5章-8.不運(3) 2022.1.13
「意外と頑張りまーすねー。アナタ。毒で動けなくなるはずなのに元気でーすねー。おかげでまんまと2人に逃げられてしまいまーしたー。仕方ないのでアナタを捉えることにしまーす」
どうやらワサビとモミジはちゃんと逃げきれたらしい。これで一安心だ。
ユミは大きく息を吐いた。2人が逃げきれたのであれば、あとは足掻くだけ。それだけだ。
応援が来るかは分からない。しかし自分が少しでも長くラックを足止め出来れば、他の人の所へラックが行かないように出来る。
「♪♪〜♪〜♪♪♪〜♪〜♪♪♪〜♪〜♪♪〜♪〜」
ユミは鼻歌を奏でる。狂気に染まるような鼻歌を。
こんな化け物目の前にして正気でいるなんて不可能だ。
恐怖なんて吹き飛ぶくらい狂わなければ攻撃なんてできない。
「あははっ! あははははっ!」
ユミは湧き上がる狂気を全身に取り込んだ。すると心を支配していた恐怖が消えていった。そして代わりに生み出される高揚感。楽しくて仕方ない。笑いが込み上げてくる。
あーあ。
こんなの死ぬって分かってるのに。
楽しいって感じるのだから。
本当に私は狂ってる。
「おじさん! ユミちゃんと、たぁくさん! 遊んでねっ!」
ユミは笑いながら切りかかっていく。
恐れも恐怖もない。
あるのは目の前の男を破壊したいという衝動だけ。
ラックの鞭の攻撃は勘で避ける。
よく分からないが避けられるのでいいだろう。
「ははっ! 面白い! 面白い! 面白い! とてもいい物を見つけまーしたー! アナタ実験体No.8でーすねー! 会いたかったでーす!」
「はぁ? キモいんですけど。ユミちゃんは会いたくなかったでーす!」
「No.8のデータは、残念なことに、気がついた時には大幅に改ざんされてまーしたー。画像データもなく識別不明。自分も細かくは覚えていなかったので追跡を諦めていまーしたー。まさか、こんな所で会えるなんて本当に運がいいでーす! その狂気耐性と毒耐性、間違いありませーん! アナタがNo.8でーす!」
鞭による猛攻撃に対して、ユミは被弾しながらも切り込んでいく。ラックは非常にやりにくそうだ。何せ殺さないように加減をしなければならないのだろうから。
ユミのチェーンソーはラックの左肩と右ふくらはぎを軽く切り裂く事には成功した。全く届かないわけでは無さそうだ。
「No.8は実験体のうち唯一の成功例にして最強の個体でーす! アナタは持ち帰りまーす!」
「そういうナンパは受け付けてませーん! ユミちゃんはそんなに安くないよっ♪」
どうやらラックは、ユミを生け捕りにする事を狙っているようだ。ラックはユミの事を実験体No.8と言っていた。嫌な呼び名だなと思う。
「アナタを最初に見つけたのは本当に偶然でーしたー! 学校からの帰り道にお友達と歩いているアナタを遠目で見かけまーしたー。その時自分はピンときたんでーす。アナタの歩き方、見たことがあると……。そう、約15年前、目障りだったチェーンソー男の歩き方にそっくりでーしたー! だから自分はアナタの後をつーけまーしたー。そして発見したーんでーす! 忌まわしいチェーンソー男が一般人として父親になっている所を!! めっきり見なくなったので死んだと思っていましたが生きていまーしたー! 感動でーす! そしてアナタの母親も、有名な律鳴家の娘、行方不明とされていた娘! 非常に興味深い。だからアナタで実験しまーしたー!」
「は?」
何だそれ。
何なんだよその理由は。
「本当に自分は運がいいでーす! たまたま見つけたアナタがこんなに立派な個体に育ちまーしたー! 実に手に入れたいでーす!」
色んな思いがグルグルと回り、ユミの中でぐちゃぐちゃになる。
怒りなのか、憎しみなのか、悲しみなのか、虚しさなのか、はたまた、やるせなさなのか、後悔なのか、罪悪感なのか。
分からない。
自分の歩き方で目をつけられた……?
確かにただの偶然と言えば偶然だ。本当に災害にあったような物だ。
だが、もし違う歩き方をしていれば、今も自分は両親と楽しく暮らせていた……?
別の道で帰っていたら目をつけられなかった……?
その日その場所にいなければ……。
自分のせいで両親は……?
そんな事が無ければ自分も一般人を殺す事なんてなかった……?
そんな事は分からない。だけど偶然で片付けられるようなものじゃない。
自分に突然降り掛かった不幸がそんな簡単なワードで表現され片付けられるなど……。
「おや? 動きが鈍りまーしたねー!」
「きゃぁ!」
ユミは腹部に鞭の攻撃をモロに食らい吹き飛ばされた。
集中しろ。
動揺している場合じゃない。
今は戦っているのだ。
しかも格上と。
思考する余裕なんてあるはずがない。
「六色家の小娘も欲しかったでーすが、アナタの方が何倍も価値がありまーす! ここに残ってくれてありがとうございまーす! そうでーす。良い事に気が付きまーしたー! アナタは化け物でーす。多少痛めつけても気絶もしなければ死にもしませーん。動けなくなるだけでーす。そうと分かれば、しっかりと躾てあげまーす!」
ラックがそう言った瞬間、明らかに鞭の動きが変わった。加減か無くなった。完全に殺しに来ている。
「っ!!」
ユミは鞭の猛攻を避けながら切り込むが、全く歯が立たない。攻撃を躱されそしてカウンターのように打ち込まれる。
これが本来の戦いなのだろう。手加減が無くなればここまで打ち込まれるのかと、ユミは歯を食いしばる。
「あぅっ……」
腹や背中、腕や足、全身を打たれる。痛すぎてどこを打たれたのか分からなくなってきた。
それでもユミは体を動かす。この男だけは絶対に許せない。殺してやる。
「良い殺気でーす!」
ラックは嘲笑う。ユミの本気も子供の癇癪だと言わんばかりだ。
パァァァンと、一際大きな音がして、ユミは吹き飛ばされ床を転がった。
腹部に何度目かの攻撃が入ったようだ。もはや着ていた服は裂けてボロボロになり、腹や背は素肌が見えていた。
傷に傷が重なって肉は裂けぐちゃぐちゃだ。
立ち上がらなければ。立ち上がって動かなければ。
ユミは痛みを堪え体を起こす。しかし力が入らない。
血液を失いすぎたのかもしれない。思うように力が入らない。
がしっと首の後ろを掴まれ、そのままユミはうつ伏せで床に押さえつけられる。そして、持っていたチェーンソーを取り上げられた。
「顔は可愛いので勘弁してあげまーす」
「え?」
その瞬間パァァァンと音が響いた。うつ伏せで動けない状態のまま、背中を鞭で打たれた。
「うっ……」
衝撃を逃がすことも、避けることも、受身を取ることもできず、ただ打たれる。
「気絶が出来ないなんて、可哀想でーす」
ラックは、楽しそうに言った。
そしてまた、パァァァンと乾いた音が響く。
その後、何度も何度もその音は鳴り響いた。