見破られる
翌日、学校へとたどり着いた僕は、とてもじゃないが夏海と目を合わせることができなかった。夏海の方も何か察しているらしく、「春樹くん」と遠慮がちに声をかけることはあっても、その後「どうしたの?」と聞いてくることはなかった。
僕は夏海からの声かけを、一切無視した。
彼女を“大切な存在”でなくすために。彼女との関わりを断てば、僕の中から彼女の存在がゆっくりと消えていくことを願って。無駄だと思いつつ、悪あがきをしていた。
他のクラスメイトからすれば、突然声が出なくなった上に、仲間ともつるまなくなった僕を、不思議に思っただろう。実際、昼休みに僕のことを噂する女子たちの声が耳に入ってきた。
「真田くんって、もしかして……」
「なんか、そうらしいよ。秘密をバラしてしまったんだって」
「嘘。そんな人初めて見た。てか、正体明かしたらああなるんだ?」
「“大切なものを失う”っていうの、本当だったんだね」
僕を腫れ物みたいに扱い、僕のようにならないように気をつけようと誓い合うクラスメイトたちの会話を聞いて、僕は耳を塞ぎたい気持ちだった。
あの時と、似ている。
現実世界で、学業をサボって歌手の夢を追いかけていることが世間にさらされたとき。あちらこちらで僕を批判する声が相次ぎ、クラスメイトからは嫌がらせを受けて。SNSを開くと誹謗中傷で溢れた世界に、僕は目も耳の、削ぎ落としたい気分に陥った。
結果的に命からすべて、僕は消し去ることにしたのに、今こうしてここでまた、同じ目に遭っている。
なんて、なんて残酷な世界なんだろう。
一匹狼となった僕は、教室の中で一人、違う次元で生きているようだった。
夏海だけではなく、理沙や龍介とも気まずくて話せない。龍介は持ち前の明るさを駆使して僕になんとか話しかけようとしてきたものの、結局僕の声が出ないので、龍介の無駄に高いテンションは行き場を失う。「また、あとでな」と中途半端なセリフを残して彼は僕のそばから離れていく。
夏海は僕に何か言いたげな様子で、時々寂しそうな表情を浮かべた。大きな瞳は湿っていて、溌剌とした彼女が見られなくなったことに、僕は少なからず罪悪感を覚えた。
そんな毎日を繰り返すうちに、気がつけば二週間が経っていた。
僕と、僕を取り巻く状況は変わらないまま、時が過ぎていく。このまま三年生が終わり、二回目の三年生が始まるのだろうか、とぼんやり考えながら下校していたとき、誰かがぽんと僕の肩を叩いた。
「今日は、逃さないわ」
栗色のショートカットを靡かせて後ろに立っていたのは、理沙だった。
理沙の瞳は、夏海とは違った意味で、圧倒的な目力を宿している。僕はその、真実を射抜くようなまなざしに射すくめられ、不意打ちだったこともあり動けなかった。
「……」
僕が逃げないことを悟った彼女は、「ふう」と息を吐く。
「公園で話さない?」
時刻は夕方、午後四時三十分。夕暮れ時の空にはまばらに雲が浮かんでいる。時折、雲の切れ間から夕陽が差し込んで、僕たちの間に橙色の光を振りまいた。
彼女の提案に、僕は驚くほど自然に頷いていた。心が、ずっと疲れていた。夏海から避けて、彼女が悲しそうな表情をするのを見るのが、心底辛い。龍介も、僕に伝えたいことがあるはずなのに、僕が心を閉ざしてしまって途方に暮れているようだった。
「随分と、幼稚なことをするのね」
公園の椅子に座ってすぐ、理沙は辛辣な言葉を僕に投げつけてきた。僕は一瞬「きみに何が分かるんだ」と理沙を詰りたくなった。声が出ていたら実際に口にしていたかもしれない。この時ばかりは、自分の声が失われて良かったとほっとした。
僕はスマホを取り出し、彼女とのトーク画面を開く。
『こうするしかないから』
彼女にメッセージを送ると、理沙は唾をごくりと飲み込んだ。
「……ごめん。言い過ぎた。春樹の声を戻すには、“もう一つ大切なものを失う”必要があるって、夏海から聞いたんだ」
小学生が少し離れたところで、サッカーボールを蹴って遊んでいる声が、公園に響いていた。理沙はそんな子供たちを遠く眺めながら、心はしっかりと僕の方を向いているようだった。
「春樹は……夏海が、好きなんだね。大切なものが夏海だって気づいて、夏海を避けてる」
ゆっくりと、深呼吸をするかのように吐き出された理沙の言葉に、僕は絶句する。まさか、夏海への気持ちを言い当てられるとは思っていなかったからだ。
理沙の揺れる瞳に見つめられた僕は、反射的にゆっくりと頷いてしまう。
『……気づかれるとは思ってなかったよ』
「本当に? バレバレだよ。夏海は、気づいていないみたいだけど。私からすれば、あなたの態度、子供すぎるよ。好きな娘からあえて離れようとするの」
理沙はわざと明るい空気を作ろうとしたのか、ケタケタとおかしそうに笑った。
『そうか……なんかそれは、不甲斐ないな』
実際、夏海のことを考えている自分は、本当に子供みたいに、感情に振り回されていた。
「まあでも、気持ちは分かるわ。恋をしたらね、人はいつでも不甲斐ない自分になるの。青臭くてどうしようもなくて、だめだと分かっているのに馬鹿みたいに彼女がいる男に恋なんかして、破滅する。それぐらいの威力が、恋には潜んでいる。魔物みたいよね」
十八歳とは思えない達観した恋愛観に、僕は慄く。
魔物みたい。
確かにそうだ、と僕は思う。
恋は魔物だ。この気持ちは、とても厄介で、消そうと思ってもすぐには消えてくれない。場合によっては長い年月を要する。恋をするのは一瞬なのに、失うのは難しい。
理沙も同じことを考えていたのか、ふっと口を開いた。
サッカーをする少年たちの声が、不意に聞こえなくなった。




