前江田さんと謎のアタッシュケース
鈴木恵一は深いため息をついた。
変な事件に巻き込まれたものだ。謎のアタッシュケースを発見し、今の状況にイライラした表情が隠せない老婦人、特急車内で血まみれの男を発見したというコンビニ経営の親子、そして県警の刑事がいた。
どうやらコンビニ経営の親子と老婦人は知り合いらしい。都合の良い話だがそういうこともあるのだろう。両者の目が合った時何とも言えない微妙な空気が漂ったので察した。鈴木は以外に感がよいのだ。
3人が鉢合わせしたのは、老婦人がずっと隣の部屋から流れ続ける歌謡曲に耐え切れなくて怒鳴りに入ったことからだった。
「ちょっとうるさいわ。何の曲流してるのよ.」
「待ってくださいご婦人」
鈴木が老婦人を追いかけて応接室に入った。机と椅子しかない殺風景な応接室の人口密度が急に高くなる。
「おいって、前江田さんって」
小汚い眼鏡をかけた男が何か幽霊を見たような顔をして老婦人を見つめている。この老婦人は「マエダさん」というのか。ようやく名前が分かった。
2組は衝立を挟んで別々の部屋で会話をしていた。しかし、ほとんど会話は聞こえたので丸分かりだったのだが。そこへマエダさんが突然隣の部屋に入ってきたのである。眼鏡をかけた、スーツ姿があまり似合わない親子のような2人が老婦人を見つめている。歳を取った方がいきなり現れた老婦人を見て驚いて口を開いた。
「どうしたんですか」
「どうもこうもないわよ。警察が来ないからってなんで何時間も待たされるのよ」
「20分ですよ」
鈴木がつぶやいた。前江田さんは鈴木をにらみつけた。
「アタシみたいないつ死ぬかわからない年寄りには、1分1秒が貴重なんだからその辺の若いのと一緒にしないでよ」
「ところで、こちらの方と飲塚さん達の関係は」
「あら、警察の方?」
刑事が尋ねるとすぐに前江田さんが反応した。たしか県警の刑事でアフロ頭の山田といったはずだ。午前中はロケットランチャー騒ぎで大変だったのに、もう別の人の任意徴収とは忙しい仕事だ。
「ねえ、警察の方よね」
前江田さんは笑顔になった。ターゲットをロックオンしている。
山田刑事は老婦人に見つめられて複雑な顔をした。伊豆親子と鈴木を見たが、どちらも関わりたくないオーラを出している。
それにしても急に部屋が狭くなった。
前江田さんが鞄から数冊の雑誌を出して、笑顔で刑事に話しかけた。老婦人の興味が刑事に向かったので鈴木は嫌な予感がした。勧誘する気なのだろう。
「どうですか。先生に導かれませんか」
「え?」
急に尋ねられて山田刑事は驚いたようだった。微妙にアフロ頭が揺れる。
「ですからこの世の苦しみを救うためには、証文を唱えて功徳を」
「私はイスラム教徒です」
「え?」
今度は前江田さんが驚いた。
「これからお祈りをしなければならないのですが、仕方ありませんな」
山田刑事はそう言って、鞄の中から派手な色をした敷物を取り出した。殺風景な部屋ではきらびやかな布である。
「これを敷いてお祈りするんですよ。メッカの方向は」
山田刑事は鞄の中から方位磁石を出した。前江田さんはぽかんとしている。
「これは聖地メッカの場所を決める磁石なんですよ。洗礼も受けていますよ。イスラミックネームはイブラヒムです。この方位磁石を見てメッカの方向に向かってアラーアクバルと唱えるのです。こうやって膝をついて、頭をへばりつける。もう一回やりましょうか」
「もういいです」
前江田さんはむすっとした顔をしてテーブルの上に置いた資料を片付けている。世界三大宗教にぽっと出の新興宗教はかなわないようだ。これで素直に任意徴収に応じてくれるとよいのだが。そんなことを鈴木は思った。
「ところであんたたちなんでいるのよ」
不機嫌そうにタバコに火をつけた前江田さんの矛先が、小汚いスーツを着た二人に向けられた。鈴木はため息をついた。
「だからここは禁煙です」
「知らないわよ。そんなこと」
「ルールがあるならそれに従わないとご婦人。ですよね、鈴木さん」
山田刑事が急に話しかけてきたので鈴木は黙って頷いた。
「法治国家じゃなくなったらいよいよ福岡は修羅の国になりますよ。ですからお父さんもどさくさに紛れてせんべい食べようとするのやめてください」
鞄の中にイスラム教の敷物を片付けながら山田刑事が諭した。
不機嫌そうな顔をして前江田さんはタバコの火を消した。宏明はあさっての方向を見ながらせんべいを鞄の中に隠した。山田刑事が続ける。
「ところで、ええと、前江田さんでしたっけ。伊豆さんたちとはどのようなご関係で?」
前江田さんは不機嫌な顔をして無言のままタバコをくゆらせている。答えるつもりはないらしい。
「従業員ってもんよ。俺っちの父さんの店の」
仕方なさそうな顔をして弓彦が答えた。
宏明はぼんやりとした顔で、鞄のゆかりをまさぐりながら殺風景な部屋を眺めている。前江田さんと目を合わせようとしない。前江田さんと話したくないようだ。
前江田さんは宏明を一瞥するとタバコを片付けた。
「私はねぇ、開店当初からいるベテランなのよ。もう勤務して20年なのよ。布教のためって言われて入ったけど、信者もそんなに増えなかったし。人生そううまくいかないわ。信教の自由があるからね。最近の人は宗教だっていうとすぐひいちゃって、情弱なくせにデリケートでバリケードなんだから。あ、あたしうまいこといったわね。ともかく最近は年取ったから週1ぐらいしかバイト入っていないけど。時々『北九州市改名運動』とかよくわからない黒縁眼鏡がちょくちょく来て面倒くさいのよ」
「俺っちの店にも今朝来たってもんよ」
「あの人面倒くさいわよね。アンケートがどうたらって買い物もせずに帰るんだから。若い人って常識がないわ。まったく。そんな常識のない若い人やガイジンなんかと一緒に働きたくないわよ」
「ガイジン?」
前江田さんがまくしたてると山田刑事が尋ねた。アフロが揺れる。
弓彦は頭が気になって仕方がないようで、目が山田の頭にくぎ付けである。前江田さんはタバコを揺らしながら話す。吸いたくて仕方ないらしい。
「ガイジンよ。最近は東南アジアの留学生もバイトに来てるのよ。日本に勉強しに来たのに、勉強もできずにこき使われて大変ねぇ」
「東南アジアとは具体的にどこですか?」
山田が尋ねた。
「インドネシアとベトナムです。うちの店では留学生二人です。ちなみに弓彦の店は中国人の留学生を雇っています」
宏明が答える。
「差し支えなければ性別を教えていただけますか?」
「うちの店のインドネシア人とベトナム人はともに女、弓彦の店の中国人は男」
「ふうむ」
山田刑事はちょっと考え込んだ。
「そうそう、佐川、アタッシュケース持ってきたか?」
これまでキャラの濃い人たちに押されてあまり出番のなかった、隣にいた刑事が急に話を振られてちょっと驚いた顔をした。顔の白い中肉中背の男だ。
「はい、こちらです。弾は抜いてあります」
隣にいた佐川と呼ばれた刑事は無造作にアタッシュケースを机の上に置いた。事件の重要な証拠品じゃないのか。
「このアタッシュケースの取っ手の横に、細くて短い穴がありますよね」
頭をかきながら山田刑事は細い隙間を一同に見せ、ポケットから髭剃りを出した。二枚刃で使い捨ての、どこのドラッグストアでも購入できる一般的なものだ。
「ここにこの剃刀の刃を入れます。これは被害者男性が剃っていた髭剃りと同じものです。そしてひねります」
ぐぎっと変な音がした。しかしケースは開かない。
「大切なものなのでそう簡単には開かないようになっています。そこで、この曲を流してもう一度やってみます。弓彦さん、さっきの曲を」
「お、おいって」
急に話を振られた弓彦は、さきほどまで一時停止していたユーチューブで熱唱する世界のタニムラの曲を流した。そしてもう一度ひねるとケースが開いた。おお、と一同がどよめく。中には何も入っていなかった。
「おそらくこのカミソリと音声認証システムの2重のセキュリティを解除するとケースが開くシステムなのでしょう。ところで佐川、倒れた男の身元は分かったんだっけ」
急に振られて佐川刑事は驚いて話し始めた。
「ええと、倒れた男は史銘雄≪しめいゆう≫」
「おいって!その名前はうちの店で働いているのと同じって!」
弓彦が驚いた。山田刑事は大きな頭を振りながら続ける。前江田さんは「さっきまでうるさかったけどなかなかいい曲じゃないの」と呟きながら歌っている。落とし物センターで歌謡曲が流れるなんて前代未聞である。鈴木はため息をついた。
そして、佐川刑事が驚くべきことを話し始めた。
「その、伊豆弓彦さんの店で働いている方は被害者の息子さんです」
「おいって」
「続けますね」
佐川刑事はメモを見た。
「史銘雄は千手観音りゅうほうという名前で宗教団体を運営しているそうです」
「タカノリだそうだ」
宏明が訂正した。手が動いている。鞄にあるせんべいが食べたくてしょうがないようだ。禁断症状を見せるほどのせんべいとはどんなものなのか。鈴木は気になった。
佐川刑事が続ける。
「すみません。千手観音タカノリさん。奥さんの名前は千手観音美子さん。新興宗教『幸せの学習』の主宰です」
「幸せの学習?似た名前の宗教団体は知っているが…。しかし話がおかしな方向になってきたな」
山田刑事が首を傾げた。その名前を聞いた前江田さんが鋭く反応した。
「あれはイタコよイタコ。虫唾が走るわ」
さっきの歌謡曲で機嫌がよくなったはずの前江田さんは一変して不機嫌な顔である。前江田さんとその新興宗教を鉢合わせさせると地球が崩壊するのではないか、と鈴木は思った。
佐川刑事はメモを見ながら続ける。
「奥さんは昔雑誌の読者モデルをやるほどの美人でした。ですが天啓を受けたそうで、修行の旅に出かけます。そのときに寄った中国の遼寧省で旦那さん…史銘雄さんと知り合い、しばらく中国で修行、その後布教を始めたんですが、奥さんのビザが切れる3年前に家族で帰国。日本に国籍を取得しました」
「中国で布教なんかやったら捕まるんじゃないのか?」
山田刑事が尋ねた。佐川刑事はうなずく。
「そうなんですよ。中国で表立って活動できないので地下活動をずっとやってたそうなんですが、流石に限界があったそうで、結局来日したんです。ですからこの家族は人民解放軍から狙われているんです。そのおたくのお店で働いているお子さんも。公安に連絡して調べてもらったのですが、千手観音りゅう…、いいやタカノリのコードネームはアンロクザン。これは人民解放軍が付けたそうなんですが」
「アンロクザン?おいって、安史の乱って」
弓彦が悲痛な声を発した。
「おいって、アンロクザンいたら政変が起きるって。店やばいってもんよ」
「何をわけのわからんことを言っとるのだ」
宏明は息子の忠告を否定した。父親なんてそんなものだと鈴木は思う。
しかし、山田刑事は何故かアフロ頭を揺らしながらうなずいている。頭の中からヒヨコが出てきたらどうしようかと鈴木は心配になった。
「アンロクザンか。公安から聞いたことがある。中国を転覆させようとするテロリストなんだそうだ。大唐帝国を滅亡に至らせた節度使と傾国の美女か。しかしいよいよ厄介になったな」
話がとんでもない方向に向かっていた。
鈴木は早く席を立って自分の仕事に戻りたくなった。
関わり合いになりたくない。
新興宗教の主宰で中国の国家転覆をたくらむテロリストがロケットランチャーの弾を持って小倉駅に向かっていたところを何者かに襲われただと?ちょっと考えられない。
「ここのJRの職員さんトイレ行きたいってもんよ?」
そわそわする鈴木の姿を見て弓彦が山田刑事に言った。
「鈴木さん、まだテロリストを襲った残党がトイレにいるかもしれませんよ」
「そんな怖いこと言わないでくださいよ。トイレじゃなくて仕事をしたいんですよ」
鈴木は泣きそうな顔になった。山田刑事が佐川刑事に聞く。
「ところで佐川、そのアンロクザンは今はどこに」
「公安がどっかに連れて行きましたよ」
「そうか…」
「お父さん!ご了承ください!」
落とし物センターのドアが開いた。そこには顔面蒼白な長身の男性と、年齢不詳の美女が無言で立っていた。
「おいって、史君だって。さっきから話題になってるってもんよ」
「うちのバイトです」
伊豆親子が同時に言った。




