが低い声で、しかし存外理性的に言えば、村人たちは静かにざわめく。
「言葉を返した」「話ができる」などと、彼が会話に応じたことに驚く言葉がちらほらと零れていた。
そんな彼らを一瞥し、モモシは続けて艇雲に言った。
「事情が知りたければ、そいつらに訊いてみろよ。先祖の所業をな」
「ご先祖様……?」
モモシの発言に、艇雲は首を傾げ、村人たちも困惑したように顔を見合わせる。
途端に、モモシはぶるぶると体を震わせ始め、足でガリリと地面を引っ掻いた。
「忘れたふりか? 矮小で小狡いお前ららしいな!」
力は尽き、既に暴れることは叶わない。
それでもモモシは、地面を揺らすような恐ろしい声で、自分以外の全員を脅す。
「俺は覚えている。お前らが山合いに棲み付いたこと。俺を恐れて、生贄を寄越したこと。生贄と俺がともだちになった途端に、そいつを射殺したこと!」
怒りでギラギラと光る眼を、彼は村人1人1人に向ける。
凄まじい感情がそこに在るのは確かだったし、村人たちもそれを感じ取っていた。
だがしかし、誰一人として、モモシの言うことに心当たりのある者は居ないようだった。
不安と困惑の表情がとぼけているように見えたのか、モモシはそれだけでも人を殺せてしまいそうな形相で、ますます村人たちを睨む。
「卑怯者どもめ。昔の、あの蛇野郎と漁師たちは、自らの手で俺を打ち負かしたというのに。お前らは幼体の同族を贄とし、今も余所者に戦わせるばかりだ!」
怒号が響き、びりびりと地面が揺れる。
カコは涼しい顔をしていたが、村人たちと艇雲はその迫力に冷や汗をかき、引き結んだ口元を引きつらせた。
しかしそんな中で、ぽつりと呟くものがあった。
「……確かに」
声を発したのは、一番最初にカコたちと会った村人である晤郎。
彼はうなだれながらも、言葉を続けた。
「確かに、わしらはカコさんと侃螺さん、力のある方々に頼りきりや。ほれは弁明の余地もない。卑怯者て言われても、仕方のないことや……」
目を伏せ、彼は力なく首を振る。
他の村人たちも唱える異議は無いようで、みな申し訳なさそうな、沈痛な面持ちで首を垂れた。
しかしそこで、代わりに異議を発したのはカコだった。
「人には向き不向きがあるでしょう」
彼女は村人たちに微笑みかける。
そうして表情もそのままに、続けてモモシに言った。
「ところでモモシさん、今いくつですか?」




