5章-3.茶番(3) 2021.11.29-2021.11.30
ザンゾーの部屋を出て、扉を閉めたところで、ふと近くに気配を感じた。
そちらの方へと視線を向けると、別の部屋の扉から顔だけを出してこちらを見ているモミジの姿があった。
モミジはユミを見ると、部屋から出てこちらへとトコトコと歩いてきた。
「あれ。モミジちゃんどうしたの? ザンゾーに用事だった?」
モミジは首を横に振る。
「ユミちゃんに……」
「私?」
モミジは頷く。どうやらユミが部屋から出てくるのを待っていたようだ。
「あの。えっと。鼻歌歌って欲しいの……」
「別にいいけれど……」
とりあえずモミジを連れてダイニングに向かう。そして、ダイニングのソファーにモミジと横並びに座った。
「ユミちゃんの歌、落ち着くから……。歌って欲しいの……」
もしかすると自分の声に含まれている幻術の効果のせいかもしれない。前にカサネを抱っこしている時に鼻歌を歌ったところ、カサネは警戒心を解いてスヤスヤと寝てしまったのを思い出した。もしかすると、眠れないというモミジにも効果があるかもしれない。
ユミは自分の肩にもたれ掛かるモミジを見る。ユミに甘えてきているように思う。そして、とても疲れていそうだ。辛いのかもしれない。どうにかリラックスして欲しいなと思う。すると、頭の中に旋律がふっと浮かんだ。どうか気持ちよく眠れますように。そんな願いを込めてユミはメロディを奏でた。
歌い始めると、モミジの表情が少し柔らかくなったように見えた。瞼を閉じて聞き入っているようだ。なんだか歌っている自分も段々と眠くなってきてしまった。しばらく鼻歌を歌ったまま、ゆっくりと横揺れをしていたが、ふと気がつくとモミジは、すぅーすぅーと寝息をたてていた。本当に効果があったようで驚きである。
モミジはユミにもたれかかっているため、自分がこの場から去ったら起こしてしまいそうだ。そして、やはりユミ自身も眠い。モミジの体温を感じて、より一層眠気が押し寄せる。これは抗えそうにない。もう、このまま一緒に少し寝てしまおう。ユミは諦め目を閉じ眠りに落ちた。
***
「ん……。あれ……?」
「起きたか」
ユミはゴシゴシと目を擦り、瞼を開ける。白い天井に白い壁で、暖かい布団にデスクに座るザンゾー。
「あれれ……」
「おはようさん」
どうやらユミはザンゾーの部屋のベッドでガッツリ寝たらしい。確かダイニングでモミジとうたた寝をしていたはずだ。
「モミジはよく眠れたみたいだな。元気にしてたぁよ。久しぶりに目に力が入っていたな」
「そっか。眠れたんだぁ。よかったぁ」
モミジはしっかり寝る事ができたらしい。本当に良かったなと思う。ユミはふぁーっと欠伸をする。とりあえず起きたものの、まだ頭が寝ぼけている。
恐らくダイニングで寝てしまった所、風邪をひくからなどの理由でザンゾーに運ばれたのだろうなと察する。ユミはムクリと起き上がりベッドに座る。
「あれ。朝?」
「あぁ。7時半だな」
「……」
これは完全にやらかしたのではないだろうか。徹夜で仕事をする人間のベッドを占領しただけでなく、横でスヤスヤ寝ていたという事だ。実に恥ずかしいうえに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。本来寝るつもりだったのかもしれない所を無理矢理徹夜させた可能性もある。
「詫びの朝ごはん作るね……」
「お、おぅ」
ユミはトボトボとザンゾーの部屋を後にし、キッチンに向かった。
***
「あれ、ユミさん、おはようございます」
キッチンに入ると、そこにはワサビの姿がった。ワサビの身長はユミと同じくらいで体格は細身だ。黒く短い髪、耳元には薄緑色のピアスをつけており、首元にはタトゥーが入っている。朝からしっかりと身支度を整えているようで、黒のシャツに黒のパンツを着ていた。
「おはよう。ワサビ君は朝ごはん作ってるの?」
「はい。今日は僕の当番なので。毎朝8時に僕達5人は集まって食べることにしています」
「成程……。それじゃぁ、私も一緒に作るねー。ザンゾーの分作る事にしたから、全部まとめちゃおうかな。今日のメニューはなんでしょうか?」
「ご飯、味噌汁、だし巻き玉子、鮭の塩焼き、ほうれん草のおひたしにしようかなと」
「了解!」
ざっとワサビがやっている作業を確認し、完了していないものに取り掛かる。
「あ! ユミちゃんだ! おはよう!」
モミジの声がした。声のした方に顔を向けると、ニコニコしたモミジがキッチンの方へトコトコとやって来た。こんなに笑顔のモミジは初めて見る。
「モミジちゃん。おはよう。眠れた?」
「うん! ユミちゃんの歌でね、凄く眠れたの!」
モミジはユミにギュッと抱きついてきた。ユミは優しくモミジの頭を撫でる。
「ユミちゃんも朝ごはん?」
「うん。ザンゾーの分も作ってるよ」
ユミが答えると、モミジは何か言いたそうにモジモジしはじめた。ユミは手を止めてモミジの方へと体を向けた。
「ユミちゃん。あの……、えっとね。モミジ、ホットケーキも食べたいな」
まさかのリクエストが入った。とはいえ勝手に作っていいものか分からない。ワサビの許可が下りるのであれば、是非作ってあげたいなと思う。
ユミは確認のため、チラリとワサビの方に目をやる。するとそこには目を見開いて驚き固まっているワサビの姿があった。
「モミジが喋ってる……」
ワサビはそんな言葉を漏らしたのち、ホッとしたように息を小さく吐いた。
「ユミさん、可能だったらでいいんですが、モミジのリクエストに答えてあげて貰えると嬉しいです。モミジが発言している事すら珍しいので……。なんというか、我儘を聞いてあげたいと言いますか……」
「いつもは喋らないの?」
「はい。頷くか首横に振るしかしません。最低限しか発言しないので、自分からこんなに積極的に何かを言っている姿は珍しいと言いますか……」
モミジは棚からホットケーキミックスの箱を取り出しユミに渡した。これで作って欲しいということなのだろう。ユミは箱を受け取り、箱の裏面にある材料が揃っているか冷蔵庫を確認する。
「うん。大丈夫。材料があるから作れるよ」
モミジはぱっと笑顔になる。アヤメの食い意地と似ているかもしれない。とても可愛らしい。
ユミは早速ホットケーキミックスの箱に書いてあるレシピ通りに生地を作っていく。いつも通り鼻歌を歌いながら作っていると、モミジも隣でニコニコしながらリズムを取っていた。
同時並行でだし巻き玉子の準備もする。ホットケーキを焼いている間にだし巻き玉子を作ってしまう作戦だ。
「フクジュさん……。ホットケーキ食べたいかな?」
モミジに問いかけられる。確かに甘党のフクジュはホットケーキも好きだと思われる。せっかく作るのであれば声をかけるのは有りだ。
「確かにそうだね。甘いもの好きだからね。モミジちゃん聞いてきてもらえる? 朝ごはんも食べるようなら一緒に作るから」
モミジは頷くと、トコトコと走りダイニングから出ていった。
「ユミさんは凄いですね。モミジとコミュニケーションが取れるなんて。六色家ではザクロ姉様としか意思疎通できなくて。今回一緒に追放となった時、最年長の僕がザクロ姉様の代わりに何とかしなきゃと思っていて、かなりプレッシャーだったんです。だから、とても助かっています」
ワサビは責任感が強いなと感じる。12歳でここまで周りの事を色々と考えられる物だろうか。自分の12歳と言えば、両親に甘えきって自分の身の回りの事すらもまともに出来なかった。以前シュンレイが一般人に比べて、裏社会の人間は成長が早いと言っていた。生き抜くために必要な特性だと。そういうものなのかもしれないが、立派だなと感じる。
しばらくするとモミジはトコトコと走って戻ってきた。
「フクジュさんも食べるって」
「うん。分かった。ありがとね」
という事は自分を含めて8人分の朝食になる。むしろワサビには仕事を増やしてしまったようなものだ。悪い事をしたかもしれない。
「ワサビ君。ごめん、8人前になっちゃった」
「良いですよ。問題ありません。人数が多い方が食事は楽しいので。それに、ザンゾーさんも来てくれるなら皆喜びます」
どうやらザンゾーは子供達に人気のようだ。あまりコミュニケーションをとっている様子は見ないので関係性は分からないが。
ザンゾーと子供たちの関係性を少し知って、ユミは少しだけ嬉しい気持ちになったのだった。