表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/26

02.恐怖侯爵はなにかを隠してる

 それから私とシャロットは時間を忘れてたっぷりと遊んだ。

 いい加減に戻ろうと説得する頃には、シャロットはうとうとし始めていて。


「抱っこしようか?」


 私の問いに両手を広げてくれて、そっと抱き上げる。

 すると一分もしないうちに、シャロットはこてんと寝てしまった。

 今日はお昼寝もなしに遊んでしまったものね。怒られちゃうかな。

 五歳って意外に重くて、運ぶのも大変。

 疲れた足に鞭を打って玄関まで戻ると、ちょうど恐怖侯爵……もといイシドール様がちょうど帰ってきたところだった。


「イシドール様……おかえりなさいませ」

「寝ているのか」


 ただいまもなしに、イシドール様はギラリと私を睨んだ。

 思わず体が固まりながらも、コクっと頷いて見せる。


「申し訳ありません。遊び疲れてしまったようで……」

「俺が運ぶ」


 相変わらずの威圧感のまま、イシドール様は私の手からシャロットを奪っていった。

 愛娘が私に抱かれているのは気に入らなかったのかもしれない。

 距離を詰めなきゃ、仲良くならなきゃと思うけど、なにを話していいものかわからない。


 部屋にシャロットを寝かした後、私とイシドール様の食事が始まった。

 いつもはシャロットがいるから空気も明るいけど、今日はたった二人での食事。

 ああ、カトラリーの音がやたらと気になるわ。沈黙をどうにか破らないと!


「あの、今日は申し訳ありませんでした……」

「なにを謝っている?」


 イシドール様の眉間にぐいっと皺が寄った。

 ひぃ。やっぱりちょっと怖いし、緊張する。


「シャロットと時間を忘れて遊んでしまい、お昼寝もさせなかったので食事の時間に寝させることになってしまって……」

「構わない。食事は起きた時にすればいい話だ」

「はい、すみません……」

「謝るな。そんなに俺が怖いか?」


 イシドール様の冷ややかな氷の目が突き刺さる。

 これ、なんて答えればいいの?!


「え、っと……その……」

「正直に言ってもらおう」


 正直に……本当に言っていいの? 怒らないかな……。


「あの、確かに怖いなと感じる時はあります……あ、でも! シャロットに対してはすごく甘いお顔をなさっているので、優しい方なんだろうって思っています」


 言っちゃった。

 イシドール様のアイスブルーの瞳が私を見てる。

 冷や汗が流れてきちゃったわ。正直に言いすぎた? どうしよう、機嫌を損ねて出ていけって言われたら……


「そうか」


 だけど予想に反してイシドール様はそれだけを言い、食事を再開した。

 ……セーフだった?

 ほっとしてガチガチに固まっていた肩を弛緩させる。


「シャロットは随分と君に懐いているようだな」


 食事をとりながらイシドール様がぽそりと言った。

 今のは独り言……じゃないわよね?


「はい、とてもありがたいです。私もシャロットのことは本当の娘のように感じて……」

「君はシャロットの本当の母親じゃない。無理はするな」


 ピシャリと言い切られて、浮かれた心が一瞬で沈んだ。

 不仲の両親に愛されず育てられた私が、シャロットのことはかわいいと、愛しいと感じ始めている。いいえ、すでに愛おしさしか感じていないのに。


「……私の気持ちを、否定しないでくださいっ」


 気づけば私は、そんな言葉を叫んでいた。


「そりゃ、私はシャロットの本当の母親じゃないですけど、シャロットの心のよりどころになれたらいいって、心から思ってるんです!! 私はもう、あの子の母親のつもりでいますから!!」


 勢いのまま続けてしまった私を、イシドール様はじっと見ている。

 母親のつもりでいるなんて、迷惑でしかないのかもしれない。きっとイシドール様の中では、自分の妻も娘の母親も、変わらず一人だけなんだろうから。


「……シャロットに、俺が再婚したことは伝えていない」


 少ししてイシドール様から放たれた言葉はそれだった。

 まぁそうだろうなとは思っていたけど。使用人の皆さんも、私のことを『奥様』ではなくて『レディア様』って呼んでくるし。


「けれど書類上は夫婦ですし、私はシャロットの母親ですよね?」

「そうだ」

「どうしてシャロットには再婚を教えないんですか?」

「母親が二度もいなくなっては、娘がショックを受けるだろうからな」


 無愛想な恐怖侯爵が口の端を開けて笑った。瞬間、私の背筋にぞぞぞっと怖気が走る。

 今のは、どういう意味なの……。

 母親が二度も……二度目は私、ということ……?


「そういえば君の生い立ちは酷いもののようだな」

「酷いというほどでは……家が立ち行かなくなるところをイシドール様に救っていただけたことは感謝しています」

「金で娘を売るような家だ。君の両親と兄は、君を道具くらいにしか思っていないんだろう?」


 イシドール様の言葉に私の体はこわばった。

 家族からは暴力を受けたわけでも、食事を抜かれたわけでもない。家庭教師はつけてくれたし、社交界にも出してもらえた。

 ただ、兄第一主義者の両親は私に関心がなく、兄も私に興味がなかった……それだけ。

 道具というのは言い得て妙かもしれない。


「君がいなくなっても、誰も騒ぎ立てたりはしないだろう。安心してくれ」

「……それはどういう──」

「シャロットと仲良くなるのはいいが、別れの時につらくなるのは君とシャロットだ。ほどほどにしておくといい」


 相変わらずの威圧感でイシドール様からの言葉は終わった。

 今の会話は、一体なんなの?

 私がいなくなっても、誰も騒ぎ立てない……確かにその通りだわ。この屋敷の人はイシドール様の命令に背くことはなさそうだし、私の実家も私がいなくなったところで騒ぎ立てないだろう。


 私はいなくなる前提で、後妻に選ばれたということ……? どうして……?


「ああ、大事なことを言い忘れていた」


 スプーンも動かせずに固まっていると、イシドール様は温かいスープが凍るほどの勢いで鋭く私を睨んだ。


「地下に倉庫があるが、そこには決して近づくな」

「倉庫、ですか?」

「たまに音がすることもあるかもしれないが、気にしないことだ。いいな」


 その『いいな』は有無を言わせない迫力があって、私はこくこくと顔を上下に動かすほかなかった。

 地下に一体なにがあるというのだろうか。それを考えると背筋が凍える。


 まさか……前妻のラヴィーナさんがそこに……?

 たしか、ラヴィーナさんは雲隠れしたって話だった。噂では、恐怖侯爵から逃げ出したんだと。

 でも本当は逃げ出したんじゃなくて、監禁されているのかもしれない。それか、もうすでにそこで……


 私は会ったこともない金髪の女性が地下室で息絶えている姿を想像して、身震いした。

 もしそうだとしたら、シャロットが“ママは死んだ”と言っているのも納得ができる。


 ──考えすぎよ。そうと決まったわけじゃない。そんなわけないじゃないの。


 だけど一度よぎった想像は、なかなか頭の中から離れてくれない。


「あの……前の奥様とは、どういう経緯でご結婚されたんでしょうか」


 私は心臓をドッドと鳴らしながら、おそるおそる聞いてみた。

 彼女も私と同じように、売られるようにここに来たのかもしれないと思って。


「ラヴィーナとは社交界で出会った。俺の一目惚れだ」

「一目惚れ……ですか」


 意外な言葉が出てきて、私はパチパチと目を(しばた)かせた。

 この恐怖侯爵が……一目惚れ!!

 確かにあのかわいいシャロットの母親なら、めちゃくちゃ美人だろうけど!!


「そんなに意外か?」

「いえ、あの……つい。イシドール様にそういう一面があるんだと知れて、嬉しいです」

「俺にだって人の心はある」

「はい」


 ふふっと思わず微笑むと、イシドール様はほんの少しだけ恥ずかしそうに顔を伏せた。

 なんだ。イシドール様も、普通の方なのね。


「それで、どうされたんですか?」

「即座に求婚した。俺は両親が早くに他界していてすでに侯爵を継いでいたし、反対する者はいなかったからな」


 即座に求婚!?

 ど、どんな顔で求婚したのかしら、イシドール様……その場に立ち会ってみたかった!!


「それで、受け入れてもらえたんですか?」

「うちは権威のある侯爵家だからな。断る家などないだろう」


 確かに。同じ侯爵家かそれ以上でない限り、そうそう断れる話じゃない。

 一目惚れだとしたら、消えてもいい人を選んで娶ったわけでもなさそうね。ちょっとほっとした。


「奥さんを、愛していたんですね」

「……ああ」


 眉は恐ろしく吊り上がったままのイシドール様だけど、どこか照れと寂しさを感じ取れた気がした。

 そっか……ちゃんとラヴィーナさんを愛していたのね。

 安堵と同時に、なぜだか胸が痛んだ。

 二番目の妻である私は、間違っても一目惚れされるような容姿じゃない。

 くすんだ灰色の髪と瞳。スタイルも出るべきところはお粗末だし、背も低めだから流行りのドレスには着せられちゃって無様だし。

 前の奥さんとは、なにもかもが違うわ。

 一目惚れされるくらい美人で愛されたラヴィーナさんと、消えても誰も気にしない、愛すことはないと宣言されるような私とでは。


 夫に愛されていたラヴィーナさんが羨ましい。


 こんな感情を抱いても仕方ないってわかってるけど。


「……そのラヴィーナさんは、どこへ行ったんですか? シャロットには亡くなったと言っているようですが、それはどうして──」


 そこまで言って、私は『ひっ』と声にならない声をあげて言葉を止めた。

 突き刺さる恐怖侯爵の氷の瞳。

 極寒の地に放り出されたように冷え固まった私に、侯爵は──


「詮索するな……!」


 一言重圧をかけて、そのまま出て行った。

 乱れたカトラリーと、斜めになった主が不在の椅子。

 一人残された私はイシドール様の怒りの顔を思い出し、はぁはぁと小刻みに息を往復させながら震えていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花嫁の身代わりでしたが、皇帝陛下に「美味だ」と囁かれています。

行方知れずを望んだ王子と、その結末 〜王子、なぜ溺愛をするのですか!?〜

婚約破棄されたので、全力で推し活しますわ! 王子の尊さに気づけないなんて、お気の毒ですわね?

ざまぁされたポンコツ王子は、真実の愛を見つけられるか。

サビーナ

▼ 代表作 ▼


異世界恋愛 日間3位作品


若破棄
イラスト/志茂塚 ゆりさん

若い頃に婚約破棄されたけど、不惑の年になってようやく幸せになれそうです。
この国の王が結婚した、その時には……
侯爵令嬢のユリアーナは、第一王子のディートフリートと十歳で婚約した。
政略ではあったが、二人はお互いを愛しみあって成長する。
しかし、ユリアーナの父親が謎の死を遂げ、横領の罪を着せられてしまった。
犯罪者の娘にされたユリアーナ。
王族に犯罪者の身内を迎え入れるわけにはいかず、ディートフリートは婚約破棄せねばならなくなったのだった。

王都を追放されたユリアーナは、『待っていてほしい』というディートフリートの言葉を胸に、国境沿いで働き続けるのだった。

キーワード: 身分差 婚約破棄 ラブラブ 全方位ハッピーエンド 純愛 一途 切ない 王子 長岡4月放出検索タグ ワケアリ不惑女の新恋 長岡更紗おすすめ作品


日間総合短編1位作品
▼ざまぁされた王子は反省します!▼

ポンコツ王子
イラスト/遥彼方さん
ざまぁされたポンコツ王子は、真実の愛を見つけられるか。
真実の愛だなんて、よく軽々しく言えたもんだ
エレシアに「真実の愛を見つけた」と、婚約破棄を言い渡した第一王子のクラッティ。
しかし父王の怒りを買ったクラッティは、紛争の前線へと平騎士として送り出され、愛したはずの女性にも逃げられてしまう。
戦場で元婚約者のエレシアに似た女性と知り合い、今までの自分の行いを後悔していくクラッティだが……
果たして彼は、本当の真実の愛を見つけることができるのか。
キーワード: R15 王子 聖女 騎士 ざまぁ/ざまあ 愛/友情/成長 婚約破棄 男主人公 真実の愛 ざまぁされた側 シリアス/反省 笑いあり涙あり ポンコツ王子 長岡お気に入り作品
この作品を読む


▼運命に抗え!▼

巻き戻り聖女
イラスト/堺むてっぽうさん
ロゴ/貴様 二太郎さん
巻き戻り聖女 〜命を削るタイムリープは誰がため〜
私だけ生き残っても、あなたたちがいないのならば……!
聖女ルナリーが結界を張る旅から戻ると、王都は魔女の瘴気が蔓延していた。

国を魔女から取り戻そうと奮闘するも、その途中で護衛騎士の二人が死んでしまう。
ルナリーは聖女の力を使って命を削り、時間を巻き戻すのだ。
二人の護衛騎士の命を助けるために、何度も、何度も。

「もう、時間を巻き戻さないでください」
「俺たちが死ぬたび、ルナリーの寿命が減っちまう……!」

気持ちを言葉をありがたく思いつつも、ルナリーは大切な二人のために時間を巻き戻し続け、どんどん命は削られていく。
その中でルナリーは、一人の騎士への恋心に気がついて──

最後に訪れるのは最高の幸せか、それとも……?!
キーワード:R15 残酷な描写あり 聖女 騎士 タイムリープ 魔女 騎士コンビと恋愛企画
この作品を読む


▼行方知れずになりたい王子との、イチャラブ物語!▼

行方知れず王子
イラスト/雨音AKIRAさん
行方知れずを望んだ王子とその結末
なぜキスをするのですか!
双子が不吉だと言われる国で、王家に双子が生まれた。 兄であるイライジャは〝光の子〟として不自由なく暮らし、弟であるジョージは〝闇の子〟として荒地で暮らしていた。
弟をどうにか助けたいと思ったイライジャ。

「俺は行方不明になろうと思う!」
「イライジャ様ッ?!!」

側仕えのクラリスを巻き込んで、王都から姿を消してしまったのだった!
キーワード: R15 身分差 双子 吉凶 因習 王子 駆け落ち(偽装) ハッピーエンド 両片思い じれじれ いちゃいちゃ ラブラブ いちゃらぶ
この作品を読む


異世界恋愛 日間4位作品
▼頑張る人にはご褒美があるものです▼

第五王子
イラスト/こたかんさん
婿に来るはずだった第五王子と婚約破棄します! その後にお見合いさせられた副騎士団長と結婚することになりましたが、溺愛されて幸せです。
うちは貧乏領地ですが、本気ですか?
私の婚約者で第五王子のブライアン様が、別の女と子どもをなしていたですって?
そんな方はこちらから願い下げです!
でも、やっぱり幼い頃からずっと結婚すると思っていた人に裏切られたのは、ショックだわ……。
急いで帰ろうとしていたら、馬車が壊れて踏んだり蹴ったり。
そんなとき、通りがかった騎士様が優しく助けてくださったの。なのに私ったらろくにお礼も言えず、お名前も聞けなかった。いつかお会いできればいいのだけれど。

婚約を破棄した私には、誰からも縁談が来なくなってしまったけれど、それも仕方ないわね。
それなのに、副騎士団長であるベネディクトさんからの縁談が舞い込んできたの。
王命でいやいやお見合いされているのかと思っていたら、ベネディクトさんたっての願いだったって、それ本当ですか?
どうして私のところに? うちは驚くほどの貧乏領地ですよ!

これは、そんな私がベネディクトさんに溺愛されて、幸せになるまでのお話。
キーワード:R15 残酷な描写あり 聖女 騎士 タイムリープ 魔女 騎士コンビと恋愛企画
この作品を読む


▼決して貴方を見捨てない!! ▼

たとえ
イラスト/遥彼方さん
たとえ貴方が地に落ちようと
大事な人との、約束だから……!
貴族の屋敷で働くサビーナは、兄の無茶振りによって人生が変わっていく。
当主の息子セヴェリは、誰にでも分け隔てなく優しいサビーナの主人であると同時に、どこか屈折した闇を抱えている男だった。
そんなセヴェリを放っておけないサビーナは、誠心誠意、彼に尽くす事を誓う。

志を同じくする者との、甘く切ない恋心を抱えて。

そしてサビーナは、全てを切り捨ててセヴェリを救うのだ。
己の使命のために。
あの人との約束を違えぬために。

「たとえ貴方が地に落ちようと、私は決して貴方を見捨てたりはいたしません!!」

誰より孤独で悲しい男を。
誰より自由で、幸せにするために。

サビーナは、自己犠牲愛を……彼に捧げる。
キーワード: R15 身分差 NTR要素あり 微エロ表現あり 貴族 騎士 切ない 甘酸っぱい 逃避行 すれ違い 長岡お気に入り作品
この作品を読む


▼恋する気持ちは、戦時中であろうとも▼

失い嫌われ
バナー/秋の桜子さん




新着順 人気小説

おすすめ お気に入り 



また来てね
サビーナセヴェリ
↑二人をタッチすると?!↑
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ