愚かな私たちは
「なんて……」
なんて、残酷なんだろう。
失った大切なものを取り戻すには、新たな代償が必要——確かに理に適ってはいる。でも、人間の心は、理屈ではできていない。みんな、感情を持っている。
「ひどい……条件だね」
カーテンの閉め切られた六畳ぽっちの自分の部屋で、私のか細い声が、不自然なほど響いて聞こえた。家の中ではいつもそうだ。学校に行けばみんなと賑やかな日常を過ごせるのに、家に帰ってくるといつも孤独。確かに、お母さんとお父さんはいるけれど、彼らには血が通っていない。まあ、私だって、ここが現実世界でない限り、実際は血の通っていない人間なのかもしれないけれど。
この世界のルールに、私たちは散々振り回されてきた。
与えられた場所で、与えられたルールをただ享受して、無意味だと分かりつつ、テスト勉強を頑張って、学校では成績を気にして。私たちにできるのは、与えられた青春時代を謳歌することだけだ。
だからこそ、笑顔で頑張ってきたのに。
人一倍、笑っていれば友達も明るい気持ちでいてくれる。孤独な私の仲間になってくれる。そう思って、精一杯生きてきたつもりだ。
でも私は今、再びこのディーナスという世界のルールの縄で、身体中をがんじがらめに縛れている。結局この世界で、本当に自由で幸せに生きることなんて、できないのかな。
『そう思うのなら、最初からルールを破らなければよかったことだ。我々は、みな平等に、最初にこの世界のルールを説明している。その上でルールを破ったのなら、それは春樹の責任だ。止めなかったきみにも、いくらか責任があるのかもしれないけど。全部春樹が決めたことだ。どうするかも、彼が決めればいい』
突き放すような案内人の言葉に、私は目尻にじわじわと熱い涙が溜まっていくのを感じた。
案内人は、何一つ間違ったことは言っていない。最初にルールを伝えられているのだから、悪いのは完全に私たちだ。
私だって、最初は、ルールなんて破るわけないと思っていた。重たい罰があるのに、どうしてあえてルール違反を冒す必要があるのかって。
でも、違うんだ。
人間は、とても愚かだ。
頭では正しいと思っていても、心が間違った行動をとってしまう。
春樹くんも私も、互いの心を知ろうとするあまり、この世界でも道を踏み外してしまったんだ。今更後戻りはできない。だから案内人の言うとおり、どうするかは春樹くんが決めるしかない。大切なものを二度失うかもしれないのは、彼なんだから……。
「……っ」
こめかみにズキズキとした痛みが広がっていく。
春樹くんのことを考えて、私の心がずっと泣いているのだ。
『じゃあ私はこれで。健闘を祈っているよ』
案内人は私が苦しんでいるのを見越してか、あえて私を一人でそっとしておこうと思ったのか、必要な情報だけくれて去って行った。
その日の夜、私は高熱を出して寝込んだ。
夢の中で、私はずっと誰かの声が頭の中で響いていた。男の人の声だ。それが春樹くんの声だと気づいた時、彼の声をもう一度聞くことができた喜びと切なさで、涙が止まらなかった。
春樹くん。
私は必死に彼の名前を呼んだ。彼は、私に背を向けて一メートルほど先に立っている。
春樹くん。
私の声は、彼には届いていないようだ。その証拠に、彼は一度だって後ろを振り返らなかった。
『案内人……案内人』
春樹くんが、「案内人」と呼ぶ声がして、私ははっとした。
そうだ、呼ばれている。
私、呼ばれてる。
どうしてか分からない。春樹くんは「夏海」ではなく「案内人」と呼んでいるだけなのに、自分が呼ばれているという感覚に陥っていた。不思議だった。私は「春樹くん」と、彼の呼びかけに答えるようにして呟いた。
春樹くんが、ゆっくりとこちらへ振り返る。
『夏海?』
春樹くんが私に気づいて、私の名前を呼んだ。嬉しかった。愛しい人の声が、もう一度私を呼んでくれたことが、この上なく嬉しくて胸が詰まった。
「私、私だよ。夏海だよ。春樹くん、ごめん——」
今日のことを、私は春樹くんに謝ろうとした。でも、春樹くんは「気のせいだったのか」とでも言うように、再び前を向いて歩き出した。
待って。
待って!
そう叫んでも、喉から声が出ない。
彼を襲っている孤独が、私を闇の底へと一気に引き摺り込んでいくようだった。




