5章-8.不運(7) 2022.1.13
「チッ! ふざけるなッ!!」
直後響くラックのブチ切れた怒鳴り声。
そして口の中に広がる血液の味。
あれ、美味しい……?
ユミは訳の分からないまま、全身に衝撃を受ける。そして、気がつけばラックの腕から離れ床に転がっていた。
状況が全く分からないままユミは全身の痛みに耐える。どうやら自分の舌は噛み切られていない。口の中に広がった血の味は自分のものでもなかった。であれば、この血液はラックのものだろう。
恐らく、ユミが自害しようとするのを悟り、口の中に無理やり指でも突っ込んで止めたに違いない。そして、現在気配から察するに、シュンレイとラックが戦っている。アイルも動いているようだ。一体何がどうなってそうなったのか。全く分からない。
「ユミ。ありがとな」
近くでザンゾーの声がした。そして、直ぐに丁寧に横抱きで抱き抱えられる。
「痛いだろうが我慢してくれ。ここは危ない」
ユミは頷いた。抱きかかえられた事で周囲の様子がやっと分かった。
やはり、ラックとシュンレイとアイルが激しく殺りあっている。ユミが転がっていた場所はザンゾーが言うように危険なエリアだった。下手したら巻き込まれてしまう。
「ユミが作ったラックの隙を、番長がすかさず突いた。それが今の状況だぁよ」
ユミの自害を試みるという行動が、図らずも場面を有利な方向へ一気にひっくり返したようだ。
「帰ったら説教だからな。覚悟しろ」
「え……?」
「当たり前だろぉ。ラックに捨て身で突っ込んだり、自害しようとしたり。許さねえからな」
「うぅ……」
ユミはぎゅっとザンゾーにしがみついた。ここに無事でいるザンゾーを確かめるようにしがみつく。
本当に怖かった。
何もかもが怖かった。
死ぬかもしれない恐怖も。
失うかもしれない恐怖も。
どうにも出来ない程圧倒的な力をもつ人間も。
痛みも。未来の事も。
怖くて怖くて仕方なかった。
安堵したからか、一気に麻痺していた感情が押し寄せてきた。本当に自分は怖くて仕方なかったのだと、改めて受け止めた。
「あ。まずいな」
ザンゾーは呟く。ユミはシュンレイ達が戦う方に目をやった。すると、ラックは鈴が付いた棒を手にしていた。
「ザンゾー。私もう立てるよ。降ろして」
ザンゾーは驚いたような顔をしたが、ゆっくりと降ろしてくれた。ユミは少しよろけながらも無事に立つことが出来た。
当然全身が痛い。先程ラックに殴られた腹部はずしりと鈍い痛みが広がり、冷や汗が出る。それでも、自分で立たなければと思う。ザンゾーの手を塞ぐ訳にはいかない。
ザンゾーは着ていた羽織を脱ぎユミに着せた。ラックの鞭の攻撃で服の意味をなしていなかったので大変助かる。ふわりとタバコの臭いが羽織からして、ユミはなんだか落ち着いてしまった。
ザンゾーはスマートフォンを取り出し何かを打っているようだ。次の指示だろうか。一通り打ち終わるとザンゾーはスマートフォンをしまった。
シャラン……。
フロアに鈴の音が響く。
ラックが音を奏でたようだ。この音はユミの心にも響く。掻き乱されるような不快な感覚だ。
直後、ラウンジの奥から化け物化したプレイヤー達がぞろぞろと走ってきた。まだこんなにも隠れていたとは驚きである。
ザンゾーはユミの前に出た。この追加の化け物達を倒すのだろう。
「あの……。化け物の心臓……。食べられたら食べたいな……。食べたら多分走れると思う」
「あいよ」
あと何個か臓器を食べられれば、それなりに動けそうだ。今の状態で化け物に襲われたらひとたまりもない。せめて自分で逃げられる程度は動けるようになりたい。
とはいえ、自分でも驚くほどの回復力だと思う。六色家に捕まって暴れた時も、瀕死の状態ですら、殺した人間の心臓を食らうことで動けたのだ。エネルギーさえあれば何とかなるのかもしれない。
今まで倒してた化け物を見ても、四肢を切り落としたところで変わらない動きをしていた。自分の体も、痛みやダメージがあっても問題なく動かせてしまうような造りなのかもしれないと感じる。
化け物達はシュンレイとアイルを囲んでいた。ラックは楽しげに笑っている。
この化け物は逃走用に用意したものなのだろうなと察する。
「それでは皆さーん! さよーならー!」
ラックは余裕の表情でゆったりと歩き、エレベーターホールへ向かって行った。
高ランクの化け物達が立ちはだかり、とてもじゃないが追えるような状況では無い。
「深追いはやめましょウ。このフロアの化け物を一掃して、我々も撤退でス」
シュンレイ達は追加で現れた化け物達を次々に倒して行った。ユミはひたすら死にたての化け物から心臓を奪い取り食べていく。高ランクの化け物の心臓だと、非常に高効率でエネルギー回復ができるようだ。
ユミはアイルが投擲したと思われるナイフを1つ拾い上げる。そして、比較的弱そうな個体を選んで切り込んで行った。これくらいなら、かなり回復したユミにも出来る。少しでも貢献したい。
しばらくすると、化け物は全て処理された。シュンレイはラウンジの奥を捜索している。化け物が残っていないかの確認をしているようだ。アイルは投擲したナイフを拾い集めている。ユミは使わせてもらったナイフをアイルに返却した。
「問題ありませン。帰りましょウ」
4人はエレベーターに乗り1階エントランスホールへ向かった。
***
エントランスホールに着くとアヤメ達が待っていた。アヤメもモミジも目が真っ赤だ。沢山泣いたに違いない。また心配を掛けてしまったようだ。本当は2人を思いっきり抱きしめたかったが、この傷だ。無理そうだなと感じて断念する。
「ユミちゃん。帰ってきてくれてありがとう」
「アヤメさん。ただいまです」
笑顔でアヤメに答えることが出来て、本当に良かったと思う。もし誰かを失っていたら笑う事等出来なかっただろう。
アヤメの顔を見てやっと戻って来れたのだと、ようやくユミは安堵できた気がした。
「ユミちゃん。帰ろう!」
「はい!」
ユミ達は専用のタクシーに乗り込み、呪詛師の拠点を後にした。
こうして呪詛師達への報復が終わったのだった。