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 嫌い嫌い嫌い。何より、気持ち悪い自分が嫌い。どうして私は人と違うのだろうか。どうして、なんで。傷つき、嘆いた。だけれど、世界を呪うほどの気力は持たなかった。だから、ただただ壊されることを願った。

 世界でもいい。私でもいい。誰かに形が無くなるまで痛めつけて欲しかった。

 だって私は。



ーーーバケモノだから











 自分の異常性に気がついたのは、全てが手遅れになった後だった。


 幼い頃は、聡い子ね、で済んだ。

 私は感じたことを明確に言語化できるほどの語彙力を持っていなかったし、理解しきれていなかった。

 だけれど、歳を重ねるにつれて、上手く表現できるようになる。なってしまった。




ーーーどうして怒っているの?



笑っているママの顔が凍った。



ーーーママの話つまらないの?



楽しげに相槌を打っていたパパは顔を青くした。




 そんなことばかりだった。私は二人が本心と違う態度でいることに違和感を覚え、二人は私を腫れ物のように扱う。

 だけれど、ギクシャクしながらも私たちは家族を続けていた。最近、ママとパパが喧嘩ばかりしていることは気づかなかったことにして。


 私の所為だとわかっていた。私をバケモノだと嫌悪する声が、毎日聞こえてくる。だけど、認めたくなかった。それを認めたら、危うい均衡で成り立っているこの関係が壊れてしまう予感がした。認めなくたって、壊れてしまったけれど。

 私がどうしようがそれはきっと現実になってしまう運命だった。











 夜、喉の渇きを覚えて台所に向かった。台所にはパパとママがいた。喧嘩しているわけではないようだった。灯が絞られたその場所で二人は寄り添っていた。


「私、あの子にどう接していいかわからないの」


ママ泣きながらパパに言う。パパは優しく背中を撫でながら、慰めるように口を開く。


「君だけじゃないよ。僕もだ。だから、二人で一緒に考えていこう」


反吐が出る。

 二人とも心の中で、どうして自分の子供があんなバケモノなんだ、そう思っている。わからないとでも思っているのだろうか。


 この家は嘘ばっかりだ。腹の底がグラグラと煮えているのがわかった。


「どうして私は」



ーーーあんなバケモノを産んでしまったの



その言葉は紡がれることはなかった。私が台所に飛び込んだからだ。

 我慢ならなかった。だって、それは私のセリフだ。


「ふざけるな!どうして、そんなこと。…私だって産んで欲しくなんてなかった!」


慌ててパパが私の方へ近づいて手を伸ばす。それを払いのける。


「触らないで!アンタだって、気味が悪いバケモノだと思っている癖に。よくそんな真面目な顔できるわね」


パパの手が止まった。


 パパもママも怯えたように私を見ている。私は二人を睨みつけた。

 煮えたぎった腹の底から黒い何かが這い出てくる。


「気持ち悪い。アンタたち気持ち悪いのよ!私が怖いくせに笑って話しかけて。私が騙されるとでも思った?…お生憎さま私は全部知ってたわ。そんな仮面無意味だったわね。お疲れさま」


鼻で笑ってやる。

 全てが馬鹿馬鹿しい。泣き出しそうな二人も。割り切れず心が痛む私も。全部壊してやる。そうすれば生まれてからずっとなくならない苛立ちも少しはマシになるはずだ。


 知らずのうちに噛み締めていた唇から血が滲んでいた。口の中に血の味が広がる。


 体の奥底でマグマのようなドロリとしたものがグツグツと音を立てていた。だけれど、指先は凍えたように冷たい。

 また矛盾だ。もううんざりだった。

 何もかも見ないフリをしてもそこにある事実は変わらないのだ。両親が私の存在の消失を願ったことも。私が二人が両親であるという事実を切り捨てたことも。


 それを直視して傷つかなければ良かった。そうであるならば、私の歪みは今以上だろうが、幸せに生きられた。重石をつけられて海に沈んでいくような苦しさも、鎖で雁字搦めにされて動けない不自由さも、感じることはなかったのだから。


「そんなこと言わないで!私達はあなたを愛しているわ」


呆然としていた母がハッとして言う。その言葉は震えて、全然説得力なんてなかった。


「愛、ね。…もし、それが本当なら」



ーーーどうして



言葉が出ない。自分でも何を言いたかったのか、問いたかったのか、わからない。ただ、許せなかった。


 私の目には彼らが目に見えないもので私を惑わせようとする悪魔に映った。この苦しい箱庭から私が出ないようにするための楔を打とうとしている、と。

 馬鹿げた考えだと思う。私の方がよっぽど悪魔のようなのに。だけれど、あの時私は。確かにあの二人を恐れた。母親が、愛、という言葉を口にした時、手の冷たさが体の芯まで伝わったかのように寒くなった。


 何もいえなくなった私は踵を返して部屋まで走った。両親は追ってこなかった。

 布団にくるまって、自分は平気だ、と言い聞かせる。体が震えている気がするのだって気のせいだ。痛いのも辛いのも寒いのだって嘘っぱちだ。だから、大丈夫。私は大丈夫なんだ。

 次の朝、浅い眠りから目を覚ますと、両親以外の気配があることに気がついた。お祖父様だった。

 お祖父様は部屋にやってきて、私がここを出てお祖父様と暮らすことになった、と言った。何の感慨も湧かなかった。家を出ることも全てをぶち壊したのだから当然だと思った。

 私を連れ帰ったお祖父様は何も言わなかった。ただ私を一瞥しただけで、後は使用人たちに全てを任せ、自室へ戻っていった。

 この時、ようやく、私は独りぼっちになったのだ、と本当の意味で理解したのだった。




 そこからは、部屋に引きこもる日々が始まった。どうしても、外に出たくなかった。出られるほどの気力を私は持ち合わせていなかった。


 布団にくるまってみても、頭がグルグルと異常に回転していて、オーバーヒートしたように熱を持っている。外界からの騒めきが前以上に私を刺激していた。こんな状態で休めるはずなどない。

 食事は喉を通らず、眠ることすらできない。私は心身ともに疲れ切っていた。何もやる気が起きなかったし、できる体力も亡くなっていた。けれど、我慢ならない出来事があれば、そんなもの忘れてしまうのだと知った。




 時間の感覚すらなくひたすら微睡んでいる時に、それは起きた。その気配を感じた時、私はバネのように飛び起きた。

 それは、両親の気配だった。今更何をしに来たのか。一瞬で頭に血が上った。


 何を言ったか、何を言われたか、もう覚えていない。多分聞くに堪えない罵詈雑言だったのだろう。珍しく表情を変えたお祖父様が私を止めに入った。そんなもので治まる激情ではなかったけれど、連行されて部屋に放り込まれれば、ある程度熱も冷める。腹立たしいことに変わりはないけれど。

 そうして、両親の顔を思い出す。憎しみがこもっていて、それでいて、怯えた表情だった。

 年端も行かぬ子供に言い返されて怯えるなんて、親としてどうかと思うが、それほどひどい言葉を投げたのかもしれない。

 後悔はしていない。あんなものもう親じゃない。そんなことを言い聞かせるように何度も繰り返す。

 あの頃の私は、そうすることでしか自分の正当性を認めることができなかった。自分の主張が正当でなければ心が壊れてしまっただろう。誰かのせいにするのは人の性なのだ。私は人間ではないけれど。

 今だって、私は悪くないと思っている。それを聞いたリッカは酷く嫌そうな顔をしていたけれど。


 それからは空虚だった。何もかもをなくして、可笑しくて、空っぽな自分だけが残った。

 自分はみんなと同じニンゲンなのに、どうしてこんなにも違うのだろう。よくわからない感情に苛まれながらそんなことを思う。

 もしかしたら、その感情は悲しみだったのかもしれない。今となってはもうどうでもいい話だけれど。











 部屋に引きこもっている日々を続けていたある日。お祖父様が私を外へ連れ出した。

 無気力な私は着いていきたくなかったけれど、そうはいかない。この家でお祖父様の言うことは絶対だ。

 鏡で見た自分の顔は酷い有様で、死人のようだった。こんな様相の私を人の前に連れているなんて気が触れているとしか思えない。家の品位がうんぬん言われないのだろうか。どうでもいいことを考えながら、私は無理矢理引っ張り出されたのだった。


 最低限の身支度をメイド達にさせられ、私はその場にいた。そこは敷居の高い料亭だった。大人達の前で、人形のように座らされている。大人達の醜い欲望が聞こえてきて、顔を顰めそうになるのを私は我慢していた。

 そこでアイツに出会った。私が嫌いで嫌いでたまらないアイツに。




 リッカと出会ったのは庭だった。大人達の中から無理矢理抜け出したそこにアイツもいた。


 そこは、何の音もしなかった。生き物の気配すらない。だから、人間がいるなんて思わなかった。けれど、視界には人が映っている。そんなことは初めてで戸惑う。

 声をかけるつもりはなかった。近寄りたくなくて、私は踵を返したのだけれど、そうはいかなかった。


「死ビトのようですね」


自覚のあった私は足を止めるほかなかった。


「初対面なのに酷い言いようね」


そう言いながら振り返ると、アイツも同じように死んだ顔をしていた。

 そんな様のアイツを見ても、何の感慨も浮かばなかったけれど、ただ、とても整った容貌をしていることが深く印象に残っている。


 らしくなく、美しい生き物だ、と思った。


「あなたも人のこと言えないじゃない」


「僕のこれは元々です」


元々、の意味が分からず、眉を寄せた。

 心の声が何も聞こえない。それが心地よく感じる自分が怖い。

 この生き物は一体なんだろう。


「それに僕は人ではないので同じとは言えない」


確かに人形と言われても納得できるほど整った顔をしている。心の声も聞こえないし、本当に人間ではないのかもしれない。

 だけれど、話し、動いているのだから、生き物に違いはなかった。


「いいえ。やっぱり同じよ。人間かどうかなんて瑣末なことだもの」


嘘だった。自分は人間であることに固執していた。

 この時まで、自覚はなかったけれど、人間であるということを否定しないために、周りを否定していた。

 自分がバケモノであることを見て見ぬふりしていたかった。


「心にも無いことを言いますね。…あぁ、あなたも同じなんですね」


淡々と感情を見せない姿に心がざわついた。なんでだろう。見透かす様なその瞳に吸い込まれる。その目は全てをみているのに、何も写していなかった。


 瞳に広がるブルートルマリンがただただ美しい。その美しさが何故だか哀しかった。


「…生きづらいでしょう。ヒトの身であることは。諦められれば楽なのに」


まるで独り言の様にポツリと呟く。感情が乗っていない声なのに、その姿は途方にくれた迷子の様に見えた。


 らしくない。らしくはないのだけれど、私は目の前のこの美しいヒトを抱きしめた。いてもたってもいられなかった。

 哀しい、寂しい、心が泣く。これは、私の心だろうか。それとも、この生き物の心だろうか。


「諦められたら。…そうしたら。あなたも私も笑えるの?」


ハッ、と鼻で嗤う様な声がする。

 馬鹿馬鹿しいとリッカは思っているように見えた。

 だけれど。

 それでも。それでも、アイツが私を抱きしめかえすから。


「馬鹿馬鹿しいですね。…ですが少なくとも息苦しくはないのでしょうね、きっと」


その声が、震えている様な気がして。私は、抱きしめる腕に力を入れて、肩口に顔を埋めた。


 人ではないといいながら、人であることを諦められないこの生き物の矛盾が、どうしてか、愛おしかった。




 あの生き物との邂逅から、少し心が落ち着いたように思う。神経が過敏になって遠くの音を拾ってしまっていたのも今はそこまでひどくない。

 あの生き物とはあれから会っていない。名前さえも知らない。だけれど、あの生き物が生きていると思うだけで、救われた。自分と同じモノがいるというだけで、こんなにも安心するだなんて思わなかった。



ーーーあの生き物もそう思ってくれていたらいい



 そんなことを思う。

 私が救われたように、あの生き物も少しでも何か良いものを感じてくれていたら。それは、とても美しいことのように思えた。




 もう、会うことはないと思っていた。きっとあの類の生き物は世間から隠されているだろうから。

 私だって似たようなものだ。外に出ることを禁止こそされていないが、嫌がられることはわかっている。だから、引きこもっていたって何も言われないのだ。


 だから、それは予想外のことだった。何故か私に招待状が届いた。知らない名前のそれは、どうやら断れないものらしい。お爺様は表情を変えることなく、行きなさい、と言った。

 それに従う謂れはなかったのだけれど、なんとなく、そうなんとなく、だ。私自身もいかなければいけないような気がした。

 その予感が当たっていたのか、そうではなかったのか。私にはいまだに判断がつかない。


 招待状に従って訪ねてみれば、そこには大きな日本家屋があった。硬い雰囲気のその家はピンッと張り詰めていて、息が詰まる。こんなところに入りたくは無かったのだけれど、招待状を受けた手前入らないわけにもいかない。私はそっと敷地に足を踏み入れた。

 美しく整えられた庭を通り過ぎて、玄関に向かう。私はらしくなく緊張していて、景色なんてろくすっぽ覚えてはいない。けれど、真っ白な頭でも美しいことだけは覚えていた。

 無意識下でも美しいと思うほどのモノを目にしても、あの生き物より美しいとは思わなかった。時間がどれだけ経っても、どんな美しいモノを見ても、リッカ以上に綺麗なモノは存在しない。きっとそれはこの先も変わらないのだろう。

 玄関では、御当主様が出迎えてくれた。静かな湖のような冷たい表情の彼女は、私がどういうモノか知っているのに、恐れていないようだった。

 こんな小娘に割く感情はない、とでもいうように無表情で無感情で、ただその奥の方にほんのりとアイツに対する心配を感じた。そこで、ここがあの時に出会った美しい生き物の家なのだと知った。

 良かった、とホッとした。あの美しい生き物が害されていないのならば、それは喜ばしいことだ。少なくとも、すぐに心を壊れることはない。


 あの生き物が傷つき、いなくなってしまうと私はーーー。


 らしくない考えだ。他人のことで、心を揺らすなんて。しかも、それが好意に類する感情だなんて、思いもしなかった。

 ふわふわとした心を抱えながら、御当主様についていく。外観通り、屋敷の中も厳しかった。そして、無駄に広い。中にいる人も多く、皆不審げな顔をしてこちらを見ている。ここには奥の部屋に向かう人間はいないのだろう。奥にあるのはあの生き物の部屋だけだ。

 部屋は全く光が入らないようになっていた。襖が真っ黒で嫌な気分になる。顔を顰めて御当主様の背中を睨んだ。心配していたって、結局こんな扱いをするのだ。柔らかかった心が一気に冷たくなった。

 舌打ちしたい気持ちになりながら、中に声をかける。すると、襖がスッと音もなく開いた。

 部屋の中にもほとんど光源がなかった。あるのは、ランプ一つで、それもギリギリまで明かりが絞られている。その中に私は足を踏み入れた。


 座布団を渡されて、その場に座す。地面には本が山のように積まれており、私のために無理やり場所を作ったのが見てとれた。


「リッカです」


名乗ると言うにはぞんざいで、唐突だった。私は答えなかった。相手は私の素性を知っていることはわかっていた。


「呼んだ理由は特にありません。ただ、もう一度会ってみたかった。それだけです」


今思えば、リッカらしくない行動だった。誰かに何かを求めるなんて、コイツは出来ない。だから、あの時のリッカはそれほど同類()を求めていた。


 この世に存在しているなんて微塵も思わなかったそれが、目の前にあるのなら、どうしても手に入れたくなる。かくいう私も同じだ。

 だからこそ口惜しい。せっかく望んでくれたのに、私はあの暗い場所から引き上げられなかった。一緒に堕ちることしか出来なかった。


「そう。…私も。私もあなたに会いたかった。会えなくても良かったけど、でも願わない日はなかった」


「そう、ですか」


リッカは途方に暮れたような声で返事をする。そんな風にこちらが感じていると思わなかったらしい。

 暗い部屋では表情は伺えなかったけれど、困惑していることがありありと伝わってきた。


 なるほど、と思う。この生き物は、絶対に手に入らないと思ったから手を伸ばしたのだ。逆にいうと、そうでなければ、何かを求めることができない。

 それはバケモノの性だった。私がリッカに会うことがないと思っていたのもそうだ。一般的に享受できるモノが手元にあるのが怖いのだ。

 もし、壊してしまったら、どうすればいいかわからない。傷つけずに交わる方法など私たちは知らない。今まで、壊したことしかない私たちは、怯えて生きることしか出来なかった。

 だから、私たちは会話というものに慣れていない。何を話していいかも分からず、ぽつりぽつりと溢すように言葉を落とす。


「趣味の悪い部屋ね」


会話としては不適切だろう。けれど、こんな部屋に閉じ込めるようにリッカを過ごさせているなんて、腹立たしくて、それ以外言葉を見つけられなかった。

 多分、この時私は怒りを共有したかった。他人と感情の共有をするという発想があの時の私にはなかったけれど、私の憤りをわかってほしかったのだ。

 別に、悪態をつきたいわけではない。けれど、苦しみを飲み込んでほしくなかった。吐き出して共感したかった。


「僕の趣味ですよ」



ーーー明るいところは僕に似合わない



腹立たしかった。

 私は、自分が好きなものを蔑める人間が嫌いだ。他の人はそうなくても、私にとっては大事なものだ。だからこその激情。

 どうして、こんなに美しいヒトが、自分を否定しなければいけないのだ。そんなの許せない。だって、自分が自分を大切にしなくて、誰が大切にしてくれるのだ。私だって自分が嫌いで人のこと言えないけれど、それでもダメだ。リッカは自分が好きで、自分を大切にして生きないとダメなのだ。


「そんなわけ…ないじゃない」


わなわなと震える手を隠すように握りしめる。リッカはその姿を視界に映さずに、独り言のように呟いた。


「親殺しは重罪でしょう」


親殺し…そんなの、私だって変わらない。全てを切り捨て、言葉でぐちゃぐちゃになるまで痛めつけた。

 だけれど、それは私が悪いわけじゃない。あの人たちが悪い。私は、そう考えることしかしなかった。

 だから、絶対リッカの所為なわけがない。そもそもリッカは、他人を害すほどの力はない。手足は細くて今にも折れてしまいそうだし、身長だって低い。体が小さすぎて、年より幼く見えるくらいで、今にも消えてしまいそうなのだ。


「馬鹿なの?…親を殺した?小さな子供が?そんなの…そんなの!あなたが背負うものじゃ無い」


吐き捨てるように言う。私がコイツを殺してしまいたかった。今、ここで。そうすれば、リッカはもう、嫌なことを考えない。苦しまない。


「…人って案外簡単に死ぬんですよ。母と揉み合って、刃が突き刺さって。そして、傷口から溢れる血が体の熱を奪っていく。それを見た父はね。いつもと変わらぬ無表情で首を吊るんです」



ーーー僕が殺したんです



ゆっくりと静かに語るリッカは、悲観しているわけでも、悔恨を抱いているでもなく、ただただ事実を語っているだけだと思わせる。

 実際、表情を窺えないこの部屋では、コイツの反応なんてわからない。だけれど、私にはわかる。にわかに漏れ出る悲しい感情達が痛かった。

 そして、唐突にあの日の震える声を思い出す。いてもたってもいられなくて、あの時のように抱きしめた。あの時よりずっと強い力で。

 リッカは拒まなかった。だけれど、私の背に手を回すこともなかった。

 受け入れては貰えない。わかっている。そんな簡単に自分を許せるなら、こんな部屋に閉じこもったりしない。死んだように生きたりしない。


 あぁ、この抱擁が感動したからだったら良かったのに。こんな縋り付くようなものじゃなくて、もっと楽しいものだったら。そうしたらーーー。


 ぐっと奥歯を噛み締める。どうにも出来ない現実はあるものだ。だけれど、こんな惨いモノじゃなくていいじゃないか。リッカじゃなくていいじゃないか。


「そんなの私には関係ないわ。リッカが人殺しだとかどうでもいい。だけど、あなたがそんな風に生きるのは嫌よ。私は………」


なんて暴論だろう。私はリッカのことを深く知っているわけじゃない。この言葉がどれほど影響を与えるのかだって分からない。けれど、言わずにはいられなかった。


「あなたが自分をどうしても許さないというなら、それは仕方がないから諦めてあげる。けれど、だからといって適当に生きるのは許さない!あなたが死ぬのなら私が一緒に死んであげる。殺して欲しいのなら殺してあげる。だから、それまでは、幸せに生きて。少なくとも、そう在る努力をしてちょうだい。お願いだから」


感情が昂って涙が出そうだ。懇願なんてしたくない。自己評価が低い人間は総じて頼まれごとに弱い。例に漏れずリッカだってそうだろう。

 だから、縋れば意に沿わなくても叶えようとしてくれる。それがわかっているからこそ、そんなことしたくない。けれど、悲しいかな。私はリッカに願うことしかできない。

 リッカは私の肩を軽く押して、体を離す。


「…無理な相談ですね」


リッカは皮肉げに嗤う。


「そもそも、自分が出来もしないことを他人に望むなんて馬鹿げていると思いませんか」


確かにそうだ。自分はよくて他人はダメ、だなんて不公平でおかしい理論だ。私が嫌う矛盾。

 それがどうした、と思えたら良かった。そうすれば、諦めずに言葉を紡げただろう。けれど、出来なかった。


「………そうね」


だから、私は諦めた。リッカを変えることも自分が変わることも諦めた。変わらないままなら、不幸で悲惨でも、互いの理解者はここにいる。絶対的な味方と呼べる相手がいる。それでいいじゃないか。少なくとも私に不満はない。


 私が夢見たのは、光差す場所で笑うリッカだけだ。私がその場所に居たいわけじゃない。私は変わらずここに居て、リッカだけが暖かい場所に居て欲しい。そこには、リッカを慕い、慈しみ、微笑みかける誰かが居て、私はそれを遠くから眺める。夢想したのはそんな世界。だから、リッカが変わろうが変わらまいが私の立ち位置は変わらない。


 帰る、と言い残して私はその場を後にした。リッカは何も言わなかった。

 それから、私はリッカの家に足繁く通った。今思えば、この時が1番シアワセだったのかもしれない。あくまで、私にとってはだけれど。




 私が過ごした日々は、可もなく不可もない、生温い停滞。

 また来たんですか、と笑うリッカがいて。アンタの為じゃない、と嘯く私がいて。昨日と同じように、どう答えて欲しいのか自分でも分からないことを問いかけて、断られて。それの繰り返し。

 私のこと、リッカのこと。醜悪な現実を話したって、温度は変わらない。そんな日がずっと続くものだと疑いもしなかった。


 本当に大切だった。リッカのことが。何かを大切だと思う気持ちが私に備わっているなんて思わなかったのだけれど。

 その時、私は確かにリッカを大切に思っていた。このまま一緒に生きていくつもりだった。



ーーーあの日までは











 あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。失う恐怖とリッカへの憎しみが今も頭にこびりついて離れない。

 私はいつも約束なしにアイツへ会いに行っていた。リッカがどこかに出かけることはなかったし、咎められることもなかったからだ。

 けれど、その日は違った。部屋には誰もいなかった。部屋の中は灯がついておらず、冷たい。それは、長い時間この部屋に人がいないことを示していた。

 私は、そこでリッカを待った。灯もつけずに部屋に留まり、アイツのことを想った。


 表層にある優しい感情をなぞる。それは、今思えば、かきまぜれば泥水になるような、そんな感情の上澄みだったのだとわかる。乱されるナニカが無ければ、きっと気づかなかったけれど。


 部屋に帰ってきたリッカは、いつもと変わらぬ表情で、また来たんですか、と言う。それは私達の挨拶のようなもので、いつもと何ら変わりない。けれど、一つだけ明確な違いがあった。リッカ手首には血の滲んだ包帯が巻かれていた。


「それ。…どうしたの?」


聞くのが恐ろしかった。知らない方がいい事実は往々にしてあって、これはそれに当てはまるとわかっていた。けれど、見ないふりもできなかった。


「切ったんです。血が必要で」


「血が必要って、アンタ…それ」



ーーー自分で?



その言葉は口から出せなかった。手首を切るなんてそんな自殺の真似事のようなことをした、なんて。自分で切っていても、人が切っていても、不健全で許されない行為だ。


「実験ですよ。実験。僕、傷の治りが速いんです。だから、問題ありません。この傷だってもう殆ど消えてますから」


包帯を解いて傷口を見せるコイツは、不自然なほど普段通りだ。

 狂っている。麻痺している。だって、こんなのおかしいじゃないか。自身を傷つける実験だなんて。

 きっと血が必要なんて口実だ。治る速度とか、治り方とかそういうことを観察する実験だ、とすぐ見当がついた。血が必要なだけならもっと傷つけない方法があるのだから。


「なんで、そんなことしてるの。どうしてそんなことしなきゃいけないの」


許せなかった。リッカを取り囲む環境も、リッカ自身も。なにより、気づかなかった自分が。


「何を言ってるんですか。僕たちはバケモノなのだから」



ーーー仕方がないでしょう?



疲れ切った目を見て、頭に血が上る。目の前が真っ赤になった。思わず胸ぐらを掴み上げる。リッカは目を逸らさなかった。


「ヒトであることを諦められないから、一緒にいたんじゃないの?私を望んでくれたんじゃないの!?」


「一緒にいたから諦められたんじゃないですか」



ーーーリリさんも本当はわかっているでしょう



そうだ。そんなことわかっている。自分だってヒトで在ることを諦めているから。けれど、認めたくなかった。

 毎日尋ねる、幸せを望んで欲しい、という願いも、肯定が返ってくることなどないとわかりきっていた。


 もっと楽しく在りたかった。傷の舐め合いや互いの諦める理由になるのではなくて。

 そうでないならば、いっそ死を望んでほしかった。それなら、一緒に消えて無くなって、何も考えなくて良くなるから。そうすれば、次はリッカが笑える世界に生まれることができるかもしれない。

 わかっている。馬鹿げた妄想だ。


 認めたくないものを突きつけられて、手から力が抜けていく。だけれど、怒りは収まらない。私は部屋を飛び出した。




 他人の家だとか、そんなことどうでも良くなっていて、私は廊下を走った。感情がいうことをきかない。

 本当なら、絶対に許されないのに、御当主様の部屋の前に来ていた。御当主様は、他家のモノである私を躊躇わず部屋に招いた。

 いつかくると思っていました、とお茶を入れて座し、こちらを見る。


「リッカの実験をやめてください」


他家のモノがそんなことに口を出してはいけないことくらいわかっている。非人道的だろうがなんだろうが、踏み込んではいけない。古い家同士の不文律だ。

 けれど、それを破ってでも、アイツをどうにかしたかった。


「…あの子の両親の話は聞きましたか」


私は頷いた。御当主様は無礼な私を叱ることなく、話し出す。


「きっとあの子は自分が殺したと言ったのでしょう」



ーーーどちらも生きているのにしょうがない子ですね



少し悲しげに、そして諦めたように御当主様は言う。


「実験をやめたとして、この家の損害を補填出来るだけの何かを、あなたは差し出すことが出来ますか」


「私が出来る全てを」


間髪入れずに答える。何だって出来ると思った。アイツのためじゃない。私のために。何だって。


「ただの小娘に何が出来るのです」


「私のことはご存知でしょう。どんな情報でも手に入れることができます。速く正確に」


御当主様は少し考えて、わかりました、と頷いた。安堵はしなかった。これは予定調和だ。御当主様だって、わかっていて問答をしていた。私が有用なことくらい、誰だってわかる。だから、約束が反故にされなければ、私の願いは叶う。なのに御当主様が口に出して問うたのは、私の覚悟を確かめるためだろう。

 こんな小娘が他人のためにどこまで差し出せるのか、なんてたかがしれている。本当なら。けれど、良くも悪くも私はバケモノで、リッカは初めて出来た大切なモノだ。それだけで、全てを投げうつ理由なんて十分だった。


「明日からここに来てください。あの子とはもう会う気がないのでしょう?」


それに返事をして私は家路についた。


 次の日から、今度は御当主様の部屋に通った。指示されて、その情報を手に入れて、持ち帰る。それの繰り返し。

 後ろ暗いことだってしたし、身売りの真似事だってした。けれど、別にそれを恥だとも、悪いとも思っていない。私は自分の願いを達成するために動いた。ただ、それだけだ。

 けれど、急になにもさせてもらえなくなった。アイツに気が付かれたそうだ。自分だって身を削っていたくせに、相当に怒っているらしい。それが少し嗤えた。




 呼び出されて向かうと、リッカはいつも通り部屋にいた。リッカの部屋は荒れていた。元々本が散乱していたので、分かりづらいけれど、積まれた本が雪崩を起こし、足の踏み場もない。壁に投げて落ちたと思しき、モノもある。本を一等大切にするリッカがここまでの暴挙に出るとは驚きだ。

 そこまで乱せたことへ愉悦を感じるけれども、結局怒りに帰結した。それを静かに沈める。


「あなた、馬鹿なんですか!」


久しぶりに会ったリッカは私のことを睨め付けていた。怒るリッカなんて、珍しいこともあるものだ。他人事のように思う。


「馬鹿って言った方が馬鹿なのよ」


子供のように返しながらも、良い気味だ、と思う。

 私はそれ以上に傷ついた。リッカが死んでしまうかもしれない、と思った時の恐怖なんてコイツには一生わからないだろう。自分の命を粗末に扱うのだから。


「茶化さないでください!僕は問題ないと言ったはずです。なのにあなたは」



ーーーどうして



その先に言葉は続かなかった。適する言葉が見つからないのだろう。


「何か勘違いしてるみたいだけれど、私は私の為に働いただけよ。それを自分の所為だなんて、おめでたい頭ね」


心底馬鹿にしたように鼻で嗤ってやる。

 これは全て私の為だ。そうでなければならない。そうでなければ、リッカは責任を感じるだろう。別にそんなこと求めていない。それに、自分が現状を壊したいがためにしたことだから、やはり自分の為だ。

 私はこの結果に満足している。後悔なんて微塵もない。頭のイカれた女だとそう思ってほしかった。


「…っ。ありえない。そんな身を削るようなことを自分で…!」


どの口がそんなことを言うのか。全く呆れてしまう。それとも、リッカが今胸に抱く感情で周りの考えを理解してくれるようになるのだろうか。いや、そんなことありえない。コイツは自分のことを除外して考える癖がついていて、それに気がついていない。


「アンタがそれを言うの?」


「僕のことなんてどうだっていい!」


リッカは頭に血が上っているらしい。普段ならありえないほど強い語調で言い切る。

 どうでもいいわけないのに。この考え方を誰かかえてくれないだろうか。私にはどうしても出来なかった。私ではダメだった。同類ではわかりあってしまうから。だから、誰かーーー。


「あなたは…!あなたなんて………。僕は、あなたを軽蔑します。もう顔も見たくありません!」


私が言わせた言葉だ。けれど、ほんの少しの悲しみと、わかってくれないリッカに憎悪と言って差し支えない感情が腹の中でぐるぐるする。


「…そう」


全ての感情を飲み込むと、スッと心が凪いだ。私はリッカの顔をしっかり見てから、その場を立ち去った。


 私は誰かを大切になんて出来ないことを、この時に身をもって知った。こんなにも焦がれた美しい生き物を私は壊した。

 それは望んだことなのに、酷く苦しくて、イライラする。


 きっと、この時のリッカの瞳を、私は一生忘れない。死ぬ間際にもきっと思い出す。怒りに揺らめく美しい、海の中から見た太陽のようなトルマリンブルーを。

 それが、自身の馬鹿馬鹿しさを表すようで、やるせなかった。




 それからは、ただ息を吸って吐くだけの無駄な生を謳歌した。まるで、ただの人間のように学校に通って。

 そんなことしたくなかった。意味を見出せなかった。私の役割はそこにはなくて、特に身につくことはないように思われた。

 けれど、お祖父様に行けと言われたから行かざるを得ない。それが、お祖父様との取引だった。




 あの日家に帰った足で、そのままお祖父様に会いに行った。お祖父様は、執務室にいて、仕事の真っ最中だったが、そんなこと構っていられなかった。


「お祖父様、お願いがあります」


お祖父様は、開口一番そう言った私を一瞥して、書類に目を戻した。出ていけと言われなかったから、と話し始める。


「私が九条の家に入り浸っていたのはご存知ですよね。そのことで、あちらの御当主様と密約を交わしておられるでしょう」


お祖父様は答えなかった。けれど、否定もしない。そのまま続ける。


「その中にリッカの実験についての文言あるはずです。私があちらに益をもたらしている間は行わない…そんな取り決めでしょう?」


お祖父様は答えない。


「私はもうあちらの家に益をもたらせない。それでも今後一切リッカの実験を禁止するように約束を取り付けていただけませんか」


私が言い終えて、ようやくお祖父様は顔を上げた。感情を読めない顔でこちらをじっと見ている。身じろぎ一つ出来なかった。

 お祖父様は何を考えているかわからない。何を益として、何を不要とするか、想像もつかなかった。だから、何を売り込んで良いかもわからない。賭けでしかないこの状況が恨めしかった。

 どれくらい睨み合いが続いただろうか。わからないけれど、ここで目を逸らせば全て終わってしまうとわかっていたから、ただひたすら見つめることしかできない。

 怯えや恐怖を悟られないように、力を込めた。


「…良いだろう。だが、ひとつ。学校へ行け。何も出来ぬ穀潰しなどこの家にはいらん」


言い終えると、お祖父様はそれ以上話すことはないというように書類を読み始めた。


 こんなにあっさり提案をのんでもらえるとは思わなかった。何か裏があるんじゃないかと勘繰ってしまう。けれど、それも長くは続かない。今日は色んなことがありすぎた。

 自室に戻ると気が抜けて、ベッドに倒れ込む。何も考えることが出来ずに眠りに落ちた。外の騒めきを感じないほど深く。


 後から知った話だけれど、私が頼まなくてもリッカの実験は今後一切禁止だという約束だったらしい。にも関わらず条件を出すだなんて、狸ジジイもいいところだ。

 だけれど、もとからそういう約束でよかった。御当主様はやはりリッカのことが大切だったのだ。そのことに安堵に近い感情を抱く。

 あの時は、当主なのだから実験なんて簡単に辞めさせられるだろう、と思っていたけれど、今になると家の中でも派閥や柵で動けないことはザラにあるとわかる。御当主様も辛い立場だっただろう。だけれど、リッカを守れるように手を尽くしていた。

 身近にリッカを大切に思ってくれている人がいる。そのことに気づかないリッカが悲しかった。











 リッカとはもう関わることはないと思っていた。お互い顔もも見たくないだろう。家同士のアレコレで会うことはあるかもしれないけれど、声を聞くことすらない。ないはずだった。

 まさか、高校にアイツがいるなんて、思いもしなかった。3年間ずっと同じクラスだなんて、悪夢のような事実だ。

 アイツの視界に映ることさえ嫌だった。あの時のことを思い出したくない。変わらないアイツが憎らしい。そう思っていた。けれど。

 何があったのかは知らないけれど、アイツは少し変わっていた。バケモノだと自分を諦めていることに変わりはないけれど、他人と関わることを絶たずに過ごしている。ほっとした。あの頃、私が望んだ姿に近づいている。誰にも気を許していなかったり、自分から他人に働きかけることはないけれど、それでも。変化の兆しが見えただけで充分だ。私には出来なかったことが、起きている。なんと、素晴らしいことか。

 だから、もうどうでもよかった。何が変わろうが、アイツのことは大っ嫌いだし、関わり合いたくない。それが互いにとって1番いい。

 そう思って、折角アイツを視界に収める癖が治ってきたところだったのに。あの男が来て全てが壊れた。私は昔に逆戻りだ。

 変わりたくなんてなかった。戻りたくなんてなかったのに。








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