第5話(年一回の大社交会の日)
アイルシア・グドール。
海洋大帝國の貴族であるナイトー伯爵家の一門に、一応連なる若き女性である彼女。
現在はちょうど、帝都ペンドラにある技能実習第五高等学校の卒業を控えている身であったが、将来のことだけではなく、今後の生活もままならぬ状況にあることから、やや途方に暮れる毎日を過ごしていたのだ。
「困ったわ。 良い仕事先も無いし、お金も無い。 しかも、高校を卒業したら伯爵家を出なければいけないし......」
無い無い尽くしのアイルシア。
アイルシアが現在暮らしているナイトー伯爵家の当主は、アイルシアの父親の後妻であるミイカ・ナイトー。
ナイトー伯爵家は典型的な女系家系で、歴代で男の当主は少なく、現当主のミイカも先代に倣い、夫を婿養子にして娶っていたのだ。
その夫は、ショーウ・ナイトー。
元の名は、ショーウ・ウミノという。
騎士という帝國貴族の末端階級の地位にあった、見た目が非常に良いだけで、他にこれと言った才能は無く、凡庸な男。
アイルシアの実父であるショーウは再婚後、程なくミイカとの間に双子の娘をもうける。
この双子はアイルシアの異母妹にあたるものの、ミイカは、
「貴方の連れ子を、生まれてきた子供達の姉として扱うことは出来ませんよ。 双子のマイカとレイカはれっきとした伯爵家の後継者。 しかし貴方の連れ子のアイルシアは、伯爵家と血縁関係が全く無いのですから」
とキツく今後の教育方針を告げる。
すると、大人しいショーウは
「それはわかっているさ。 そういう約束で君と結婚したのだから」
口数少なく肯定するのみ。
そして、双子がある程度物心がつく年齢に達すると、伯爵家中でアイルシアと双子の後継者との差別化がエスカレートしていった。
その端緒となる典型的な出来事は、アイルシアが幼少期に発生していた。
まだ5歳だったある日。
「マイカちゃん、レイカちゃん。 カワイイね〜」
4歳年上であるアイルシア。
屈託の無い笑顔でスヤスヤ寝ている双子に話し掛けると、突如ミイカのビンタが飛んで来た。
「なんで〜......なんで、たたかれるの〜」
大泣きしながら、幼子として継母に精一杯の抗議をするアイルシア。
ところがミイカは冷たい表情と声で、
「貴女とこの子達にはれっきとした身分差が有るの。 馴れ馴れしく名前で呼ぶことは一切許しません」
その強い言葉に衝撃を受けるアイルシア。
ワンワン泣きじゃくると、再びビンタが。
そこで、必死に声を抑えるアイルシア。
まだ5歳半ぐらいの時であったので、簡単に泣き止むことは出来ない。
それでも、声をあげて泣いていることで、再度ビンタされたことを幼心に理解したことから、なんとか声を止めようと、小さな手で口を押さえる。
「ヒクッ、ヒクッ......」
嗚咽しつつも、泣き声は徐々に小さくなる。
すると、ミイカは、
「今後は、マイカお嬢様、レイカお嬢様と呼びなさい」
とアイルシアにキツく指示。
双子付きの執事や侍女達にもその旨を告げると、伯爵家当主として忙しいことから、双子の世話は侍女達に任せっきりで、足早に部屋を出て行ってしまう。
顔を見合わせる侍女達。
5歳の子に対して、あまりにも酷い命令だと思ったものの、口答えすれば折檻の上、屋敷を追い出され、他家への再就職まで妨害されることは火を見るより明らかであった。
この出来事以後、アイルシアは必ず『お嬢様』という尊称を付けて、異母妹のことを呼びようになっていた。
それは、それまでの経験から幼心に双子の側で控えている侍女達の目を恐れ、
『絶対に言い間違えてはいけない。 馴れ馴れしく呼んだら告げ口される』
ということを理解していたからである。
この一部始終について実父ショーウは知っていたが、妻に抗議するようなことは一切無かったのだ。
伯爵家当主の夫という立場は居心地の良いポジションであり、仕事もせず優雅に生活して行ける極楽のような世界。
ナイトー伯爵家は貴族として相応の領地を所有しているだけでなく、事業の展開で大成功を収めた大富豪であり、貴族として贅沢の限り尽くしても何の問題もない、非常に裕福であったからだ。
伯爵という位は、貴族内では中位よりやや上というものに過ぎなかったが、ナイトー伯爵家は曾祖母以後3代に渡る優れた才幹によって事業の運営に成功したことで、最上位の爵位である公爵家に匹敵する実収入があり、そのことで貴族内でも尊重されている存在感のある家。
その当主の夫という座の有り難みを既に存分に味わっており、連れ子のアイルシアの不遇な扱いということぐらいで失う可能性を作ってしまうのは馬鹿げていると考えており、妻の不興を被りたくないが所以による、折檻の黙認であった。
これ以後も、継母にビンタされるようなことが時々あったものの、それを知っても我関せずという実父の姿勢によりショックを受けた幼きアイルシア。
やがて、それまで父親と隣接する部屋を充てがわれていたものが、双子が屋敷内を少しずつ動き回るようになると、アイルシアだけが住み込みの使用人達の暮らす簡易な作りのアパート棟へと移されることに。
そして、ミイカ、マイカ、レイカという母妹とその取り巻き達は、アイルシアに対して身分の差を明確にする目的で、より侮蔑的な態度を取るようになっていくのであった......
それから十数年あまりの月日が流れ......
成長した双子はいつも着飾って、貴族の御令嬢という雰囲気を常に振りまいており、周囲からもチヤホヤされて育ってきたマイカとレイカ。
その為、2人は我が儘な性格となってしまっており、伯爵家中の他者に対して尊大な言動が目に付くようになっていた。
それに対して、大人っぽい美少女へと成長したアイルシアは、辞めた使用人の置いていった、お下がりの薄汚い衣服を着用。
実父は妻の目を気にして、例の出来事でアイルシアと縁を切るような姿勢をとって以後、双子が産まれて子供服を買うような機会が増えていたにも関わらず、アイルシアに衣服を買ってプレゼントするようなことはしなかったからだ。
しかも、使用人として仕事をこなしているのに、他の使用人とは異なり、給与どころか小遣いも渡されていない。
タダで衣食住を提供し、学校にも通わせてあげているのだから、無償奉仕は当然だという継母の考えによるものであり、
それに対してアイルシアも、
『そんなものだろうな〜』
と、まだまだ世間の実態を知らない少女でしか無かったので、特段不満を感じてはいなかったのだ。
そんな日常。
ただ運が良かったのは、マイカとレイカの双子がアイルシアに対して、露骨な嫌がらせを自発的にするようになった10代前半の年齢に達した頃、4歳歳上のアイルシアは既に高校生となっており、住んでいる建物自体が離れていることもあって、屋敷内で行事が有る時ぐらいしか直接顔を合わせる機会が無くなっていたことだ。
伯爵家当主のミイカも、アイルシアが夫の連れ子であることは貴族社会に知れていることだったので、あまり酷い扱いをすると、
『ナイトー伯爵家は大富豪なのに、随分ケチね〜』
といった地位を貶める様な噂が流され、貴族社会での評判が下がることを気にしており、世間体を考えて高校までは卒業させておこうと考えたことは、18歳という成人年齢に達するまでの彼女の人生における唯一の幸運であったと言えよう。
「あら、これはこれはアイルシアお姉様。 随分久しぶり〜。 私達と会いたくないからって、いつも避けていらっしゃる様ですね、お姉様は」
先日のアイルシアに対する折檻の暴走で、実母の不興を買ったものの、それぐらいで反省をするような性格では無い。
嫌味を込めた言い方で話し掛けてくるマイカ。
「マイカお姉様。 アイルシアにお姉様なんていう尊称を付ける必要など無くってよ」
レイカも、すかさずチャチャを入れてくる。
この日のアイルシアは、通っている高校から使用人の住む自宅棟へと帰宅する際、伯爵家の通用門から敷地内に入ったのだが、ショートカットすべく立派な御屋敷の側を通り掛かった時、偶然上流階級の大きなパーティーに出席すべく外出しようと、従者や侍女を引き連れて御屋敷の玄関先に出て来た双子と出くわしてしまっていたのだ。
内心、
『マズった。 私ってタイミング悪過ぎ』
と思ったアイルシア。
しかし、出くわした以上、無視して去る訳にもいかない。
「マイカお嬢様、レイカお嬢様。 お二方はいつもお美し過ぎて、私のような下賤の身の者が話し掛けるのは憚れます。 ですから、久しく会話しなかったことをお赦しください」
アイルシアは低身平頭して、へりくだった様子を見せた返事をする。
「酷い言い訳だけど、まあ、いいわ。 ところでその薄汚い制服がアイルシアの通う高校のものなの?」
「はい、その通りですが......」
流石に制服姿を咎められるとは、思ってもみなかったアイルシア。
少し困惑した表情を見せてしまう。
その様子を見て、にやりとしたマイカ。
「学校に通う時にオシャレも出来ないなんて、世も末ね〜。 私達の通う中学校は、みんなが毎日衣服をコーディネートして、誰が最もお洒落なのか競い合っているのよ。 あ〜ら〜、ゴメンね〜。 アイルシアの通っている学校は貴族に仕える身分の低い者達の関係者が通う、貧乏人用の学校だったわね〜。 だから衣服にお金をかけずに済む制服なのよね〜。 身分が違うことを忘れていたわ〜」
マイカは、相変わらず嫌味のオンパレード。
特に、アイルシアに対しては、そうした姿勢をずっと取り続けていたのだ。
それはアイルシアが、マイカ自身より美しい女性へと成長していることに対する妬みからであった。
それに加えて、負い目を持つ出来事が子供の時に有ったことも影響しているのだった。
「学校でお洒落を競うことは、将来、上流社会で華やかに生きて行く為の訓練っていうことなの。 まあ、アイルシアには無縁の世界の話だから」
レイカも、双子の姉のアシストをするような言葉を続ける。
しかしレイカは、アイルシアの表情からマイカの嫌味な言葉の連続口撃が、あまり効果の無いことに気付いたので、それ以上無駄口を叩くのは止めることにした。
「話はそれだけでしょうか? マイカお嬢様」
アイルシアは嫌味を完全に無視して、大人な対応を取る。
すると、それが癇に障ったのか、マイカの口撃がエスカレート。
「アイルシア。 私がわざわざ話し掛けてあげたのに、そのような態度を取るなんて、ほんと生意気。 教養もマナーも知らない、下賤の身らしい言い草で、頭に来る」
そして持ち前の癇癪を引き起こし、持っていた小さなバックを投げつけてしまう。
「痛〜」
投げつけられたバックがアイルシアの腹部に直撃し、思わず痛みで声を漏らす。
その様子を見て、マイカに仕える侍女達が少し怯えた表情を浮かべながらも、パーティーで必要なモノが入っていることから、慌ててバックと散乱した中身を拾い上げ始める。
それに対して、怒りが収まらないマイカは侍女達の元に近寄ると、いきなりビンタ。
更に、
「アンタ達、余計なことするんじゃね〜よ」
とお嬢様らしからぬ口調で叱責すると、足蹴を加え始めてしまう。
その様子を呆れた表情で見詰める双子の妹のレイカ。
そう。
14歳になった双子の間にも、既に伯爵家の跡継ぎとなるべき戦いが始まっており、癇癪持ちのマイカはとっくに落第寸前という評価が付いていて、先日の出来事が有って以後、殆ど後継者はレイカで決まりという状況にあったのだ。
侍女を人とも思わぬマイカの行為を見て、正義感の強いアイルシアの心に火が点ってしまう。
直ぐに、侍女達とマイカの間へと割り込み、
「侍女達は奴隷ではありません。 奴隷だからといって折檻を加えて良い訳では無いですが、このような愚行はお止め下さい、マイカお嬢様」
と、キツく戒めてしまったのだ。
それに対してキレたマイカは、
「アンタと半分血が繋がっているということだけで、体中に虫酸が走るんだよ」
と叫びながら、より力を込めてアイルシアにビンタを連続で喰らわす。
すると、ビンタを受けて赤くなり始めたアイルシアの左頬の下部には、切創の傷跡が目立つ様になり、それがマイカの目にも入る。
それを見て、ようやくマイカの暴走は止まった。
この切創が出来た経緯こそが、アイルシアに対して、よりマイカを卑屈に感じさせる出来事によるものであったからだ。
約2年前。
中学生になったばかりのマイカは、小言ばかりの母や、如才ない妹の存在など、気に入らないことばかりでムシャクシャしていたところ、見下していた存在であった筈なのに、美しさが際立ってきた異母姉のアイルシアへも大きな苛立ちを募らせ、ある時、突如帝都中心部で襲い掛かってしまい、ナイフで切りつけるという事件を起こしていたのだ。
これが、マイカが抱き続ける負い目。
本来ならば、いくら貴族の御令嬢とは言っても、帝都の中心部で他人をナイフで切りつけたら立派な傷害事件であり、何らかの罰を受けることは免れられない。
しかも、女性の顔に一生残る大きな傷跡を付けてしまったのだから......
ところがアイルシアは、戸籍上正式な姉妹にはなっていないにも関わらず、貴族の犯罪を取り締まる宮中警護隊に対し、
「姉妹喧嘩ですから、おおごとにしないで下さい」
と言い、親族間における刑罰不適用規定を申し出て、事件にはなっていなかったのだ。
「アイルシア。 それにマイカお姉様も、それぐらいにしておいて下さい。 私達はこれから大事なパーティーに出席しなければならないのですから」
途中から冷静に2人の爭いを見ていたレイカが、急に仲裁へと割り込んで来た。
それは、伯爵家当主である母のミイカが近付いて来たのが見えたからだ。
「ちっ。 卒のない妹め〜」
マイカは憎々しく小声で呟くと、ミイカが、
「貴方達、何をしているの? 今日は非常に大事なパーティーだから、お淑やかにしていなさいと、あれ程口酸っぱく言っておいたのに」
と、地面に散乱しているマイカのバッグの中身や、マイカ付きの侍女達が泣いている姿を見て、事態を直ぐに把握する。
「アイルシア、貴女の存在が諸悪の根源よ。 いつも言っているでしょ? 特にマイカには近づかないようにと」
双子には滅茶苦茶甘いミイカが、責任転嫁をする言い方をしてきたことに、抗議したい気持ちが沸々と沸き起こったが、グッと堪えて、
「申し訳ありませんでした。 ご当主様」
と謝罪したアイルシア。
「貴方達も、ぼーっとしてないで。 時間が無いから直ぐ出発するわよ」
その場で立ち尽くしていた他の従者や侍女達にテキパキと指示するミイカ。
そして近頃アイルシアの存在を完全無視しているミイカは、玄関先にやって来た3台の大型車両に乗り込むと、パーティー会場へと出発していくのだった。
「本当につまらない家よね、ここって」
居残りの執事や侍女達と一緒に、一行の出発を丁寧に見送った後、小声でそんなことを呟きながら、自室のある建物へと向かうアイルシア。
既に18歳となり、間もなく迎える高校卒業後は伯爵家と完全に縁を切ることが決まっていたので、独り言ではあるが、ようやく辛口な批判も出来るようになっていたのだ。
アイルシアが小中高と通って来た学校は、貴族に仕える平民達の師弟が通う学校。
アイルシアは長ずるにつれて、その美女ぶりが学校内だけでは無く、外部でも話題になるほどの容姿となっており、そのような学校であることから、帝都に住む貴族の間でもアイルシアは、
『美貌の侍女』
として知られる存在ともなっていたのだ。
伯爵家との関わりは高校卒業時に解消されることが決まっていて、しかも平民出身で顔に傷跡があるキズモノの女性。
どんなにめちゃくちゃに扱っても、問題が起きにくい存在ということで、特にキワモノ好みの貴族間で価値が高まっていたのだ。
使用人としてのスキルも、幼い頃から伯爵家で生活する上で身に付けており、更に中学・高校ではそうしたスキルを学んでいる。
だから、彼女を妾にしたい、性奴隷的な存在にして、手元に置きたいと、狙っている貴族の男達が大勢居るという状況にあった。
もちろん、アイルシアもそのことを知っており、今後仕える家は、余程厳選しないと、意にそぐわない結果になると考えていた。
「アイルシアちゃん、お帰り〜」
同じ建物に住む、伯爵家のベテラン使用人達から次々と挨拶される。
幼い頃からの伯爵家での扱いを皆が知っている訳で、しかも6歳頃から、この建物に移されて一緒に暮らしているのだから、長く仕える住み込みの使用人達にアイルシアへの情が湧かない筈が無い。
アイルシアはそうした境遇にもめけず、なるべく明るく振る舞って生きて来たので、伯爵家の使用人の間では、一番の人気者となっていた。
「仕える家は決まったの?」
「まだです。 なかなか難しいんですよ」
「そうよね〜。 アイルシアちゃんを狙っているエロ貴族が沢山居るらしいから」
長年仕えるおばちゃん達と他愛もない会話をするアイルシア。
「どうせなら、若くてイケメンの貴族のところが良いんじゃない? エロでオッサン貴族だったら、最悪でしょ?」
「そんな都合の良い就職先、なかなか無いですよ。 若い貴族様だと、飽きられて捨てられる確率も高いですし」
「そうよそうよ。 綺麗な子が妾になっても、最後には正妻がシャシャリ出て来て、虐められ追放っていうのが、この世界の定番のオチなのだから〜」
「そうよね〜。 しかも運悪く、貴族の子供を孕んだまま追放されて路頭に迷ったら、最悪〜」
「貴族の世界では、そんなの日常茶飯事ですから。 でももう卒業まで時間が無いので、早く決めないといけないのですが......」
流石にスれているアイルシア。
自身が今後、何処の貴族の使用人として働くことになっても、いずれ妾にされてしまうのは致し方ないと諦めていた。
長年、貴族社会に仕え、自身も異母妹や継母から疎んじられているだけではなく、貴族内の醜聞をイヤという程聞いて生きて来たのだから、当然の覚悟であったのだ。
「ところで伯爵様達は、どのようなパーティーに向かったのですか? いつもと比べて随分早い出発ですし、しかも物々しく感じたので」
アイルシアが、一緒に談笑していた使用人達に質問する。
「今日は年一回しか開催されない、七候が出席される特別なパーティーの日よ。 アイルシアちゃんも聞いたことがあるでしょ? 皇帝陛下が在位していた頃を忘れない為、太祖大皇帝様の帝國建国の功績を祝賀する、年一回のパーティーのことを」
「はい。 旧皇宮で開かれるあの有名なパーティーが今日でしたか〜」
「それに今回は、双子のお嬢様が正式に貴族社会の社交界へとデビューされる日でも有るのよ。 デビューするっていう意味は、多くの有力貴族から品定めされるってことだけど」
「品定めって、何だかイヤらしい響きですね」
「でも、この世界でのデビューの実態はそうなのよ。 双子のお嬢様のうち、伯爵家の跡継ぎになれるのは一人だけ。 もう一人は出来るだけ、格上で実力ある裕福な貴族に見初められて欲しいと、伯爵様も思っていらっしゃる筈だわ」
「お嬢様達、見掛けは美しいから、今回のパーティー後に、きっと良い縁談が持ち掛けられる筈よ」
「見掛けだけは美しいって、ちょっと嫌な言い方ですね。 中身は・・・っていう風に聞こえます」
アイルシアが思わずツッコむと、笑いが起きる。
「性格は......だからね〜。 特にマイカお嬢様は」
「跡継ぎは、レイカお嬢様でほぼ決まりだもの。 しかし双子なのに、随分性格で差が付いちゃったものね〜」
「それは、幼少期から付けられている執事と侍女による教育の差が原因よ。 伯爵様はカンパニーの事業の経営でお忙しいから、母親としての役割を余り果たせないまま、成長しちゃったじゃない? その影響ってこと」
使用人達は、このような噂話が大好きだ。
それが、貴族という閉鎖的な上流階級の世界というもの。
仕える者達は、無理難題を毎日のように命令され、それを唯々諾々とこなしていかねばならない。
そんな世界故に、噂話はストレス発散の手段の一つであった。
「今日は非常に重要なパーティーだったのに、玄関先で会いたくも無い私と偶然出くわしちゃったから、マイカお嬢様にはちょっと悪いことしちゃったかな〜」
アイルシアは、先程のマイカの神経質な様子を思い出し、そんなことを呟くと、
「アイルシアちゃん、そんなことはありませんよ。 侍女達への折檻を体を張って止めてくれたのですから」
「はっや〜。 もう、ここにまで噂が流れているのですか?」
余りにも速い伝播能力に、今更驚くアイルシア。
「この世界は噂が全てよ。 噂を制する者は、貴族社会の覇者になれるの」
「情報収集能力の高さが、生き抜くのに必要ってことですね。 ご忠告有難く承りました」
アイルシアが大袈裟に感謝の言葉を述べる。
「ところで今日は、珍しく旦那様もパーティーに出席するみたいですね。 いつもはグウタラぶりを見せたく無いからと、奥様は連れて行かないのに」
後から使用人達の食堂に入って来た住み込みの侍女が、思わずその場に居る人達に尋ねると、ベテランの使用人が、
「アンタもまだまだ若いわね〜。 今日はお嬢様方の御披露の場。 当然ご両親の人柄なんかも貴族様方は気にされる訳ですよ。 いつもはだらしない旦那様ですが、こういう時は野心の無い平凡さが、逆に相手の警戒心を解くということなのです」
「なるほど〜。 才能が有り過ぎたり、問題有る人や野心家は困るということですね」
流石ベテランのおばちゃん達使用人。
長年の経験から得た知識を披露してみせる。
すると、アイルシアが、
「一応、私の実父なのですけど......」
とあえて、一言苦言を申し立ててみる。
再び笑いが起こる食堂内。
先程答えたベテランの使用人が慌てた様子を見せたからだ。
「そんなに思い入れのある父では無いので。 凡庸でだらしないのは娘の私から見ても相違ありません」
笑顔を見せながら、答えるアイルシア。
残念ながら、あまりフォロー出来るような実父では無いのであった。
そんな会話が続く使用人達の世界。
この日は、伯爵家の主要な4人全員が外出したとあって、いつも以上に噂話で盛り上がるのであった。
一方、噂話のツマミにされていたショーウ・ナイトーは、妻にある事を確認していた。
「アイルシアの今後の件だけど、色々な話が持ち掛けられているのだろ?」
「ええ、その通りよ。 その大半は当家に対して、侍女として売ってくれっていう話ね」
ミイカはそう答えると、夫にその一部の申し入れ書類を見せる。
その金額を見て、驚くショーウ。
あまりにも高額だったからだ。
「良い話じゃないか? これほどの金額だったら、十分だろ」
一気に乗り気になったショーウ。
アイルシアはミイカとの血縁が無い、ショーウの実子なので、譲渡金の半分程度は自身の懐に入れられると、皮算用を始めたのだ。
珍しいグイグイくる乗り気の夫に対して、
『予想通りの反応』
と内心考え、冷ややかな視線を送るミイカ。
「当家が金銭に窮していたら当然受けるわよ。 でも、うちは富豪貴族として知られている存在で、お金に全く困っていないわ。 逆にこの程度の金額で伯爵家の一門に近い女性を売り飛ばしたって噂されたら、評判が大きく落ちるかもしれないの......血縁関係も無いし、養女でも無いから、本来無関係だけど、そういう噂では一門扱いになってしまうものなのよ」
「評判か〜」
「双子の今後に大きく影響するの、貴族内の評判っていうのは。 それに......」
そこまで答えると、黙ったミイカ。
「他にも、大きな問題があるってことなのかな?」
妻の様子に、ようやく事態の複雑さを感じたショーウ。
「貴族間の人身売買を嫌っている方が、七公には多いのよ。 しかも、当代随一の知恵者が特にね」
「......」
「貴方も伯爵家の端くれなのだから、名前ぐらいは知っているでしょ? 朱雀公アルダート・ホンジョー公爵を」
「世間では、賢公って呼ばれている方だよね?」
「今日のパーティーにも出席予定よ......」
平凡な夫の為に、分かりやすく説明したミイカ。
「貴族が法律を破ることも嫌がられる方だわ。 伯爵家の養女にすらしなかった貴方の連れ子、アイルシア・グドールを私の強引な一存で無理矢理他家に売ったことが朱雀公に知られたら、以後冷遇されるのは確実。 それに貴方がお金を持ったら、浮気するでしょ? 恐らくね〜」
その呟きを聞き、金額に目が眩み、娘を売って一儲けを企むショーウの考えも急速に萎むのであった。
12人の有力者で国の舵取りがなされている海洋大帝國。
元々は、専制君主制の帝國であったのだが、既に皇祖直系の帝室は途絶えており、それを契機に傍系の帝族は皇籍を離脱して臣下である貴族へと籍を改め、帝室自体が存在しなくなっている。
ここ100年以上は、貴族の中でも最高実力者である七家の公爵、即ち『七公』と、帝國内に存在する5つの小国を治める五人の公『五公』の、合計12名で国の全てが決定される合議制が取られているのだ。
アイルシアは、金銭に目が眩んだ実父により、意にそぐわない貴族へと売られてしまう危機に実は陥っていたのだが、七公の中の一人、アルダート・ホンジョー公爵等の存在のお蔭で、その危機を脱していたのだが、そのことを知る由もないのであった。