アルビノ吸血鬼は薬師に恋をして公衆衛生を勉強することにした
平和とは何かと問われたとき、血液しか飲めない吸血鬼が、朝採れたばかりの真っ赤なトマトをかじっていた。
吸血鬼のリュウ・ラウがいう。
「ねぇ、ラシャド。僕に公衆衛生を教えて。病気から人を守るために」
リュウはキリリと桜色の唇をひきしめる。
吸血鬼ヴィヴァーチェが、またパンデミックを撒き散らそうとしてるからと。
薬師ラシャドは美しい吸血鬼をそっと抱き寄せた。
★★★★★
僕はある薬師に片思いをしている。綺麗好きな彼に好きになってもらうために、僕である吸血鬼リュウ・ラウは、清く正しく美しく、公衆衛生を勉強することにした。
突然、公衆衛生なんて難しい言葉を投げかけられたら君は一歩引くかもしれない。けれど大丈夫、心配しないで。君たち日本人なら、自然とやっていることだから、人混みの中ではマスクをして、家に帰宅したら玄関で靴を脱いで、手を洗ったら、上着をクローゼットにしまう。
これだけで半分以上は、パーフェクト。ねぇ、簡単じゃない?
いつも研究所でパンデミックの新薬のために実験台にされていた僕にとっては、日本人ができて当たり前のことを覚えるのは一苦労だった。だってさ、生まれた年数と同じくらいにコンクリート打ちの閉鎖された空間で薬漬けだったんだもの。
僕の初恋の人になった、不老の薬師ラシャドがやってきて研究所から助け出してもらうまではね。
夜にもかかわらず、初めて外に出た時の外の眩しさに驚いた。丸くてキラキラ光る浮かんでいる物が、物語で聞く月だと知ったのは後のこと。毛布で包まれた僕は、褐色の肌の血が強い腕に抱きかかえられて車に乗り込む途中だった。
「お願い、死んだ妹が残したトマトの植木鉢が庭にあるんだ。それだけは取りに行って!」
「追っ手が来るのにか?馬鹿言うな」
「それなら、舌を噛んで死ぬ!」
「クソっ。わかった。攻撃体制に入るから、口を閉じておけ!」
衰弱しても必死にすがりつく僕に、剛健なラシャドは叫んだ途端、フワリと宙に飛んだ。
「屋上にいくぞ」
ラシャドは僕を研究所の屋上にゆっくりと座らせた。
「お前は結界の中にいろ、鉢植えを持ってきてやる」
断言したラシャドは流れるような動作で、ジャンケン?をするように、手で印を結ぶ。
パシーン
周波数を放つよう青い六角形の壁のような物が僕を包み込んだ。
「いい子で待ってろ、俺は追っ手を倒してくる」
気づいた時には、ラシャドの手には虹色の文字が刻まれた長方形の札を持って、ものすごい勢いで地面に降り立つ。
「ありがとう!青い鉢で、庭の隅っこにあるはずだよ」
僕は人生で初めての大声を出す。ラシャドは軽く手をあげると、研究所から飛び出してきた黒服達と軽やかに攻防戦を繰り広げる。
「ギャァ」とか、バババッて、悲鳴や怒声や銃声がけたたましく聞こえてくる。僕は息ができないくらい、緊張して祈るように冷たくなる指先を胸の前に組んでいた。
どのくらい時間がたっただろう、時間が止まったような屋上で震えながら待っていた。ずっと緑に苔むした、灰色のコンクリートの地面の前に黒い靴の爪先が見えた。
「おい、アルビノ吸血鬼。これか、お前の言っていたトマトの苗は?」
「そうだよ!青い鉢にドロシーって名前が書いてあるから、妹のトマトの鉢だ」
ラシャドの褐色の大きな両手が小さなミニトマトの鉢を宝物のように丁寧に包み込んでいた。
「ラシャド、有難う」
「俺に言うな、トマトに言え。カラスにトマトの実が食われないように頑張ったのは、トマト自身だ。褒めてやれ」
僕は予想外の言葉にびっくりした。いつも、研究結果が出ないとグズ、ノロマ、役立たずと罵られた僕にとっては、褒めてやれなんてあったかい言葉をかけられるのは初めてだったからだ。
「褒めるの?」
「あたりまえだ、生きてる奴は皆んな偉いんだ」
「それは、アルビノの吸血鬼の僕も?」
「もちろんだ。お前の名前は」
「リュウ・ラウ」
「俺は薬師、ラシャドだ。じゃ、逃げるぞ」
彼の腕に抱かれ、夜空を飛んだあの瞬間、僕は初めて人間らしい扱いを受けたと感じた。これが僕、リュウ・ラウと不死身の薬師ラシャドとの初めての出会いだった。
「ラシャドは、かっこいいね」
「なんか言ったか?」
「なんでもない。僕、頑張って生きるね」
僕は、死んだ妹のトマトの苗に声をかけて貰った時に、ラシャドに恋をしてしまったんだ。
だって、初めて生きていいと声をかけてくれたように感じたのだから。
ムーンライトノベルスに
①白銀の国物語 緑の炎と薬師ラシャド ジェイド編
②白銀の国物語 緑の炎と薬師ラシャド
の続編が二つあたります。ラシャドの過去はそちらに書いてあります。