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あの夏の海には帰れない  作者: 葉方萌生
第六話 この気持ちが、壊していくもの

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大切なものをもう一つ

 あの後、消沈した春樹くんを家まで送ったのは龍介だった。


「こういう時は男同士の方が気楽だからさ」


 そう言いながら力無く笑う龍介に、私も理沙ちゃんも縋るような思いで龍介に春樹くんを託した。

 帰り道、理沙ちゃんがそっと私の耳元で、


「さっきはごめん……ちょっと、取り乱しちゃって」


 と呟いた。私は黙って首を横に振る。

 理沙ちゃんが悪いわけではない。私が春樹くんに真実を話させたのだ。私の、身勝手な嫉妬心が春樹くんをあんなふうにさせてしまった。責められるとすれば、私の方だった。



 胸に重しを抱えたまま帰宅し、一目散に自室へと向かう。NPCの両親は「おかえりー」と呑気な声をかけてくれたけど、私は返事をすることができなかった。


「案内人……! 案内人、どこ!?」


 部屋に入るなり、私は久しぶりに案内人を呼び起こした。


『ふわぁぁ、お久しぶりですねえ……』


 案内人は、長い眠りにでもついていたのか、ひどく眠たそうな声で答えた。

 彼と話すのは本当に久しぶりだ。私がこの世界にやってきて、最初にルールを聞かされて数回話してから呼んでいなかったので、約二年ぶりだった。


 「お久しぶりです。単刀直入に言います。春樹くんの声を、戻してください」


『春樹……? ああ、あの新入りの少年のことか』


 もし案内人に姿形があるのだとしたら、彼は今こめかみをポリポリと掻いているような気がする。私の気持ちとは裏腹に、のんびりとした彼の口調は、私をいくらか苛立たせた。


「そう。春樹くんがルールを破りました。私に自分の正体を話したの。それで罰が与えられて……声を失ってしまったの」


『なるほど。春樹にとって、大切なものが声だったということだね』


「うん。彼は歌手を目指してたから。私のせいで……私のせいで、春樹くんは話すことも歌うこともできなくなっちゃった。ねえ、元に

戻す方法はないの!? 確か最初にルールを説明してくれた時、罰を解除する方法もあるって言ったよね?」


 そう。案内人からこの世界でのルールを聞かされた時、罰について、彼は解除する方法もあるにはあると言っていた。その時は、何のことかからっきし分からず、深く追及することもなかった。

 でも今は、その唯一の罰の解除方法を知りたいのだ。

 自分のせいで、彼が大切なものを失ってしまったというのなら、どうしても彼を元に戻してあげたかった。

 何より私自身、もう一度春樹くんに、「夏海」と名前を呼んでほしかった。

 案内人は何かを考える素ぶりでたっぷりと黙り込んだあと、いつになく真剣な声で「そんな方法は存在しない」と言った。絶望感に胸が打ちひしがれる。目の前が真っ暗になり、その場に卒倒しそうだった。


『——と言いたいところだが、一つだけ、あるにはある』


 案内人は私を揶揄っているのか、そう付け加えた。意識が飛びそうになっていた寸前のことで、私はすんでのところで持ち堪える。


「それはなに!? 早く教えてっ」


 一刻も早く春樹くんを元に戻したい一心で、私は部屋の中で叫んだ。もし案内人が目の前にいたら、彼の胸ぐらを掴んでいたかもしれない。


『まあ、落ち着きなさい。夏海、|きみだって分かっているだろう《・・・・・・・・・・・・・・》? この世界が、どうしてできたのか(・・・・・・・・・)。|私たち案内人が誰なのか《・・・・・・・・・・・》』


 質問とは全然違う答えが返ってきて、私は拍子抜けした。

 案内人の言葉に、私は呻くようにして頭を抑えた。 

 どうしてだろう。頭が、痛い。

 私の中で、何か大切なことを忘れているような気がしてならないのだ。そのことを思い出そうとして、頭がズキズキと大きく脈を打っている。


「分からない……あなたは、誰……? 春樹くんの声はどうやったら治るの? ねえ、おしえて。おしえてよ……」


 子供が泣いているみたいなか弱い声が、自分の口から漏れ出ていた。

 誰でもいい。案内人にできないのなら、神様。神様がいるのなら、私の声を聞いてほしい。

 春樹くんを、助けて。


『……まあ、我々の正体は置いておいて。春樹の罰を解く方法、教えてやってもいい』


 私の悲痛な叫びを聞いたからか、案内人はこれまで以上に真剣な声色でそう告げた。

 私ははっと我に返り、


「なに?」


 とすぐさま問う。

 焦る気持ちが、身体中の毛穴から汗になって吹き出していくのが分かった。


『そう焦るな。一度しか言わないから、心して聞いておけ。春樹の罰を解く唯一の方法。それはな、“|春樹の大切なものを、もう一つ失うこと《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》”だ』


「大切なものを、もう一つ失う……?」


 案内人の口から紡ぎ出されたたった一つの答えを、私は反芻した。


『そうだ。春樹が命と同じくらい大切だと思っているものを、失う。失うという定義は、それが何であるかによって変わってくるがな。とにかく春樹がもう二度と手に入らない状態にするんだ。それが条件だぞ。ゴミ箱に捨てて、気が変わってゴミ箱から再び取り出せるような状態は、“失う”とは言わない。燃やすなり海に投げ捨てるなりして、完全に、春樹の目の前から消去するんだ。そうすれば春樹の声は戻る』

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