5章-8.不運(4) 2022.1.13
一体どれだけ時間が経ったのか分からない。ユミはピクリとも動けなくなった。死にそうだ。背中の痛みが酷すぎて何も分からない。
ラックは近くに座っている。押さえつけられてはいないが、起き上がることも出来ないため、逃げるなんて到底無理な状態だった。
ラックはユミのポケットからスマートフォンを抜き取った。そして操作をしている。
カシャっとシャッター音がした。
どうやらユミの倒れた様子を写真に撮ったらしい。そしてまたスマートフォンを弄っているようだ。
「成程でーす。このグループチャットで連携していたんでーすねー。ははっ! ここにアナタの今の写真を投稿しまーしたー! 愉快でーす!」
ラックはユミの目の前にスマートフォンの画面を出した。そこにはボロボロのユミの写真が投稿されていた。
背中の傷は痛々しいを通り越している。ぐちゃぐちゃだ。今自分の背中はこんな状態なのかと知り、笑えてくる。
「さぁ! 交渉しにいきまーすよー!」
ユミはラックに横抱きにされる。何の抵抗も出来ない。
満足そうなラックの顔を下から見上げる。腸が煮えくり返る思いだ。
「こんな状況でも殺気を飛ばすなんて、なんて可愛いんでしょーか! 躾がいがありそーでーす! 楽しみでーす!」
その状態のまま、ラックはエレベーターに乗り込んだ。向かう先は、ラウンジのようだ。
2層下の35階にエレベーターが着くと、ラックはゆっくり降りた。
***
そこはまさに戦場だった。ユミは霞む視界で何とか状況を確認する。辺り一面化け物の死体だらけだ。呪詛師と思われる幼い少女が2人いる。そしてその奥には、シュンレイ、ザンゾー、アイルの3人が化け物と交戦していた。
戦いの様子は激しすぎて、死にかけのユミには到底追えるものではなかった。ラックの登場によって、全員の視線がこちらへ集まる。
「あっ! ラック様!!」
「ラック様! うちら頑張りましたっ!」
呪詛師と思われる幼い少女が笑顔で駆け寄ってきた。
少女達は可愛らしい袴を着ていた。薄ピンクの花柄の着物に赤い袴を合わせた子、薄い水色の花柄の着物に紺の袴を合わせた子、2人ともぱっちりとした二重で愛らしい。髪型はハーフアップにしてかんざしで止めていた。
少女達の手には、彼女らの身長と同程度の長さの、先端に鈴が着いた棒が握られていた。鈴のサイズは直径5センチメートル程で大きく、それが10個程度密集して付いていた。
少女達がラックに向ける顔は、信頼の顔だった。非常に懐いているようだ。屈託のない純粋な笑顔だ。
ユミはそれを見て複雑な気持ちになる。なんでこんなクズにそんな顔を向けるのか理解できない。
「ラック様、その子は?」
「この子は実験体No.8でーす」
「この子、凄く可愛いですね!」
「化け物なのに、とっても綺麗!」
少女達にまじまじと見られる。珍獣を見るかのような視線だ。
「ラック様、この子飼うんですか?」
「まずは交渉の材料にしまーす。もっといい条件があれば1度手放すつもりでーす。最終的には手に入れるつもりでーす」
ラウンジ内のローテーブルを囲むように配置されたソファーに、ラックはユミを抱えたまま腰を下ろす。右腕で首の辺りをホールドされているため、逃げられそうにない。
「ニコ、サヨ、足止めご苦労様でーす。とても偉いでーす」
ラックは空いた左手で彼女達の頭を撫でていた。撫でられた彼女達はとても嬉しそうに微笑む。
本当にこの茶番は何なんだろう。気持ち悪い。
ユミは大して回らない脳で戦況を確認する。ここにいる化け物は皆SSランクレベルだろうと思う。それが何体もいる。元はSランクレベルのプレイヤーを化け物化したに違いない。
シュンレイの周りにはその化け物が8体も付いている、ザンゾーの所にも8体、アイルの所には6体。それでも現状、戦力が拮抗しているのだから、それこそ意味がわからない。
「ラック様、どうしましょう……。そのうち倒されてしまいます」
「こいつら、化け物より化け物です……」
少女達は不安気な顔をしてラックに尋ねる。
「最高ランクの化け物達の殆どがこいつらに殺されてしまいました……。強化もして底上げしたのに……。うちらはSSランクレベルの化け物を同時に複数体ぶつけているのに……。倒される意味がわかりません……」
彼女たちの報告で状況は大体把握出来た。シュンレイ達は長時間ここで足止めをされていたようだ。周りに転がる死体の数を見ても明らかだ。ここから1人でも欠ければ戦況は厳しくなるだろう。
3人とも無表情で淡々と戦っている。そして少しずつ化け物の数は減り、ついには化け物は全て倒された。
ラックは、この時を黙ってずっと待っていたようだ。
「足止め出来れば十分でーす。その間に自分は宝物を手に入れる事ができまーしたー」
ラックがそう言うと、少女達は安堵したように微笑む。
本当にこの少女達は心からラックを信頼して懐いているというのか。
狂っている。
ユミの体力は少しづつだが回復してきた。それを悟られる訳にはいかない。今なら声も出せるし、腕くらいなら動かせそうだ。
「番長さーん。自分と取引しーませーんかー?」
ラックは満を持してシュンレイに話しかけた。
シュンレイはそれに対して、無表情でラックを見ていた。その様子からは一切の感情が読み取れない。
これからついに交渉が始まるのだろう。ユミの身柄をめぐって。
ここで動揺を見せたり、弱気になってしまえばラックが有利になるのだろう。ユミ自身の価値がシュンレイ達にとって高いと判断されれば、ラックの要求は高くなる。逆に価値がないと思われれば要求は最低限となるか、交渉自体が決裂する。主導権を握った方が勝つのだろう。
ここにアヤメがいなくて良かったなと思う。むしろ、感情が表に出る人間を、ザンゾーはここへ連れてこなかったのだろうなと察する。
ユミはそんな状況を理解し、より一層虚しくなる。だが、こうなってしまったのだ。もう腹をくくるしかない。
これから行われるだろう取引を少しでも有利に進められるように。この状況からでもできる事を模索し続けようと、ユミは気を引き締めた。