番外二 読書嗜好のこと
1月上旬も半ばのある日。
障子を開け放った座敷から中庭を眺めている侃螺に、荒井カコが背後から声をかけた。
「暇そうですね」
「やることが無いからな」
松のうろこの数を勘定しながら侃螺は答える。
表情だけは何やら深く思案しているようであったが、実のところは手持ち無沙汰も境地に至っているらしかった。
暇の原因は単純なことで、過去帳の妖怪退治にブレーキがかかっているからだ。
めでたく鵺の雷轟を叩きのめしたはいいものの、捻って怪我をしたカコの足が治るまでは戦いに出られない。
ならば情報収集だけ進めれば良いではないかという話だが、残念ながら手がかりはさっぱりである。
季玖露も鵬天も升もてんで何も知らないと言うし、カコたちが探れる範囲のことは既に探り尽くした。
それこそ後に残された方法は、直接遠くの地へ調査に向かうことくらい。
しかしやはり今のカコの足では遠出はできないため、振出しに戻って行き止まりである。
「私の本、読んでもいいですよ。隣の和室に色々ありますから」
カコが親切にもそう申し出れば、侃螺は一瞬懐疑と「何を突然不気味な」という目をしたが、他意は無いと察すると無駄に重々しく頷いた。
「ふむ……ではそうしよう」
彼は立ち上がり、隣室へと移動する。
襖を開けて中に入るや、部屋の三面をぐるりと埋める本棚に出迎えられた。
棚に収められている本は実に色とりどりで、赤白黒などと多彩な背表紙に様々な形態の文字が踊っている。
ただその中に和綴じの本は無く、すなわち侃螺が既視感を覚えることは無かった。
「書物の形も随分と変わったものだ」
独り言ち、彼は棚から1冊を無造作に選び取る。
桃色を基調とした表紙にはデフォルメされた人間が細く整った線で描かれており、その傍らに題名と思しき文字が並んでいた。
「『ぴゅあらぶ・えぼりゅーしょん!』……何とも珍妙な」
聞き馴染みのない語呂に眉をひそめつつも、侃螺はひとまず腰を下ろし、目を通してみることにした。
「しかしあの荒井カコのことだ。どうせ野蛮で暴力的な内容なのだろう」
さてどんな恐ろしげなことが書かれているものか。
ひとつ確かめてやろうと表紙を開き、1頁、また1頁とめくっていく侃螺だったが、見る見るうちに顔が青ざめて行った。
悍ましい記述を目にしたからではない。
むしろその逆、本の内容があまりに瑞々しく、初々しい恋物語だったからだ。
「……これを……荒井カコが……?」
なんやかんやで最後まで読み終え、彼は改めてわななく。
物語の内容を要約すると、ある不幸な少女が美丈夫と恋に落ち、苦難を乗り越えつつ幸福を手にする――といった具合。
何とも優しく美しく、そして荒井カコという人間にはあまりにもそぐわない。
侃螺はひとまず『ぴゅあらぶ・えぼりゅーしょん!』を棚に戻した。
「……奴も誤った品を購入することくらいあろう」
露骨に現実逃避をしつつ、別の本を手に取る。
今度は先ほどよりやや写実寄りの画風で、大人の女性と頭に角を生やした男性が描かれた表紙となっていた。
「『あやかし! まやかし? 鬼と私の百物語』、か。ふむ、我らを題材としたものならば……」
安心し切った様子で本を開く侃螺。
だがほどなく、彼はそれが安心ではなく油断であったことを思い知らされた。
「…………??」
本の内容はこうだった。
妖怪の世界に迷い込んだ女性が、貴族であるという鬼の男に強引に娶られ、初めは反発するも徐々に絆されてゆく。
100日間を共に過ごしたのちには想いが通じ合っており、最終的には夫婦となり幸福な結末を迎える。
以上。
侃螺は心底、ゾッとした。
逃避したはずの現実が回り込んで立ち塞がって来たのだ。
咄嗟に本棚を改めて見渡す。
先ほどは意識していなかったために気付かなかったが、並んだ本たちはどれも恋物語と思しき題を掲げ、それらしい鮮やかな色彩を放っていた。
包囲。
数多の本とそれを収めた棚が、侃螺を取り囲んで退路を断っている。
もはや目の逸らしようが無い。
荒井カコはこれらの本を好んでいるのだ。
信じ難いその事実を、侃螺は受け入れなくてはならなかった。
そういう妖怪の仕業かと勘繰ってしまうほどにわかに、頭痛が彼を襲う。
侃螺は頭を抱えた。
こんな純粋で瑞々しい恋物語を好んでおきながら、あの性格と言動は辻褄が合わないにもほどがある。
では何か、荒井カコは常日頃から人間や妖怪に殴る蹴るの暴行を加える一方で、こんな恋愛譚を嗜んでいたというのか。
人間が恋物語を読んで心をときめかすことくらいは侃螺も知っている。
知っているが故に、怖気が増した。
ときめき、そんな感情が荒井カコに備わっていたのかと。
「…………」
侃螺はすっくと立ちあがる。
その目は凪いでおり、もう何も見なかったことにしようという逃げの決意がありありと浮かんでいた。
気持ちを切り替えるように深呼吸をし、彼は部屋を後にしようとした。
「気に入った本はありましたか」
「ッッ!!!」
侃螺は腰を抜かしそうになるのを、すんでのところで堪える。
いつの間にやら、背後にカコが立っていた。
気配のひとつも感じさせない圧倒的な隠密行動、さながら忍である。
「いや……特には」
「そうですか」
カコの表情はいつも通りだ。
ご機嫌とも不機嫌とも取れない、にっこりとした笑顔。
だが手に包丁のひとつでも持っていた方がそれらしい。
数秒の沈黙が流れたが、侃螺は不気味な静寂に負けて口を開いた。
「……荒井カコ、貴様はこのような色恋沙汰に興味があるのか」
「いいえ?」
あっさりとカコは答える。
やはり、怒っても喜んでもいない。
「ではなぜ読む」
「面白いからですけど」
「…………そうか」
侃螺は尋ねるのをやめた。
これ以上無闇につついて、想像を絶する深淵を覗く羽目になりたくはないと思ったからだ。




