6章-1.後日(5) 2022.1.21
海鮮丼の店を出ると、変わらずとてもいい天気だった。ユミは伸びをする。あまり思いっきり伸びると傷が開くらしいので、少し遠慮気味に伸びをした。
どこか目的がある訳では無いため、ふらふらとこの地域を散策することになった。市場というだけあり、新鮮な海の幸を売る店が沢山ある。観光客向けの物もあるので、加工食品も多い。他にも調理器具なども売っており、食に関するような物がズラリと並んでいた。見ているだけでも飽きないが、せっかくなので美味しそうなものは買っていくことにする。色々と物色するのは楽しい。ザンゾーも興味があるようで食べたいものを買っているようだった。
一通り買い物が終わると、近くの公園に向かった。そこは、広大な庭園のようだ。入園料を払い入場すると、公園内は非常に綺麗に整備されており、大木も多く、池もある。ひと目見ただけでも、歴史がありそうな公園だなとユミは感じた。背景には高層ビルが並んでいる。豊かな緑との対比は圧巻だった。
「ここの池は海水を引き入れて潮の満ち干きで変化をつけて景観を楽しんでいるらしいな」
「海水って、珍しいの?」
「あぁ。今はこの辺ではここだけだな」
ザンゾーは物知りだなと思う。ユミは入園時に渡された公園のパンフレットを見る。やはり歴史ある庭園のようだ。季節によっては花畑で綺麗な花を見られるらしい。
「寒くないか?」
「うん。大丈夫。沢山着せられたから寒くないよ」
水辺は風が冷たい。だが、ザンゾーとフクジュに厚着する事を強制され、ユミはモコモコの状態である。座ったままだと体を動かさなくなるため、冷えやすいとの事だった。
地図を見ると、池の中には水上に建てられた茶屋があるようで、そこを目指して道なりに進む。
そして、茶屋へ続く木造の橋を渡っていく。ゆったりと流れる時間、木造の橋の上を進む度に鳴る木の音に趣を感じる。心がほぐれていくなと、そんな気持ちになる。
「こういうのなんか良いね。自然の中でゆっくりするの好きかも。癒される」
この良さを上手く言葉で表現するのは難しい。ただ、こうした時間は好きだなと感じた。視覚的な情報だけでは無いのだろう。自然の音や匂い、温度や湿度、ここに存在する色々な要素が癒してくれるような気がする。ユミは鼻歌を奏でた。この気持ちを表現するならば、自分にとっては鼻歌が1番良い。
「良い旋律だな。多分それだ」
「え?」
「癒し効果のある幻術だ。ユミはすげぇな」
見て感じた癒しを自分の中に取り込んで、鼻歌で表現した。それが癒しの効果がある旋律になったという事なのだろうか。
もしかすると、これは母の能力だったのかもしれない。そう思うと、なんだか母がずっと寄り添って見守ってくれているような感覚になる。
ユミはしばらく鼻歌を奏でた。その間もユミ達はゆったりと進んで行く。すれ違う人達は鼻歌を歌うユミを珍しそうに見るが、皆優しい目をしていた。一緒に旋律を楽しんでくれているように思う。
「こりゃ、すれ違った人間は皆、今夜はぐっすり眠れるだろうな。自律神経整いまくりだぁね」
ザンゾーは苦笑している。とはいえ、別に鼻歌を止めさせるつもりは無さそうだ。害は無いという事だろう。
しばらく歌うと何となく満足したため、ユミは鼻歌を止める。ほんの少しだが、体がポカポカしている気がする。気持ちも穏やかだ。
「ギフトなんだけど、もしかしてパパのギフトも貰ってるのかな……? ラックはパパの事をチェーンソーの男だって言ってて知ってるみたいだった」
臓器を食べたユミだから分かるのだが、臓器の中で最も良い物は心臓だ。ほかの臓器に比べて、エネルギー効率も美味しさも効果も何もかもずば抜けて良い。ギフトの効果も同じだと推測できる。
ユミは既に父親の心臓を食べている。記憶が曖昧だが、一番最初に食べたと思う。
「可能性は高いな。チェーンソーは元々使えたのか?」
「うん。丸太を切ったりとかはパパに教えて貰って出来るようになってた」
ザンゾーは考えているようだ。何か思い出そうとしているようにも見える。
「ユミは、最初からチェーンソーで戦うという動きが出来ていた。本来の道具の使い方じゃぁねぇんだよ。だから違和感を覚えた記憶がある。普通チェーンソーで人間は切断できないはずだ。服は邪魔になるだろうし、骨とか硬さの異なるものが混じればスパッと一気に切れるわけがねぇんだぁよ。つまりユミは最初から、チェーンソーを武器として扱う殺し屋の動きが出来ていたわけだ」
「チェーンソーでの戦い方をギフトとして貰ったって事?」
「あぁ。少なくともそれは間違いないだろうな。一般人、それも女子中学生がいきなり出来る動きでは無いからぁよ。まぁ、ギフトではなくても、遺伝によって、鼻歌みたいに教えられずともそれなりに出来る可能性も充分あるが……。他にも貰ってるかもな」
「他にも……」
「その辺は番長から20歳になった時に教えてもらえるんじゃぁねぇのか?」
「確かに!」
父からのギフトで自分は最初からチェーンソーで戦うことが出来た可能性が高い。
それによって無差別殺人事件を引き起こしてしまった訳だが、呪詛によってもたらされた強烈な狂気の発散の手段として、ユミが人格を保つのには必要な事だったのだろう。
様々な状況を考えれば、父親からのギフトは良いか悪いか判断する事は難しい。だが、ユミが生き延びる僅かなチャンスを与えたことだけは確かだ。もし父からのギフトが無ければ、狂気を発散できず正気を失い続け、連続で臓器を食べて化け物になっていただろう事は間違いないのだから。
父が与えてくれた僅かなチャンスを掴んだ今のユミの状態を考えれば、少なくてもユミにとっては良かった事で間違いない。父親によって生かされた命だ。結果論ではあるが、それだけは間違いがない。
とはいえ、当然今も罪悪感はある。状況を考えれば仕方の無かった事と言えるかもしれない。事故だったと言えるかもしれない。ユミだって被害者だったんだと言えるかもしれない。
だが、何の罪もない一般人を殺してしまった事実は変わらないのだから。この現実には一生向き合っていかなければと改めて思う。
シュンレイに以前聞いた話であれば、この罪はユミが一般人ではなくなるという事で帳消しになるという話だった。だから今後も一般人に復帰しない限りは問われない罪となる。この社会での処理としてはそうなる。
それでも、やはり。自分は今も一般人であった時の心はある。その時に培った常識や感覚がある。だから開き直る事が良いとは思えない。
未だにあの時の事はどう考えるべきかと。どう捉えて生きていけばいいのかと。迷わない訳ではない。
きっとこの事については今後も悩み続けるのだろう。いつか答えが出るかもしれないし、一生答えが出ないかもしれない。
ユミはそんな風に考えて、父と父から受け継いだ能力についての事を自分の中で整理した。
「もしかしたらパパも私に生きてってメッセージを伝えてくれていたのかもしれないなぁ……」
「メッセージ?」
「うん。ママの心臓を食べた時にね、はっきり聞こえたの。生きてって。凄く強いメッセージだった。だからパパもそういうメッセージを伝えてくれていたのかもしれないなって……。だからかな。両親の死体を見て、狂気に染まって、自分でも訳が分からなくなっていたのに、凄く生きたいって気持が強かった。自暴自棄になって後追いしたっておかしくなかったはずなのに、死にたくない、生きたいって気持ちが強かった。だから今も生きていられるような気がする」
「そうか……」
当時の記憶は曖昧だ。だから推測に過ぎない。しかし、そんな気がするのだ。パパもきっと生きて欲しいという願いを込めてくれたのだろうと思うのだ。そうでなければ説明が付かない。何故自分があそこまで生きたいと願っていたのか。
生物の本能という部分も当然あるだろう。相棒が怒りも悲しみも何もかも負の感情を肩代わりしてくれたからというのもあるだろう。けれど、生きたいという強い意志はそれだけでは貫けなかったように思う。自分はそこまで強くなかった。暴力とは無縁の一般人の社会で平和に育った自分が、そこまでの強い意志を持てるはずが無いと思うのだ。
だからきっと、パパからも強いメッセージがあったんじゃないかと、そんな気がしている。
「なんだか、パパもママも私の中で生きてる様な気がする。そうであって欲しいなぁ。別れの挨拶も何も出来なかったからさ……。せめて。なんか……。うん……」
「……。すまない」
「え? あ……」
ユミはそこでハッとした。ザンゾーは一体どんな顔をしているのか、振り返って確認するべきでは無い気がした。
ユミの両親が殺された件については、ザンゾーも関わっているはずだ。どこに関わったのか詳細は分からないが、狂気に落とす手順などはザンゾーの担当であることは間違いがない。
故に、ザンゾーは責任を感じて謝罪の言葉を言ったのだと分かる。
そんなつもりで話したわけではなかった。責めるつもりもないし、謝ってほしくて言った事でもなかった。
だが、何となくであるが、このままは良くないと思うのだ。ザンゾーとそんな関係のままでいたくないとそう感じた。
だからユミは意を決した。そしてゆっくりと口を開いたのだった。