第3話 充実の悪人ライフ
毎週日曜日に『極悪人クラブ』に通うことはすっかり僕のスケジュールの一部となった。
ボスごっこをするための服を持って出かけ、クラブで悪人になりきり、自宅に帰る。帰る頃には心はすっかり満たされ、まるで自分の人生に極上のガソリンスタンドができたかのような気分だった。
何度も通えば当然知り合いも増える。
「おう、来たな! 悪の組織のボス!」
クラブで最初に出会ったチンピラ風の黒田。
「そろそろ兄弟分の盃でも交わすか? んん?」
ヤクザの大親分になりきっている岩見さん。
「地獄に落ちろぉ! 苦しめ亡者ども!」
プラスチック製の金棒を振り回す、鬼になりきっている鬼塚さん。
「ひれ伏せ、愚かな人間どもよ!」
マントをつけ、魔王に扮している野間さん。僕とちょっと被る部分がある。
そして、西条理沙ことリサ。
悪の女幹部に扮する彼女と僕は抜群に相性がよかった。
「ボスと女幹部」の会話をしやすいのだ。
ぶどうジュースをチビチビ飲みながら、僕は厳かな口調で語る。
「どうだリサ、人類奴隷化計画の進行具合は」
「バッチリよ、ボス。すでに日本人の半数が我が組織の奴隷になったわ」
どうやったらそんなことができるのか突っ込んではならない。
こういうのは勢いが大事なのだ。僕たちは日本人の半数を奴隷にしてしまったのだ。
「そうか。よし、日本人どもを働かせろ! 過労死するまでなァ!」
具体的にどう働かせるのかは僕自身考えていない。
「分かったわ、ボス。どんどん過労死させましょう」
高笑いするボスと女幹部。
せっかくの奴隷を過労死させまくるなんて非合理極まりないが、悪の組織とはえてしてこういうものだ。
世界を征服した後のことなんか何も考えてないし、ちょっとミスしただけの部下を粛清したりする。
多分こんなことだからいつもヒーローに負けるんだろうな、などと考える。
こんな感じで悪の組織ごっこを楽しめる。
『極悪人クラブ』が終わる頃には、僕の心は満足感で満たされる。
***
プライベートが充実すれば、仕事も順調になるというものである。
僕が提出した営業計画書、久しぶりに課長から好感触だった。
「課長、どうでしょうか!?」
「うむ……ご苦労。片桐君、ここのところずいぶん頑張ってるねえ。見違えるようだよ」
「ありがとうございます!」
席に戻ると加藤が僕を肘で押してくる。
「ずいぶん課長に褒められてたな」
「まあね。これも『極悪人クラブ』のおかげだよ」
渋谷さんも笑いかけてくる。
「そんなに楽しいんですか? 極悪人クラブ」
「ああ、渋谷さんもどう?」
「ええ~、私はパス! やっぱりヒーローが好きですし! 大抵イケメンだし!」
「やっぱり男は顔かぁ……」
軽口を叩きつつ、僕は次回の『極悪人クラブ』に期待を膨らませる。
***
僕はますます『極悪人クラブ』に馴染んでいった。
親しくなったのはリサや岩見さんだけではない。ある日、魔王に扮する野間さんと盛り上がる。野間さんは裏社会マニアな部分もあり、裏社会のしきたりについて色々教えてくれた。
「ある犯罪組織じゃ何らかの“落とし前”をつける時、『ワンハーフ』って儀式をやるそうだ」
「ワンハーフ?」
「酒を二杯注いでどっちかに猛毒を入れて、片方だけ飲ませるんだよ」
「そんなことしたら50%の確率で……」
「そう、死ぬ。ワンハーフってのは英語で“二分の一”って意味だからな。生きてたらそいつのことは見逃してやるそうだ」
「へぇ~、でも二分の一で見逃してもらえるって結構良心的なような……」
「それが不思議なことに『ワンハーフ』をさせられて、生き残った奴はほとんどいないんだってさ。そんなゲームをさせられてる時点で、死神を引き寄せちゃってるのかもしれないな」
「ひええ……」
怖いオチがついてしまった。しかし、面白い。ためになる。
他にも野間さんは、日本は暴力団が衰退しているから他の形態の組織が力をつけているとか、殺し屋ならぬ“殺され屋”なんてのもいるなんて知識を披露してくれた。
多分どこかの胡散臭い実話系雑誌で手に入れた知識なんだと思うけど。
今度はヤクザの岩見さんがやってきた。
「落とし前といったらやっぱりこれじゃろ! 小指を詰める!」
オモチャの小刀を持っている。
「さあ、一緒に指を詰めるぞ! 悪の組織のボス、片桐殿!」
「フハハハ……我は指を失うのはごめんだ! 勘弁して下さい!」
中身があるようで全くない悪のトークが進む。
特にリサと組むと最高の悪の組織ごっこができる。
「さっき野間さんから『ワンハーフ』という悪の組織の作法を教えてもらったんだが、やってみないか?」
「いいわよ」
リサにもワンハーフのルールを教え、グラスにぶどうジュースを入れ、片方だけに唐辛子の粉末を入れる。
「では、二人で片方ずつ飲もうぞ」
「ええ」
僕とリサが一気にジュースを飲み干す。
「ぶぅーっ!」
見事に僕が唐辛子にあたった。咳き込んでジュースを吐き出してしまう。
「ゲホッ、ゲホッ! からっ!」
「アハハハッ! すごい顔!」
リサが僕を笑う。
「リ、リサさん……」
「ご、ごめんなさい! おかしくって……」
いい笑顔である。悪の女幹部というよりは天使の微笑みだ。
もっともこんなこと思っていても口には出せないが。『極悪人クラブ』でそんなことを言ったら白けてしまう。
それにしても『極悪人クラブ』は楽しい。楽しすぎる。
しかし、どんな楽しいひと時でも大抵の場合、「これさえなければ……」という要素が一つか二つは存在する。
僕にとってのそれは、このクラブで最初に出会った“黒田”だった。
僕がリサと悪の組織ごっこをやっていると、すぐこいつが寄ってくるのだ。
「ヒューヒュー、お熱いねえ! 二人でジュースなんて飲んでさ!」
「あ、黒田さん……」
「近頃お前ら仲いいけど付き合ってんのか?」
なんの遠慮もなくこんなことを聞いてくる。この男にはデリカシーというものがないのだろうか。
「いえ……付き合ってませんけど」僕が答える。
「なーんだ、てっきり付き合ってるのかと思ったぜ」
「だいたい、このクラブではそういうことはご法度でしょう」
「んなもん形だけのルールだろ。別にクラブの中でイチャつかなきゃいいだけの話だしな」
こんな具合に絡んでくるのだ。
僕とリサの悪の組織ごっこにチンピラを演じる黒田のキャラクターは合わないし、合わせようともしないので、はっきりいって邪魔だったし不快だった。
僕が黒田にうんざりしていると、岩見さんが声をかけてきた。
「やあ、片桐君」
僕が落ち込んでいるのを見てか、ヤクザのキャラは封印している。根はいい人なのだ。
「黒田さんに苦労してるようだね」
「ええ、まあ。どうも目を付けられちゃったみたいで」
「この『極悪人クラブ』はあくまで悪人になりきりたい善人の集まりなのに彼だけは少し雰囲気が違う。変に揉めるとさらに絡んでくる恐れもあるし、上手くやり過ごした方がいい」
「ありがとうございます」
岩見さんに励まされ、気持ちも落ち着く。
しかし、この時の僕はまだ予想もしていなかった。黒田のためにあんな恐ろしい目にあうことを……。