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恐怖侯爵の後妻になったら、「君を愛することはない」と言われまして。  作者: 長岡更紗


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23/26

23.ストロベリー侯爵は、鍵を託す。

 長い時間じゃなかったと思う。

 けれど、ラヴィーナさんがクラリーチェの涙をハンカチで拭って落ち着いた時には、部屋の空気がまるで別物みたいに感じられた。


 その空気の中で、イシドール様が前に出る。


「クラリーチェのことは、任せておいてくれ」


 落ち着いた低い声。

 だけど、その一言には、深い覚悟と優しさが宿ってた。


 ラヴィーナさんが、ゆっくりとイシドール様の方を向く。

 そして、わずかに揺れるまなざしのまま、すっと頭を下げた。


「……ありがとうございます。お願いします」


 二人の信頼が見てとれた。

 なんていうか、さすが元夫婦だなって。

 でも嫉妬はしなかった。する必要もなかったから。


 階段をのぼると、重かった空気がふわりと軽くなる。

 そこで待っていた家礼のエミリオが、イシドール様のもとに近づいて一礼した。


「外で、馬車をご用意しております。そちらでシャロット様もお待ちです」


 もうラヴィーナさんは帰る時間だ。

 イシドール様はエミリオに地下室の鍵を託すと、玄関へと向かった。

 外に出たその時、馬車のそばに立つシャロットの姿が目に飛び込んできて──私は思わず息をのんだ。胸の奥が、ぎゅっと鳴る。


 まさか、もうラヴィーナさんと一緒に行くつもり?


 焦りと戸惑いが一気に押し寄せてきて、足がすくみそうになる。

 でもシャロットは、駆け寄って、笑って、まっすぐにラヴィーナさんの胸に飛び込んだ。


「きてくれてありがとう、ママ!」


 その言葉にほっとする。

 別れの挨拶だ。シャロットはまだ、ここを出て行かない。今のところは、だけど。

 ……心臓に悪い。


 ラヴィーナさんはそんなシャロットをしっかりと抱きとめる。


「ママも、シャルに会えて嬉しかった……!」


 その一言に、すべてが詰まってた。

 どれだけの思いが込められた言葉かなんか、すぐにわかる。


 二人はお互いに、長い長い抱擁を交わして。


 少しすると、ラヴィーナさんは馬車へと乗り込んだ。

 御者が手綱を取り、車輪が軋む音が静かに響く。


 ラヴィーナさんが中から顔を見せると、シャロットが不意に唇を噛み締めて。

 遠ざかろうとする馬車を見て、シャロットはぱっと走り出した。


「またね、ママ! またね!!」


 必死に叫びながら、馬車を追いかける。

 伸ばした手が届かなくても、走る足が止まらない。


「ママ、ママーー!!」

「シャル!! また、また会えるわ!」

「ぜったい、ぜったいよ!! ママーーーーッ!!」


 幼い足では、どんどんと馬車が遠くなっていって。

 一人、ぽつんとシャロットは立ち尽くした。


 なんとなく、思う。

 シャロットは本当に……ママを選んでしまうかもしれないって。


 私とイシドール様は、ゆっくりとシャロットに近づいた。


 風が吹いて、彼女の金の髪がやさしく揺れる。

 その横顔が、少しだけ大人びて見えた気がした。

 涙は、流していなかった。


 シャロットはもう、ちゃんと前を向いてる。

 そしてきっと、今日という日が、彼女の中の何かを変えた。


 そんな風に、私は思えた。






 家に戻ると、シャロットは「おへやであそぶ」と言って、自分の部屋に入っていく。

 いつもなら、『レディアおねえちゃんも!』って誘ってくれるけど、誘われなくて……


「シャロットも、考える時間が必要なんだ」


 イシドール様が落ち込む私の肩を抱いて、そう言ってくれた。


 私の中にも、まだ余韻が胸の中に残ってる。

 クラリーチェとラヴィーナさんのこと。

 そして、シャロットの「ママーー!」と叫ぶ声。


 抱きしめてあげたい。けど、いらないって言われそうで。

 ……私は本当の母親じゃ、ないもの。


 だけど、お昼ご飯の時間になっても出てこなかったのは、さすがに心配になった。

 私は、静かにシャロットの部屋の扉をノックする。


「シャル、ちょっといい?」

「……いいよー」


 入ると、ベッドの上でシャロットが膝を抱えて、私を見ていて。

 泣いてるのかなって思ったからドキドキしたけど、笑顔を見せてくれてほっとする。


「なにー?」

「ねえ、シャロット。昨日は誕生日だったよね」

「……うん」


 昨日の朝はずっとシャロットがそわそわしていて祝う暇がなかったし、そのあとはずっとラヴィーナさんと一緒だったから、渡す暇がなかった。


「昨日、ちゃんとお祝いしてあげられなくて、ごめんね」

「ううん。ママがおたんじょうびおめでとうしてくれたから、だいじょうぶ」


 母親に祝われたことを思い出したのか、シャロットはニパッと笑った。

 いい誕生日になったみたいで、よかった。


「私にも祝わせてくれる? 私がここにきて、初めて迎えるシャロットの誕生日だから」

「うん、いいよー。シャル、レディアおねえちゃんにもおめでとうしてほしかったの!」


 ……もしかして、私のプレゼントを待ってた?

 言葉には出さずに?

 ……もう、どうして言ってくれないの、この子は。我慢し過ぎよ…!


 私は手に持っていた包みを、シャロットへと差し出した。

 小さな、でも丁寧に包んだ、ラッピング。


「シャロットのために、選んだの。遅くなっちゃったけど、お誕生日おめでとう」

「わぁ……あけたい!」

「もちろんよ、開けてみて」


 少し元気を見せたシャロットが、リボンをほどいていく。

 そっと開いた木箱の中には——


 細いチェーンのついた、小さな銀のペンダント。


 中央には、澄んだ青のサファイアが一粒。

 その石をそっと包むように、左右にひらいた小さな天使の羽のモチーフが寄り添っていた。

 空に浮かぶ祈りのような、やさしくて軽やかなデザイン。


「……かわいい……! きれえ!」


 シャロットの目が輝いていて、私はいつの間にか笑顔になる。


「これ、見た瞬間にね、シャロットだーって思ったの」

「シャル?」

「うん。青いサファイアは、シャロットの瞳みたいできらきらしてて……天使がモチーフなんて、シャロットにぴったりだもの」

「ほんと? ぴったり?」

「ええ、ぴったり!」


 力強く頷いた私に、シャロットは本物の天使に負けないような笑顔を見せてくれた。

 ああもう、やっぱり……あなたの笑顔は、誰よりも最高よ。


「ほうせきも、きれえ!」

「その石ね、『サファイア』っていうの。強くて、まっすぐで、やさしい人が持つと、もっと輝くんだって」

「やさしい人が……?」

「シャロットが持つと、もっとピカピカに光るわ、きっと」


 私は、そう言いながら、シャロットの首にそっと手を伸ばして、ペンダントをつけてあげた。


「似合ってる。すごく、似合ってるよ」

「ほんと!?」


 シャロットは宝箱の中から、手鏡を取り出して自分を覗く。


「わぁ……ありがとう、レディアおねえちゃん。シャル、ほんとに、ほんとにうれしい!」


 シャロットが心から喜んでくれているのがわかって、私も胸がいっぱいになる。


「六歳おめでとう、シャロット。生まれてきてくれて、本当にありがとう」

「シャル、レディアおねえちゃん、だーいすき!!」


 そう言ってシャロットは私の腕に飛び込んできた。

 私はその小さな体を、優しく抱きしめ返す。


 シャロットと出会って半年。

 まだまだ小さいけど、半年前と比べるとぐんと大きくなっている。


 私は……もっともっと、シャロットの成長を見守りたい。

 でも、だからって……パパを選んで、なんて、言えなかった。

 これは、シャロットが自分で決めなきゃいけないことだから。


 私はぎゅっと、ぎゅううっと、シャロットの体を抱きしめた。

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花嫁の身代わりでしたが、皇帝陛下に「美味だ」と囁かれています。

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