十四話 山間の歓待
さてカコの足も完治した翌日。
再び升に留守番を頼んだ――ただし今度は誰が来ても絶対にどこも壊すなと言い含めておいた――カコと侃螺は、伊志河県に向かって出発した。
トンネル工事が頓挫した山は、県南部に位置する。
近くには小さな村があり、カコたちはひとまずそこを目指すことにしていた。
幸い天気は晴れ、絶好の遠征日和だ。
村周辺の天気予報も、1日好天とのことであった。
電車やバスに揺られること2時間弱、また徒歩で移動することしばらく。
カコと侃螺は雪景色の広がる、山あいの小さな村・追無村へと到着した。
さらさらと細い川の流れる村は、あちらの家もこちらの家も、地面や木々も雪を被っており、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
既に村人たちが日常の活動を始めているのだろう、雪上にはいくらか足跡も見えた。
「ふむ。ここが件の村か」
村の入り口に立つ侃螺はそう呟き、着物の袖に手を突っ込みながらサクサクと歩く。
雪は元々、10cm以上は積もっていたようだが、雪かきの成果により村を通る道や橋は本来の顔を覗かせていた。
だが侃螺は何の意地なのか、一番近くに見える建物へと最短距離を取ろうと、歩きやすい道を無視して進んで行く。
「侃螺さん」
と、そこでカコが侃螺に声をかけた。
侃螺は後ろを振り向きつつ、足を止めようとする。
「なん」
メシャ、という嫌な音。
「だ」を発音するより先に、彼の姿が地上から消えた。
厳密に言うと、村人が個人的な利便性のために設置したであろう簡易的な橋という名の板を踏み抜き、小川へと落下した。
これが舞台上の出来事であれば笑い声も多少は響こうが、彼が居るのは現実である。
ついでに唯一の目撃者である荒井カコは、いつもの調子で微笑んでこそいるが、リアクションと言えるものは何ひとつ示さない。
侃螺に与えられたのは悲惨な屈辱感だけだった。
「その板、腐ってそうなので近付かない方が良いですよ」
数秒あって、カコが先ほど伝えんとしていた言葉の続きを口にする。
「早く言え!」
侃螺は八つ当たりじみた声を上げ、小川から地上によたよたと戻った。
小川自体は浅かったのだが、落ちた時にバランスを崩して転倒したため全身びしょ濡れだ。
ぶつくさと文句を言いながら、彼は付着した泥や枯葉を手で払う。
いつぞやに彼自身がカコに言っていた通り、そうした「汚れ」の類はあっさりと彼の着物や肌から離れて落ちていった。
だがしかし、濡れ鼠なのはそのままだ。
カコは哀れに水を滴らせる侃螺を、やや関心がありそうな表情で眺めた。
「水気は取れないんですね」
「ふん。放っておけば乾く」
ぶっきらぼうに言い放ち、見ている方が寒くなりそうな風体で、侃螺は再び歩き始める。
どうやら寒暖は感じないか、あるいは感じても平気らしい。
するとそこへ、しわがれた声が飛んできた。
「おーい」
カコと侃螺は、声のした方をパッと向く。
妖怪、ではない。
1人の人間が建物の方から、彼女らの元へと小走りで近付いてきていた。
「おーい、じゃまねえけー!」
見ればその人間は年老いた男であり、片手にタオルを持っている。
慣れたふうな足取りや、カコたちには聞き慣れない口調からして、この村の者のようだ。
彼は2人のところまでやって来ると、びしょびしょの侃螺にタオルを差し出した。
「ほら、これ使うて。怪我はねえか?」
白い眉を心配そうに下げ、老人は尋ねる。
遠くから見ていたのか音で気付いたのかはさておき、誰かが小川に落ちたと察知して駆け付けてくれたらしかった。
ふわふわとしたタオルを前に、侃螺の頭には「不要」の2文字がよぎる。
実際、今から紙やら何やらに触れる予定があるでも無しに、急いで体を拭く必要は無かった。
しかし。
「……感謝する。負傷はしていない」
人間らしく振舞った方が良い、との判断が、彼の中で可決された。
何を隠そう、村までの道中にこんな会話があったのだ。
――今回は現地の方からお話を聞くので、人間っぽくしていてくださいね。
――話など貴様だけですれば良いであろう。
――できないんですか?
――は?
――できないんですか?
――……できるが。
こういうわけである。
模範的な、売り言葉に買い言葉だ。
季玖露の情報提供により目当ての妖怪の居場所が確定していた前回と違い、今回は可能性が高いとはいえ推測を元に来ている。
ゆえに現地での情報収集は必須であり、そのためには女子高生1人よりも、保護者らしき人物が居た方が円滑にコミュニケーションをとれるのだ。
恐らくは。
「あんたら見ん顔やけど、この村に何か用け?」
老人は侃螺の奇妙な髪色を物珍しげに眺めながら問う。
「旅行に来ました。街から離れて、雪景色を楽しもうかと」
「へえ、変わっとるねえ。観光地でもないがに……。ま、ほんなことなら歓迎するわ」
何食わぬ顔で放たれたホラを鵜呑みにし、老人はニコニコ笑顔で頷いた。
カコたちには好都合だが、些か不安になる素直さである。
「案内するさかい、ついて来な」
「ありがとうございます」
かくしてさっそく村人とのファーストコンタクトに成功した2人は、老人に従い歩き出した。
今度は侃螺も大人しく道に沿い、ちらちらと足元を気にしながら足を動かす。
そうしてしばらく行くと、屋根から下ろされこんもりと積もった雪の間から、ぴょこりと小柄な影が飛び出してきた。
それは防寒着をモコモコに着込んだ、10歳か11歳くらいの素朴な栗毛の少年だった。
彼は老人に向かって、手袋をはめた片手を上げる。
「おはよ、晤郎」
「おお、おはよう艇雲」
少年は艇雲、ついでに老人の名は晤郎というらしい。
2人は気心の知れた仲のようで、パッと見の年齢差のわりにまるで同級生のような挨拶を交わす。
それから艇雲は、カコと侃螺を見上げて少し眉そひそめた。
「……この人たちは?」
「お客さんや」
「ふうん」
彼は若干の距離を取りつつ、じろじろとカコたちを眺めまわす。
片やこの寒い中で防寒具のひとつも付けていないセーラー服の少女、片や雪の積もる道で普通の草履を履いている和服の人物、という冬を何だと思っているのかと言いたくなる珍妙な2人組が、不審者か否か探っているようだった。
しかし、その視線がある一点に止まると共に、艇雲はビクッと肩を撥ねさせる。
かと思えば素早く2歩半ほど下がり、カコたちから晤郎の方へと目を移した。
「お、お客さんならさ。俺、みんなを呼んでこよっか?」
「おお、頼む」
晤郎は至極素直に、かつにこやかに言う。
鈍いのか疑う気が無いのか、艇雲の挙動不審に気付いていないようだった。
だが当然、カコと侃螺は彼とは違い。
「…………」
足早に去って行く艇雲を見送ったのち、無言で顔を見合わせた。
***
かくしてカコたちが案内されたのは、村の集会所だった。
小さめの一軒家ほどの大きさを持ったそこは、和室が2部屋とちょっとした台所で構成されていた。
そのうちの和室――もう一方と比べてやや広め――で、カコたちは晤郎と、艇雲が呼んできた村の人間数名と向き合って座る。
ただ艇雲はいったいどこへ行ったのか、室内には見当たらなかった。
「わしは鉄砲撃ちをやっとる橋本や。あんまり何もねえ村やけど、しなしなっとしていいまっし」
晤郎はそう言いつつ、ぺこりとお辞儀をする。
と、周りの者たちも続いてゆったり頭を下げた。
村に、少なくとも観光目当ての客が来るのは相当珍しいのだろう。
服装がちょっとおかしいだけの一般人には、些か丁重すぎる対応だった。
「ありがとうございます。私は荒井カコと言います」
「侃螺だ」
それでも厚意には違いない、とカコは彼らに倣って頭を下げ、侃螺も名乗るだけは名乗る。
今のところ、侃螺が川に落ちるという多少のハプニングはあったが、予定に狂いは無い。
加えて村人たちのこの好意的な態度からして、情報収集も円滑に行えることが予想される。
「大百足」退治遠征の漕ぎ出しは、概ね順調と言って良さそうだった。




