6章-1.後日(3) 2022.1.21
「昼ごはんは何か食べたいものあるか?」
「うーん……。お刺身……?」
「まさかとは思うが……。水槽の魚見てお腹空いたのか?」
「えへへ。美味しそうだなって……」
ザンゾーは呆れたように深いため息をつきながらも笑っていた。
水族館を出ると丁度お昼の時間だった。食べたいものを聞かれたので答えたのだが、ザンゾーにはユミの思考回路はバレバレだったようだ。
「どうせ食うなら美味い海鮮丼を食べに行くか」
「海鮮丼!!」
「アヤメとは行かねぇんだろ? 魚系は」
「うん。アヤメさんは魚苦手だからね……」
アヤメはあまり魚を好まない。食べられない訳では無いようだが、どうせ食べるなら肉が良いとの事で、アヤメといる時には魚料理は食べなかった。
ユミはどちらかと言うと魚料理は好きな方だ。特にお刺身は好物である。よく父親が晩酌する時のツマミとして食卓に並んでいたので、美味しいものを根こそぎ食べた記憶がある。父親と中トロの取り合いをした記憶が懐かしい。
海鮮丼を食べることに決まり、ザンゾーは車椅子を押して歩き出す。別の駅に向かうようだ。
「何でアヤメさんが魚食べないのを、ザンゾーが知ってるの?」
ユミは気になり尋ねる。ザンゾーがアヤメとそんな会話をするだろうか。どこから仕入れた情報か気になるところだ。
「あぁ? 忘れたかぁ? ユミを誘拐する時に、コンビニから六色家の拠点入口まで沢山会話しただろぉ? そこで俺が地雷踏んだ内容だぁよ」
「へぇ。あの時のあの会話ってちゃんと会話してたんだ。時間感覚もおかしかったから、全部私の独り言で夢の中みたいな感じかなって勝手に思ってた」
ザンゾーは何か考えているようだ。
「コンビニを出てから幻術が解かれるまで、体感何分くらいだったか?」
「え? うーん……。15分から20分位かな」
「実際は約3時間だ」
「え゛……」
そんなに歩かされていたのかとユミは驚く。一体何が起きていたのだろうか。普通にアヤメと話をしながら少し歩いたという印象しかない。
「そもそも俺ぁ、1秒たりとも歩いた記憶を残させるつもりは無かった。だから、15分も感覚がある時点でユミの幻術への耐性が強い事が分かる。俺の実力不足だぁね。かははっ! 普通に悔しいな」
ザンゾーはそう言ってユミの頭をくしゃくしゃに撫でる。
「会話の内容に違和感があると、幻術が解けそうになる。だからその時の記憶だけが残る。そういう仕組みだぁよ。部屋のぬいぐるみをクローゼットにしまうのと、アヤメが魚を食べないっていうのと、好きな色だったか? その3点で解けちまうとはな。その内容の会話の記憶だけはあんだろぉ?」
「うん。それしか会話してないと思ってたけど……。もしかして他にも色々話してたの?」
「あぁ。その通りだぁよ。3時間ずーっと話してたからなぁ? まぁ他に解ける要素としては、仕事終わりのおやつをアヤメが食べない事とアヤメの無邪気な笑顔か。そこは計画上やむ無しだったからノーカンにしても。たった3つ会話を間違えただけで解かれるとは流石に思わねぇよ」
そういうザンゾーは、楽しそうな顔をしている。幻術を破られて悔しがるとかでは無いのだろうか。自分の計画が想定通り上手くいかなかった事を楽しんでいるようにも見える。
「髪の毛ぐちゃぐちゃ……」
「あ。わりぃわりぃ」
ザンゾーはユミの髪を整える。この思考時の手癖はどうにかならないものか。自分の爪を噛むか、自分の髪でも触っていればいいのにと思う。
「あ。そうだ。モミジちゃんとワサビ君の怪我はどう? 全然様子を聞かないから心配で……」
「あぁ。2人は元気だぁよ。ワサビの肩の怪我は酷かったが腕が動かなくなるような傷では無い。まだ療養中だが、そろそろ仕事復帰できるだろうな。モミジも鞭で受けた傷と毒に暫く苦しんでいたが、フクジュが直ぐに解毒できた事が良かったみたいで、今じゃ元気に訓練してらぁ。モミジは昨日あたり、ユミちゃんを守れるようになるんだ! つって番長に手合わせしてもらってたな」
モミジもワサビも順調に回復しつつあるようで良かったなとホッとする。
「ユミ。ありがとな。2人が今生きているのはユミが想定より遥かに良い動きをしたからに他ならない。イレギュラーに対応しただけじゃぁねぇ。最悪の場面でもモミジとワサビが動けたのはユミだがいたからだ。本当に助かった。それにもし、モミジとワサビが捕まっていたら、俺達は2人を諦めなければならなかったからな……」
「え……。それってどういう……」
「番長と事前に決めていた事だ。ラックに捕まった人間がいた場合、どうするのか。誰が犠牲を払うのか。全てのパターンを事前に決めている」
「もしかして、モミジちゃんとワサビ君が捕まってたら見捨てたって事?」
「あぁ」
「っ……」
ユミは出かけた言葉を飲み込んだ。
見捨てるなんて酷いとか、ありえないとか、そんな薄っぺらくて無責任な言葉は自分が言っていいものじゃない。要は自分達はそういう相手と戦っていたという事だ。なんの犠牲もなく勝てるような相手ではないと、シュンレイとザンゾーは最初から見込んでいたという事だ。
きっとシュンレイとザンゾーの居残りの作戦会議ではその犠牲について話し合われたのだろうなと推測できる。
「アヤメが捕まっていたら番長が。ユミが捕まっていたら俺が犠牲を払う。他の人間の場合は諦める。そう決めていた」
「何それ……。勝手すぎるよ……」
きっとこれを聞いたらアヤメも怒るに違いない。
「それぐらい大事だって事だぁよ。分かってくれや」
「……」
何も言えない。弱い自分が悪い。弱い自分には何も言う資格がない。何か意見したり反抗したいなら対等なレベルまで強くなるしかない。そう感じる。
だからユミは黙った。だが、やはり納得なんて出来ない。
「ヤダ……」
ユミは小さく言葉を漏らした。これはただのわがままだ。相手を困らせるだけのわがままだ。
ユミは、ぬいぐるみを抱きしめて心を落ち着かせる。この気持ちはなんだろう。悔しさだろうか。自分の弱さへの嫌悪だろうか。よく分からない。納得する理由は十分あるのに、気持ちが追いつかない状態だ。
ザンゾーは何も言わずにそんなユミの頭を優しく撫でていた。