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弓彦と異国のテロリストたち  作者: 廣瀬智久
3/12

小倉駅落とし物センターにて

 鈴木恵一はため息をついた。

 

 ここは福岡県北九州市小倉北区の小倉駅にある『落とし物センター』。


 時刻は昼過ぎである。


 傘やバッグなどが毎日大量に集まってくる。なかには小学生ぐらいの大きさのぬいぐるみや灯油の一斗缶までどうやって列車内に運んだのか、どうしたらこんなインパクトのあるものを忘れてしまうのかさえ分からないものまで集められてくる。


 小倉駅といえば九州の玄関口である北九州市の中心駅である。本州と九州の接点としての機能を有し、山陽新幹線及び九州新幹線の全列車が停車するほか、在来線においても東九州の各都市を結ぶ日豊本線の起点であり、特急列車が多く運行されている。新幹線と特急列車の乗換駅で、他の路線も含め多くの列車が始発・終着するターミナル駅である。乗降客も1日4万人と博多駅に次いでJR九州の中でも2番目である。そんなわけだから事件や事故もたくさん起こるわけだが。


 鈴木はまたため息をついた。


 目の前には銀色のアタッシュケース。鈴木がJRに勤めて35年。年も58歳になる。そろそろ引退を考えてよい年である。これまでいろいろとあったが、まさかここで『いかにも』な不審物に遭遇するとは思わなかった。


 この不審物が発見されたのは博多駅から宮崎をつなぐ特急列車の車内である。第一発見者は70台に見える、やや落ち着きのない老婦人だった。


 落ち着きのない老婦人によると、JR折尾駅で乗車し、鳥の釜めしを食べながら雑誌を読んでいると寝てしまった。もうすぐ小倉駅に到着するところで、バッグを降ろそうと棚を見るとこのアタッシュケースが自分のバッグの横にあったという。不審に思い、アタッシュケースを降ろすと何かカチカチという変な電子音がする。これはまずいと思い、たまたま歩いていた車掌の鈴木を捕まえたのだ。


 詳しく聞くと、乗車時にバッグを棚に置いたが、その時はアタッシュケースはなかったという。乗車中は寝ていたので誰がいたのかはわからない。折尾から小倉までは停車駅は黒崎しかない。大した時間はかからないので、寝ている間に何者かがアタッシュケースを置いて去っていったとしか考えられない、と老婦人は言い張るのだ。


 鈴木は車掌の業務を別の人間に引き継ぐと、老婦人と2人で小倉駅の落とし物センター事務所に入った。鉄道警察隊に連絡したが、今朝、駅構内で爆発物が発見される事件があり、その対応で忙しいので少し待ってくれとの連絡があった。


 落とし物センターの人員は普段は3、4人いるのだが、その事件のせいで席を外しており、現在老婦人と鈴木の2人しかいない。


 老婦人は鈴木の顔を見て満面の笑みで

「よかったらどうですか?」

 となにやら怪しげな雑誌を取り出した。眼鏡をかけた老人が表紙である。


「これを読んでいただければ、先生の心がわかりますよ」

「はあ」

「あなたもそろそろ退職が近いんでしょう?お顔を見るとわかりますよ。退職すると孤独になるといいます。何かご趣味はありますか」


「いえ、犬の散歩程度ですが」

「まあ、ワンちゃんはかわいいんでしょうね。ワンちゃんと奥さんと、未来永劫、死んでからも豊かな生活を求めませんか?先生のお話と、お経を唱えればきっといいことがありますよ」


 そういって老婦人は入会証と書かれたわら半紙を取り出した。宗教の勧誘なのか。老婦人はキラキラした目をこちらに向けてくる。


「いえ、私はそういうのは特に興味がなくてですね…」

 不審物取得の参考人として事務所に連れてきたものの一応はお客さんである。むげに断るわけにもいかない。


「みなさん最初はそういわれるんですよ。でも、何気なく気になって私たちの集会を覗いてみるとそのまま入信される人もおられますよ。この近くでも仲間が集まっていますよ。駅前の好立地に教会はありますから」

 無理矢理連れていこうという魂胆が見え見えである。


「いえ、仕事がありますのでさすがに…」

「夜遅くまで皆さん集まっていますから大丈夫ですよ」

「今日は深夜まで仕事なんですよ。終電担当やってまして。若い人には早めに帰って家族サービスしろと息巻いています」


「明日はどうですか?」

「忙しいものですから。今朝も爆発物騒ぎありましたし。なんせ年中無休の職場なもので」

「そうですか」

 老婦人は少し考え込んだ。急に口調が変わったのがはっきりと分かった。


「入信する気がないんですか」

「え?」

「ですから、入信しないんですか?」

 老婦人がにらみつけてきた。実はそうなのだがストレートに言ってしまうと協力も取り付けられない。かといって警察が来るまでに怒って帰られるのも困る。


 ドカドカと音がした。誰かが入ってくる音だ。隣の応接室に入っていったようだ。もし窓口に落とし物の紛失者があれば呼び鈴が鳴るはずだが、ならないとなると関係者かもしれない。

「いや、入信とかそういうわけではなくてもし機会があれば伺いたいなと…」

「あ、そう」

 態度が変わった。先ほどと目つきが全然違う。


「灰皿は?」

「え?」

「タバコ吸うから灰皿ないの?」

「ここは禁煙なんですよ」


 老婦人はそわそわしている。ヘビースモーカーなのだろうか。落ち着きがないのはそんな理由なのか。

 

 この落とし物センターには窓口と、大きな声では言えない落とし物を取りに来る人のために応接室がある。鈴木と老婦人は応接室で警察が来るのを待っているのだ。


 隣から話声がする。「もんよ」という少し違和感のある語尾をしゃべる人と誰かが話している。磨りガラスの後ろにシルエットが見えるが妙に頭が大きい。その大きな頭は、もんよの語尾に真面目に答えている。


「ケースの中身がカチカチするからって、それだけでなんでここにいなきゃなんないのよ。アタシは親切でわざわざクソ思いアタッシュケース降ろしたのに」

「警察の事情聴収が終わればすぐに帰れますから」

「いつまで待たせるのよ」


 まだここにやってきて10分と経っていないのだが。

「タバコ吸っていいでしょ」

 老婦人はタバコを取り出すと、簡易用の灰皿を大量の雑誌が入ったバッグの中から取り出した。そして、火をつけるとスパーッと吸ってうれしそうな顔をした。テーブルと椅子しかないただでさえ殺風景な応接室なのだが、タバコを吸われるといよいよその殺風景さが増してしまう。


「ですから禁煙なんです」

「何言っているのよ。この部屋にはタバコのにおいが染みついてるわよ」

「そりゃ国鉄時代は喫煙ルームみたいなものでしたから」

「タバコのにおいだけじゃないわ。見えるわ、天井に人身事故で亡くなった人たちの生霊が。この世に恨みを残して死んでいった人たちの生霊をこの駅は吸い込んでいるのよ。徳の高い神様を信じなかったからだわ。天罰よ、いや、仏罰だわ。ああ、恐ろしい」


 そういいながら老婦人は恍惚の笑みを浮かべた。そして、2本目になるタバコにまた火をつけた。


「でもアタシはそんなこと信じないわ。見えるけど信じないわ。霊魂はこの世には存在しないのよ。死んだら、正しき信仰をしていた人、徳の高い神様を信じていた人だけが天国に行けるの」


「信仰をしていない人はどうなるのですか」

「地獄よ。そんなこともわからないの?」


 老婦人はにやりと笑ってタバコを鈴木に向けた。煙たくなってきた。いよいよ国鉄時代の喫煙ルームに逆もどりである。気持ちが陰鬱になっていく。せめて、応接室にカレンダーや造花の一本でも置いていれば多少は室内が明るくなったに違いないと鈴木は後悔した。老婦人は続ける。


「霊魂や生霊、生きた人の口寄せをやってる人もいるけどそれはみんな嘘よね」

「口寄せ?」

「あなたそんなことも知らないの?イタコよ、イタコ」

 老婦人は笑顔で答えた。


 イタコとは、死霊、生霊、神仏などの霊体を自らの体に乗り移らせて、その言葉を語らせる降霊術の一種とされる。例えば死んだ母親の霊体を呼び出して母の言葉を語らせるなどである。とくに霊能者や巫女が行うことが多い。青森県・恐山のイタコが有名であるが、特定の地域だけでなく全国的に存在するという。


 口寄せにもいくつか種類があり、神霊に伺いをたてるものが神口≪カミクチ≫、死者の言葉を伝えるものが仏口≪ホトケクチ≫という。また、生きている者や葬儀の終わっていない死者の霊に対しての口寄せを生口≪イキクチ≫という。


 ともかくも老婦人のいう信心のない者にとっては胡散臭いことこの上ないのだが。


「どっかの宗教みたいにまだ生きてるアメリカの大統領の生口やって『日本とは貿易まだまだやっていきます』とか麻薬で捕まった芸能人の生口で『俺は嵌められたんだ』なんていうと胡散臭くてしょうがないわ。だからありえないのよ。霊魂はこの世に存在しなんだから。最近よく口寄せの話を聞くけどみんな嘘だわ。きっと先生も同じ事言うわ」

「はあ」


 鈴木は変な話を聞かされてどっと疲れが来た。隣の部屋からは変な歌謡曲が流れてくる。隣の部屋もよくわからないことになっているようだ。


 鈴木はため息をついた。

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