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10/26

10.ストロベリー侯爵は、意地悪な王子様。

 その日は、雨が降っていた。

 窓を打つ雨の音が、ぽつぽつと心地よく響いている。


「ねえ、レディアおねえちゃん。シャル、つまんないの」


 外で遊べないシャロットは、ソファの上でぬいぐるみを横に転がし、ふにゃりとした声で訴えてきた。


「そろそろ限界かしらね。三冊絵本読んだし、積み木もしたし……」


 どうしよう? 雨の日は、シャロットの大好きなお庭の散歩に行けないから、困っちゃう。


「あ、そうだ。おままごとはどう? おうちの中だけど、公園に行ったつもりとか」

「うーん。あっ、じゃあね!」


 シャロットの目がぱっと輝いた。ぬいぐるみを抱きしめたまま、勢いよく立ち上がる。


「パパも呼んでくるー!」

「えっ!? あ……」


 止める間もなく行っちゃった。

 イシドール様はお仕事中なんだけど、大丈夫かしら……。

 多分、あのストロベリー侯爵様は、シャロットの願いを──


「連れてきたー!」


 断らないのよね。

 シャロットに手を引かれるイシドール様は、まんざらでもなさそうから、いっか。


「なにをするんだ? シャル」

「きょうはねー、ぶとうかいごっこするの!」

「舞踏会?」


 お人形たちが並ぶ部屋の真ん中でドヤァッと宣言するシャロット。かわいい。

 でも、舞踏会ごっこって?


「それって、どうするの?」

「それはねぇ」


 うふふっとシャロットが口元を両手で隠す。かわいい。


「シャルはお姫さまで、おねえちゃんは、じじょさんなの」


 私は侍女、うん、順当な役割。


「それでね、パパは王子さま!」

「王子様か……」


 イシドール様は、ちょっと困った顔をしてる。かわいい。

 もうこの空間にはかわいいしかない。


「うん。すっごくカッコよくて、ちょっといじわるだけど、でもほんとはすごーく、やさしいの!」


 ぶっ! ちょっと意地悪設定なのね!


「じゃあ今からよ。すたーと!」

「え? えーと。シャル姫様。あそこに王子様がおられますわ。姫様を見てらっしゃいますわよ?」


 こ、こんな感じでいいのかしら。

 演じるって、ちょっと気恥ずかしくて緊張する。


「まったく、おにいさまったら! おんなのひとが苦手だから、いもうとしかみられないびょーきなの!」


 シャロットの言葉に、イシドール様の眉が少し歪む。


「っぷ。そんな病気があるんですか」

「そぉなの。シャルいがいには、こわいお顔しか、できないびょーきよ!」

「それは大変ですね。というかシャル姫様と王子様は、ご兄妹なんですか?」

「そうよ。おひめさまと王子さまは、ふつうきょうだいでしょ?」


 なるほど、隣国の姫と王子様とかいう設定ではなかったのね。まさかの兄妹だった。しっかりしてる。


「それじゃあ、王子さまは、じじょさんにヒトメボレしてください!」

「ふえ?」


 あ、変な声出ちゃった。

 だって、展開が唐突過ぎるんだもの!


「はい、どうぞ!」


 にっこにこしてるシャロット。

 うん、断れる雰囲気じゃない。


 イシドール様が真剣な顔で私に近づいてきて──

 私の前で跪いた!!


「我が妹の侍女よ。一目惚れしてしまいました。俺と結婚してください」


 私を見上げるイシドール様……どうしよう、キラキラしてる。本当に、王子様みたい。

 っていうか、プロポーズだ。私、生まれて初めてプロポーズされた!


「えと、あの、その……っ」


 わぁ、どうしよう。演技だってわかってるのに、めちゃくちゃドキドキしちゃって声が出てこない……っ!


「はい、おねえちゃんはおっけーするのー!」


 展開が早いですね!?


「う、うれしいです……プロポーズ……ありがとうございます。私も一目見た時から……王子様のことが好きでした」


 やだなにこれ恥ずかしいっ!

 でもシャロットは満足そうにニコニコしてる。


「じゃあ、つぎはダンスです!」

「ダ、ダンス……って、あの、踊るの?」

「うんっ! 王子さまとおきさきさまがおどらなきゃ、ぶどうかいじゃないでしょ?」

「もうお妃になってるの!?」


 流れるような進行に、私の心の準備がまったく追いつかない。


「はい、もっとちかづいてー。ほっぺがくっつくくらい!」


 シャロットには普通かもしれないけど!

 そんな簡単な距離感じゃないから!


 でも、イシドール様は静かに私の前に立ち、手を差し出してくる。


「手を」

「ぁ……、はい……」


 ほんの一瞬、指が触れ合っただけで、心臓が跳ね上がった。

 イシドール様の手が、腰にそっと添えられて──


「……震えているのか?」

「震えてません……!」

「大丈夫だ。俺も少し、緊張している」


 嘘だ。そんな顔じゃない。

 いつもみたいに、落ち着いていて、でもちょっとだけ、意地悪そうな目をしてる。


 やだ、見ないで……それ以上、優しくしないで……。


 でも、視線を逸らそうとしたら、今度は耳元に声が落ちてくる。

 簡単なボックスステップが踏まれて、私たちは踊る。

 どうしよう、もう……死ぬ。


「じゃあつぎはー! けっこんしきごっこー!」


 早い早い!

 もうちょっと長くてもよかったかもー!!


「あの、シャロット? もうお妃になってるんだから、結婚式ごっこはいらないんじゃないかなー?」

「えー!!」


 ぶうっとぷくぷくほっぺを膨らませて、口を尖らせるシャロット。

 困った、まだやる気? と思っていたら、家礼のエミリオが現れた。


「お嬢様。おやつの時間でございます」

「わ、たべるぅ!」


 ぱたぱたっと部屋を出ていく小さな背中。

 ナイスタイミングだわ。さすが若き優秀な家礼エミリオ。

 あのままだったら、結婚式だからってキスを要求されてたかもしれないもの!

 エミリオは当然のようにスッと立ち去って言って、私はようやく大きな息を吐いた。


「……助かった。なんだかもう、心がもたないわ」

「そんなに疲れたか?」


 微笑するイシドール様のお顔が……甘い。


「はい……もう、体が熱くなってしまって」


 私が苦笑すると、イシドール様が、ゆっくりとこちらに歩み寄る。


「レディア。今、シャロットはいない」

「はい、だから少し休憩を……」


 言いかけた私の言葉が、イシドール様の声にかき消される。


「……続きをしても、問題はない」

「……っ」


 どういう意味ですか……っ


 イシドール様が近づいてくる。逃げようと腰を引くと、後ろにはソファの肘掛け。

 逃げ場なんて、最初からなかった……!?


「ほんの少し触れただけで、震えていた。……かわいかった」

「そ、それはっ……っ」

「もう少し寄ったら、どんな声を出すのか──確かめたくなってしまう」


 低い声が、耳のすぐそばで囁かれる。

 息がかかるほど近くて、私の鼓動が速くなるのが伝わってしまいそう……っ。


「レディア……口づけは、演技の範囲に入るのではないか?」

「……っ、な……に、を……」


 演技なら、口付けしてもいいって思ってらっしゃる!?

 そりゃ、私は昨日、拒んでしまったけど……

 え、演技ならオッケー? 結婚式ごっこをあのまま続けてたら……確かに、してたかもしれないけど……

 で、でも、ええぇぇぇええ?


「君が逃げないなら、俺は、今すぐ答えをもらいにいこう」


 イシドール様の指が、私の顎にそっと触れる。

 目を逸らそうとしても、捕まえられて、熱い視線から逃げられない。


「……今だけでもいい。妃のすべてを、知りたい」


 妃……そうだ、私は妃で、イシドール様は王子様……

 “レディア”としてのキスじゃなければ……それも、アリ?


 その言葉の熱が、肌のすぐそばに触れていた。


 手は添えられているだけ。

 だけど、逃げるには距離が近すぎる。


 迫ってくる、“王子様”。


 こんなの、拒めるわけ……ない。

 イシドール様の情熱が、私の肌を焦しそうなほど熱くて。


「イ、イシドール様……」


 情けないくらい弱くて、かすれた声で名前を呼ぶと、彼の指先がそっと動いた。

 けれどその瞬間、ふいにドアの向こうから声が──


「パパー! おねえちゃーん! シャル、クッキーたべていーい!?」

「……っ!」


 私はびくっと肩を震わせ、彼の腕からすり抜けるように立ち上がる。

 まるで悪いことをしていたみたいに、慌てて距離を取った。


「食べていいわよ、シャル! ちゃんとミルクも飲んでね!」


 声が裏返ってる。顔はたぶん、めちゃくちゃ赤い。


 後ろを振り向けないまま、胸に手を当てて、乱れた息を整えようとした。

 ……だけど、無理。


 心臓が、ばくばくと跳ねてるんだもの。

 さっきまでの空気が、まだ体に残っていて。

 イシドール様の言葉が、指が、熱が、全部消えてくれない。


 何もなかったのに。

 私の体は、恋をした少女のように、ふわふわと浮いていて。


 ああ、どうしよう……これは、きっと、夢にも出ちゃうやつだわ……っ


 そんなふうに思った瞬間、背中からふわりと、彼の低い声が追いかけてくる。


「……残念」


 残念って、残念ってなんですか。


 振り向いた先のイシドール様は、まるで何事もなかったように微笑んでる。

 人をこんなにドキドキさせておいて、涼しそうに。


「仕事に戻る。シャルを頼む」


 それだけ言うと、いつもの背中で部屋を出ていった。

 ドアが、静かに閉まる。


 部屋に残されたのは、クッションとお人形と、ぬくもりの余韻。

 そして、私。


 あの距離、あの声音、あの手の熱。

 ひとつずつ思い出すたびに、肌の奥から何かがじわりとこみ上げてくる。

 火照りなのか、恥ずかしさなのか、それとも……もっと別の、どうしようもない想いなのか。


 ずるいわよ、あんなのー!


 何事もなかったみたいに振る舞って、あんな目で笑って。

 私だけ、ひとり置いてけぼりみたいに、まだぐらぐらしてるのに。


 そのくせ、あの言葉が耳から離れない。


『……残念』


 まるで、続きを望むように。

 まるで、私の中の期待に、気づいていたかのように。


 ……やだ、もう。

 本当に、ちょっと意地悪な王子様だった。


 頬に手を当てると、指先よりも熱くなっていて。

 誰も見ていないのに、いたたまれない気持ちになって、私は両手で顔を隠した。


 胸が、熱い。

 でも──甘い……。


 私がまだ立ち尽くしている部屋に、雨の音が静かに降っていた。



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