番外編01 元気だして! 2020.8.29
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2025年8月13日
血ましゅれ記念日 掲載
※『2章-3.訓練 2020.8.22』読了後であればネタばれなく読むことができます
https://ncode.syosetu.com/n8937ik/13
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「ユミちゃん! リラックスリラックス! 大丈夫。私もフォローするから!」
チェーンソーを持つ手に力が入る。アヤメの明るい声で、少し無駄な力は抜けた気がするが、それでもやはり緊張で強ばる。
真夏の夜。日は落ちても不快な暑さと湿気がまとわりつく。ただ立っているだけでも、じんわりと汗が滲むような気候だった。
初めての単独でのお仕事。
建物内にいる人間5人を始末する仕事だ。
裏社会の人間が多く住まう地域内。自分達以外の人の気配を感じることの無い場所。
3階建てや4階建ての無機質な建物が密集している。どことなく気味の悪い場所だ。
何人も殺してきたくせに。今更自分は何を恐れているのだろうか。
見習いプレイヤーであるため、アヤメが常に見守ってくれている。万が一もない。
アヤメからも、実力は十分だから問題ないと言われている。
ターゲットの顔も特徴も想定される武器も頭に入れてきた。潜入する建物の間取りだってしっかり頭に入っている。
何度もシミュレーションした。何度も何度も。
だから大丈夫。な、はずなのだが……。
体は強ばったままだった。
緊張している……?
目の前にターゲットがいる建物がある。分厚いカーテンが閉められた小さな窓からでは、中の様子は分からない。
と、その時、両肩にぽんと軽く手を置かれた。
アヤメの手だ。
「最初から上手くできる人なんて居ない。それに、ユミちゃんに要求されてる事はとっても難易度が高い事だから。挑戦するつもりでいいんだよ。ユミちゃんの傍には私がいる。大丈夫だよ」
振り返るとへにゃりと笑うアヤメがいた。その笑顔を見ると、なぜだか安心してしまう。
本当にもう、大丈夫なんだ、なんて……。根拠なんてないのにそう感じてしまう。
「行ってきます」
ユミは意を決して、ターゲット達が立てこもる建物へと侵入して行った。
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「ほら! ユミちゃん! 元気だして!」
「はい……」
初仕事の翌日。ユミはアヤメに呼び出され、半ば強制的に街へと連れていかれた。
そして、現在。ユミ達はカフェにいる。向かいに座るアヤメは眉を八の字にして、それでもユミを励まそうと笑いかけてくれている。
「初めてなんだし。こんなの想定内だし。大丈夫だよ!」
「はい……」
昨日の初仕事。
ユミは1人、ターゲットを取り逃してしまったのだった。建物の出入口を意識して、逃げられないように注意して、しっかり追い詰めたと思っていたのに。
息を潜めて物陰に隠れていた最後のターゲットは、あろう事か建物の窓から飛び降りて脱出をしたのだった。まさか4階の窓から飛び降りるなんて想像もしていなかった為、まんまと逃がしてしまったのだった。
とはいえ、建物外で待機していたアヤメがきっちりそこは対処してくれたので、取り逃がすことはなかったのだが……。
「ユミちゃん。どれ食べたい?」
「え?」
俯く視界の中に、スっとメニューの冊子が滑り込んできた。顔をあげるとアヤメがにこりと笑う。
「ここのパンケーキは美味しいんだよ!」
「えっと……」
「でもね、すっごく甘いから、パスタも一緒に頼もう! それで2人でシェアしたいな!」
アヤメは上目遣いでユミを見る。その様子はとても可愛らしい。こんなおねだりを断れるはずもない。ユミはこくりと頷いた。
「ユミちゃんは、フルーツは何が好き?」
「えっと……、フルーツは全部好きですが、特にパイナップルと桃が好きです」
「うんうん! 美味しいよねっ!」
目の前に広がるメニューには、色々な種類のパンケーキのイラストが並んでいる。どれも美味しそうだ。キラキラと輝いて見える。
「うーん迷っちゃうけど……。これはどうかな? あ、でもこっちも美味しそう……。トッピングも色々ある。全部美味しそう。うぅぅ……。迷うぅぅ……」
どのパンケーキにするかを必死に悩むアヤメが可愛らしい。そんなアヤメを見て、ユミは思わずクスッと笑ってしまった。
「アヤメさんはフルーツ、何が好きなんですか?」
「えっとねぇ、私もフルーツは全部好きだけど、特に好きなのはベリー系かな! いちごもラズベリーもブルーベリーも!」
「成程」
ユミは改めてメニューをじっくり見る。どのフルーツをメインに据えるのかで構成が大きく異なるようだ。カスタマイズも可能であり、確かにこれは迷ってしまう。
「それなら……」
ユミは生クリームたっぷりのベリーメインのパンケーキを指さす。アヤメはきっとこれが好きに違いない。
「これはどうでしょうか?」
ユミはそう提案してアヤメを見る。しかし、アヤメはコテッと首を傾げてしまった。
「確かに私はベリーが好きだけど、これじゃぁ、ユミちゃんの好きなフルーツがないよ? だから、こっち!」
アヤメはメニューを指していたユミの手を握り、様々な種類のフルーツが乗った、色鮮やかなパンケーキの方へと移動させた。ユミはびっくりして顔をあげる。するとアヤメはへにゃっと笑っていた。
「せっかくユミちゃんと来たんだもん! 一緒に好きなもの食べたいよ! そこにはユミちゃんが好きなものがなくっちゃ!」
「っ!!」
「チョコ要素をどこかに入れたいんだけれど……。チョコレートソースとチョコクリームだったらどっちが好き? ユミちゃん選んでよ!」
「えっと……。チョコレートソースが食べたいです」
「うん! オッケー!」
一緒に好きなものを食べたいというアヤメの気遣いがとてもうれしくて。ユミは泣きそうになる。
今のユミにとって、『一緒』というものがどれほどありがたいことなのか。
「パスタはどれがいいかなぁ~」
次はパスタ選びだ。こちらも色々と種類があり迷ってしまう。
「これ……」
「ん? キノコのやつ?」
「はい。美味しそうだなって」
「うん! じゃぁ、ユミちゃんチョイスのたっぷりキノコのパスタに決定!」
アヤメは直ぐに店員を呼び注文を行っていた。
「うーん! 楽しみ! このお店、1人でしか来たことなくてさ。ユミちゃんと一緒に来られてすっごく嬉しい!」
「私もアヤメさんと来られて凄く嬉しいです」
その後はアヤメと楽しい会話をしながら食事を楽しんだ。会話内容は本当に他愛もないものばかり。駅前に気になるカフェがあるとか、ショッピングをしたいだとか。本当に普通の日常がそこにあった。今まで落ち込んでいたのなんて忘れてしまうくらい、本当に楽しい時間だった。
***
カフェでおなか一杯美味しいものを食べて、すっかり元気になったところでアヤメとbarに戻ってきた。これから反省会である。
barにはシュンレイが待機していて、端のテーブル席でパイプたばこを吸いながら、本を読んでいるようだった。ユミはアヤメの向かいに座る。
「これからフィードバックをはじめるね」
「はい。よろしくお願いします」
緊張する。アヤメも真剣な顔つきだ。これは仕事なのだと、自然と気持ちが切り替わる。
「まず。1人取り逃がしたこと。これはちゃんと反省しなきゃダメな事」
「はい」
「初めてだし、まさか4階から飛び降りるなんて予想できないと思う。でもね、依頼人からしたら初仕事だからなんて関係ないから」
確かにそうだ。初めてだから失敗しても仕方がないなんて、甘い目で見てくれるわけがない。依頼人からすれば、そんな事は一切関係ないのだ。
「大事なのは次に生かす事。次のお仕事で同じミスをしない事。そのためには何が必要だと思う?」
「えっと……」
ユミは考える。取り逃がさないようにするためにはどうすればいいだろうか。
「注意深く全体を見ておく……とかでしょうか……?」
「うん。確かに全体に意識を広げておくことも大事。だけど、それだけじゃ防げない。事前に準備することが大事だよ」
「事前準備……」
「そう。想像力を働かせて、ターゲットの行動を予測しておくことが大事。命の危機が迫った人間はどんな行動をとるのか、とかね」
命の危機が迫ったら。自分だったらどうするだろうか。
必死で逃げようとするのではないだろうか。それこそ4階の窓から飛び降りてでも脅威から逃げ出すのでは……?
成程。自分には圧倒的に想像力が足りていなかった。殺される側の心理をしっかり想定できていなかったのだと気が付く。
「ひとつずつ、覚えていこう! そのための見習い期間で、師匠の私がいるんだから! 言ったでしょ? 最初から上手くできる人なんていないって。それに、殲滅のお仕事は本当に難易度が高いの。ユミちゃんの武器は音が出るから、なおさら難しい。それでも、できると思うからこそ、この仕事がユミちゃんに振られたんだよ」
ユミはしっかりと頷く。
「自信を持って。大丈夫。ユミちゃんならできるから。ちゃんと通用するからね。一緒に頑張ろう!」
「はい!」
失敗はしてしまった。だけど、自分が今すべきことは落ち込んで、くよくよすることじゃない。しっかりその失敗を分析して、次に生かさなければ。それに、アヤメは期待してくれている。そして、一緒にいてくれるという。本当に心強い存在だ。
「失敗からしか学べないこともある。失敗しても大丈夫なように私がいる。だから、安心して挑戦してほしい。挑戦しなきゃ強くなれないし、挑戦すれば失敗はつきものだから。前向きにとらえてね!」
アヤメは優しく微笑んでくれた。
失敗からしか学べない事は、確かにたくさんあるだろう。本来、プレイヤーの仕事は失敗すれば死に直結する。だから慎重になるべきだ。だが、慎重になり過ぎては挑戦なんてできない。挑戦の先に成長があるのだと感じる。
「良かった。ユミちゃん。元気になった」
「へ?」
「やる気満々のユミちゃん、すっごく可愛い!」
アヤメにぽんぽんと頭を撫でられる。その手がすごく優しくて、暖かくて。心がどんどんほぐされていくようだった。
「アヤメさんのおかげです! ご心配おかけしました」
「うん! 私はユミちゃんの師匠なんだから! 当然だよ! だから、もっと沢山、頼ってほしいな!」
ユミはニコリと笑った。
何もかも、アヤメのおかげだ。落ち込んだままの状態で反省会をしていたら、今のように前向きに物事を考えられただろうか。きっと無理だったと思う。全てをネガティブに受け止めてしまい、アヤメの指摘や指導を正しい意味で認識できなかっただろうと思う。
アヤメの相手を思いやる暖かい心遣いが、本当にありがたい。この人にどこまでもずっと、ついていきたいなと、ユミはこの時初めて感じたのだった。