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朝の学校は嫌いじゃない。どこよりも静かな空気で満ちている。
どこにいっても気に入らないモノばかり溢れている家や街にいるのが嫌で、私はいつも早朝から学校にいた。
ひたりひたりと廊下を歩く。それが私の尖った神経を落ち着ける。サキと出会う前はこれだけが私を癒してくれた。
喧騒は苦手だ。雑音が多すぎる。入ってくる情報が苦しくて耐えられなかった。
私は人よりも色んなことに敏感だった。音や匂い、視界情報、とりわけ人の心には鋭敏で、まるで心を読んでいるようだ、と言われることもある。
それが、本当に心を読みとっているのか、表情や身振り手振りから読み取っているのか、私にはわからないけれど、お祖父様もそういうところがあるから隔世遺伝というものなのかもしれない。
だから、この世界は地獄だった。何もかもがうるさくてたまらない。
サキに出会うまでは、耳を塞ぐことすら上手く出来ず、息をすることすら苦しかった。
何もかもをぶっ壊してやりたいという破壊衝動を身の内に抱えながら、生きていた私に舞い降りた天使がサキだった。
一目見た時からわかった。この子だ、と。
彼女が私の救いになり得る、そう直感が告げていた。だけれど、そんなものを信じられるほど私はロマンチストではなかった。サキに近づくことが怖いとすら思っていた。
自身の価値観が壊されることは私が最も嫌うものだ。私の矮小な世界を脅かすものは等しく敵だった。それは、サキも例外じゃなかった。
結局のところ、私は自分が可愛くて、自己防衛を優先するありふれたモノなのだ。
壊れてしまえと願う癖に、壊されることに恐怖を抱く。私自身も矛盾を孕んだニンゲンであることが酷く気持ち悪い。
それを見たくなくて、私は周りを遠ざけ目と耳を塞ぎ、自分さえも見ずにサキを信奉する。
そうしなければ生きていけなかったとは言わない。だけれど、確かにサキと出会ったおかげで私は、息がしやすくなった。この消えない苛立ちがしんどいものだと知った。
だから、私はサキに依存する。そうしなければ、今は立っているのが苦しい。
それに。 私は普通の友人の距離なんて知らない。
馬鹿みたいな思考に沈みながら、廊下の壁にもたれてぼんやりする。
考えたって意味のないこと。わざわざ自分を傷つけて、悲劇のヒロインを気取る自分が心底馬鹿馬鹿しい。そんなことしたって助けてくれる人なんかいないことは、身に染みているのだから。それに、現状を嘆いて助けを求めるなんて烏滸がましいにも程がある。
サキが居るだけで私は幸せだ。それ以上、何を求めるというのだろうか。こんなこと今までは考えもしなかったのに。本当に矛盾ばかりだ。
あの男と出会ってから、調子を崩されっぱなしだ。けれど、それももう終わりだ。今後関わることなんか無いのだから。
「リーリちゃん」
嫌な声が聞こえた。私を苛む男。どうしてだ。もう関わらない、そう言ったのに。
「いわなかったかしら。近づかないでって」
「俺はそれに同意したつもりはないよ?」
ニカッと快活に笑うサクに涙が出そうになった。
朝は誰にも会いたくない。心が不安定だ。ゆらゆら動く心を落ち着けるために早朝に来ているのに、この男が来ては意味がないじゃないか。今の私は武器も盾も持ち合わせていない。柔い心を刺されるのはごめんだ。
なのに。心のどこかで何かが満たされるように感じた。
「バカじゃないの」
この男の前で泣いてたまるか、と目に力をこめた。弱さなんて人に見せるものじゃない。私の弱さは私の中にしかなくて、現実には存在しない。
誰にも気づかれてはいけない。サキにさえ。だって、そんな私は不要だ。
苛烈で無神経で空気を読まないのが私だ。だから。もうこの男とは金輪際関わりたくなかった。
そうすれば、憂いは消え去ってくれるはずだから。
「バカでいいよ」
サクのその言葉を最後に、私は目を瞑った。
優しい風の音が、葉が揺れる音が、聞こえる。静かに耳をすませた。
サクは私に倣うように壁に背中を預けた。人一人分の距離があっても、人間が生きる音がする。それが、何故だか不快じゃなかった。穏やかな自然物に同化して、私に安らぎを与えてすらいるようだった。
私は思考することをやめた。ただただ美しい音に集中する。
サキが来るまで後1時間。それまでに、心が落ち着けばいいと思った。
「また?最近多いね。大丈夫?」
「平気よ。それより!サキこそ無理してない?普通に働きすぎだからね?」
サキに嘘をつくことを後ろめたく思いながら、わからないように誤魔化す。
あの日から、早朝の学校に度々あの男が現れるようになった。サクの顔を見たくなくて、私は逃げ続けていた。朝も放課後も。
今日も、家のことで呼び出された、とサキに告げ、誰もいない理事長室に逃げ込む。私は理事長の孫だった。
お祖父様は私が好き勝手することを叱らない。私がすることをいつも面白がるように薄い笑みを浮かべて見ている。
それが好意的な意味ではないと知っているけれど、注意はされない。だから、無視を決め込んで、好きにしている。
否定されることが多い人生だ。人の考えがわかるなんて不気味以外の何物でもない。だから、害されるのは当然だろう。
理解はしているが納得出来るかといえば話は別だ。
どうして、私が。
誰にも言ったことはないが、そう思ったことは一度や二度ではない。
ーーーだから、パパとママも
続く言葉を頭で紡ぐ前に、違う言葉をぶつけてかき消す。あの人たちは矛盾ばかりで気持ちが悪い、と。
もう長く顔を合わせていない両親の顔を思い出す。朧げであるけれど、困惑した顔が浮かんだ。
両親の本当に笑った顔なんて見たことないな、と思った。物心つく前ならあるのかもしれないけれど、少なくとも私の記憶にはない。
そのことに何も思うことはないけれど、部屋の隅で膝を抱えて小さくなってしまいたくなる。
どれだけ強がっだって私は無力な子供のままだ。お祖父様が止めるまで両親を責め続けた、あの日から何も変わってはいない。
頭を振って、嫌な思考を振り払う。不安定な心が放課後まで侵食してきている。こんなの私じゃない。
サキに迷惑をかける前にどうにかしなければ。私は最終手段を取ることにした。改善されるかは賭けでしかないけれど。
来てしまった。げんなりした気分で大きな門の前に立つ。いけ好かないアイツの家。
いつ来ても厳格な雰囲気のここが私は苦手だった。私の家のように、外国かぶれの真っ白な家もどうかと思うけれど。
The名家と言った日本家屋は来訪者を威圧する。気圧されたりはしないけれど、いい子ちゃんのように振る舞わなければいけない、という気持ちにさせられるのが腹立たしかった。
私はインターフォンを鳴らすことなく、大きな門の隣にある小さめの扉を開けた。
勝手に入り込んでも叱られないことはわかっている。
私はほとんど身内のように扱われていた。それはアイツと同年代ということもあるかもしれないし、お祖父様と親しくすることで、この家に利があるからかもしれない。
理由なんてなんでもよかった。今は、この家に勝手に入っても咎められない、という事実の方が大切だ。
誰にも会いませんように、そう願いながらアイツの部屋を目指す。どうしてアイツの部屋は家の奥の奥にあるのか。理由は知っているが、今ばかりは、許せない、と感じる。
「おや、あなたがここに来るなんて珍しいこともあるものですね」
後ろから声をかけられた。見つかってしまった。振り返り、頭を下げる。
「お久しぶりです。御当主様」
この家の主。アイツのお祖母様。最も苦手で最も理解がある人。
嫌で嫌で仕方がないけれど、見つかったのがこの人でよかったとも思う。彼女は、他の人間のように嫌な目をしていない。私たちを人だと認識している。バケモノだ、と思われるのとは雲泥の差だ。
「別にかしこまる必要はありません。公式な行事でもありませんし」
ニコリとも笑わずに告げる姿は怒っているように見えるが、これがこの人の普通だった。
姿勢を正して、目を見つめる。ここでは目を逸らすことは厳禁だ。それは負けを意味し、喰われてしまう。ここは光が強い分、闇も濃い。伏魔殿、そう評して違いない場所だった。
「あの子に会いにきたのですか」
「…はい」
質問ですらないその言葉に嫌々答える。厳しいこの人は、殊更アイツに優しい。その理由は正直わからない。
「そうですか。仲良くしてあげてくださいね」
思わず絶句した。私たちの仲が良好でないことくらい知っているはずなのに。
否定を口にしようとして、それを遮られる。
「知っています。けれど、あなたもあの子も互いしかいないでしょう」
ある意味では正解で、ある意味では間違いだ。
私のことを一番わかるのはアイツだし、アイツのことを一番知っているのは私だ。深くに根付いた嫌な感情を理解しあえるのは、互しかいない。世界で唯一の理解者。
それは、事実だった。だけれど。
ーーー私にはサキがいる
アイツは孤独かもしれない。あの男がいても、心を開かないのなら独りぼっちと変わらない。だけど、私は違う。サキという得難い友人がいる。
そうやっていいわけをして、アイツとの関係を考えることをやめた。深く掘り下げたっていいことなんて一つもない。
「…だとしても、関係ありません」
それだけいって、目線を下げた。そうする以外どうすればいいのかわからなかった。
ゆっくりしていってください、そう言い残して御当主様は家の奥に消えていった。
私は少しの間立ち尽くしていたけれど、他の人に見つかるわけにはいかないので、急いでアイツの部屋を目指した。
アイツの部屋は真っ暗だった。そこには誰もいない、そう思わせる様子だけれど、アイツは暗い場所を好む。必ずここにいる。
声もかけずにガラリと襖を開ける。そこにアイツはいた。
こちらに目を向けることもなく、本を読み続けている。
昔から変わらないいつもの姿だった。
「飼い犬の躾くらいちゃんとしたらどうなの」
苛立ちをぶつけるようにいった。
全てコイツが悪いのだ、と思う。あの男が私に構うのも、サキが他人のために動きたがるのも、全てコイツの所為だ。そう、思っていたかった。だけれど。八つ当たりであることは心のどこかでわかっていた。
ただただ、認めたくないのだ。あの男の行動の指針とか、サキの考えの変化とか、全てコイツによる救いであることを。
「酷い言いようですね。あんなに懐いているのに」
本をパタリと閉じて、リッカはこちらを見た。それがいやに人形じみていて、頭痛がする。
「懐く?邪魔するの間違いでしょ」
「おやおや。アレも報われないですね」
全くそんなことを思っていない口ぶりでコイツは言葉を紡ぐ。実際、そんなこと微塵も思っていないだろう。報われないなどとどの口がいうのか、と思う。
一番あの男を蔑ろにしているのは自分自身だろうに、敢えて私にそんな言葉をぶつけるなんて、相変わらず嫌味なヤツだ。
私も似たようなものかもしれない、ということは見ないことにする。
「警戒しているだけでしょう。アンタを害するかもしれないから。…そんなことしても意味がないとしっかり教え込みなさい。鬱陶しいったらないわ」
口の中が苦い気がする。本当に、コイツの所為で余計な労力を割いている。ありえない。私が何をしたというのだろう。いや、そこそこ人様に迷惑をかけているけれど。
もっと違う罰であれば良かったのに。どうして、コイツと対峙しなければいけないのだろう。
私たちは出会うべきではなかった。理解者など見つけてはいけなかった。仲間がいることを知らなければ、もう少しまともなニンゲンに擬態しようとしただろう。
それを諦め、今を良しとしているのは、互いの存在があるからだ。
今の私がそんな理由で出来上がっていると思うと吐き気がするけれど、どうやっても否定できない事実だった。
「あなたが僕を害さない、と?面白いことを言いますね。そんな仲良しこよしの関係を築いたつもりはないですが」
その突き放した言葉が気に入らない。優しい対応をされても腹が立つけれど、わかりきった指摘をされても苛立たされる。
「そんな生温い関係を築いたつもり、私にもないわ。そんな馬鹿げたことを言いたいわけじゃないことはアンタもわかってるでしょう!」
思わず強くなった語尾を気にする様子もなく、リッカは私の瞳を凝視した。
その人形のような瞳があの男にダブった。ペットは飼い主に似るとはよく言ったものだ。
「冗談ですよ。それにあなたは勘違いしている。そもそもアレが僕の飼い犬であるという前提が間違っているんです」
ーーーアレは人に飼われるようなタマじゃない
リッカは顔色を変えることなく言い切った。それが真実なのだとしたら、余計に質が悪い。コイツの言葉でもいうことを聞かないということではないか。
ふざけるな。そんなわけがあるはずない。
「そんなものアンタが近くに置くはずがない!」
思わず声が大きくなる。コイツはそんなことをしない。リッカは把握できないものを嫌う。だから、あの男を、あの犬と称して違いない人間を、放し飼いになんかしているはずがない。
「……確かに。僕が言えばアレはすぐにやめるでしょう。だけど、あなたはそれでいいんですか」
なぜ、そんなふうに問われるのかわからなかった。だって、そうだろう。私はあの男の行動に迷惑していて、それをやめさせるために顔も見たくないコイツに頼みにきたのだ。なのに、いいのか、だって?
私を馬鹿にしているのだ、と思った。ここに来ることが私にとってどれほどの苦痛か、コイツは知っているのだから。
だけれど。一方で、何かを納得しそうな私がいる。だって、コイツの言葉は私の言葉で、私の言葉はコイツの言葉なのだ。だから、コイツの言う事を私は全て理解できる。できてしまう。共感はできなくても納得はできるのだ、絶対に。
だとしたら。リッカの言葉が私の心と相違ないのだとしたら。私はあの男が訪れる事を解決したくないとでもいうのだろうか。
そんな馬鹿げたことあるはずはないのに、即答できない自分がいる。その事実が、私の息を浅くさせていた。
「もうわかっているでしょう。あなたは存外自身の感情を無視しようとする。そんなことをするから可笑しな目に遭うんです。認めてしまえば案外なんてことはない。あなたはただ」
「うるさい!その言葉、そっくりそのまま返すわ。感情を蔑ろにするのはアンタの方よ。いい加減、自分を大切にする方法を覚えることね」
言い捨てて、背を向けた。もうこんな場所にはいられない。言葉の続きを聞きたくなかった。
それは開けてはいけない箱だ。パンドラの箱のように最後に希望なんて残らない。私を絶望へ突き落とすだけの害悪だった。
中に何が入っているかなんて知らない。だけれど、開けてはいけないことだけは確かだ。
だから。私は。
ーーーあの男との関係を断つ
次の日の放課後、私はあの男を呼び出した。誰にも邪魔されないように理事長室に。
「リリちゃんから呼んでくれるなんて嬉しいな」
サクは楽しさを全面に押し出すように笑っていた。
そういえば、最近はニセモノを見ていないな、そんなことを頭の端で思う。
「楽しくおしゃべりしたくて呼んだわけじゃないわ。わかっているでしょう。いい加減やめてほしいの。私を不快にさせないで」
出来るだけ、キツい言葉を選ぼうとした。だけれど、なんだか上手く出来ない。
なぜだろう。鏡合わせのアイツの顔が浮かんだ。腹が立つ顔でこちらを見ながら、いいんですか、そう問う姿。
よくなんかない。でも、どうしたいかなんてわからない。
「酷いな。俺はただリリちゃんと仲良くなりたいだけなのに」
もうずっと、ヒトらしくあるために、私は耳を塞いで心が聞こえないように閉ざしている。
だから、ヘラヘラしたこの男の言葉が嘘か本当かわからない。けれど、私にとって嘘か本当か、なんてどうでもよかった。どうであったとしても、私の答えは変わらない。惑わされたりはしない。
「私は仲良くなんかしたくないのよ。これ以上私の生活を侵食しないで」
「へぇ。リリちゃんが俺のことそんなに意識してくれてるとは知らなかったな」
この男のいっている意味がわからなかった。私がこの男を意識している?勘違いも甚だしい。
だけれど。この男の所為で、よくわからない感情が渦巻いているのは、腹立たしいことこの上ないが、事実だった。その渦はどんどん大きくなって、私の心に巣食いだしている。
「そんなことどうでもいいの!これ以上私をかき乱さないで」
「どうして?」
キョトンとして訪ねるこの男にたじろぐ。相手が嫌がったら、それをやめるのが普通だろうに。異常な私が普通を語るなんて失笑ものではあるが。
そんなことを冷静に考えたのは一瞬だった。サクがこちらに一歩踏み出したからだ。
その様子に気圧されて一歩下がる。らしくなく、少しの恐怖を抱く。
「どうしても何もないわよ。私はこれ以上心を波立たせたくない。だから」
「やめてくれって?フフッ。リリちゃんは面白いこというね」
また、一歩サクがこちらに近づく。逃げ出したくなった。
涙が滲みそうだ。だけれど、ここで逃げてしまえば今までと変わらないことがわかっているから逃げられなかった。ここで全てを捨て去ってしまわなければ。
口を開こうとした。だけど、出来なかった。そうする前に、憎たらしい目の前の男がどんどん近づいてきたからだ。
今の私にはこの男が得体の知れないモノに見えた。結局、私は逃げるように後ろに進むことしかできなかった。
気づけば、壁際まで追い詰められていた。もう逃げられない。
サクは私の顔の横に手をついた。
「お願いだからやめてよ。もう…もう乱されたくないの」
懇願だった。
瞳からポロリと涙が落ちる。泣いてしまった。悔しさを感じるよりも先に悲しさが顔を出す。
どうして、こんな態度を取られているのだろう。リッカに対してだったら、真綿で包むように優しく接するのに。
そう思うと、どんどん胸が冷たくなって、寂しさと悲しみが混ざり合う。
どうして私を見てくれないの。ありえない言葉が浮かんだ。
「お願い。放っておいて。…アンタのこともリッカのことも見たりしないから」
心に在るちっぽけで矮小な自分が泣き喚いている。悲しい、悲しい、と訴えかけるその心が、我ながら憐れだった。
アイツと比べられて、悔しくなることはあっても、悲しくなることなどないと思っていた。他人からの評価で傷つく心など持ち合わせてはいない。そのはずだったのに。なのに、この男のせいで。私は。
溢れ出る涙を止められそうになかった。感情がごちゃ混ぜになって心を溢れさせる。
私は涙を拭うことなく泣き続けるしかなかった。サクから目を逸らしてはいけないと思ったのだ。
負けたくなかった。泣いてしまった時点で負けたようなものだけれど、それでも弱さをこの男に見せたくない。そんなものを見せてしまったら、私は私として立っていられなくなる。だから、目なんか逸らさない。そう思って睨みつけていると、手が伸びてきて私の涙を拭った。思わずたじろぐ。そして、その手つきが優しくて、さらに涙が溢れた。
「かわいい。…リリちゃん、今どんな顔してるかわかってる?」
一体何を言い出すのだろう、そう思った。
何も言えずに見続けていると、サクは顔を耳元に近づけてきた。
ーーー俺のことが大好きでたまらないって顔
その言葉で、ドクドクと心臓が脈打っていることに気がついた。
胸中にある、恐怖以外の感情。ずっと暴れていて私の平穏を壊そうとするナニカ。それを直視してしまった。
「嫌い。アンタなんて嫌いよ。…顔も見たくないの」
力なく言った。私こそが嘘ばっかりだ。
だけれど、じゃあどうすればいいのだろう。狂わされた私の世界をすぐに認めなければいけなかったのだろうか。
そんなこと、不変を願う私に出来るはずがなかった。
「リリちゃんは強情だなぁ。まぁ、いいや。俺はいつでも待ってるよ」
ハートでも飛びそうな甘い顔をしているこの男に少しばかりの殺意が湧いた。
ーーーこんなに思わせぶりなことを言ったって結局
やっぱりこんな男嫌いだ。言い聞かせるように頭の中で繰り返す。そうしないと惨めじゃないか。他の人間を想う男に恋うなんて。
それに、私の中で恋や愛なんてタブーなのだ。存在してはいけないもの。もし、存在しているならば、自分の間違いを認めなければいけなくなる。そんなことできっこない。私が壊れてしまう。
この気持ちに向き合ったって何も良いことなんてない。私にとってコレは呪いだ。虫唾が走るほど嫌いなリッカを、世界を、憎んでしまう、馬鹿馬鹿しい楔だ。
だから、嫌だったのだ。あの男に近づくのは。私とアイツの間に不和を運んでくる、そんな予感が初めからあった。自分の弱さを掘り起こされるということも。
それがどうした、そう思えたらよかった。アイツとの仲が壊れようが、この男に振り回されようが、弱い心を許容できたら良かったのに。そうであったなら、サキに心配をかけることも、こんな風に泣くこともなかった。今更嘆いたところで、意味のないことだけれど。
何も言わない私を見て、ニンマリ笑いサクは身を引く。そして、私に背を向けて歩いていく。サクは振り返らない。それが胸を締め付ける。
わかっている。この男は私で遊んでいるのだ。アイツに害を為す可能性のある私の心を折ろうとしている。それをわかっていながら、私は手のひらの上であの男が思うように踊っている。あぁ、なんて酷い男だろう。なのに、どうして。どうして私は。
あの男の全てを壊してしまいたい。この激情に恋なんて名前、やっぱりつけられるはずなかった。私の中に存在してはいけないものなのだから。他人への興味も、求める気持ちも、あってはいけない。だから、あの男なんて大っ嫌いだ。




