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αアレルギー

「千秋~暑くねぇの? それ」

「死ぬほど暑い! けど絶対に外さない!」

「まぁ別にお前がいいならいいけどさー。お前何言っても聞かないし、先生たちもとっくに匙投げてるし」


 炎天下での体育の授業中。

 途中の給水休憩に校舎の日陰で水を飲んでいると、幼馴染で親友でもある向田翔(むこうだかける)に呆れたような声をかけられた。

 おそらく見ているだけで暑苦しいのだろう。

 翔は複雑な顔で眉間に皺を寄せ、俺から目を逸らした後、ペットボトルに入った水を一気に飲み始めた。喉仏が上下する『涼しげな』翔の首が羨ましくてしょうがない。

 俺は自身の首元に巻かれているネックウォーマーに触れた。一応、夏用の通気性の良い素材でできたものではあるが、首に纏わりついているだけで暑苦しい。おまけに内側は汗で湿っていて不快感がすごい。

 出来れば今すぐ外したい。それでも俺にはこのネックウォーマーを外せない理由があった。


「まだ"噛み痕"消えねぇの?」

「声がデカい!」


 翔の声は普通だったが、俺の声が大き過ぎて周りにいた奴らが一斉にこっちを見た。


「いや、俺のせいじゃねーし」


 恨めしそうに翔を睨むと、そう返された。


「…………消えてない。っていうか薄くはなるかもしれないけど、完全に消える確率は低いって医者に言われた……」

「うわ……災難すぎ」


 翔はドン引きしたようにそう言い放つ。そんなリアクションになっても仕方ないと俺自身でさえ思う。

 この首の後ろについた噛み痕は俺の人生を台無しにしかねないものなのだから。


「で、結局犯人分かんねーままなの?」

「分かってたらとっとと復讐してる」

「こわ」


 子どもの頃、俺は見ず知らずのαにうなじを噛まれた。いや、見ず知らずと言い切ってしまうのは語弊があるかもしれない。


 その日たまたま、親に連れられて行った書道の展覧会にその子はいた。

 俺と同じくらいの女の子で、向こうも親に連れられて来ていたようだった。栗色の髪が印象的な小柄な子で、俯きがちにこちらを見ていた。

 物怖じしない子どもだった俺は、堅苦しい場所に同じ年頃の子どもがいることに喜び、自分から話しかけに行った。


 ……今だったら女の子に自分から話しかけに行くなんて無理だけど。


 女の子は内気ですぐに母親の後ろに隠れてしまったが、しつこく声をかけていると、段々笑顔を見せてくれるようになった。

 嬉しくなった俺は女の子の手を引いて会場の中庭に出た。ちょうど白のツツジが満開で、丸く剪定されたそれを見てはお団子みたいだと2人で笑った。

 夢中になってかくれんぼをして遊んでいると、時間はあっという間に過ぎてしまった。女の子の名前を呼ぶ母親の声がすると、女の子は悲しそうな顔をした。

 もうお別れなんだ、もしかしたらもうこの子には会えないのかもしれない。そう、子どもながらに寂しさを感じたのを覚えている。

 女の子も同じ気持ちだったようで、不意に小さな手を俺に伸ばしてきた。そして小さな声で「ばいばいの握手」と言った。俺は泣きそうになりながら手を握った。ぎゅ、と温かい手が必死に俺の手を掴んでいるのを眺めた。


 今思えば、これが暫定、人生で最初で最後の女の子との触れ合いだった。初恋のはの字も知らないような時期にそれに似た感情を伴って、俺の中で綺麗な思い出になる……はずだった。


 女の子は握手だけでは足りなかったのか、思い切り俺に抱きついてきた。身体全体で感じる人生で初めての抱擁。でも悪い気はしないどころか、胸の中がドキドキして自分が自分じゃないような気持ちになった。

 俺は震えながらも勇気を出して女の子の背中に腕を回そうとした、瞬間。

 女の子は思い切り俺のうなじに噛みついてきた。突然走った痛みと衝撃に目の前がチカチカする。痛みは感じるのにショックで涙は出てこない。身体は硬直して、親に助けを求めることも出来なかった。

 女の子は直ぐに口を離すと、寂しげな、しかしどこか満足げな表情をして走り去って行ってしまった。


 俺がこの中々消えないうなじの噛み傷の意味を知ったのはそれから少し経った後だった。


 小学校高学年になると、俺の周りに溢れる情報の種類がガラッと変わった。要するに、思春期に突入して"そういうこと"に周りが興味を持ち始めた。例に漏れず、俺も周りと同じように興味津々で積極的にそういう話をするようになった。

 加えて、性教育が始まり、第2の性についても勉強する機会があった。

 なんとなく、α、β、Ω、の括りがあることは知っていたが、現代におけるαとΩは本当にごく僅かしか存在せず、また本人たちも隠して生活している場合が多く、第2の性の話をされても、どこか違う世界の話のように感じてしまい、いまいちピンときていなかった。

 自分には関係ない。そう思っていたことでも、知識を植え付けられると気になってしまうのが思春期の男の性で、友達がαとΩが載っているらしい『そういう雑誌』を学校に持ってきたと朝に聞いた時は興奮して一日中ソワソワしていた。

 放課後になって、空き教室でみんなで雑誌を囲む。いけないことをしているという雰囲気が俺たちを益々盛り上がらせた。

 その雑誌の中に、男のαが女のΩのうなじに噛み付いている写真があった。

 途端にすぅ、と背筋が冷えた。


「エッチ中にαがΩのうなじに噛み付くと番になれるんだってよ……!」


 番の意味が何かも分かっていないのに、なんとなく感じる官能的な雰囲気に俺を除いたみんなが大興奮する。口々に「羨ましい!」「俺もしてみたい!」などとβしかいない場で、友達たちは叶わない夢を語り始めた。

 一方で、俺は自身の首の後ろの傷を確認するように手をあてた。


「そういえば、千秋の首の後ろって傷があるよな!?」

「うっそ。マジか!」

「もしかしてαに噛まれたのかよ!?」

「詳しく聞かせろよ!」


 俺の動きに気付いた友達が茶化すようにそう言った。その一言が発端で次々と憶測が流れ始める。一同が好奇心いっぱいの瞳で一斉に俺を見た。

 もしかして。

 自分でもそう思ってしまった。しかしそんなわけないと思い直し、すぐに俺は否定して、話をうやむやにしてその場を切り抜けた。


 あの時、初めて深くαのことを知った。だからしょうがないのかもしれないが、もしかして、と一瞬でも思ってしまったことも、今思い返してみれば馬鹿らしいと一蹴できる。

 なぜなら。


「つか、そもそもなんでそのαは千秋のこと噛んだんだろうな」

「知るかよ」

「千秋、βなのに」


 そう。俺はβだ。αとΩのいざこざには絶対に巻き込まれない立場のβなのだ。

 αがβを噛んだところで何も起こらない。もちろん番にもならないし、そこに意味なんか生まれない。

 運命の番だなんだと騒いでいるのも、違う世界の話で、俺たちβは普通の人間として平穏に暮らしいている。それなのに。


「Ωと間違えたとか……?」

「それはそれでヤバくね?」


 その程度の『運命』なら人を巻き込まないで欲しいと思う。


「あ、そういえば、今年の一年生にαがいるらしいって話、知ってるか?」

「は!? マジかよ! せっかくαがいない高校だからここに決めたのに!」

「出た。千秋のαアレルギー」

「大体、なんでも出来るαならもっとレベルの高い高校行けただろ……なんでこんな平凡な高校に……!」

「さぁ? 親の都合とか?」


 翔は適当なことを言う。

 俺は奥歯を強く噛んだ。

 同じ中学だった先輩の情報からαがいないことを確認してこの高校に入学した。奇跡的に同学年にはαはいなかった。更に翌年の入学生の中にもαらしき人物はおらず、やっぱりこんな平凡な公立高校にはαは入ってこないんだと、完全に安心しきっていた。

 まさか自分が三年の時に全国で数百人しかいないと言われるαが入学してくるとは。

 神様がいるなら噛みついてやりたい。


「俺の素敵な高校生活が……」

「言うほど素敵か? こんな何の変哲もない男子校の生活が?」

「俺にとってはαがいない生活が1番なんだよ」

「徹底してんな」


 当たり前だ。

 どこの誰かも分からないαに噛まれたせいで、小学校では陰で馬鹿にされ、中学校では後ろ髪を伸ばしていたせいで指導室の常連になり、校則が厳しくなった高校ではネックウォーマーが手放せなくなっている。

 それもこれも、このうなじの傷跡が原因で、これさえ無ければ俺は普通の生活ができたかと思うと、正直あのαに憎しみしか湧かない。

 俺だって健全な男子高校生だ。共学に行って彼女を作ったり、運動部に入って爽やかに汗を流したり、そう言う普通の高校生活を謳歌してみたかった。だけど、そうしなかったのは、全部αを避けるためで、その為だけに青春を捨て去り注力してきたというのに。


「あ~~αが同じ敷地内にいるかと思うだけで悪寒がし始めたわ……」

「それはいくらなんでも……って、おい! 千秋、顔真っ赤!」


 翔が血相変えて大きな声を出す。


「…………へ?」


 翔に指摘されて額を押さえる。想像よりも汗で湿っていて、それなのに熱がこもっていた。

 慌てて立ちあがろうとするが、手足も痺れていて力が入らないことに今更気がついた。


 あれ? もしかして俺ヤバい?


 気付いたら最後、猛烈に目眩がしてくる。ボヤけた視界の中、般若のような顔で怒っている翔の顔だけが見える。


「お前、熱中症になってんだろ! いい加減そのネックウォーマー外せって!」

「無理……………」

「無理じゃねぇ!」

「いやだ………………」

「おい! 千秋!」


 翔の怒号を聞いたのを最後に俺は意識を失った。

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