列車内での事件
事件が起こったのは帰りの特急の車内である。
弓彦は電車に乗るとそのまま眠ってしまった。時刻は昼過ぎ。レセプションが終わってそのまま列車に乗り込んだのである。会議の中ではただ座っているだけで何も発言もしなかったし、パーティでは変に気を使ってしまい寝てしまった。父はぐったりしていた。
しばらく経っただろうか。
弓彦はふと目が覚めた。時計を見る。乗車して30分ほど過ぎただろうか。そろそろ折尾に着きそうである。ふと便意を感じたので、トイレに行こうと車内をふらふらしながら向かう。特急列車は洗面台とトイレが別になっていて、ちょっとしたスペースがある。
このスペースは列車内で電話ができないビジネスマンがたまに連絡をしたり、入口からしっかり車窓を覗きたい人間がいるのだが、誰一人いなかった。
弓彦はトイレで用を足すと手を洗おうと洗面台に入って驚きの声を上げた。
「おいって!おいって!!!」
洗面台に、血まみれの男が倒れていた。弓彦は車掌に通報した。
小倉駅にて。
「福岡県警鉄道警察隊の山田です」
アフロ頭にサングラスをかけた妙な男は挨拶もそこそこに弓彦と父を連れて「小倉駅落とし物センター」に入った。中には応接室が二つあり、軽い衝立がある。隣の部屋に誰かいるらしい。年を取った女性の声だ。きゃあきゃあとわめいている。簡単な設備なので隣の声などは簡単に聞こえてきてしまう。
「すみませんね。よくわからない事故があったせいで、署が事情徴収の方たちでいっぱいでして。ここだと落ち着いてお話しできるでしょう。任意聴収、ということでよろしいですか?」
山田は缶コーヒーを二つ、弓彦と父の前に置いた。2人は何も言わずにコーヒーのプルタブを開け、一気飲みした。それを見届けてから、山田が口を開いた。
「あなたが第一発見者の伊豆弓彦さんですね」
「そうだってもんよ」
「お隣は上司の方ですか?」
「父で店長だってもんよ」
「いや、オーナーだ」
「オーナーは母ちゃんだってもんよ」
「そうだっけ、まあどっちでもいいや。ともかくオーナーだ」
「店長だってもんよ」
「…家族経営の会社ということでよろしいですか」
山田はメモをとった。アフロ頭とサングラスのインパクトが強すぎて話していることが聞き取れない。いたって普通の事情聴収なのだが。
昼間散々ティラミスを食べて満腹なはずなのだが、それでも宏明がエビせんべいを取り出して食べようとした。刑事はそれを見た。
「申し訳ありませんが事情聴収なので音の出るようなものの食事はやめてもらえますか。コーヒーぐらいならよろしいですが」
「ああ、わかった」
宏明はせんべいを片付けた。
「あんまり食べ過ぎてると『ゆかり婆さん』が出てくるってもんよ」
「だから誰だそれは」
弓彦が明後日の方向を見ながら言うと父が返す。今日何度目かの同じ会話である。無視して刑事は続ける。
「気になっているかもしれませんから軽く被害者の状況を説明しましょう。被害者の方の身元、名前は不明です。身元を証明する所持品を持っていませんでした。右手に髭剃りを持っていたことから、洗面台で髭を剃っていたと思われます。血まみれのようだったのですが、実は絵の具を溶かしたような赤い液体をかけられただけでした。命に別状はありませんでした。現在は病院で様子を見ています」
「剃刀しか持ってなかったんだってもんよ?」
「そういうことになります。それとチケット。チケットは博多駅から小倉駅まで往復で購入しているようです。ポケットの中から3000円分の千円札が見つかりました。被害者の持ち物はこれだけです。所持品が少なすぎます」
剃刀とお金だけ持って何をしようとしていたのだろうか。アフロ頭の刑事は頭をかいた。頭部がやっぱり気になる。
「弓彦さんが洗面台に入ったときにはもうすでに被害者の方は倒れていたんですよね」
「そうだってもんよ」
「便意を感じてトイレに入る瞬間に入る人を目撃してはいないんですか?」
「おいって、俺っちがトイレに入るときは誰もいなかったってもんよ」
「大変失礼ですがトイレには長くおられたんですか?」
「長い方だってもんよ」
「そうなると4、5分はトイレの中ですね。誰かが歩いている物音は聞こえましたか?」
「聞いてないってもんよ」
「そうですか。となると、弓彦さんがトイレに入る前から被害者は洗面台にいたということになりますね」
刑事は論理立てて説明をするのだが、いかんせんアフロ頭に大きめの眼鏡をしているので外見のインパクトが強すぎて会話に集中できない。レゲエの歌手にしか見えない。
「あ、そうそう。これが被害者の写真です。今この写真を持って博多駅と小倉駅で聞き込みをしています。小倉駅で事故があったのでなかなか人員が揃わないものですから調査が進んでいないのが現状ですが。ですからせんべいはここではやめてください」
父が鞄からせんべいを取り出そうとしたので弓彦はそれを制した。山田が写真を出した。写真には坊主頭で、髭の剃り跡が青い小太りの男の写真が写っている。それを見てぼんやりと山田のアフロを眺めていた父が叫んだ。
「あ!コイツ見たぞ!」
「え?本当ですか?」
「行くときにトイレ行ったの覚えているか?弓彦?」
「そんなの記憶にないってもんよ」
弓彦は突然聞かれてぼんやりと答えた。
「そうか。まあいいんだが、その時にトイレ行って洗面台で手を洗おうとしたらコイツがいて手が洗えなかった」
「洗わなかったんですか?」
「洗わなかった」
「洗わなかったんですか?」
「洗わなかった」
「トイレに入ったのに手を洗わなかったんですか?」
「だから洗わなかった。何が悪い」
「そうですか」
開き直った顔をして父が言うので山田が露骨に嫌そうな顔をした。
「何時ごろ目撃しましたか?」
「朝9時の電車に乗ってすぐだったから9時10分ぐらいかなぁ」
ふんふんとアフロ山田はメモを取った。うなずくたびにアフロが揺れて気になってしょうがない。
「なにか気になるところはありませんでしたか?」
「ほれ、お前もよく見ろよ。コイツ、昼の立食パーティで見たやつだぞ」
「おいって!」
弓彦は驚いた。
「おいって!千手観音のタカノリって!」
「タカノリ?」
アフロ山田が首を傾げた。
「ともかく知っている方なのですか?」
「そうだ、こいつは昼間パーティで会った…」
宏彰はガサゴソとスーツのポケットをあさった。そして中からくしゃくしゃになった名刺を取り出した。くしゃくしゃの名刺を読みにくそうにアフロ山田が見つめた。
「ええと、『社会を明るくする運動』の千手観音りゅうほう…」
「タカノリってもんよ」
「ああ、そうなんですね。電話番号もしっかり乗ってますね。これは本当なんでしょうか。まあそれはよいとして、あとで調べてみましょう。ほかに何か気になることはありませんでしたか?」
「気になる?そうだなぁ」
宏彰は少し悩んだ。
山田はふんふんとメモを取るのをやめない。弓彦としては、このアフロ姿が気になってしょうがない。父は気にならないのだろうか。そんなことを考えていると宏明が口を開いた。
「そうそう。歌ってた。歌いながら髭を剃ってた」
「歌?ですか」
「たしかキンペイの歌だ」
「キンペイ?」
弓彦と山田は驚いた。
「キンペイってあの中国の?あの国の国歌ですか?どんな歌でしたっけ?」
弓彦はふんふんと鼻歌で某共産主義国家の国歌を歌った。我ながらよく知っているものだ。なんなら隣の北朝鮮の国歌も歌ってみようかと思ったがよく考えてみると知らないことに気づいた。弓彦の鼻歌を聞いて理解できたのか、宏明は首を振った。
「そんな歌じゃない。もっとこう歌謡曲だよ。キンペイじゃない。ええと、チンペーだ。チンぺーの歌だ」
「チンぺーですか」
アフロ山田はさらに難しい顔をした。
「チンぺーだよ。アリスの。あ、今思いだした。あれだよ、ハンドインハンドだよ」
「ハンドインハンドは今朝、史銘陽君が言ってたってもんよ」
弓彦が頷いた。
「そうだよ。世界的に有名なんだ。ハンドインハンドは」
「世界的って言ったって俺っちは知らないってもんよ」
「あれだよ。北京でずいぶん昔にコンサートした人。ほら、帽子かぶった…」
「アリスの帽子かぶったほうといえば、タニムラさんですか?」
「おう、そうだ。タニムラの歌を歌ってたんだ」
谷村新司といえばかつて一世を風靡したフォークデュオ・アリスのリーダーである。
国際派として知られ、1980年代に北京にてコンサート「ハンド・イン・ハンド北京」開催した。中国におけるロック・ポップス系コンサート、しかも単独公演としてはアリスが初めてであった。この公演が中国の若手ミュージシャンに影響を与え、中国にポップスが根付く礎となった。またソロになった谷村が、本格的にアジアに目を向けた活動を始めるきっかけにもなった。中国人に知られている歌手といえば谷村新司といわれるゆえんでもある。
「ええと、何の曲だっけな」
宏明は悩んでいる。
「世界のタニムラの曲を歌っていただけで十分だと思うんですが」
少しアフロ山田はこの会話の展開に辟易しているように見えた。
「いや、あれはなんだったっけなぁ。踊ってたんだよ。みんなで。ドラマの主題歌だよ」
宏明は考え込んでしまった。隣からタバコの煙が上がった。
「ここは禁煙なんですがね」
アフロ山田はつぶやいた。見た目が変なのだが、いたって常識人である。遵法者たる警官としては当然であるといえるが、ともかくも煙が上がっているとは何が起こっているのだろうか。
宏明の考える被害者が髭を剃りながら歌っていた曲がこの事件解決の鍵となるとは到底思えない。だが、気になってしまうとこの先の事情聴収にも差し支えるだろう。山田がそんなことを考えていると、弓彦がスマートフォンで曲を検索した。
「これ聞くってもんよ」
世界のタニムラの曲が流れている。
「これは違うな」
「これってもんよ」
「これも違うな」
「じゃあこれってもんよ」
「違うなぁ」
本当にこの曲を選定している時間は必要なのか、さっきから不毛な会話しか続かない現状である。そこへ、男が急に落とし物センターへ入ってきた。もう一つの応接室にいた何者かが席を立つ音が聞こえた。すると、応接室の戸が開いた。JRの職員が立っている。おそらくここの職員だろう。
「山田さん、こんなところに」
「あ、鈴木さん、どうしました?」
世界のタニムラの曲が流れる中の会話である。
「どうしたって、例のアタッシュケース見つけたおばあちゃんを事情聴収してもらえないと業務に移れないんですよ。禁煙の部屋でタバコ吸い始めるし、変な宗教の勧誘を断ったら怒られるし」
隣はそんな事態だったのか。泰彦が見るとJR職員は泣きそうな顔をしている。狭い応接室には4人の男たちとタニムラの歌謡曲。不思議な空間である。
「山田刑事」
「お、佐川」
JR職員の後ろから佐川と呼ばれた別の刑事らしき男が現れた。
「あの、よろしいですか…」
「かまわんよ」
山田刑事は佐川刑事の先輩らしい。佐川刑事は続ける。
「アタッシュケース、中からロケットランチャーの弾が3つでてきましたよ。読みが当たりましたね先輩。ところで何ですか、この曲は」
「…ちょっと重要なんだ」
山田は何とも言えない顔をした。はあ、と佐川刑事はため息をついた。
「あのアタッシュケースですけど、手で持つところに小さな短い長方形の突起がありましてね。そこをひねると開く仕組みになっているんですよ」
「その隙間はどれぐらいの大きさ?」
「そうですねぇ。そんなに大きくないですけど。2,3センチもないと思いますよ」
「そうか、ああ、そういうことか!」
アフロ山田は立ち上がった。
「これだ!」
宏明も立ち上がった。
動画検索サイトで、世界のタニムラが歌っていた。これは、大河ドラマのオープニングとしては唯一の歌謡曲だった。




