4章-2.転落(2) 2020.7.2-2021.3.2
「キキョウはもうこの家の者ではない。現在の状況などは把握していない」
父は淡々と答える。そこには何の感情も含まれていない様な声だった。
私だったらきっとそんな風に声を出す事なんてできないだろう。既に喉がつかえてまともに声なんて出る気がしない。
「そうでーすかー。ははっ! 実は今キキョウちゃんには、自分の所で大いに役に立ってもらっていまーす」
男はそう言って私たちとの間に置かれたテーブルに写真を並べていった。
その写真をちらりと見た瞬間分かってしまった。これは取引などではないという事に。
そしてこのラックという男へあふれ出す憎悪をいかにして止めればいいのか分からない。
「フクジュ」
「はい。申し訳ありません」
殺気が漏れ出してしまっていたらしい。私は父に止められた。
ちらりと見た父と母は一切表情が変わっていない。私はこんなにも取り乱したというのに。未熟さを痛感した。
「これが何か?」
「ははっ! 流石当主さまでーすねー。娘のこんな姿を見ても一切動揺しないとは驚きでーす」
写真に写っていたのは、まぎれもなくキキョウの姿だった。ただ、それは非常に惨く到底許せるようなものではなかった。
そこにあったのは、実験台に全裸で寝かされ、あらゆる人体実験をされた状態のキキョウだった。体中の皮膚は、それぞれただれたり腐ったり火傷のようになっていたり、発心が出ていたり変色していたり、焦げたり朽ちていたり。それこそ様々な状態に変化していた。
体の色々な場所で色々な毒を試したのだろう。我々の一族は非常に優秀な毒の耐性があるため、こうした実験をすることで解毒薬を作ることも可能だ。
解毒薬が出回っていない毒物をキキョウの体で実験し耐性があればそこから解毒薬を作成しているのだろうと容易に想像できる。
腹部には大きな傷もある。おそらく内臓も実験されているのだろう。内臓も多くの情報を持った部位だ。服毒させ観察したのだろう。
我々の一族は毒に耐性があるため、当然のことながら麻酔など効かない。相当な苦痛が伴っていることは明らかだ。キキョウの事を考えると胸が締め付けられる。どうしてこんな事になってしまっているのだろう。全く分からない。
「このキキョウちゃん。返してほしければお願いを聞いてくださーい」
「返すも何もない。キキョウはすでにこの家の人間ではない。不要だ。好きにすればいい」
「ははっ! 成程成程ー! 確かに晩翠家の目。これはキキョウちゃんからは取れませんでーした。だから別に、他の解毒薬が作られる分には構わないってことでーすかー?」
「その通りだ」
この家を出る際には、必ず遺伝で引き継がれる特殊な目を外部に漏らさないような処置を施してから出ることになる。キキョウも当然その処置を施している。この処置を行うことによって、目の特性の大部分が無くなる。せいぜい毒の有無が何となく分かる程度だと聞いている。
処置を行った晩翠家の人間の眼球を調べたところで遺伝によって引き継がれる特性を盗むことはできない。そういうものになっている。
「でもいいんでーすかねー? キキョウちゃんを孕ませれば、盗めると思うんでーすよねー」
「……」
この男は一体……、何を言っているのだ……?
確かにそうだ。その通りだ。キキョウが子供を産んだ場合、その子供には遺伝で特殊な目が引き継がれる。
当然ながら、家を出る際に子孫も残せないようには処置を行っている。だが、おそらくこれだけの研究施設がある場所だ、いくらでも可能になるだろう。
生まれてきた子供に対しては、当然目の処置をしていないのだから、その眼球があれば晩翠家の目の特性を盗むことができるだろう。
だが、そんな発想って……。
本当にこの男は人間なのか……?
この裏社会で人の心等と言うつもりはないが、そこまで非道になれるものなのか。
狂っている。
「流石に目まで盗られたら困るんじゃないでーすかー?」
「取引の内容を言え」
「話が早くて助かりまーす」
父の判断は取引に応じるという事だ。この目まで奪われればそれこそ晩翠家は終わりだ。
だが、同時に取引に応じた瞬間長年保ってきた中立という立場は崩れ去る。
どちらにせよ晩翠家が今まで通り戦いを避け平和に続くというのは厳しくなるだろう。
「毒物薬物合わせて5つ作成してくださーい。仕様はこの書類の通りでーす。もちろんレシピ付きで。当然使用用途は教えませーん」
「分かった」
レシピ付き。本当にふざけている。
毒や薬の生成方法は当然機密事項だ。レシピまで付けたら毒を扱う家の存在意義がなくなってしまう。また、使用用途の情報を貰えないというのも厄介だ。
今まで使用用途を開示させることで不適切な使用をさせない事とし、中立を保つことができていたのだ。従って、レシピ付きかつ使用用途の情報なしという事は、自由に晩翠家の毒を無限に使わせてしまうことになる。
つまりは毒が使用された相手は必ず晩翠家を恨むことになるのだ。それは知らぬ間に無差別に喧嘩を売るという事と同義だ。毒の出所が晩翠家と突き止められた瞬間、私達は皆殺しにされるだろう。
故に、もはやこれは取引などではなく、脅迫だ。どちらに転んでもこの家に助かる道など存在しない。
キキョウをこの男に取られた時点で既に詰んでいたのだ。当主である父は、取引に応じることを選んだ。その真意はわからない。目の特性を盗まれ家の存在意義を失うよりは、毒の流通元が露見せずに生き延びる可能性がある方を選んだという事かもしれない。
「期限は7月末まででーす。7月31日に受け取りに来るんで、用意をお願いしまーす」
男はそういうと立ち上がりさっさと帰っていった。
***
残された両親と私は客間で座ったまま沈黙する。
父は何というだろうか。これからどうすればいいのだろうか。全く分からない。
「フクジュ。この毒はお前が作りなさい」
「な……」
「その知識が役立つ日が来る。生き残れる可能性があるとすればお前だけだ」
「……」
「私たちはやらなければならないことがある。お前はすぐに仕事に取り掛かりなさい」
父と母は立ち上がり客間から去っていった。
私はその場で呆然とする。こんな毒と薬品をなぜ作らなければならないのか。私は男が残していった書類に目をやる。書類には細かく仕様が記載されていた。
正直何に使うのかさっぱり分からない物ばかりだった。使用用途不明なだけあり、似たような物を作った経験もない。
果たしてたった1か月でこの未知の毒と薬品を作れるのかどうか。いや、何としてでも作らなければならないだろう。家の存続の小さな可能性すら失う訳にはいかない。
私は自身の研究室に戻りすぐに調査と検討を始めた。




