第8話(運命の変転?)
一方、七公のうちの賢公と魔公の間で、自身の娘の誰かが、『北壁の白銀狼』の婚約者候補として与えられることを勝手に決められているとは、つゆ知らずのミイカ・ナイトー伯爵。
次から次へと持ち掛けられる、初期段階の縁談話に上機嫌であったのだ。
「ババベルグ侯爵家に、コーサル侯爵家。 更にはオプトワルト侯爵家からも、是非我が跡取り息子の正妻にという仮の申し出が有ったのよ〜」
伯爵家当主として、パーティーに出席している有力貴族の間を一回りしてきたミイカ。
2人共、素晴らしい美貌の娘さんだとヨイショされまくって、本当に上機嫌で夫のところに戻って来たのだ。
ショーウの方は、上流貴族の世界におけるしきたりに不慣れなことから、ナイトー伯爵家で借り上げている控室に籠もって、パーティーで提供されている豪華料理と高級酒を適当に見繕って持ち込み、舌鼓を打っていたところであった。
「良かったじゃないか。 思惑通りにいって」
妻の機嫌が良いことに、一安心したというのがショーウの本音。
「今後は付き合いを深めて、いずれは正式な婚約へと持って行くのだよね?」
「もちろんよ。 平民の富豪の実業家を狙うという手もあるけど、マイカのあの性格では少し難しいでしょ? だから、やっぱり上級貴族のお坊ちゃんの方が良いと思うのよね」
「ということは、君の跡取りはレイカで決まりなんだね?」
夫の確認に、小さく頷いたミイカ。
双子の関係が拗れないように、後継者の件は今まで口にしなかったのだが、嬉しさのあまり、思わず本心を漏らしてしまったのだ。
「双子が成人するまでは、絶対内緒よ」
一応夫に念を押したミイカ。
ただ、家中で既に一定程度噂となっていることを知っていたので、夫に対して念を押す以上の厳しい口止めはしなかったのであった。
しかし、上機嫌の時間は長く続かなかった。
暫く経つと、先程名前の出た3つの侯爵家から、相次いで使者がナイトー伯爵の元に参上し、口を揃えて、
「諸事情で、先程の話は一旦白紙に戻して欲しい」
との申し出が為されたのだ。
みるみる不機嫌な表情へと変わったミイカ。
最後に参上したババベルグ侯爵家の使者に、
「どういうことなのでしょうか? 舌の根も乾かぬうちに前言撤回とは?」
と、思わず問い質してしまう。
しかし、使者も詳しい事情は知らされていないので、
「私は言伝を伝える役目を仰せつかっただけです。 詳細はわかりかねます。 申し訳ありません」
と答えるのみであったのだ。
妻の横顔を見ながらショーウは、
『人って、こういう風に不機嫌になっていくんだなあ〜』
とノンビリした感想を持っていた。
自身の娘のことなのに、まるで他人事なのは、この男らしい反応。
「情報収集してくるわ。 こんな急に態度が変わるなんて、あり得ないことだから......」
不機嫌な表情から困惑した表情へと変化したミイカは、再びパーティー会場の華やかな世界へと出て行く。
それをワイングラスを掲げながら見送ったショーウ。
「なにはともあれ、無事に貴族社会の社交の場にデビュー出来た娘達に乾杯」
と呟きながら、高級ワインの味を楽しみ続けるのであった。
ミイカはひとまず、同格の伯爵家の当主達が集まっている場所へと向かう。
すると、ツチヤ伯爵家の当主から、
「これはこれはナイトー伯爵。 良かったではありませんか、大きな縁談話が持ち込まれることになって」
と直ぐに声を掛けられたのだ。
「大きな縁談話って、侯爵家から幾つか有りましたが、先程、一旦保留にされてしまいまして......」
と、ミイカは困った表情で答えると、
「侯爵家? いやいや、もっと大きな話が出ていると聞きましたよ」
「侯爵家以上の?」
「そうです。 勿体ぶらないで下さいな」
「いえいえ。 私が直接お話しを頂いたのは3つの侯爵家ですが......」
ミイカが本当に知らない様子なので、伯爵家の当主達が顔を見合わせる。
そこで、ダナン伯爵が、
「七公から直々に、北公のご子息とナイトー伯爵家のご息女との婚約成立に向け、縁談の席を設けよとの勅令が出されるそうですよ。 まだ、お耳に入っていませんか?」
「北公......ティアナ公ってことですよね?」
「そうです」
「ティアナ公のご子息って、何番目のでしょうか?」
「北公のご子息で未婚なのは、3男のレオニダス様だけですよ」
貴族の各家の諸事情に詳しいオーダー伯爵がミイカに説明すると、
「3男ですか......」
険しい表情に一変してしまったミイカ。
三男では、公の跡取りになる可能性は皆無。
公という位が貴族社会の最上位であることは重々承知していたが、五公のうち東公を除いた四公は国防費等、国の経常費用が嵩んで決して財政状況の良い家ではなく、爵位だけ高い貧乏貴族だとミイカは普段から見下していたのだ。
「北公の御三男様は、先日戦さで大功を上げられ、今や帝國内で英雄扱いを受けている方ですぞ。 英雄との婚約に向けた儀を七公直々の口添えで決定されるなんて、帝國貴族の誉れと言えることではありませんか?」
ダナン伯爵のその言葉を聞き、無理矢理笑顔を作り、
「確かにダナン伯爵様のおっしゃる通りですわ。 早速準備を始めなければいけませんわね」
と答えてみせたミイカ。
貴族社会では、互いの化かし合いは常日頃の出来事。
七公の口添えを無碍にすれば、それを口実に爵位を奪うことで、膨大なナイトー伯爵家の財産を狙う輩が出てくる可能性も有るのだ。
貴族間の機微に対する嗅覚に関しては、非常に発達しているミイカ。
女性当主として、男性当主達から見下される場面も多く、苦労を重ねてきた経験から磨かれた能力だ。
同爵位同士の気さくな場とはいえ、この時少し危険な風を察知したので、内心の不満を抑え込んで笑顔を見せたのだった。
すると、周囲で談笑していた伯爵家当主達のうち数名がミイカの背後の方に向けて頭を下げる。
それに気付いた他の伯爵達も一斉に会釈をする。
ミイカが振り返ると、『魔公』エウレア・シェラス公爵と『賢公』アルダート・ホンジョー公爵がミイカの方に近付いて来たのであった。
その後ろには、2人の公爵と少しでも親密な関係を築きたいと考える若い貴族達が続いて来ているのも確認出来た。
「これはこれは。 七公の位にある両公爵が連れ立って我等の集まっている場所に来て頂けるとは誠に光栄の極み。 伯爵家当主一同、非常に感激している次第です」
年長のオーダー伯爵が一同を代表して、2人の公爵に改めて丁寧な会釈を行う。
それに合わせて、その場に居た伯爵家当主全員が、それぞれの家に伝わる最上級の礼儀作法を尽くして、挨拶をする。
それに対して、エウレアが、
「そんなに畏まらないで下さい。 私達はまだまだ若輩者。 七公の末席に座を頂いているだけの身ですから」
と返事をしてみせた。
「ところで、何か御用があって、こちらに来られた様に見えましたが」
ダナン伯爵が2人に質問すると、
「先程、七公の間で決定した事項を、当事者たるナイトー伯爵様にお伝えしなければ、失礼に当たると思いまして」
エウレアはニッコリ微笑みながら、その質問に答える。
あっという間に周囲を取り囲み始めた若い貴族達は、エウレアの美しい笑顔で心を掴まれてしまい、一網打尽に。
口々に、
「流石、エウレア様」
「公爵だというのに、なんという心配り」
「容姿は、心を写す鏡と言いますからな。 なんというお美しい心持ち」
皆で持ち上げまくる様子は、ちょっと行き過ぎのような気もする。
アルダートはそんな感想を抱いていた。
そして、皆がことの成り行きを見守る。
「ナイトー伯爵様。 大事な大事なご息女のうち、どなたかを、私達の親友であるレオニダス・ティアナ様の室として、娶らせて頂けないかなと思いまして」
エウレアはド直球で、用件をミイカに説明する。
「急なお話とは言え、誠に光栄でございます。 前向きに検討させて頂きたく思っております」
ミイカは本心を隠して、ごく当たり前な返事をしたものの、
「蒼龍公の御厚意を、ただ前向きに考えるだけとは失礼だと思いますよ、ナイトー伯爵殿」
と、若いある貴族がミイカの返答の言葉にイチャモンを付けてきたのだ。
「確かにそうだな」
「謹んでお受け致しますって答えるべきだろう」
若い貴族達は、エウレアを援護することで気に入られようと、ミイカの言葉尻を捉えて、口々に批判の声を上げる。
これにはミイカも非常に困惑した表情に。
「皆様。 伯爵様の大事なご息女達の将来に関わることですから、直ぐに色良い返事を頂けないのは、致し方ありません」
頃合いを見計らってエウレアは周囲の者達の心を鎮めるような言葉を発すると、
「ナイトー伯爵様は皆様方が羨む程の資産家。 そこにきて今回の素晴らしい縁談話。 あまり妬んではいけませんよ」
と続けたのだ。
その言葉に身構えたミイカ。
『やはり、我が家の資産を狙っての縁談か......北公は戦費が嵩んで、財政は火の車だという噂だし......』
内心そう考えていると、
「今回、ご相手が北公自慢のご子息ということですから、持参金はかなりの額になりそうですな」
オーノー伯爵が口髭を触りながら、感慨深そうに今回の栄誉話に対する実務的な感想を述べる。
その言葉を聞き、多くの伯爵家当主がウンウンと頷く。
「貴族同士の嫁入りは、その習慣から結構痛い出費となりますからな〜。 当家でもそうでしたよ」
ベルミンデ伯爵が少し渋い表情を浮かべると、
「その点、ナイトー伯爵様は大資産家。 百億程度は痛くも痒くも無い筈ですよね」
トーハイム伯爵が、ナイトー伯爵家の財力から具体的な金額を出して話をしたので、流石に笑いが起きる。
周囲の伯爵達の無責任な言葉を聞き、ムッとしたミイカ。
すると、エウレアは、
「皆様。 あまりにも具体的なことを話すには、まだ早いですよ。 レオニダス・ティアナ様のご意向も有るのですからね」
と言って、場の雰囲気を鎮めると、
「それでは、ナイトー伯爵様。 どなたをレオニダス様に嫁がせるか決まりましたら、私にご一報下さい。 私が窓口ですので。 ただ、近々レオニダス様は再び戦地に赴かれますので、その時までに御返答下さいね」
暗に結論を急ぐように申し渡すと、アルダートと一緒に公爵達が集まっている王者の間方向へと歩き出す。
取り巻きの貴族達も一緒に立ち去って行くのであった。
『魔公』と呼ばれるエウレアの鮮やかで華麗な所作に、何も言い返せなかったミイカ。
一方的に全てを決められてしまったことには、歯軋りしてしまう程の悔しさであったが、ここは上意下達の貴族社会。
最高権力者の厚意を無にすれば、どのような仕打ちを受けるか、わかったものではない。
勅令が出される以上、ただ従うしかないという結論は出ていたが、誰を差し出すのか答えを出すまで、幾ら掛かっても良いから駆け引きをするしかない、特にレイカだけは絶対に差し出さないと、エウレアの後ろ姿を睨み付けながら、心に決めたミイカであった。
マイカとレイカは、貴族社交界へのデビューイベントを終えて両親の元に戻ると、母ミイカの険しい表情に驚いた。
「お母様。 何か私達に不手際がありましたか?」
聡いレイカが、恐る恐る質問をすると、
「何もありませんよ。 2人共お疲れ様」
と答えたものの、眉間のシワが解消することは無かったので、
『やっぱり、何か有ったんだ〜』
と気付いた双子であったが、それ以上質問すると、不機嫌さが増すことを熟知している2人は、余計な突っ込みを避けたのだった。
しかし翌日には、母ミイカが不機嫌な理由を知ることになる。
それは、2人が通っている貴族専用の帝都アンプラール学院中等部に登校すると、同級生達がマイカとレイカを取り囲んだからだ。
「おめでとう〜、マイカ様、レイカ様」
その言葉に、意味がわからないという表情の双子の2人。
「おめでとうって、何がです?」
レイカが素直に質問すると、
「何がって、ご婚約ですよ、ご婚約」
「ご婚約? 誰と誰が?」
「誰って、マイカ様、レイカ様のどちらかと、先日の戦争の英雄とのですよ」
「戦争の?」
「英雄?」
双子が偶然声を合わせて、ビックリした表情を見せる。
そんな話、母のミイカから一言も聞いていなかったからだ。
「七公直々の口添えらしいよ」
「それじゃあ、もう決まりね」
「七公の命令じゃあ、いくらお二方のお母様が大富豪であっても、断れないものね〜」
クラスメイトの、如何にも他人事という口ぶりに、腹を立てたマイカ。
いつもの癇癪が爆発しそうになる。
それを察したレイカが機先を制し、
「その戦争の英雄って、なんという方ですか?」
「レオニダス・ティアナっていう名前でしたよ、確か」
「ちょっと、検索してみますね」
同級生の誰かが、直ぐに学校から貸与されている端末で、情報を確認すると......
「この人、本当に貴族なの?」
「どう見ても、熊じゃない?熊」
「いやあ〜。 英雄でもこの人は無いわ〜」
「私だったら、絶対イヤ」
双子の同級生は、皆貴族の子弟。
この中学校で、最も裕福な家のマイカ、レイカ双子のことを羨ましく思う出来事ばかりの日常なので、ワザと騒ぎ立ててみせて、いつも自慢気な2人への報復をしてきているのだ。
それに対してレイカが、
「あら〜。 お姉様、残念ですね〜。 勝手に婚約者が決まってしまい」
と、画面で表示されているレオニダスの顔をジーッと眺めてから、同情の眼差しを見せつつ、マイカを慰める。
レイカは、ナイトー伯爵家の次期当主になるのだから、今回の話の対象者では無い。
そのことから、候補は姉しか居ないと告げたのだ。
「私だって、嫌よ。 こんな熊みたいな方」
ある程度、自身が次期当主の候補では無いと気付いていたマイカは、悲痛な表情を見せながら、心の底からの嫌悪感を出した顔も自然としてみせる。
「熊みたいで、かわいらしいじゃない? お人形みたいで」
ここぞとばかりに、同級生で特に双子と仲の悪いベラゼル侯爵家の御令嬢ユイラが話に割り込んできて畳み掛ける。
「ユイラ様。 それはあんまりですわ〜」
「いつも無駄に着飾っているでしょ?お二方は。 それをこちらの熊のような方にも、やって差し上げればイイじゃない〜。 着せ替え人形みたいに出来るわよ、マ、イ、カ、さ、ま」
「それは、楽しそうですね、ユイラ様」
「ワハハハ〜〜」
ユイラは嬉しそうな表情で、取り巻きの同級生達と盛り上がる。
ベラゼル侯爵は、双子の同級生の中で最も格上の家柄。
お追従する仲間も沢山いるのだ。
「おい、クソアマ。 巫山戯んじゃねえぞ〜」
ついにキレたマイカが、いきなり掴みかかる。
慌てて、2人の喧嘩を止めようとするレイカやその他同級生達。
結局、癇癪を爆発させたマイカが相手に怪我をさせてしまう、最悪の事態となってしまうのだった......
学校側からの連絡を受け、仕事を一旦中断して駆け付けた母のミイカ。
その表情は、今までになく不機嫌であった。
ひとまず同様に駆け付けてきた侯爵家の奥方に平謝りをし続けたミイカは、学校の教師達からマイカを引き取ると、当面無期限の停学処分となったことを告げた。
「揶揄われたとは言っても、先に手をあげたら負けなのよ。 マイカは、本当に堪え性の無い子ね。 レイカと、どうしてこんなに違うのかしら......」
いくらなんでも、侯爵家に喧嘩を売ったら、伯爵家では太刀打ち出来ない。
誰かに仲裁して貰わないと、マイカだけではなく、レイカの将来にも悪影響を及ぼしてしまう。
そう考えたミイカは、ある人物の顔を思い浮かべていた。
腐れ縁の公爵、ヨート・サージェのことを。
今回の七公からの勅令も、彼であれば一定程度の力を行使出来る筈。
ヨートは政治嫌いだと言われているが、勅令が出る前に裏事情なんかも説明されているだろうと考えていたのだ。
そもそも、今回の婚約話を仕掛けてきたエウレア・シェラス公爵とミイカは面識が無い。
昨日の社交会の場で、初めて話をしたのだ。
これと言った政治的な伝が無いナイトー伯爵家である以上、母が個人的に親しい間柄であるサージェ公爵の実母との関係を頼って、相談に乗って貰うしかない。
「アイツを頼るのか〜。 相当譲歩させられそうね」
母ミイカの呟きに、流石に申し訳なさそうな表情を見せたマイカ。
かつて、アイルシアの顔を切り付けた時も、警護隊事務所迄迎えに来てくれた母に対し、そんな気持ちになったのにな......
いつもは傍若無人で、両親の言う事すら従うことは稀のマイカだが、やがて色々な悔しさから、嗚咽を漏らして泣いてしまうのだった。