大切なものが、
『ごめん』
LINEで打ち込んだメッセージを見て、夏海が「え?」と首を傾げる。
『僕は、自分のことばかりだった。でも夏海は、僕のことを考えてくれていたんだね』
彼女の瞳の淵に、涙が溜まっていくのが分かる。
「だってそんなの……そんなの、当たり前だよっ。辛いのは春樹くんだもん。自分のことだけでいいんだよ。私が、絶対助けてあげるからっ」
涙をごしごしと袖で拭いながら、彼女のくれた温かさを実感する。
『ありがとう、本当に。それで、罰を解除する方法って、なんだったのかな』
僕の疑問に、彼女は大きく深呼吸をし、こう言った。
「“|春樹の大切なものを、もう一つ失うこと《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》”」
え、と思わず口から漏れそうになった。
「——て、案内人に言われたんだ。大切なものを失うっていうのは、中途半端に捨てるとかじゃダメ。春樹くんが、|二度と手に入らない状態にすること《・・・・・・・・・・・・・・・・》だって」
ごくりと、僕は生唾を飲み込んだ。
大切なものを、もう一つ失う。
そうすれば僕の声は元に戻るという。案内人が嘘をついているとは思えないし、まして目の前の彼女が、冗談を言っているようにも思えない。声が失われたことだって、実際に起こったことなのだから。
『……それは、たとえば大切なのが、“人”だったら……どうすればいい?』
今度は彼女の方が息を呑む番だった。
彼女の顔に、困惑の色が浮かぶ。僕は、自分の手のひらをぎゅっと膝の上で握りしめた。動悸が速くなる。浅い呼吸を繰り返しながら、僕は自分の“大切なもの”について考えた。
僕が大切だと思うもの。
それは他ならない、きみだ。
僕は夏海の目を見つめて、彼女に自分の真意を伝えようとした。けれど、声にならない僕の気持ちは、彼女には届かない。夏海は「春樹くん」と、僕にメッセージをスマホで打つように促した。でも僕は、とてもじゃないが、この想いを彼女に伝えることはできない。
僕はきみを失えば、絶望感に打ちひしがれ、立っていられなくなるだろう。
だけど、きみを失わないとなると、僕の声は戻らない。
もう一生このまま、声を出せない不安と戦わなくちゃいけないんだ……。
矛盾した気持ちに阻まれた僕はもう、彼女の前にいられなくなった。
「……っ」
椅子から立ち上がり、僕は逃走した。
「春樹くん!?」
夏海がびっくりして僕を呼ぶ声が後ろから聞こえてくる。昼休みの終わりを告げるチャイムが頭上から降り注ぐ。僕は、教室に帰れない。
夏海がこれから戻る教室に、どんな顔をして帰れるだろうか。どんな顔をして、彼女を見ればいいのだろうか。
頭の中で、ぐちゃぐちゃの感情がそのまま、僕の目の前に立ちはだかる試練を映し出していた。




