史銘陽≪しめいよう≫
伊豆弓彦が店長として勤める大手コンビニチェーンに新しいアルバイトがやってきたのは先日のことである。
ちょっと前に弓彦の勤めるコンビニは跡形もなく崩壊した。ヤクザの襲撃にあったのである。コンビニの地下に埋蔵金が眠っているという噂を聞きつけ、コンビニを崩せば地下から埋蔵金が出てくるだろうというヤクザどもの浅はかな魂胆からだった。
水面下では襲撃に備え様々な人間が動いたらしいが結果的に店はヤクザの襲撃で崩壊。数人いたバイトも全員退職し、本部に払っていた保険金で店を修復した。本部の人間に現状を説明したが納得してもらえず、現地調査をさせようやく納得してもらったのだった。現場に駆け付けた本部の人間、中には中央で働くキャリアの人間もいたらしいが、跡形もなく瓦礫の山となったコンビニを見て驚いた挙句、泣き出す女性社員、極度のストレスでおう吐する男性社員も出てくる始末だった。本部の現場立ち合いのすぐ後、コンビニの再建は始まり二か月後には完成した。いとも簡単にコンビニなんてできるものだと弓彦は感心した。再建からわずか三か月後、本来の業務を始めることができたのである。
ただ、問題は人員配置であった。いかんせんヤクザに襲撃されたコンビニという触れ込みだと客は来ないしバイトも採用できない。集客はともかく人員がいないと商売も成り立たないのだが、運よく日本語が堪能である中国人バイトを見つけることができた。
名前は史銘陽≪しめいよう≫。彼は中国の遼寧≪りょうねい≫省出身の20歳である。背はひょろりとして、物腰は柔らかい。家族全員で日本へ移住してきているらしいのだが、本人だけ近くの大学に通っており、残りの家族は小倉で生活しているという。面接の際にはよく「ハンドインハンド」という言葉を使っていたが弓彦はよくわからなかった。また、聞かれもしないのに「私のお母さんは日本人で美人です。再婚ですけど楊貴妃みたい」と自慢していた。本人はその日本語の意味があまり理解できていないようだ。
それはともかく、彼に会った日本人は一概に驚くのだ。それは彼の言動にある。たとえば、お店でおにぎりを買いに行くとする。
「これください」
「ありがとうございます。ご了承ください」
「え?」
「温めますか?ご了承ください」
初めての客は戸惑う。彼はなぜか語尾に『ご了承ください』をつけるのだ。
この言葉は、『どうがご理解いただき、文句を言わずに受け入れろ』という意味である。例えば『届け時間をご指定頂いていてもご注文日やご注文時間により最短の発送でもご指定のお届け日・お時間に間に合わない場合がございます。その場合はご理解・ご了承ください』と、こういう使い方が一般的である。
言い換えれば『間に合わないこともあるので、それを受け入れて文句は言うな』ということになる。何も説明がないのに、『ご了承ください』とは使わず、前文に相手を納得させる言葉が必要となる。目上の人には『ご了承願います』など、少し丁寧にするのが良い。また、ニュアンスの問題であるが、『ください』というのは一方的に受け止められがちなので少し柔らかく『願います』と言うのがよいと思われる。
それはともかく、この新人バイトは何にでも『ご了承ください』とつける。
「おつりは203円になります。ご了承ください」
「お弁当温めますか。ご了承ください」
「パンはこちらになります。ご了承ください」
「店長この雑誌はこの棚でよいですか。ご了承ください」
「いらっしゃいませ。ご了承ください」
「店長今日は早めに帰らせて下さい。ご了承ください」
後半になると意味が分からない。弓彦は度々説明をする。
「おいって、最後の『ご了承ください』は言わなくていいってもんよ」
「分かりました。ご了承ください」
話が堂々巡りである。
ある日のことである。
弓彦が夜勤を終えた午前8時過ぎのことである。この時間はシフトが入れ替わる時間帯であり、史銘陽も出勤していた。史銘陽はレジの前にぼんやりと立っていた。異国人がそうであるとは言わないが、史銘陽は2メートルはありそうなくらいの巨人である。
そんな巨人があくびをしながら小刻みに体を動かしている。よくテレビで中国人が早朝から公園に集まって太極拳をやっている光景を見る。きっと中国人はみんな朝型なのだろうと弓彦は勝手なイメージを持っているが、中国人の全員が朝型というわけではないようだ。
弓彦は話しかけた。
「おはようございますってもんよ」
「……おはようございます。ご了承ください」
眠そうな顔をして史銘陽が振り向いた。
「『ご了承ください』はいわなくていいってもんよ。おいって、家族は何してるってもんよ」
「家族はコクラに住んでいます。母は日本人で、楊貴妃です。ご了承…」
「それは言わなくていいってもんよ。お父さんは何してるってもんよ」
「父は…」
史銘陽は言葉を濁した。触れられたくない話なのだろうか。レジをぱんぱんと触っている。
「父は母とフキュウしてます。ご了承ください」
「フキュウ?何を普及してるってもんよ」
「よくわかりません。ご了承ください」
ようやくまともな『ご了承ください』を聞くことができた。
「おいって、史銘陽って、苗字は史ってもんよ。安史≪あんし≫の乱と関係があるってもんよ?」
弓彦が尋ねると、史銘陽はにやりと笑った。
安史の乱とは、安禄山≪あんろくざん≫の乱とも呼ばれる。八世紀半ば、唐の節度使・安禄山とその部下の史思明≪ししめい≫およびその子供達によって引き起こされた大規模な反乱のことである。この反乱の結果、世界帝国を築き、日本にも遣唐使などで多大なる影響を与えた唐は衰退していく。
首謀者である安禄山は貿易関係の業務で唐王朝に仕えて宰相に近付き、玄宗から信任され、さらに玄宗の寵妃・楊貴妃に取り入ることで頭角を現した。ちなみに安禄山は200キロを超えるとてつもない巨漢だったという。『そのおなかの中には何が入っているのか?』と尋ねた玄宗皇帝に『忠誠心でございます』と答えたという逸話が残っている。
また、安禄山が『楊貴妃の子になりたい』と言って、楊貴妃から『あなたは私より年上でしょう』と断ると、次の日に赤ん坊の格好で乳母車に乗って楊貴妃の前に現れた。200キロの巨漢が乗れる乳母車は作る人間も大変だろうと思うが、それを見て呆れた楊貴妃は安禄山を自分の養子にしたというエピソードがある。
安禄山の部下が史思明である。強烈なインパクトを持つリーダーに比べると影が薄い。実際に上記のような安禄山のような有名なエピソードはない。従順な部下だったのだろうか。ともかくも弓彦はこの影の薄い史思明と史銘陽が何らかの関係があるのではないかと踏んだのである。
「史思明も安禄山も私の故郷遼寧≪りょうねい≫省の出身です。先祖はペルシャと突厥≪とっけつ≫の混血と聞きます。私も中華の人間よりも背は高いほうです。たぶん安禄山の血統に近いと思います。でもご先祖様のように反乱は起こさないと思うのでご了承くださいませ。だって私のお母さんは楊貴妃ですから」
そう言って史銘陽は笑った。
それから弓彦は卵とパックに入った惣菜をきれいに並べ、ロッカーでユニフォームを脱ぎ、私服に着替えると表に出た。朝の光がまぶしい。県道沿いは交通量が多く、朝のラッシュが始まっている。駐車場は広いが車は一台もない。
後は史銘陽に任せれば何とかなる。そろそろ家に帰るか。また夕方には出勤しなければならない。弓彦が背伸びをしていると、駐車場に一台のカローラが止まった。中から黒縁眼鏡の男が出てきた。弓彦は私服だったので従業員とは気づかなかったようで、そのまま中に入った。「いらっしゃいませ。ご了承ください」という相変わらずよくわからない挨拶を史銘陽はしていた。
ちらりとレジを見ると、ていると、先ほどの真っ黒な極太のフレームの眼鏡をかけたスーツ姿の男が、見上げながら史銘陽に名刺を差し出している。
「こういう話は店長にお願いします。ご了承ください」
「そうですか。では店長さんは」
「店長!ご了承ください!」
史銘陽が外でタバコを吸っていた弓彦の名を叫んだ。最初は使い道は正しかったが、後半は意味が分からない。弓彦はタバコの火を消すとレジにやってきた。
「どうしたってもんよ?」
「エキメイウンドウの人です。ご了承ください」
「おいって、エキ……何だってもんよ」
「おはようございます。私はこういう者です」
弓彦は史銘陽から名刺を受け取った。『駅名運動 副事務局長代理補佐 加山裕次郎』とある。
「カヤマユウジロウさんですかってもんよ」
男はふっくらした顔を揺らして笑った。
「よく言われるんですよ。有名人を掛け合わせた名前だって。それはわかりますが私はまだ40代ですので、加山だの裕次郎だのは知らないんですよ。そんな芸能人がいたくらいしかわかんなくて。見た目と名前だけ見るとおっさんなんですけど。でも、両親の趣味でこんな名前つけられては困りますよね。ちなみにこんなことをやっていたってお金はもらえませんから、ちゃんと本業はありますよ。ボランティアでやってるんですよ。ボランティアで。今日は非番だからこうしてドサ周りをやっているんですよ」
ボランティアはこんなに恩着せがましくアピールすることではないと思うのだが。弓彦が聞いた。
「おいって、あんたどこかで」
「それはともかくとして、北九州市って名前どう思います?」
急に何を言い出すのだ。
「よくわかんないってもんよ」
「あなた、どこに住んでます?」
「若松ってもんよ」
「そうでしょう。私たち北九州市民は、北九州には住んでいるけど名前が出てこないんです。北九州市民なのに私たちは北九州という言葉を日常的に使っていないんですよ。小倉駅、戸畑駅はあるのに北九州駅はない。これはおかしいとは思いませんか?」
加山は黒縁の眼鏡をクイクイと動かした。
よく勘違いされるのだが、北九州市には北九州駅は存在しない。もともとこの地域には門司市、小倉市、戸畑市、八幡市および若松市の五市があり、それらが合併して発足した都市だからである。
ちなみに『北九州』という名称は、この地域を運行していた路面電車の名前が北九州線であったことがあげられる。また市内にある北九州市立大学の前身である北九州外語大学が『北九州』を冠していたほか、戦前から国定教科書において八幡市、戸畑市の工業地帯が『北九州工業地帯』と表記されていた。いずれも北九州市成立以前から、この地域を表す名称として使われていたことからである。北九州と名がつくのは公共機関程度で、一般住民は合併前の名前である区名で地名を表記する。区名が一般的なのでわざわざ市名を前面に押し出す必要はないのである。
「そこで私たちは4年前に『北九州市の駅名を考える会』を発足させました」
加山は眼鏡をクイクイと上下に揺らしながら説明する。市制50年が過ぎても『北九州市』の知名度が全国的に低い。それは以下の理由からきているというのである。
①北九州の中でも有名な小倉ですら、東日本では『おぐら』と読まれる。小倉百人一首の影響か。
②東日本で、『北九州から来た』と言うと、北部九州のことと思われる。福岡、と答えると博多と勘違いされる。
という理由から小倉駅の名称を『北九州』『北九州小倉』と変える案を提案している。これから市民約千人を対象に名称変更の賛否についてアンケートし、変更の是非も含めて検討を進めるという。
「そんなわけでアンケートにご記入ください」
加山はアンケート用紙を出した。
「後で書いてレジの下のポストに投函するのはだめだってもんよ?」
「そんなことを言っても書いてくれないでしょう?今すぐ書いてください。ボランティアでやってるんですから」
アンケートを書いてもらう方としてはやけに立場が偉そうである。
弓彦はアンケートを眺めた。北九州市の人口が減っており、何とかしなければいけないという気持ちはよくわかる。同じ県の福岡市と比べると勢いがまるで違う。かといって魅力がないとは思えない。むしろ観光するところはいろいろあると思うが、そこは魅力づくりの問題であろう。ともかくも改名したからといって余計に混乱が起こるだけで街に活気がうまれるとは考えられない。
弓彦は適当に丸を付けると加山に渡した。加山は眼鏡をクイクイと動かしながら受け取った。
「はいどうも」
そういって何も買わずに店を出るとカローラに乗って帰っていった。
「何だったってもんよ」
弓彦はつぶやいた。
「変な人でしたね。あ、また車来ましたよ。お客さんだったらいいですね。ご了承ください」
「だから『ご了承ください』は言わなくていいってもんよ」
弓彦と史銘陽が不毛な押し問答をしているとまた別の車が入ってきた。
「車です。お客さんですよ。ご了承ください」
「だからやめろってもんよ。おいって、あれは父ちゃんの車ってもんよ」
古い年代物のカローラからくたびれた様子の父が降りてきた。久々にスーツ姿である。少し髪も整っているようにみえるが、髪の毛を洗っていないのでペタペタになっているだけなのかもしれない。
「おはよう」
「もんよ」
父と子はいつものように挨拶をした。父は先日友人からもらったエビせんべいを食べていた。
「これ、うまいな」
「おいって、食べ過ぎってもんよ」
「そうかぁ?」
と言いつつ食べている。先日からずっとこの調子である。友人もどれだけの高級せんべいをあげたのだろうか。弓彦はニヤニヤしながら言った。
「おいって、あんまり食べ過ぎるとエビせん婆さんが出てくるってもんよ」
「エビせん婆さん?」
「寝ているときに口の中に山盛りのエビせんを突っ込んで去っていくってもんよ」
出任せである。そんな都市伝説は小学生でも信じない。だが、父は違った。
「そうか、それはまずいな。エビせん婆さんにおそわれたら、うちにあるエビせんがみんななくなってしまうじゃないか。一枚ずつぼりぼり食べるのがおいしいんだが。そのエビせん婆さんはどこから来るんだ?」
「西の方からってもんよ」
弓彦の目はあさっての方向を向いている。
「西って、佐賀か?長崎か?このエビせんは名古屋名物と聞いたが」
「ち、中国って」
「中国出身のエビせん婆さんが寝ている間にエビせんを口の中にぶっこんで帰っていくの
か」
「…そうだってもんよ」
「そうか」
ふうん、と弘明はつぶやいた。そして店内で暇そうにしている中国人留学生の姿を見つけた。
「おはよう。おお、史銘陽くんじゃないか。相変わらずでかいな」
「オーナーおはようございます。ご了承ください」
「ご了承くださいはいらんよ。史君」
父が弓彦と同じような会話をしていると、弓彦が割り込んできた。
「ところで何だってもんよ。眠いってもんよ」
弓彦が目をこすると、父は満面の笑みで答えた。
「今日は店長会だ。これから博多へ向かうぞ」




