第1話 悪の組織のボスごっこ好きな僕
目が覚める。
さっそく僕の「悪の組織のボス」ライフが始まる。
「フハハハハ! 世界征服の始まりだ!」
まるでマントを脱ぎ去るように布団を押しやって、起床する。
テーブルの上に置いてある怪人フィギュア数体に語りかける。
「いいか、皆の者! 人類を滅亡させ、我らの天下を築くのだ!」
脳内に「オーッ!」という掛け声が響く。
食パンを手に取り、それをトースターの中に入れる。
「世界征服を邪魔する者は……焼き尽くしてくれる!」
三分待ち、こんがり焼き上がったトーストにバターを塗って食べる。うまい。
さらにワイングラスにぶどうジュースを入れることも忘れない。じっくり香りを楽しんでから、悪のボスっぽく飲む。ちなみに僕はほとんど酒を飲めないので、本物のワインを飲むことはない。
「いい味だ……」
ぶどうジュースの甘さに酔いしれつつ、テレビのニュースをつける。
事故や事件のニュースが流れ、僕は心を痛める。
え、悪の組織のボスならそこは笑うところじゃないかって?
勘違いしないで欲しい。僕はフィクションの悪のボスは好きだが、現実の犯罪は憎いし、事故には悲しい思いになるのである。
ちなみに星座占いでは僕の星座は運勢最下位だった。
「ククク……そんなものを恐れる我ではないわぁ!」
もちろん、悪の組織のボスっぽく占いを一蹴する。が、内心は気にしていたりする。
ボスごっこはまだまだ続く。
洗面台で顔を洗う。
「愚かな人間ども……洗い流してやる!」
歯ブラシで歯を磨く。
「雑菌どもめ、浄化せねばならん!」
スーツを着て、ネクタイを締める。
「我にこの鎧を使わせる者がいるとはな……」
いちいち悪の組織のボスっぽいことを言うのも忘れない。
どこが悪の組織のボスだよ、などとはどうか突っ込まないで欲しい。
僕の数々の行動に、もしかすると狂人かなにかだと思っている人がいるかもしれない。しかし、断じて僕は狂人ではない。
これは僕の趣味「悪の組織のボスごっこ」なのである!
子供の頃から「悪の組織」というものに憧れていた僕は、親元から離れるのを機にこのごっこ遊びを始め、自宅ではなるべく悪のボスとして振舞うようにしているのだ。
ちなみに僕の考える悪の組織のボス像に特定のモデルはなく、アニメの悪役やマフィアのボス、特撮番組の首領などがごっちゃになっている。
「さあ……ゆくか! 世界征服に!」
ドアを開ければごっこ遊びは終わり。
世界征服――ではなく仕事に出かける。
片桐優作27歳、普通のサラリーマン生活の始まりだ。
***
僕の勤め先がどんな場所かというと、犯罪組織――なわけがない。
しがない中堅商社である。扱っている商材もオフィス用品などの地味なものだ。
こんな僕だから就職活動の時はキャラクターグッズに携われるような企業を狙ったのだが、やはり華やかな業界で人気が高く、採用はされなかった。
とはいえ今の会社は僕にとってはいい会社であり、仕事にも不満はない。
オフィスに着き席に座ると、隣に座る同僚の加藤が話しかけてくる。
「おはよ」
「うむ、おはよう」
「何がうむだよ」
自分の発言に気づき、顔が赤くなるのが分かる。
時折悪の組織のボスごっこの癖が出てしまうのだ。
「相変わらずやってるのか? ええと、悪の組織のボスごっこ」
「まあね」
加藤は僕の趣味を知っている。
笑いこそするが趣味そのものを蔑んだりはしない気のいい奴だ。
「片桐さん、いい人なのに悪役に憧れてるってなんだかおもしろ~い」
前の席に座る女子社員の渋谷さんも会話に入ってきた。
後輩にあたるが、彼女も僕の趣味をバカにしたりはしない気さくな女性だ。
「僕がいい人かどうか……。もしかすると大悪党かもしれないよ?」
ちょっとかっこつけて言ってみたが、加藤も渋谷さんも笑っていた。僕に悪党オーラは全くないらしい。
実際のところ、その自覚はある。僕は犯罪や違反というものをほとんどやったことがない。自分が歩行者の時、全く車が通っていないのに信号無視することですらやらないし。
「ま、頑張ってくれよ、悪のボス」
「片桐さんが悪のボスになったら世の中平和になりそう!」
こんなことを言われるが、悪い気はしない。
人間関係にも恵まれた職場だと実感する。
まもなく課長もやってきて、本格的に仕事が始まる。
取引先からの見積り依頼、メーカーとの価格交渉、やることは山積みだ。
仕事が乗ってくると、僕もついついテンションが盛り上がって、内心で「フハハハ」などと言ってしまう。
課長が僕を呼ぶ。
「片桐君、ちょっと」
「フハハハハ、なにかね課長君」
つい“ボスモード”で応答してしまった。
「なにが課長君だ!」
「す、すみません!」
平謝りする僕を加藤と渋谷さんは呆れながら笑うのだった。
仕事もひと段落して、加藤が僕に話しかけてくる。
「さっきは笑わせてもらったよ。課長君って……」
「うるさいな」
「課長も怒るというよりビックリしてましたよね」
渋谷さんもニヤニヤしている。
とんだ恥をかいてしまったが、加藤は話を続ける。
「そうだ、思い出した。そんな悪のボスなお前に、紹介したいクラブがあるんだけどさ」
「クラブ?」
「これだ」
加藤は一枚のビラを渡してきた。
「なんだこれ? ……『極悪人クラブ』?」
「その名の通り、悪人が集まるクラブさ」
この言葉に僕は焦る。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。僕がやってるのはあくまで悪の組織のボスごっこであって、本当に悪人になりたいわけじゃ……」
「わーってるよ。よく読んでみろよ」
僕は紙に目を通す。
『極悪人クラブ』とは、悪人や悪役に憧れる人たちが週に一度集まって、その悪役になりきって会合を楽しむクラブのようだ。
「街でたまたまビラ配ってるのに遭遇して、俺は興味なかったんだけど、お前なら興味あるかなと思ってさ」
確かに興味はある。悪の組織のボスごっこをやってるうち、自分と同じ趣味を持つ人と繋がり合いたいと思っていたのは事実なのだ。
ネットにも疎く、こういう情報を得る術を持たない僕にとってこのビラは渡りに船だった。
「毎週日曜日にクラブ開いてるみたいだし、行ってみたらどうだ?」
「……」
返事は濁し、ビラを受け取る。
この日、家に帰ってからも僕の悪の組織のボスごっこは続いた。
ワイングラスにぶどうジュースを入れ、ゆっくりグラスを回してから飲み干す。
「フハハハ……いい味だ」
悪の組織のボスごっこは楽しい。だが、一人では発展性に乏しいことも事実だ。
そして黒いマントをひるがえし、僕は決意を固めた。
「行ってみるか、極悪人クラブ!」
よろしくお願いいたします。