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06.恐怖侯爵と地下室の謎。

 扉の前に立ち、鍵を使って──私は、扉を開けた。


 ギィィ……。


 鈍い音を立てて開いた扉の向こう。


 そこにいたのは──一人の女性だった。


 ベッドに身を起こして座っている。

 痩せて、頬がこけていて、髪は煉瓦みたいにくすんだ色をしていた。

 ……金髪じゃ、ない。


 虚ろな目が、ゆっくりと私に向けられる。

 視線が合った。けど、どこを見てるのか、分かってないみたい。


「……ぁ……ぁ……」


 かすれた声。

 ベッドに腰かけているのに、その姿はまるで人形みたいに動かない。


 どうしてこんなところに、人が……?


 イシドール様は倉庫って言ってた。なのに。

 ……どう見たって、ここは誰かの「部屋」だ。


 汗がにじむ。喉がひりつく。


 その女の人が、ゆっくりと私を見る。

 しっとりと汗が滲んで、ごくりと息を呑む。


 心臓が早鐘みたいに騒ぎ始めた。嫌な予感。


「いや……ァァあア」


 この、声。

 背筋がゾクリとした。

 夜中に聞いた、あの悲鳴。やっぱり……この人!


「あなたは誰? どうしてこんなところに──」


 言いながら、頭の中がグラグラする。

 考えたくない。けど、考えずにはいられない。


「まさか……ラヴィーナさんなの?」


 その名前を出すと、カッと目を見開いて、私の体はビクッと跳ねる。


「ラヴィ……ぁ、ぁ、アアアァ゛アアアぁッ」


 いきなり叫びながら泣き出した。

 えっ、なに? なんで!?

 怖い、でも、放っておけない!


「あの、ラヴィーナさん!? 大丈夫──」

「レディア」


 冷たい声が背後から刺さった。

 ピシッと凍るような、乾いた声音。


 この声は──絶対に、間違えない。


 私は、ゆっくりと、首を振り向く。


「イシドール様……!」

「……何をしているんだ」


 どうしよう、まさかこんなに早く帰ってくるだなんて……!


「あの、これは……そのっ」


 カツンと一歩進むイシドール様。

 お、怒ってる……?

 当然か、ここには入るなって言われたのに、足を踏み入れちゃったんだもの。鍵まで盗んで。

 ああもう、ここは素直に謝るっきゃない!


「ごめんなさい! でも隠されれば気になります! どうして奥さんをこんなところに閉じ込めているんですか!?」


 恐怖侯爵の冷たい目。

 心臓がバクンバクンってうるさい。

 そんな私に、イシドール様の唇が開く。


「彼女は──シャロットの母親ではない。勘違いをするな」


 淡々と、そう告げた。

 え……ラヴィーナさんじゃ、ない?

 金髪じゃないからおかしいとは思ったけど……

 ええい、ここまできたらもう、聞かなきゃやってられない!


「じゃあ、彼女は、誰なんですか?」


 私の問いに、イシドール様は何も言わずに黙ってる。

 でも、しばらく沈黙が続いたあと、ぽつり、ぽつりと、少しずつ言葉をこぼし始めた。


 その声はとても静かで……でも胸の奥に押し込んでいた苦しさが滲んでて……。

 私は自然と息をひそめて、耳を澄ませた。


「彼女の名前はクラリーチェ。ラヴィーナの親友で、男爵家の令嬢だった」


 ラヴィーナさんの……親友?


 少しだけ、胸がざわつく。でも、何も言わない。今は、イシドール様の言葉をちゃんと聞きたい。


「……ラヴィーナと結婚したのは、世間が言うような“恋の成就”なんかじゃない。俺が一方的に惚れた。出会った瞬間から目が離せなくて……どうしても、手放したくなかったんだ」


 その声は、まるで罪を打ち明けるみたいに低くて、どこか苦しそうで。


「ラヴィーナは、俺を愛してなんかいなかった。侯爵家との縁談を、伯爵家の娘として断れなかっただけだ」


 胸がぎゅっと締めつけられた。

 それは、あまりに悲しい。でも、貴族の世界じゃ……よくある話。私だって覚悟はあったもの。あった、けど。


「最初は、それでも笑ってたんだ。少しずつ家族になって、愛を育てていけると……そう、信じていた」


 でも、それはきっと、イシドール様だけの願いだった。


 ──今の私みたいに。


「ラヴィーナには子どもの頃から想い合っていた相手がいた。庭師の息子で……身分違いの恋だったらしい」


 イシドール様は、ふっと視線を落とす。


「シャロットが三歳の頃、何も知らずに、俺はその庭師を屋敷に雇ってしまった」


 私は思わず息をのんだ。


「まさか……その庭師って……」

「ああ。ラヴィーナの、本当の想い人だった」


 頭の中が一瞬、真っ白になる。


 うわ……それは、こう……偶然って恐ろしいというか、運命って容赦ないというか……ああもう、言葉が出てこない。


「それから一年。ふたりはまた惹かれ合い……ある日、駆け落ちした。何の前触れもなく、突然に。俺はその時まで、まったく気づいてなかった」

「……そんな……」


 情けないくらい、呆然として。それしか言えなかった。

 イシドール様は、ほんの少しだけ眉を寄せている。


「そして、クラリーチェ──二人の駆け落ちを手引きしたのが、彼女だ」


 イシドール様の視線を追って、クラリーチェの方を見る。

 じっと宙を見つめて、まるで魂が抜けてしまったかのようなその姿に、背筋がぞくっとした。


 ま、まさか……イシドール様、彼女に罰として閉じ込めたの──!?


 怖い想像が脳内を駆け抜けて、思わず口が勝手に動く。


「そ、そんな……たしかに、良くないことだったかもしれません。でも、だからって、こんなところに閉じ込めて、壊れるまで放っておくなんて……!」

「違う」


 イシドール様は、静かに首を振った。


 え、違うんですか?


 その表情は穏やかで、でも、断固としていて。


「彼女はラヴィーナの訃報を聞いて、壊れてしまったんだ」

「ふ、訃報……?」


 聞き返す私に、イシドール様は小さく頷いた。

 やっぱりラヴィーナさんは、亡くなっていたってこと……?


「駆け落ちのことが家に知られて、クラリーチェは男爵家から追放された。貴族の娘にとっては、致命的な行為だった。家は彼女を庇わず、“面汚し”として切り捨てた」


 なんて、厳しい世界。……いえ、知ってたけど、改めて大変な世界よね……。


「彼女はその後、償いのつもりだったのかもしれない。シャロットの母親が自分のせいでいなくなって、何かできることはないかと申し出てきた。……俺は、放り出された彼女が不憫で、雇うことにした」


 イシドール様は目を伏せた。


 え。……それ、普通にすごくないですか?

 愛する妻の駆け落ちを手引きした相手ですよ?

 いや、ほんと、怒ってもいいのに!


 あまりの懐の深さに、私が泣きそうです。


「クラリーチェは、召使いとして静かに暮らしていた。だがある時、“ラヴィーナは病死した”という噂を耳にしてしまったんだ」

「ラヴィーナさん……本当に……?」

「いや。嘘だ。俺たちで口裏を合わせて、そういうことにした」


 ……嘘だった! ああ、でも……嘘でよかった!!


「どうして、そんな嘘を?」


 思わず問いかけた私に、イシドール様は、少しだけ唇を震わせて答えた。


「真実を話せば、シャロットは“母に捨てられた”と思う。……それだけは、させたくなかった」


 その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。


 ほんと、シャロットに関しては、限りなく甘くて優しいんだから、この恐怖侯爵様は。


「だが、その嘘がクラリーチェを追い詰めた。彼女は、自分のせいでラヴィーナが死んだと思い込んでしまった。この屋敷にいたままなら、適切な治療を受けて生きられたはずだと」


 シャロットを守るための嘘が、彼女には真実になってしまったんだ……。


 私はクラリーチェを見つめた。

 動かない。うつろな目。閉じてしまった心。


「ら、ヴィ……ァアア。ごめ、なさアアッああァァァ──」


 その叫びは、死んだと思い込んでる親友への、謝罪なの──?


「彼女は、自分を責めるあまり……心を閉ざしてしまった。本当は生きていると伝えても、聞き入れないんだ。もう……元には戻らないかもしれない」


 私は唇を噛んだ。だけど、どうしても言わずにいられなかった。


「……でも、だからって、こんなところに隠すようにして……」

「光を嫌がるのも、彼女自身だ。俺は、せめて穏やかに過ごせるようにと……ここに、療養のための部屋を用意しただけだ」


 その声は、優しくて、でもどこか、切なかった。


 ──でも。


「……それなら、どうして鍵をかけてるんですか?」


 イシドール様は、ほんの一瞬だけ目をそらした。そして静かに、でも重く、言葉を落とす。


「……外に出れば、自傷しようとする。逃げようとしてるんじゃない。罰を受けようとしているんだ。だから……医師と相談して、閉じ込めるしかなかった」


「……そんな……」


 やるせなさに、胸がきゅうっと痛む。

 だけど、もうひとつ、聞かずにはいられなかった。


「じゃあ……どうして、私には黙っていたんですか?」


 イシドール様は、しばらく黙っていた。


 それから、ぽつりとこぼす。


「……言うべきだったんだろう。ただ、君がどう思うのか……怖かった」

「え?」


 私の口から、間の抜けた声が出た。……え、怖い?


 この、恐怖の代名詞みたいなイシドール様が……私の反応を、怖がる?


「……どうしてです?」


 本気で、わからなかった。

 イシドール様って、もっとこう、鉄壁で最強で、誰が何を言おうと気にしない鋼メンタルだと思ってたのに。


 だけど、私の問いには答えてくれなかった。ただ、静かに目を伏せたまま。


 ……でも、なんとなく、伝わってきた気がする。


「──私、怒ってませんよ?」


 小さく、そっと、そう言ってみた。聞こえてたかどうかは、わからないけれど。


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