第三話 伝説のお祭り
――私は、どこで何を間違えてしまったんだろう。
薄暗い天岩屋戸の中。
女王、日巫女であるアマテルは考えていた。
先代の日巫女は言っていた。未来というのは刻一刻と変化するものなのだから、占いは当たる時もあれば外れる時もある。だから大切なのは、確実に未来を言い当てることではなく、大和の民に希望を見せて導くことであるのだと。
だから彼女は日巫女として、皆にはなるべく明るい顔で話しかけようと心がけていたし、支離滅裂でどうしようもない相談事にも根気強く向き合ってきたつもりだ。
一方で、父親である前国王は言っていた。王とは目の前の現実を冷静に直視しながら、皆が幸せに暮らせるような選択肢を選び取り、皆の前に立って「こちらへ進め」と先導するものであると。
だから彼女は女王として、単に占うだけでなく現実の出来事を彼女なりに一生懸命考えながら、割り切れない問題にも最良を選び取って道を示してきたつもりだ。
――それなのに、弟一人も導けない。
乱立する邪馬台国に、量産される卑弥呼。そんなもの、占いで予測して対処しろと言われても無理に決まっているだろう。
近頃は祈祷のことを「鬼道」と呼んで、不思議な力で何でも出来るなどと勘違いする者が大勢いるが、そんなことは無理に決まっている。もしそれが出来るなら、とっくの昔に倭の島々は一国に統一されていると、少し思考を巡らせれば分かることだろうに。
考えて、考えて、疲れてしまった。
その結果、岩屋戸に閉じこもってしまった自分は、きっと皆から落胆されているだろう。このような無力な女は、大和の女王として相応しくない。日巫女として相応しくない。皆が今、そう思っているだろうと。
アマテルがそう考えていた時だった。
「――さあて、日巫女様、聞こえてるかい?」
岩屋戸の外から突然そんな声が聞こえてきて、アマテルは思考の海から急に現実に引き戻された。
思えば、今日は何やら外が騒がしいような気がしていたが……なんだなんだ。一体何が始まろうとしているんだ。なんかすっごい気になる。
アマテルはつい外が気になって、岩屋戸の鍵を開けようと手を伸ばし――だめだだめだと思い直す。
「――清く、美しい、僕らの日巫女!」
いよっ! そうだそうだっ! もっと言えっ!
幾つもの声がそれを囃し立てる。
「――ユルく、面白い、我らが女王!」
言ったれ言ったれっ! 良いぞ良いぞっ!
何だか失礼な発言に、やっぱり皆が沸く。
アマテルはもう、外が気になって気になって仕方がない。え、楽しそうなんだけど。なんか変なこと言われてる気もするけど。え。ていうか、みんなお酒飲んでるのかな。めちゃくちゃ外に出たいんだけど。
「申し遅れました、わたくしは本日の司会進行を務めさせていただきます、コヤネと申します。ほらほら、みんなちゃんと楽器持ってきたんでしょ。出して出して……じゃあ一回音出してみるよ。はい、拍手ぅ!」
ドンガラガッシャン、ドンガッチャン。
その音は、音楽というよりただの雑音である。とにかく音が鳴るモノを何かしらかき集めてきただけの混沌とした何か。琴のような美しい音の流れであったり、土笛のような心に染みる音の響きであったり、そういった風流とは一切無縁の騒音であった。
酒を飲んだ後の吐瀉物でも、まだもう少し秩序立っているだろう。アマテルはもう何が何だかワケが分からず、唖然としたままその音を聞いていた。
「はいはい、やめやめ……あはははは。いやぁ、素直に言っていいかな? もうこれ、いっそ清々しいほどの大失敗じゃないの? オモイさーん、これダメでしょー! え、行ける? マジで?」
わーはっはっは、とみんな楽しそうに笑っている。
しかし、司会の言葉にオモイの名が出てきて、アマテルは妙に納得してしまった。
なるほど。何がなにやら分からないけれど、これはオモイの策略なのだろう。きっと自分を天岩屋戸から引きずり出そうと企んで、こんなことをしているに違いない。
アマテルは小さく息を吐き、俯いた。
そんな中、司会をしているコヤネは、持ち前の美声を大きく響かせながら皆を盛り上げる。
「みんな、良く聞けよ! 長鳴鶏はなぁ、こうやって鳴くんだぞ! どんどんどん、どどんがどん」
ドンドンドン。ドドンがドン。
コヤネの言葉に合わせて、少しずつ 少しずつ、これまで混沌としているだけだった雑音に方向性が生まれていく。
ドンドンドン、ドドンがドン。
キンコンカン、キキンのカン。
シャンシャンシャン、シャシャンのシャン。
ホーホーホー、ホホー、ホー。
「どどんがどん、あヨイショ……良いねぇ良いねぇ、みんなやれば出来るじゃない。その調子で頼むよぉ?」
え、うそ、楽しい。
アマテルは思わず「どどんがどん」に合わせて踊っている自分に気が付き、危ない危ないと我に返る。このままではつい岩屋戸の外に出そうになってしまう。
だめだだめだ、私は外に出ないんだもん。
そんな風に気を引き締めていると。
「さぁ、それでは皆様お待ちかね、この方に登場していただきましょう! ウズメちゃーん!」
「ふえええええぇぇぇぇぇ!」
突如響き渡る、友人ウズメの情けない声。
アマテルは思わず「えっ?」と言葉が漏れていた。
踊り子のウズメといえば、祭祀の際にいつも素敵な舞を披露してくれる可愛い女の子である。アマテルと年は離れているけれど、話していると何かと気が合って、勝手ながら親友のようにも思っていたのだ。そんな彼女が――
「どどんがどん! 良いねぇ良いねぇ、乳がまろび出そうだぜぇ! もっと激しく踊れぇぇぇい!」
「ふえええぇぇぇ、どどんがどん! 見ないでえええぇぇぇ、どどんがどん!」
一体彼女はどんなことになってるんだ!
アマテルは気になる。激しく気になる。だめだだめだと思いながら、つい岩屋戸の扉に近づいてしまう。
「ふえええぇぇぇ、どどんがどん、ギャ!」
おおおぉぉぉ! と上がる歓声。
え、なになに。何があったの?
ウズメのやけっぱちな「どどんがどん」を聞いているだけで、アマテルの頭は妄想で一杯。出たのか。まろび出たのか。なんだかもう、全てがどうでも良くなってきてしまう。
少しだけ。
少しだけなら大丈夫だろう。
アマテルは岩屋戸の鍵をカチャッと開けると、ほんのちょびっとだけ戸に隙間を作り、ウズメの声が響いている方をジーッと覗く。するとそこには――
「ふえええぇぇぇ、どどんがどん! 見ちゃいやあああぁぁぁ、どどんがどん! 日巫女様ぁ、どどんがどん!」
上半身を覆っていたらしい薄布が儚くも風に飛ばされていき、半泣きになりながら半裸で踊る友人の姿がそこにあった。それでも「どどんがどん」はしっかり決めるあたりに彼女のプロフェッショナルを感じる。
うわぁ、ウズメちゃん大変なことになってる。
しかし彼女の踊る姿を見ながら……アマテルは妙なことに気がつく。舞台の中央には何やら布を被せられた人影がいて、ウズメはその人影に捧げるように踊っているのである。
さらにその人影の隣では、コヤネが何やら勾玉のジャラジャラついた飾り物を持っている。まるでそう――
このお祭り騒ぎ自体が……中央で布に姿を隠されている謎の人物のために行われているような。
「……何よそれ」
アマテルがそう、ポツリと呟いた時だった。
突然、ガラリと開けられる扉。
怪力で知られるタジカラという若者がアマテルの腕を引いて彼女を連れ出すと、皆がワッと歓声を上げ、楽器の音が止む。少し遅れて、お調子者のフトダマがピシャリと岩屋戸の扉を閉めた。そうこうしているうちに、アマテルはあっという間に舞台の上へと引き上げられ……。
まんまと嵌められた。
そう気づいた時には、全てが遅かった。
「日巫女様ぁ、日巫女様ぁ!」
「ウズメ。その……色々大変なことになってるよ?」
「今はいいの! アタシの乳より日巫女様ぁ!」
そう言って抱きついてくるウズメを優しく受け止めたアマテルは、ついに自分の敗北を察した。
あぁ、この子にここまでさせてしまっては、もう天岩屋戸に籠もることなど出来ないな。オモイには言いたいことが山ほどあるけれど……それは後で、宮室に帰ってからじっくり話そう。
そして、舞台中央で布に包まれた人影に目を向ける。
「そこにいるのがオモイかしら?」
「違うよ、日巫女様」
ウズメは少し苦笑いを浮かべて口を開く。
「そこにいる人はね……アタシやみんなが一番尊敬している人物なの。ずっとアタシたちを見守ってくれていた人。これからも見守ってほしい、導いてほしい……そんなすごい人がそこにいるんだよ」
ウズメがそこまで言う人物って誰だろう。
心当たりのないアマテルが首を傾げていると、ウズメは彼女の手を引いて人影の前までやってくる。そして、いそいそと布を取り払うと、そこには――
人間の背丈ほど大きな「鏡」と。
そこに映るアマテル、日巫女の姿があった。
「この人がずっと見守っていてくれたから、これまでアタシたちは幸せに暮らして来れたんだよ?」
「……ウズメ」
「でも、頼り切りじゃダメだって今回の件で分かったよ。これからは日巫女様がちゃんとアタシたちを頼ってくれるようにね……もう少しだけ、頑張ってみようと思うの。みんなでいっぱいいっぱい、助けるからね、だから」
ウズメは涙を浮かべながら、アマテルに抱きつく。
「だから、戻ってきてよぅ……日巫女様」
あぁ、負けた。完敗だ。
アマテルはウズメの頭を撫でてやりながら、静かに覚悟を決めた。自分は日巫女として、この子たちに希望を語ろう。それと同時に、自分は女王として、この子たちに道を拓こう。そして……疲れてしまった時は、こうして寄りかからせてもらおう。
皆が拍手をしてアマテルの帰還を祝福する。
そんな中、満を持して彼が――オモイが現れた。
「アマテル、おかえり」
「……オモイ。後で覚えてなさいよ?」
「もちろん。僕はまた君に説教をされたくて、こんな催しを開いたんだからね。望むところさ。だが今は――」
オモイはそう話しながら、懐から小さな銅鐸を取り出すと、それを打ち鳴らした。
キンキンキン、キキンのキン。
「皆。お祭りは始まったばかりだ!」
おおおおおぉぉぉぉぉ!
そう叫んだ皆は、再びそれぞれの楽器を手に取ると、めちゃくちゃな雑音をかき鳴らす。ドンドンドン、ドドンがドン。木片や金属片、竹器や土器、イノシシの骨やシカの皮。とうてい楽器とは呼べないガラクタたちが、今は同じリズムを刻んでいる。
「ふえええぇぇぇ、どどんがどん! 日巫女様、踊りましょ!」
「乳いいの? どどんがどん!」
「もういいや、どどんがどん!」
もう完全に開き直ってしまったウズメと共に、アマテルもめちゃくちゃな舞を踊り、腹の底から込み上げる可笑しさに身を委ねる。そのうちみんなも、楽器を鳴らしながら好き勝手に踊り始め、酒の効果もあってすっかり会場は混沌の様相を呈し始めた。
アマテル帰還の宴は、こうして夜通し続いたのであった。
■ □ ■ □ ■
オモイの作戦は、大詰めの段階まで来ていた。
宴から一晩が明けた早朝。皆が二日酔いと睡眠不足で腐乱死体のように転がる中、オモイは一人の男を連れてアマテルの前へとやってくる。皆地面に倒れてウーウー呻きながら、その様子をチラチラと見ていた。
連れてこられた人物は、彼女が天岩屋戸に引きこもる原因となった弟、タケハヤである。
「姉ちゃん……出てこれたんだね。良かった」
「……タケハヤ」
「何から何まで、俺が全て悪かった。いつも心配ばかりかけて、面倒事ばかり起こして……姉ちゃんにはずっと迷惑をかけ通しで、本当にごめんなさい」
タケハヤがそう言って頭を垂れる。
それを見たアマテルは、ニッコリと笑った。
「タケハヤ……貴方は不器用だけれど、心根は真っ直ぐな男なのだと私は知っています。もちろん、神殿を糞尿で汚したのはダメですよ? しかし、それでも……貴方は大和国の女王アマテルの弟なのです。胸を張りなさい」
アマテルの言葉に、タケハヤは両目の端から涙をポロポロと溢しながら、地面に両膝を付いた。
「俺は……高天原を出ようと思う」
「タケハヤ?」
「どうか聞き届けてほしい。これは俺が、姉ちゃんの弟だって胸を張って生きるために……俺にとって必要なことなんだ」
彼は腰から黒曜石のナイフを取り出すと、隣りにいたオモイに差し出す。
「オモイ兄ちゃん、頼むよ」
「……分かった」
黒曜石のナイフを手に取ったオモイ。
彼はそれで……タケハヤの角髪を切り落とし、そのまま髪をザクザクと短くしていく。切られた髪がハラリと地面に落ちていくのを、アマテルは呆気にとられてただ見ていた。
「よし、こんなもんか。サッパリしたな、タケハヤ」
「……次は髭を頼むよ」
「おう、任せておけ」
これまで雑に伸ばしていた髭を、オモイはぞりぞりと丁寧に剃っていく。タケハヤも高天原を出たら自分で髭を剃るようになるんだな……ちゃんとできるのか少し心配にはなるけど。
そうして口周りがスッキリする頃には、タケハヤの見た目は元の荒くれ者ではなく、もう少し理性的な印象へと変わっていた。
「あとは爪も整えないとな。手足を出せ」
「う……分かったよ」
「これからは自分で全部やるんだからな。手元が不潔な男に、女は寄ってこないぞ」
そんな風に話しながら、ナイフで器用にタケハヤの両手足の爪を整えていった。
タケハヤの服を引っ剥がし、桶で水を掛けながら垢を擦る。真新しい貫頭衣を身に着ければ、そこには生まれ変わった……精悍な大男と呼んで良いタケハヤが、堂々と立っていた。
「姉ちゃん、俺は生まれ変わったよ」
「……タケハヤ」
「倭の島々に乱立している邪馬台国のことは、俺に任せてくれないかな。奴ら――邪馬台の大蛇どもは全て、俺が首を刎ねる。荒くれ者なりに、いろいろ考えながらやってみるさ」
タケハヤの腰には、オモイに預けていた鉄剣が下げられる。背負った布袋には、旅に必要な保存食、雑貨、着替え、取引用の宝石や、イノシシの毛皮の敷布なんかがパンパンに詰め込まれていた。
アマテルに手を振って、去っていくタケハヤ。
こんな風にして、大和国の新たな時代は幕を開ける。
その様子を遠くから見守る者が一人いた。大和国の前国王であるナギは一人、うむと頷く。
今回の一連の騒動――アマテルが天岩屋戸に閉じこもり、それを皆が馬鹿騒ぎで引っ張り出して、タケハヤが高天原を去る。その様子を見ながら、彼もようやく気がついたのだ。
――自分の時代など、本当はとうの昔に終わっている。
もういいだろう。幾人かの大人を巻き込んで、自分のような古い人間はさっさと隠居するのが良い。
新しい世代の者たちは、あんなに活力に満ちた眩しい姿で……あの「日巫女」を中心に、この先の新しい大和を作っていくのだ。今の彼は、そんな風に確信していた。
どこか清々しい気持ちで、つい笑みが漏れる。
そして彼は、亡き妻の面影を残す女王の、太陽のように明るい笑顔をその目に焼き付けた。
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