5章-1.特別(3) 2021.10.3
「フクジュ! 洗面台借りるぞ!」
研究施設の玄関を入ってすぐ、ザンゾーは部屋の中にいるだろうフクジュに伝えた。するとすぐに近くの扉が開き、フクジュが現れた。
「え。どうしたんで……すか……?」
フクジュは、腕と口周りが血まみれのユミを見て呆然としてしまったようだ。
「ユミが怪我したわけじゃねぇから心配すんな。洗わせてくれ」
「はい……。どうぞ。こちらです」
フクジュは困惑しながらも前を歩きユミを案内する。玄関を入って正面の階段の脇の廊下側に面している扉を開く。どうやらそこが洗面化粧室のようだ。隣の扉はおそらくトイレだろう。
ユミは早速右手と口元を洗わせてもらう。しっかりと血液を流しきり、フクジュが用意してくれたタオルで水気を拭く。パーカーへの返り血は全体的にあるが微量なので諦めそのままとすることにした。家に帰ってからしっかり洗えば問題ないだろう。
ユミは玄関近くの扉を開け、研究部屋へ踏み入れる。近くのテーブルにはフクジュとシュンレイとザンゾーが前回と同様の位置に既に座って待っていた。
「すみません。お待たせしました」
ユミは空いた椅子に座る。今日は一体何の呼び出しだろうか。定期的な経過観察とは別のようだ。
「ユミさん。今日お呼びしたのは、ユミさんに相談があるからでス」
「相談……?」
改まって相談とは何だろうか。相変わらずシュンレイは表情に情報が何一つないので、良い事での相談なのか、悪い事での相談なのかすら分からない。
「実は先日、ユミさんのご両親の呪詛が施された臓器を3つ手に入れましタ。こちらの臓器の毒を取り除き解毒剤に置き換えたものを食せば、一気に解毒できまス。ですかラ……」
「食べます」
ユミは食い気味に言う。こんなもの迷う余地もない。
「即答。いいですネ」
「かははっ! だぁから言っただろぉ! ユミなら迷いなく食うってよぉ!」
ザンゾーは楽しそうに笑っている。
「フクジュさん。臓器の対応をお願いしまス」
「承知致しました」
フクジュは立ち上がり、部屋の奥へと行ってしまった。
「解毒剤に置き換えたとはいえ、呪詛の部分を取り込むことになりまス。今のユミさんであれバ狂気にのまれル事も無いと想定してまスが、何が起きるか分かりませン。フクジュさんの準備が出来ましたラ、念の為運動場へ行って食べましょウ」
「はい。分かりました」
1年も経っているのに、両親の臓器が手に入るというのは驚きだった。まだ朽ちていないという事なのだろう。不思議だなと思う。
しばらくするとフクジュがひとつの不透明な金属製の容器を持って戻ってきた。きっとその容器の中に臓器が入っているのだろう。
「運動場へ行きましょウ」
4人は立ち上がり、運動場へと向かった。
***
運動場へ着くと、フクジュから金属製の容器を手渡された。
受け取った容器には確かな重みがある。この中に両親の臓器があるのだろう。ユミは念の為3人から距離を取り運動場の中央に立つ。
「開けますね」
ユミはそっと金属製の容器の蓋を開ける。そして中を覗き込むと、赤くみずみずしい心臓があった。
まるで生きているかのようだ。ヨダレが溢れ出す。とても美味しそうだ。早く食べたい。
ユミは容器を逆さにし右手に心臓を乗せた。
ひんやりとする。視界に入れるだけで狂ったように食欲が湧く。
ついさっき7つも心臓を食べたというのに、こんなに空腹感を感じるとは思わなかった。
こちらもまた更に別腹扱いなのかもしれない。
「いただきます」
ユミはかぶりついた。そしてもぐもぐと食べ進める。
美味しい……。
実に美味しい。たまらなく美味しい!
今まで食べたものよりずっと美味しいッ!!!
ユミはその臓器を、あっという間にペロリと食べきってしまった。
意味が分からない程に美味しくて、夢中で食べてしまったのだった。
本当に呪詛が掛けられた臓器は別格に美味しいのだ。不思議だなと改めて思う。
食べ終わったが、特に体に異変は無い。
話では追加で呪詛を取り込むため危険があるとの話だったが、この様子なら大丈夫そうである。
という事は、これで無事に解毒完了だろうか?
実感はないが、何事もなく完了できるに越したことは無い。
ユミはホッとして息をついた。
しかし、安心したのも束の間だった。
「ママ……?」
あれ、何故だろう……。
唐突に母親の事を思い出した。
直後。
ドクンと心臓が高鳴って、まるで洪水の様に思い出が一気にフラッシュバックした。
頭を思いっきり殴られたかのような衝撃だ。痛みも伴い平衡感覚すらおかしくなる。
また同時に、ユミの意志とは関係なしに、強制的に脳内に映像が映し出される。
母との大事な記憶が、忘れていたはずの記憶までもが、鮮明に蘇っていく。
当時感じた音も光も臭いも全てが、直ぐ目の前にあるかの如く感じられる程に!
「何これ……。何なの!? 嘘っ! 嫌ぁっ!!」
自分の意思では止められない記憶と感情の暴走に、ユミは混乱する。
感情が記憶に引っ張られる。そのせいで、何もかもがいっぱいいっぱいになる。
だがそこでユミは気がついた。これは自分が体験した記憶だけではないという事に。
蘇った記憶の一部はまさに、母の記憶だった。
この殴りつけるような強烈な情報は、ユミの視点の物だけではないのだ。
明らかに母の目から見た景色が見えている。
一体なぜ? 分からない。分からな過ぎてさらに混乱する。
また、記憶と同時にそれに付随する母の強い思いも流れ込んでくる。
母の感情を通して、沢山愛情を注いでもらったという事が、痛いほどに伝わってくる。
何だこれは……、一体なんなんだッ!
何が起きているんだッ!
ユミはあまりの衝撃に立っている事すら出来なくなり、うずくまる。
すると、自分の意思に反して、勝手に涙がポロポロと溢れてきた。
止めることが出来ない。
感情の昂りが抑えきれない。
意味がわからない。
どうして急にこんな事に……。
「ユミ。大丈夫か?」
ザンゾーに声をかけられるが、返事をする余裕もない。
気持ちが溢れてコントロール出来ない。
そもそもこの心臓が父親のものなのか母親のものなのかも知らない。
しかし間違いなく母の心臓だと分かる。
と、うずくまり精神の昂りを抑え込もうと必死になっている時だった。
『ユミ! 生きて!』
突如母の声が聞こえた気がした。
ここにいるはずの無い母の声が。
ユミはハッとして顔を上げる。
しかし、当然そこに母の姿は無い。
けれど、確かに母からの強いメッセージだった。
紛れもなく、母からの……。
ユミの事を鼓舞するような強い声が確かに聞こえたのだ。
母からの生きろというメッセージに、より一層涙が溢れた。
もしかすると、母は殺される時、自分にそんな思いを抱いていたのではないだろうか。
そんな気がしてしまう。
「ママ……。ママ……」
もうぐしゃぐしゃだった。
ママに会いたい。どうしようもなく会いたくて。
会って、抱きしめてもらいたい。
優しく頭を撫でで貰いたい。
大丈夫だよって。頑張ったねって。声を掛けてもらいたい。
そんな事、叶う訳がないのに。
それでも、願ってしまうほど恋しくて……。
「うっ……」
突然、キュッと心臓が激しく締め付けられる様な痛みを感じた。
ユミはその場に倒れ込む。非常に苦しい。
「毒に侵されている様子は有りません。大きなタンク内に溜まった毒素は綺麗に無くなっております。解毒は完全に完了できたと言って良いと判断できます。問題があるとすれば呪詛の方かと……」
ボワっと体の内側から湧き上がる熱を感じる。
これは狂気だ。強烈な狂気が膨れ上がる。
「あははっ……。あははははっ……」
痛みと悲しみと嬉しさと高揚感で、自分の感情が分からない。
体内がぐちゃぐちゃだ。
ユミは痛みに耐えながらも、むくりと起き上がった。
そして、とめどなく流れ出す涙もそのままに、シュンレイを見る。
「シュンレイさん。ちょっと、付き合ってください。発散が必要みたいです」
「分かりましタ」
これは自分一人で抑え込める狂気じゃない。暴れなければ。
シュンレイが直ぐに運動場の中央まで来てくれた。
毎回申し訳なさを感じつつも、頼らざるを得ない。
この高揚感を安心して発散出来る相手はシュンレイしかいないのだから。
有難く甘えさせてもらおう。
「いつでもどうゾ」
「はい……」
ユミは地を蹴り、一気にシュンレイに飛びかかって行った。




