後編
後書きに解説と言う名の蛇足が書かれています。
実際に見た夢は、もっとシンプルかつ単純だったので、物語の9割9部は夢で見た内容の補足と辻褄合わせです。
そこそこしっかりとストーリーをこじつけられたのではないかと思っています。
暫く、少女と顔を見合わせていたが、何も話さない彼女から、根負けしたように眼をそらすと、
闇深き森、その木々の一本一本が、小槍神社に祀られていた木と同じものだと、僕は気づいた。
緩やかな風に揺れる木々の枝に、僕は、安心感のようなものを感じていた。
ここは、僕が帰ってくべき場所なんだ。
訳のわからないことが連続していて落ち着く暇が無かったが、ようやく一息つけた。
そして、一度深呼吸をして、少女と向かい合うことにした。
何かを知っているのなら彼女だろう。
「ねえ、君は…」
誰なのか?何なのか?ここが何処なのか分かっているのか?
心の奥底では落ち着いたつもりで居たけども、尽きない疑問をどれから投げ掛けようかと口をつぐんでしまった。
分からないことが多すぎて、今、こうしている間にも、なんで君は黙っているの?等、疑問が溢れてくる。
だが、まずするべき質問に、ようやく思い至った。
「ねえ、君は、何て名前なのかな?」
そう、名前だ。まずは、わからないことを1つづつ聞いていこう。
と、その前に僕の名前だ。
「あ、僕の名前は…」
「知ってる。」
少女の口から初めて発された言葉に驚き、自分の名前を告げようとした言葉を止めた。
「知ってる。貴方は私の子。」
その言葉はすっと僕に入り込む。
今、ようやく彼女のことをしっかりと見ることができた。
吸い込まれそうな闇色の眼だけではない。手を伸ばしたくなるような光を反射する黒髪だけではない。垂れ目がちな目、小さくも笑みを浮かべた唇、暗い森で一際輝く白い肌。
その様子を見て理解できた。彼女は喋れなかったわけではない。
薄布のワンピースを身にまとった彼女は、僕が話し掛けるのを優しく見守っていたのだ。
「私の子より産まれた私の子。待っていたわ。可愛い我が子。」
その言葉は間違いなく、正しい言葉だ。
事実、僕は彼女の子なのだ。
僕を産んだ腹を痛めた母とは違うけども、それでも、彼女が、僕の母であると、心の奥底より沸き上がる安心感が告げている。
「ようこそ私の庭へ。歓迎するわ。」
ざわざわと揺れる木々が、僕を歓迎するように風もなく揺れる。
いつからなのか分からないが、僕と彼女の周囲の木々が少し離れ、小さな広場のようになっていた。
曇り空から光の差さないこの闇の森で、彼女だけが一際輝いていた。
歓迎されている。
彼女の笑顔を見るだけで、そう確信できた。
闇の奥底にあるような森だけども、
ここが母の庭で、母が近くに居る。
それだけで、安心できた。
その安心感からか、何時間にも渡る儀式の疲れが今でたのか、僕は、眠くなり、その場で倒れ、眠りについた。
目を覚ますと、僕の目の前に、微笑んだ彼女の顔があった。
「あら、おはよう。良く眠れたかしら?」
その言葉と共に、寝惚け頭でも気付いてしまった。
膝枕をされていると。
一瞬頭部に感じる柔らかさを惜しみつつ、跳ね起きた。
恐らく今の僕の顔は、真っ赤なのだろう。そのシチュエーションに、想定外に、顔が熱くなるのを感じていた。
「元気ね。改めておはよう。」
一瞬驚いたような表情をしつつも、彼女は、僕に優しく言葉をかけてくれる。
「お、おはよう…ございます。」
気恥ずかしさもあり、僅かに照れが出てしまった。
「ええ。そうだ、貴方の爪はそこよ、寝てる時にはも着けていたら怪我をしてしまうわ。」
そう言われて、彼女の差す先を見ると、少し離れた場所に黒い鉤爪と、赤黒い木の盾が並べられていた。
「ありがとうございます。」
僕の言葉に彼女は少し微笑み口を開く。
「寒くはないかしら?この場所は少し薄暗くて、そこが良いところなのだけども、もしかしたら貴方には少し堪えるかも知れないわ。」
その言葉を聞き、僕はようやくこの森が少し肌寒いことに気付いた。
「そう、ですね。少し肌寒い気がします。」
寒さを我慢せず、伝えなければと思い、正直に答えた。
彼女は、あら大変ねと、立ち上がり、近くの木に向かい移動した。
僕は、彼女が何をしようとしているのか分からず、その行動を眺めていたが、すぐに彼女の行動に驚かされることになった。
彼女は、黒い木の幹に触れ、優しく微笑み、話し掛ける。
「ねえ、貴方の枝を何本か頂戴、この子は寒さに弱いみたいなの。暖めてあげたいわ。」
その言葉に、木は嬉しそうに揺れ、彼女の傍に枝を落とす。
「ありがとう。」
彼女は、枝を落とした木を優しく撫で、幹に軽くキスをした。
彼女は、木の落とした枝を集め、どうやってか、火をつけた。手を翳し、何かを呟いたら火が着いたのだ。
そうして、僕はこの森で、彼女と暮らすことになった。
優しい木も、新入りである僕を受け入れてくれたみたいで、僕が近くに行くと、何本か枝を落としてくれる。
毎日のように枝を貰ったりしているうちに、僕は、木のことを、兄と呼んでいた。
僕に、沢山の兄ができた。母を中心とした、家族ができた。
お腹がすけば、母が何処かからご飯を持ってきてくれて。
暇だと思えば、兄達が枝を揺らし、歌ってくれる。
僕もそれに合わせて歌ったり、踊ったりしていた。
今までの人生で、最も充実している。
どれくらい時間がたっただろうか、ずっと薄暗い森は、時間の流れが分からない。だが、分からないままでも良いかと思っていた。
ふと、健と八千代を思い出すまでは。
小槍村に帰らないと決めてはいたが、この森に来てから、健と八千代のことをすっかり忘れてしまっていたことに気づけなかった。
兄達と歌い、疲れて眠り、夢を見たのだ。
この森に来る前、儀式の終わり、丁度兄達の枝を太く、しなやかにしたような何かに、健と八千代が貫かれる夢。
彼等は叫んでいた。
『―――助けてくれ!』
『なんで!私が何か悪いことをしたの!?』
『なあ!一緒に儀式をした仲だろ!村で一緒に遊んできた俺達を!』
『『許して!』』
寝覚めの悪い夢だ。
夢の中で、健と八千代は、僕に助けを求めながら死んだ。
うっすらと理解している。
健と八千代が、何故この森に来れなかったのか。
彼等は母の子では無かったのだ。
健と八千代は、都会の生まれだ。
彼等は、僕が物心着く前に、脱サラして小槍村に畑仕事をやりに来た一家の息子と娘だ。
だから、小槍村から逃げたかったのだろう。
小槍が丘のある村から。
健と八千代は、兄から、小槍様から、逃げたかったのだ。
母の持ってくる食べ物は、村で食べる野菜や肉に似ている。
それどころか、より味の濃い、美味しいものだった。
健と八千代は、よく、昼御飯を分けてくれていたが、その度に僕は健と八千代は優しいなぁと思っていたが、違ったのだ。
彼等は、小槍様を、母の愛を拒んでいただけなのだ。
僕は、健と八千代にお別れをしなくてはならない。
母の愛を理解できなかった健と八千代は、不幸にも、まだ、あの儀式の際に辿り着いた場所に囚われているだろう。
あの場所は、世界の狭間。
母の箱庭と、小槍村を繋ぐ異空間。
母が、子を見定める仮置き場。
僕は起き上がると、黒い鉤爪と、赤黒い木の盾を拾い上げた。
「おはよう。母さん。」
「あら、おはよう。」
母は、黒い糸で、楽しそうに何かを編んでいた。
「あのね、母さんにお願いがあるんだ。」
「なあに?」
母は、作業の手を止め、僕の眼を見つめた。
相変わらず深く暗い愛を感じる闇だ。
「この森に来る前にさ、母さんが僕を助けてくれたでしょ?
あの場所にさ、少しだけ戻らせて欲しいなって。」
母は、少しだけ考えるように視線を揺らしてから僕に尋ねた。
「分かったわ。貴方の選んだこと…なのよね?」
「うん、僕が選んだことだよ。お別れを告げてくる。」
覚悟は決めた。
単に一緒に過ごしただけの他人より、僕は母を選んだ。
生まれ育った土地よりも、共に育った友よりも、僕には、母が大事だった。
「そう…いってらっしゃい。」
母は少しだけ悲しそうに、それでも、旅立つ息子を見送るように、送り出してくれた。
「行ってきます!」
そう言葉を発した瞬間、僕は、儀式で辿り着いた、あの偽物の母の居た場所に、戻ってきていた。
そこは、赤黒い血の池と、飛び散った肉片。
それらが、無数に重なったような場所だった。
初めて来たときのような、爽快感はない。
ただ、何か手違いがあったら、この肉片の甘言に騙され、僕は母に会えなかったかもしれないと思うと、憎悪すら覚えていた。
周囲をゆっくりと見回すと、兄達の幹と同じような、黒い枝が、何かを覆っているのを見つけた。
その黒い枝を覗き込むと、未だに眼を閉じたままの、健と八千代がいた。
「やあ、健、八千代。今日は、君達に伝えなくちゃならないことがあるんだ。」
眼を閉じたまま、互いに抱き合って身を寄せ会う健と八千代は、僕の声にも反応せずに、身を小さくして、互いを庇うように固まっていた。
「さよならを、伝えなくちゃいけないんだ。」
それでも、僕は彼等に語り続ける。
これは、僕が伝えなくちゃいけない言葉だから。
「僕は、特段君達のことが、好きだったわけでも、嫌いだったわけでもない。」
「けど、儀式の準備を手伝ってくれたことだけは感謝してるんだ。」
「ありがとう。」
「お陰で、僕は母に会うことができた。」
「村から離れ、安住の地へ辿り着くことができた。」
「君達が、小槍様を望まないことは、良く理解した。」
「ここに居たままだと、君達の望みは叶わない。」
「まだ、ここは、母の胃袋のなかみたいなものだ。」
「ここに居る限り、君達は小槍様から逃れることはできない。」
「だから、これは、僕からの餞別。」
「母からの愛。」
「血を受ける赤黒い盾と、君達を死後の世界に送る母の爪。」
「さようなら。」
身動きひとつしない彼等を、黒い鉤爪で貫いた。
多少血が飛んだが、盾がそれすらも受け止めてくれた。
これで、僕はもう、思い残すことはなにもない。
母の子として、森の木のひとつとなるだろう。
黒き子槍の1つとして、母の箱庭で、永遠に愛を受け続けるだろう。
最後に、鉤爪で貫かれた健と八千代が、少し、微笑んだ気がした。
シュブ=ニグラスの子である黒き仔山羊の1体が埋められた小山がある村で、仔山羊の触手を神体として崇める神社を中心に、人々が生活していました。
主人公は、代々続く、仔山羊の神を祀る神主の家系で、仔山羊を召喚した祖先が残した、シュブ=ニグラスとの交信の魔術が書かれた魔術書を見つけ、村から出たいと言う願いを聞いて貰うため、儀式を行うことを試みます。
村は、埋まっている仔山羊の身体から出たエネルギーで、毎年のように豊穣が約束されていますが、シュブ=ニグラスまたは、仔山羊を信仰しない人にとって、収穫物は美味しく感じません。
そのため、他所からやってきた仏教徒の両親の子である健と八千代は、小槍の村で取れた美味しくない野菜や肉を、主人公に押し付けていました。
そんな、美味しくないものしかない村に居続けたくないと、主人公が計画した儀式による願いの成就に手を貸します。
健と八千代の両親は、村で農家をやっているものの、どうしても美味しくならない野菜に、頭を捻らせながら、それでも沢山取れる野菜を、倉庫に仕舞いこんでいました。健と八千代が儀式の準備として持ちよった野菜類はそこから持ってきたものです。
儀式は、成功裏に終わりました。
しかし、小槍様、シュブ=ニグラスとの交信を望んでいなかった健と八千代が儀式に参加していたことで、シュブ=ニグラスとは別の神格と交信することになります。
この神格は、特定の神格を想定していませんが、主人公及び、健と八千代をその神格が管理する世界に連れ去ろうとします。
そうすることで、主人公及び健と八千代の願いが全て叶いつつ、願いを叶えることで信者を増やし、己の管理する世界の住民を増やすことができ、一石三鳥くらいの気分でいましたが、シュブ=ニグラスの子である黒い仔山羊の因子を強く持つ主人公が居たことで、シュブ=ニグラスに観測され、己の子を唆したことに対する怒りで、叩き潰されてしまいます。
その後、シュブ=ニグラスを望まない健と八千代を残して、主人公をシュブ=ニグラスが作った箱庭に連れていき、何故か与えられようとしていた剣と盾に代わり、無数にある爪の欠片と、黒い仔山羊の皮膚でできた盾を主人公に与えます。
また、シュブ=ニグラスは、新たな子である主人公と同じ種族の写し身を作り、母として子と過ごそうとします。
やがて、主人公は、箱庭で過ごすうちに、理解します。
シュブ=ニグラスこそ、小槍村の母であり、箱庭に生える木は、黒い仔山羊、つまりは、母の子であり、自分の兄や姉に当たる存在であると。
そして、箱庭に長く居ることで、黒い仔山羊以外の種族であっても、黒い仔山羊、即ち、シュブ=ニグラスの産んだ子そのものになれることも理解します。
これは、完全に黒い仔山羊となることを指していて、「人である」ということを完全に辞めることを意味します。
しかし、主人公には、意識の奥で、心残りがあり、人を辞めることができませんでした。
それが、残してきた健と八千代です。
少女の形をしたシュブ=ニグラスの写し身は、主人公が人では無くなると、人の形をした自分が必要なくなるという、親離れする子に向けたような寂しさを感じながらも、狭間の世界へ主人公を送り出してくれました。
狭間の世界の彼等の肉体は既に死んでいましたが、魂はその肉体に残り続けます。狭間の世界では、正式に死ぬには、神格による干渉。即ち、シュブ=ニグラスの鉤爪による止めが必要でした。
主人公は、健と八千代に別れを告げて、止めを指すことで、彼等を来世に送りました。
健と八千代が最後に微笑んだ理由は、単に刺されて血が流れたことによる肉体の萎縮です。