4章-3.崩壊(1) 2021.8.16
2021年8月16日。ついに私が恐れていた日がやってきてしまった。
夏の暑い日だった。青空に厚みのある真っ白な雲。まさに夏の空だ。開いた窓から生暖かい風がゆっくりと吹き抜けていく。そんな特に代わり映えのないそんないつもと変わらない日だった。
***
相変わらず自室で研究をしていると異様な気配が2つ、遠くから近づいてくるのを私は感じた。そのため、すぐさま準備を整え表に出る。
するとそこには、同じく異様な気配を察知した父もいた。
酷く照りつける太陽すらどうでもいいと思えるほど、私たちは気配が近づいてくる方向に全神経を向けた。
「来てしまったな」
「はい」
父の言葉に私は頷く。
ついに恐れていた報復されるときが来たようだ。この異様な気配は間違いなく高ランクのプレイヤーだ。まっすぐこちらに向かっている。
私達は、ただ静かにその接近を待ち構えた。
逃げることなどできない、どこへ逃げても変わらないと、私たちはこの地を離れることはしなかった。時間の猶予があるうちに遠い場所へ逃げたところで、おそらく意味がない。どこまでも追われ続けるだろう。戦えない人間を連れて逃げ続けるなど到底不可能だ。そう考え、ここで待ち構えることを私達は選んだ。
報復は当然だ。私自身は報復から逃げる気も起きなかったというのが正直な気持ちだった。この地に残り迎え撃ち、ひたすら戦い続けることを私は選んだ。私は報復を受け続ける道を選んだのだ。どこまで続けられるか分からないが、自分が行った事に対して、逃げたくないと感じたのは確かだ。
返り討ちにしたり歯が立たないと思わせれば次第に報復はおさまることもある。そんな希望も抱きながら。
当然ながら、どこかの組織や勢力に属し協力関係を築くことで身を守る事も考えた。だが、満場一致でそうした協力関係を作る事はしないと決まった。今までの中立を守る姿勢には何かしらの誇りやプライドが皆あったのかもしれない。自分たちだけで生き延びてきたという誇りかもしれないし、自分たち以外の何かを宛にして生き延びるというのはプライドが許さなかったのかもしれない。
それぞれがどのように考えたかは分からないが、このままどこにも属さない事で決まった。
母を含めここにいる人間は戦闘ができない。多少でも戦うことができるのは私と父くらいだろう。高ランクプレイヤーが来たらすぐに皆一瞬で殺されてしまうだろうなと思う。だがまさか、最初から高ランクプレイヤーが来るとは思わなかった。
当然、いずれ来ることは確信していた。だから、皆殺しにされるのは覚悟の上ではあった。けれど実際に、いざその時を迎えると、思う事が何も無い訳ではない。もう少し共に生きたかったと、そんな願いを持っていたことに気づかされる。我ながら図々しい願いだなと思う。
敷地の塀の門扉の向こう側で2つの気配は止まった。
本当にここにきてしまったなと。実は通り過ぎてくれるのではないかと淡い期待をしていなかったと言ったら嘘になる。だがそんな期待は儚く散る。やはり目的地は晩翠家。この場所だ。
みしっと門扉の木材が軋むような音がした。そして数秒後、とてつもない音を立てて門扉はバラバラに砕け散った。
土埃が舞う。木材の破片も飛び散っている。その壊れた門扉の先に現れたのは、2人の女性だった。そのうちの一人の女性については知っている。高ランクプレイヤーの舞姫だった。こんな大物が来るとは正直思っていなかった。
確かに私が警戒していた店に所属するプレイヤーだ。だが、そこまでの戦力を投入されるなんて想定していない。武力を持たない晩翠家を葬るのには過剰戦力と言える。そしてもう一人。チェーンソーを持った少女がいた。歳はかなり若いのではないだろうか。細身で女性にしては身長が高く手足も長い。プレイヤーとしてはかなり優れた体格の持ち主だと思われる。
「要件はなんだ?」
父は彼女達に静かに問いかける。
「報復だよ。あなた達を殲滅する。理由くらい分かってるよね?」
舞姫はニコっと笑いながら答えた。やはり報復しに来たようだ。
父と私は構える。舞姫はワイヤーを扱うプレイヤーだ。ワイヤーを使うプレイヤーは世の中にそれなりに存在するが、舞姫は別格とされている。扱う本数もコントロールも範囲もスピードも桁違いという情報だった。
もう一人の子は手に持っているチェーンソーがメイン武器だろう。目視することができ、それなりに近接攻撃になると思えばそこまで警戒する必要はないかもしれない。あどけなさの残る彼女はまだまだ未熟なプレイヤーである可能性も高い。警戒すべきは舞姫。私は彼女の動きを注視する。
「さて! ユミちゃんいくよ!」
「はい!」
舞姫はタンッと足を鳴らし、両手を広げた。その瞬間、目視出来なかったが複数のワイヤーが放たれたことが分かった。舞姫はその名の通り舞うようにワイヤーを操り足を鳴らす。すると周囲に不規則な風が発生した。
「よいしょー!」
舞姫の掛け声の直後、ミシミシと家屋が音を立て始めた。
まさか……。
家屋に目をやると、何本ものワイヤーに囲まれているのが察知できた。そして次の瞬間、バキバキと一斉に柱が折れていき、一瞬にして木造家屋全体が倒壊してしまった。
「こんな事……ありなのか……」
その一瞬で屋内にいた親族たちはおおよそ刈り取られただろう。毒の罠は基本的に屋内に有った。おそらくそれを警戒しての行動だろうとは思う。
そうはいってもこんな力技で破壊されることは想定外だった。ましてやこんなに華奢な女性が一瞬で建物を破壊できてしまうなど、想像できるわけがない。
確かに外観は木造建築だが、内部には強固な金属製の扉や小部屋もあったはずだ。それすらも一気にワイヤーで切断できてしまったという事なのだろう。屋根の瓦の重みもあり、柱を失った家屋は完全に倒壊してしまった。
「ちょっと残っているみたいです。行ってきますね」
チェーンソーの少女は可愛らしい声でそう言うと、倒壊した建物へ軽い足取りで進んでいく。私と父以外は皆、屋内で固まって身を隠していた。少女は瓦礫の中でかろうじて生き残っていた人間に淡々ととどめを刺し殺していった。
「13人死んでます」
「おっけー!」
どうやら私と父意外は全員死んだようだ。あっという間だった。何もできなかった。
少女は、チェーンソーの歯についた肉塊を遠心力で振り払う。そして私の方を見た。
少女と目が合う。少女はニコっと笑った。血の付いたチェーンソーに背景には瓦礫の山。その可愛らしい笑顔とのアンバランスさに背筋が凍る。
「フクジュ、可能ならお前だけでも逃げなさい」
「え……」
彼女たちには聞こえないような小さな声で父は私に言った。自分だけ逃げるなどそんな事できるはずもない。そんな事……。
「ダメです。逃がしません」
チェーンソーを持った少女が静かに言う。まさか父のこの声が聞こえていたとでも言うのか。
一体どんな聴力をしているのだろう。彼女達とは距離もあり、ワイヤーが周囲を飛び交う音も常にしているというのに。それでも声を聞きとった等信じられるわけが無い。
「え? なになにー? 逃げようとしてたって事?」
「はい。そうみたいです。なんかお前だけでも逃げなさいって言ってました」
「ふーん。それはダメだよ」
舞姫はそう言うと手の動きを変えた。どうやらワイヤーの形態が変わったようだ。
「これで良し! ユミちゃんいいよー!」
感覚的にわかる。このワイヤーの位置や動きでは、ここから逃げることが出来ないということが。
一定の範囲に大きな網をかけられたような状態に近い。その網目をくぐって逃げる事はほぼ不可能だろう。しかしその分その網の内側に割かれるワイヤーは減ったように思う。これでは舞姫の攻撃手段が格段に減るのではないだろうか。
この状態であれば舞姫とも対等に戦えるかもしれない。私はそう勝機を見出したのだった。




