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ミュレルの企み


 泉までの道は煉瓦で舗装されていた。道の両脇にはハーブが植えられ、案内標識が方向を示している。森には人の手が入っているらしく明るい日差しが降り注いでいた。泉までは一本道で迷う心配もない。


「まあ……」


 木々からそよく緑の爽やかな風に目を細めつつ進んだカロラインは、視界に開けた景色に思わず声をあげた。


 泉の周囲はそこだけがぽっかりと、別世界のようになっている。ダレンが聞いた通り花畑がぽつぽつと広がっていた。


 時折訪れるホテルの宿泊客のためのベンチと、蔦に全体が覆われた小屋がある。


「かわいらしいお家ね。妖精か、小人の家って感じだわ」

「そうだな」


 馬を降りたカロラインが感動も露わに言った。長年野ざらしの小屋といったら木造で今にも朽ち果てそうなものを想像していたのだ。

 小屋は円形の煉瓦造り。赤い三角屋根の一部分に丸い窓があり、ステンドグラスが嵌めこまれている。青い鳥が何かを咥えたモチーフだった。


「青い鳥……。何を運んでいるのかしら? こういうのって、たいていは花なんだけど」

「中から見てみよう」


 小屋の扉に鍵はなかった。こちらは木と鉄で補強された重い扉を開ける。小屋の中には埃が積もり、うっすら白くなっていた。


「……本当に何もないのね」


 カロラインが呆れと落胆の籠った声で呟いた。家具の一つ、窓すらない部屋は床と壁ががらんとそこにあるだけだった。


「どうする? 入るかい?」

「ハンカチが必要ね」


 埃を吸い込まないようハンカチで鼻と口を覆ってカロラインは足を踏み入れた。埃の積もった床に足跡がくっきりと残る。


 見上げたステンドグラスの青い鳥は、黄色い宝石を一つつけた王冠を咥えて羽ばたいていた。


「王冠とは珍しいな」


 カロラインに続けて入ってきたダレンが言った。そうね、とうなずく。


 青い鳥を囲んでいるのは赤い花だろうか。十字架にも見える円の中に閉じ込められた四弁の花が、ぐるりとステンドグラスを縁取っていた。


「何か意味があるにしても、秘密の部屋ではなさそうね」


 そうだろうなと予想はしていても残念だ。肩をすくめつつぐるっと中を見回し、埃が乗馬靴を汚さないように歩いてみる。カロラインの足でも十歩ほどしかない部屋の壁におかしなところはなかった。


 健康に悪そうな部屋から外に出ると緑の風が新鮮に感じる。ついつい伸びをしたカロラインにダレンが声をかけてきた。


「せっかくだ、少し散策していかないか?」

「良いわね!」


 ミュレルに邪魔されないデートは久しぶりだ。嬉しそうに笑うカロラインにつられたようにダレンも嬉しそうに笑い、恋人たちは森に消えていった。


 晩餐会当日。朝から準備をするためにドレスを保管してある部屋に入ったカロラインは、レディのドレスを着ようとして失敗し泣いているミュレルと、怒り心頭の貸衣装屋とその使用人、手伝いに来たホテルのメイド数人を目撃することになった。


「……何事?」

「お客様! 申し訳ございません!」

「お義姉様!」


 頭を下げたホテルのメイドが言うには、着付けの手伝いのために呼んだ貸衣装屋を案内して来た時にはすでにこの有り様だったらしい。


「部屋は鍵がかかっていたはずなのですが……」

「鍵は開いてたわ!」


 高価なドレスを預かるのに万が一があってはいけない。当然部屋は厳重に鍵がかかっていただろう。


 カロラインはため息を吐きそうになり、代わりに眉をひそめた。鍵開けはミュレルの得意技なのだ。


 カロラインが部屋に鍵をかけておいてもミュレルは開けてドレスやアクセサリーを持っていく。いつのまにか貸した覚えのないアクセサリーを身につけているミュレルを責めれば、泥棒扱いするのかと泣いて怒る始末だった。泥棒扱いもなにも泥棒である。


 パーツで分割されているドレスなどせいぜいツーピースくらいのミュレルでは、ジュップをはくことはできてもドレス本体とピエス・デストマをどうしたらいいのかわからなかったのだろう。ジュップはパニエを重ねてあるため動きにくいし、ドレスの布は幅がすごい。人にやってもらわなければ今自分がどの向きでドレスを着ているのか迷ってしまう。そうしてあれこれ動かしているうちに布がずれ、皺が寄り、ドレスは無残なことになっていた。優雅に見えるはずのローブ・ア・ラ・フランセーズもこうなってはただただ重くて動きにくい豪華な布の塊だ。


「警察を呼んでください」

「お義姉様!?」


 ミュレルが泣きそうな声で抗議した。


「たとえ鍵が開いていたとしても、他人よそ様の、それも商売道具をその権利もないのに勝手に拝借するなんて。あなたがそこまで非常識だと思わなかったわ」

「だ、だって……。このドレスが着たかったんだもん」

「ドレスを借りたのはわたしであって、あなたではないわ」


 カロラインはぴしゃりと言った。どうせミュレルは「カロラインが借りたのなら自分が着てもいい」とでも考えたのだろう。


「なによっ。お義姉様が借りたのならわたくしが着たっていいでしょう!?」

「良いはずないでしょう。そのドレスはわたしのものではなく、借り物なの。本当に意味がわからないの?」

「わからないって何がよっ? ああもう、お義姉様なんてどうでもいいわ。早く着せなさいよ!」


 そこに、騒ぎを聞いたリンジー夫人とマーテルがやってきた。


「冗談じゃないっ。お客様でもないやつに大事なドレスを貸せるもんかい!」


 貸衣装屋が叫んだ。


 着てみたかった、綺麗なドレスを触りたい、という、にぎやかしや見物人なら貸衣装屋だって相手をする。そうした憧れでこの商売が成り立っている部分もあるのだ、無下に断ったりはしない。事前に言ってくれればカロラインの後にでもミュレルに着せてやっただろう。


 だがミュレルは誰に断ることもなく、勝手に一人で着ようとした。着方がわからないドレスをむりやり着ようとしたせいで、ただでさえ布面積が広くて取扱いの難しいドレスが皺くちゃになっている。陶器製のバラ飾りが破損していないかチェックも必要だ。


 「レディ・シエルバードの肖像」と同じドレスは貸衣装屋の目玉商品だ。予備とサイズ別で合わせても三着しかない。当時と同じ手縫い、というわけにはいかなかったが、絹をこれだけ使っていればとにかく高価で、着用する客にも指導するほど注意深く扱っていたのだ。


「なっ、わたくしが着てあげるって言ってるのよ!?」

「どこのお貴族様のご令嬢だか知りませんがね、こっちは客商売なんだ。契約したお客様を優先するよっ。こっちの面目もホテルの面目もお客様の面目も潰してくれたあんたは客じゃなくて泥棒だよ!」


 貸衣装屋はホテルと提携している。ホテルありきで商売が成り立っているのだ。ホテル側も今回のようにドレスで晩餐会をしてもらえれば、あまり使われていないダイニングルームを開けられる。良い関係だった。


 ちなみに、ホテルの食堂として普段利用されているのは朝食室と呼ばれている部屋だ。舞踏会やパーティに使われるのはホールである。


 貸衣装屋が連れてきた使用人と数人がかりでミュレルからドレスを脱がしにかかった。ミュレルが泣いて抵抗する。


「いやっ、やめてよ。お客様が来ちゃう!」

「客?」


 ミュレルの言葉に反応したのはカロラインだ。


「どういうこと? ミュレル、誰かお招きしたの?」


 ミュレルの交友関係に詳しくないカロラインでも、こんな地方までやってくる友人はいないと断言できる。となれば考えたくないが、支払いに困って父か継母を呼んだのかもしれなかった。父は面倒だとでも言いたげにそれでも支払ってしまうのだろうが、継母はぎゃんぎゃんうるさく文句をつけてくるだろう。


「記者よ。秘密の部屋を見つけたの」


 カロラインが相手ならとたんに強気になるミュレルが勝ち誇って言った。


「な……っ?」


 どうして秘密の部屋をミュレルが知っているのか、問い質そうとしてカロライン自身が色々行動していたことに思い至る。特に口止めはしていなかったし、ミュレルにしつこく探られて話してしまったのだろう。


 それでもどうやってミュレルが秘密の部屋を見つけられたのか、理由がわからない。愕然とするカロラインにふふん、とミュレルが笑った。


「レディが教えてくれたのよ。わたくし、レディに会ったのよ」

「レディと!?」


 驚いたのはカロラインだけではなかった。マーテルが興奮したようにミュレルに詰め寄った。


「レディと会ったの!? どんな方だった? 何かお話はできたのかしら?」

「え、ええ……。肖像画と同じ女性でしたわ。少し儚げで……話はできなかったけど」

「それでどうして秘密の部屋がわかったの?」

「レディがわたくしを案内してくれたのです」


 カロラインは「嘘よ」と叫びそうになったがなんとか堪えた。ここでミュレルと口論するよりは、なぜレディがミュレルの前に現れて部屋の場所を教えたのかを考えるのが先だ。


 レディはミュレルを嫌っていた。それはもう、義妹ミシェルよりひどいと言わしめたのだ。ちまちましたポルターガイストで嫌がらせだってしていた。そういえばカロラインと会わなくなって、ポルターガイストは起きていない。


 カロラインと会うのをやめたのは、愛想を尽かしたからだろうか。レディのために何かしたいと思ったのは、迷惑でしかなかったのだろうか。


 でもそれならカロラインに秘密の部屋のことを言うはずがない。カロラインがレディの名誉を回復しようと調べていたのを見ていたのならなおさらだ。カロラインが秘密の部屋探しをはじめることくらい予想がつくはずである。


 カロラインに秘密の部屋があると言い、その後ミュレルに部屋の場所を教えた。


「ね、ミス・ドーン。お願いよ」

「え?」


 考え込んでいたカロラインはマーテルの声に我に返った。困惑するリンジー夫人と怒り冷めやらぬ貸衣装屋、うろたえる使用人とホテルのメイド。ミュレルは勝ち誇って鼻を膨らませていた。


「だから、ミス・ミュレル・ドーンにドレスを譲ってあげてほしいの」

「え……」


 レディファンのマーテルはどうやらミュレルの軍門に下ったらしい。淑女のなんたるかを説いたのは何だったのかという変わり身の早さだ。黒い瞳が好奇心にきらきらと輝いている。まったく悪気なく、悪意もなく、ただ純粋に、ミュレル主催の催しにわくわくしていた。カロラインを励ますのと同じ熱意で。


 どうしようか、迷ったのは一瞬だった。


「よろしいですわ」

「お客様」


 貸衣装屋が思わずといった声をあげた。


「貸衣装屋さん、契約書は持ってきているかしら? わたしのぶんは破棄して、ミュレルと新しく契約してください」

「本当に、いいんですか? サイズだって……」

「わたしとミュレルの背格好はさほど変わりません。ああ、バストサイズはわたしのほうが大きいかしら。でも詰め物をすればなんとかなるでしょう?」


 しっかりとミュレルにレンタル料を押し付け、さりげなく嫌味を含めた。マーテルに怒りはない、強くなれたのは彼女たちのおかげだ。


 貸衣装屋が残念そうにうなずいた。カロラインも残念だ。レディのドレスを着てみたかった。でもドレスならまた機会がある。


 カロラインは、レディを信じることにしたのだ。ミュレルに負けたわけではない。レディを信じ、レディのやることを見守るだけだ。


 ミュレルは晩餐会に招待されておらず、代わりのドレスはなかった。マーテルの頼みは招待した客に対して恥をかかせる行為だ。そこで急遽代わりのドレスが用意されることになった。もちろん費用はマーテル持ちである。


 時代は少し進んでエンパイア・スタイルの夜会ドレス。ローブ・ア・ラ・フランセーズに比べると格段に動きやすくなっている。胸の真下で絞る乳房を強調するデザインは少し恥ずかしいが、背中側にあるロングトレーンがまさに優美な貴婦人を演出していて気分が上がった。


「晩餐会の余興にぴったりね。ああ、みなさんにもお知らせしなくっちゃ」


 マーテルは奮い立っているが、事の次第を聞いたダレンや他のマダムたちは白けた目になった。


「ミュレルがレディと会ったんですって」

「レディが……。いや、そうか……」


 本当にいるのか。まだ半信半疑だったダレンが呟く。釈然としない表情がなんだかかわいくて、カロラインは笑ってしまった。


「ローラ……、君は、いいのか?」


 気づかわし気なダレンの視線に胸があたたかくなる。幽霊話は信じられなくても、カロラインは信じてくれているのだ。


「いいのよ、ドレスくらい。それよりレディが何をするのかのほうが興味があるわ」

「レディが?」

「そうよ。ミュレルを使って、何をするのかしらね?」


 ダレンは少し考えてハッとした。亜麻色の髪に緑色の瞳をした少女の前に、レディは現れるという。


「そういうことなのか?」


 恨みをもつ義妹と同じ特徴を持つ女性を恐怖に陥れる。それがこのホテルに出る幽霊だ。


 カロラインは答えず、ただ微笑んだ。



(本編に入れられなかった)


ところで先程から、ダレンはまともにカロラインを見ようとしなかった。


「ダレン、どう? このドレス」

「ああ、うん……。その、よく似合っている。……あのドレスより軽やかで、夜に遊ぶ妖精みたいな……」


 ダレンはかたくなに目をそらしつつ、しどろもどろに褒めた。ちらちらとカロラインを見るたびに頬や耳が赤く染まっていく。とうとう呻き声をあげて目を押さえた。


「……目のやり場に困るよ」

「ふふ」

「笑わないでくれ。……今夜は絶対にそばを離れないからな」


 そっと抱きしめたダレンは、まるで力を入れたら夢のように消えてしまうと怯えた子供のようにカロラインのうなじにキスをした。



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[一言] ダレンこそこの物語の正義、カロラインを守ってね(ノД`)
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