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十話 山に分け入り岩を蹴飛ばし

 夜が明け、時刻は午前5時半ごろ。

 キキー……という甲高いブレーキ音で、カコは目を覚ました。


 彼女は靄のかかる視界と思考の中、待ちわびた電車が来たのだと理解し、近くにいた侃螺を引っ掴んで乗車する。


 美在所山の麓までの所要時間は、およそ25分ほどだ。

 カコは人の少ない車内から、外の景色を眺めて暇を潰すことにした。


 一方の侃螺はというと、いささか眠気を残した彼女の様子を、横から何となく眺めていた。


 ――こうしていれば、ただの大人しげな人間なのに。


 詮無いことを思い、彼は黙って電車に揺られる。

 それから美在所山が近付くにつれ、徐々に緊張の糸を張り詰めさせていった。


 しかし。


「侃螺さん、雷轟さんを呼んでください」


 山の麓の駅に着き電車から降りるや否や、荒井カコはこれである。

 藪から棒を平気で投げつけてくるのだ。


 無論、侃螺は思いっきり嫌な顔をする。


「できるわけがなかろう。私を何だと思っているのだ」


「妖怪同士だから現地の捜索には多少役立つ存在、だと思っていましたが。まあ、過度の期待は禁物ですね」


 流れるように嫌味を返し、カコはすたすたと歩き始めた。


 駅の前を通る道は、そのまま山の方へと繋がっている。

 正規の山道の入り口はこれに沿ってぐるりと回り込まなければならない。


 が、時間が惜しいカコは途中で道を横断し、数日前に降った雪の残る美在所山へと強引に入って行く。


 当然ながらこれは凄まじく舐めた行為であり、何を考えているのかという話だ。

 しかし荒井カコは、一刻も早く雷轟をしばき倒して帰宅することしか考えていない。


 曲がるという動作を知らないのかというほど真っ直ぐ山を登っていくカコに、侃螺は渋々ついて行った。


「荒井カコ、過去帳を手に持っておけ」


「もう持っています」


 さすがに両者とも山登りに気力と体力を割いているためか、会話がいつにもまして簡素だ。

 もうひと言ふた言、応酬をしそうなところだけれども、2人は口を閉じて足を動かす。


 山の中は鬱蒼と生い茂る木々のため薄暗く、あちこちに出来ている影も濃い。

 他方、不思議と動物や虫がいるような気配はほとんど無く、不気味な静けさがある。


 ほどなくカコたちの前に谷が現れ、そこには丸太橋がかかっていた。


 橋の上にも雪が乗っかっており、足を滑らせ踏み外せば川に転落すること間違いなし。

 常人ならば多少なりとも恐怖を感じる光景だが、荒井カコは迷わず丸太橋を渡り始める。


 と、前方からカコ目がけて、ヒュウッと火の玉が飛んで来た。

 朝っぱらからご苦労なことだが、2つ3つと群れて飛ぶそれらは、何やら不吉な雰囲気を纏っている。


「荒井カコ、伏せよ」


 火の玉を警戒した侃螺が声をかけるが、カコは構わず足を動かし続ける。

 あわや衝突、というところで、しかし彼女は火の玉たちを過去帳ではたき落とした。


 悪路を行こうとも、口数が減ろうとも、やることは概ねいつも通りである。

 忠告を無視された侃螺が青筋を立てるところまでセットで。


 谷を越え、またしばらく進む2人。

 すると今度は、地面に突き立てられた板状の岩が彼女らを出迎えた。


「ふむ……どうやらここからが、奴の縄張りのようだ」


 侃螺は自分の身の丈ほどある岩の、向こう側を覗き込む。


「季玖露の話通りなら、奴は戦いを好む。恐らくこの境界を越えれば途端に――」


 と言い終えるより早く、カコが岩を蹴り倒した。


 ずずん、という地響きと共に、哀れ岩は横たわる。


「…………」


「何ですか」


「短絡的」


「判断が早いと言ってください」


 カコは涼しい顔で返し、それから前方遠くに目をやった。


 ざわめいていた木々が、ひたりと動きを止める。


「ほら、お出ましですよ」


 2人の視界に、黒い点が灯った。


 かと思えばそれは見る見る膨らみ、黒煙となって辺り一帯をあっと言う間に埋め尽くす。

 黒煙は生き物のように蠢き、木々の合間を縫い、やがて地を撫で回すように掃けていく。


 重苦しい妖力を含んだ黒煙が去ったのち、そこに立っていたのは1体の妖怪だった。


 猿に似た顔、狸のような胴体、虎柄の四足、尻から生えた蛇。

 紛うことなく、『鵺』の雷轟だ。


 雷轟は大きな口をガパリと開け、赤々とした舌と白い牙を見せながら笑う。


「ひょう! お前だな、俺に喧嘩を売ったのは!」


「は――」


 カコの返事を待たずして、雷轟は跳び上がった。


 そして落下の勢いに任せ、頑丈で鋭い爪をカコ目がけて突き立てんとする。


 弾かれるように侃螺が駆け出し、けれども彼が何かするより先に、カコは鞄を放り出しつつ横に跳躍して雷轟を避けた。


「随分と妖力を持っているな!? さては妖術師か! 俺を倒しに来たのか!」


 びりびりと骨まで響くような大声で、雷轟は叫ぶ。

 吠える、と表現した方が適切なくらいだ。


 彼は身を翻して、今度は侃螺へと突進する。


「お前は何だ! お前は妖怪だろう! 戦うのか!」


「野蛮な輩め……!」


 身構える侃螺だったが、雷轟と接触する直前に横から衝撃を食らった。

 カコだ。


 カコがおもむろに、侃螺を横から蹴飛ばしたのだ。


 想定外の方向から力をかけられ、面白いくらい簡単に侃螺は吹っ飛ぶ。


 彼に代わって雷轟の前に立つこととなったカコは、地面を強く蹴り、転がるようにしてこれを回避した。

 間一髪だった。


「くっ……!」


 が、彼女は立ち上がろうとしたところで顔を歪める。

 一瞬、動きが止まり、そこを狙ってまた雷轟が襲い掛かった。


「ぬるい! あまい! ほれ殺してしまうぞ!」


 雪を蹴散らし、巨体が踊る。


 侃螺は急ぎ、割り込むようにしてカコの前に出た。


「何をしている荒井カコ!」


「っ漬物石は、黙っていてください」


 いつもより些か覇気のない声でカコは言う。

 ふと侃螺が視線を落とすと、彼女の右足首が腫れているのが目に入った。


 何かと思えば、先ほどの回避の時にだろうか、どうやら足を捻っていたらしい。

 しかしながらカコは構わず、過去帳を握りしめて雷轟に戦意を示す。


 そうして改めて面と向かうと雷轟もカコの怪我に気付いたようで、目を見開いて残虐な笑みを浮かべた。


「ひょう! 良い度胸だ! しかし弱い! それでは意味が無い! 死ぬべきだ!」


 わけのわからぬ理論を振りかざし、再び雷轟は駆け出す。

 足元の雪がパッパッと散り、冷たい空気の中に舞った。


 だがカコは避ける素振りを見せない。

 右足が痛むだろうに、両足にしかと力を入れて立っていた。


「愚か者め、仕様の無い……!」


 侃螺は苛立たしげに呟くと、角と頭を器用に使ってカコをえいやと持ち上げる。


「侃螺さん、何を」


「一時退散だ!」


 そして彼は雷轟の爪が届く前に、宙を蹴って走り出した。

 木々の枝をかいくぐり、すいすいと空中を駆けあがる。


「ひょう! 逃げるのか! ひょう! ならば、また戻って来い! 食ってやる!」


 叫ぶ雷轟の声を背後に、侃螺は飛び飛び、山の頂上付近に行き着いた。


「全く、とんだ醜態だ。愚鈍極まりない阿呆め」


 ぽいとカコを地面に下ろして、ああ重かったとでも言わんばかりに首を振る侃螺。

 対するカコは、笑顔を保ちつつも心底気に入らなさそうな声色で反論した。


「どちらがですか。置き物に徹するならともかく、私の邪魔をしないでくれます?」


「邪魔だと? それは貴様が、私の位置も考えずに出しゃばるからであろう!」


 両者の表情が引きつる。

 こんな状況にも関わらず――否、こんな状況だからこそか、ぐらぐらと煮えていたはらわたが沸点に達した。


「ですから、その位置が邪魔だと言っているんです。ぐいぐい前に出て来て、死にたいんですか?」


「何を馬鹿なことを、私は死なぬ。人間のように……貴様のように脆弱ではないからな!」


「脆弱ではない? 寝言は寝て言ってください。あなたみたいに弱い妖怪、まともにやったって相手になりませんよ」


 やいのやいのと言い合った末、2人は同時に息を継ぐ。


 そして。


「だから私があなたの代わりに戦うんじゃないですか」


「だから私が貴様の盾になるというのだ!」


 彼女らは同時に、そう言った。


 しん、と場に沈黙が降りる。


 カコと侃螺はしばし互いの目を見つめ、それぞれ相手が何と言ったのかを、頭の中でほどいた。


「…………?」


 時を数えて5秒少々、そうしてやっと気付いた。


 何やら自分たちの会話が、微妙に噛み合っていないことに。

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