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レディ・シエルバードと秘密の部屋


「レディの時代って大変だったんですね」


 夜半、レディが現れるとカロラインがしみじみ言った。幽霊だからか軽やかに、壁さえすり抜けるドレスはカロラインにはもはや鎧だった。


『社交は淑女の戦場ですもの。武装するのは当然だわ』


 ミュレルのヒールを折ったのはもちろん、夕飯の席で怒ってますアピールなのかわざと音を立てていたミュレルの食器を割ったのも、やはりレディだった。おかげで怪力女と思われたミュレルは憤激している。


「レディ……、ミュレルは亜麻色の髪に緑色の瞳をしているわ。マダムたちはあれをレディの仕業と思っているわよ」

『わたくしの仕業よ? 何も間違っていないわ』

「でも、レディが誤解されたまま、みんなに恐れられているのは悲しいわ」

『それでわたくしのことを調べているのね』


 無駄なことを、とレディが鼻で笑った。


 図書室の資料や関連書籍、レディを描いた物語でさえ『レディ・キャロル・シエルバードは悪女』を前提に書かれている。史実に基づいていても、それらの文献を調べるだけでは『悪女』を覆すことなどできなかった。


 カロラインもわかっている。そもそも歴史学者でもないカロラインにそんな発見ができたら誰も苦労しないのだ。


「レディ……」

『わたくしは、可哀想ではないわ』


 レディは毅然として言った。


「でも、やさしい人だわ」


 カロラインは言い返した。


『やさしい? わたくしが?』

「ええ」

『ミシェルを殺したのはわたくしよ?』

「ミシェルの犠牲者を増やさないためだったのではないのですか? それか、レーツェル公を助けるため」


 愛するキャロルを貶めて殺した者に復讐するだけの人生なんて寂しすぎる。そこからレーツェル公を解放するためだったのではないだろうか。


 ミシェルと結婚し閉じ込めておいても、彼女に誑かされた男たちが黙っているとは考えにくい。良くて公的愛人にしようと画策するか、悪ければ暗殺者を放ってくるだろう。すべての罪をキャロルに押し付けても罪は積み重なっていった。次のスケープゴートが必要となる。


『……わたくしは……』


 レディの姿が変化した。


 カロラインを怖がらせないように整えられていた淡い金髪がおどろに乱れ、蒼い瞳は血走り、わずかに開いた口からこぷりと血が溢れる。ドレスはまるで百年経ったかのように劣化した。


『……この館には……秘密の部屋があるの……』


 声まで低くしわがれたものになった。血が喉に絡むのか聞き取りにくい。


「秘密の部屋?」

『けして開けてはいけない部屋……そこには罪が眠っているわ……』


 そう言い残してレディが消えた。


 そして、カロラインの前に出てくることはなくなった。


 ――秘密の部屋には罪が眠っている。


 『罪』とは何のことなのか。レディの――『悪女』が積み重ねた罪状のほとんどが義妹ミシェルが犯したものだとカロラインは知っている。そして、未だにそれが覆されるほどの新発見はされていない。たとえばミシェルの日記か、あるいは貢物の証拠となる財宝、もしくはその売買記録だ。


 当時の宝石商の帳簿にはミシェルではなくキャロル・シエルバードの名前が記載されている。男たちの手記や手紙などにもだ。おそらくこれはミシェルが示唆したのだろう。キャロルを『悪女』とするための暗号だ。そしてそれが覆されては困る連中が訂正しなかった。死人に口なし。できるだけの材料がなかったことを含め、ずいぶんと手が込んでいて悪意を感じる。


「秘密の部屋、ですか……?」


 カロラインは秘密の部屋を探すことを決めた。まずはもっとも館について詳しいであろう、管理人のリンジー夫妻に聞き取り調査をしてみる。


 四十代後半のこの夫婦はもともとこの地域の生まれで、ホテルの管理人募集でここに来たらしい。なお住み込みだ。


 こういう古い館はもともとの使用人をそのまま継ぐ形で雇用しているものだと思っていたカロラインは少し意外だった。時代は変わって職業選択の自由が認められている。無能が世襲で家を継ぐ時代は終わった。就職斡旋所に元貴族がこそこそ訪れるなんてざらにある。


「レーツェル公の最期の地と言われていますけど、現レーツェル家当主は公の子孫ではありませんし、代々仕えていた執事を雇う余裕がないそうですよ」


 カロラインの疑問にリンジー氏が苦笑で答えた。


「売るかどうかもずいぶん迷って、それでも名誉ある先祖が大事にしていた館だから、と残したそうです」

「なによりレディが住んでいますからね」


 夫妻によると、貴族の館にありがちな地下牢などはなく、地下はワイン貯蔵庫があるくらいだそうだ。


「秘密の部屋は……」

「もしかしたらレディの部屋を塗りこめたのかもしれませんが……そういったことはあいにくと私どもには知らされておりません」


 ところでなぜ秘密の部屋など言い出したのか、もっともなリンジー夫妻の問いに笑ってごまかし、カロラインは館の見取り図を貰った。外に出る。


「ローラ」

「ダレン。お疲れ様」


 カロラインを探していたのかダレンがやってきた。彼はミュレルに捕まるよりましだ、とマダムたちによる紳士講座を受けていたのだ。


 秘密の部屋の話は真っ先にダレンに伝えてある。


「マダムたちにそれとなく聞いてみたけど、そんな部屋は知らないそうだ。まあ、長くいるといってもせいぜい二週間……マダム・マーテルは一ヶ月も滞在しているらしいけど、代々住んでるわけじゃないしな」


 そんな話を聞いたら大喜びで探しにいきそうな人たちである。カロラインはダレンが与太話だと馬鹿にしないのが嬉しかった。


「むしろ泉にある小屋のほうを不思議がっていたぞ。何もない、見るからに古いボロ小屋なのに造りがしっかりしていて、ステンドグラスが嵌めこまれているらしい」

「泉の管理小屋じゃないの?」

「昔は教会だったんじゃないかって。宿泊客向けだろうけど、泉の周囲には花が植えられているそうだ」

「教会……。昔はそこも館の敷地だったのかしら? でも教会は部屋とは言わないわよね……」


 考え込むカロラインに「行ってみる?」とダレンが誘った。


「距離はあるけど馬ならすぐだし」

「いいわね」


 馬ならミュレルは追いかけてこられない。カロラインは教育の一環で習ったが、ミュレルは臭いと言って近づこうとすらしなかったのだ。


 二人が厩舎で馬を用意してもらっていると、ミュレルが現れた。


「ダレン様、乗馬ですか? わたくしも行きたいです」


 なお、馬もレンタルである。


 ダレンはうんざりしそうになったが紳士講座を思い出してなんとか堪えた。紳士は女子供にやさしく、しかし毅然としていなくてはならない。


「ミス・ミュレル・ドーン。見ての通り私はカロラインと出かけるところだ」

「大丈夫です! 気にしません!」


 何が大丈夫で何が気にしないのか。あいかわらずミュレルは図太い。遠慮しろと言っている、こちらの意図を察しもしないミュレルに、カロラインはそれなら自分も気にしないと決めた。


「良かったわ、気にしないでくれるのね。ダレン、行きましょう」


 颯爽と馬に乗ったカロラインは乗馬服姿だ。高い位置からにこやかに見下されたミュレルは「えっ?」とうろたえる。


「ああ、そうだな。ミス・ドーン、それでは」

「え、ちょっとダレン様!?」


 ミュレルを振り切るため駈足かけあしで歩き出す。蹄に蹴り上げられた土がパッとミュレルの足元に散った。


「助かった、ローラ」

「あら、だってミュレルが「気にしない」と言ったんですもの。置いていったって「大丈夫」でしょう。気にしないでくれるわ」


 もちろんそんな意味で言ったわけではないのは百も承知だ。


 すまし顔のカロラインにダレンは目を丸くして、さも楽しげに笑い出した。


「それもそうか。ローラ、君強くなったね」

「あら、ダレンもよ。以前のダレンならわたしの顔色を窺っていたところだわ。でも自分で断ってくれた」

「ミュレルには通じなかったけどね……」

「わたしは嬉しかったわ」


 速度を緩めて並んだ二人はにこっと笑いあった。


「お互いに鍛えられたものだ」

「とても気分が良いわ。強くなるって、自分の身を護るだけじゃないのね」


 ダレンがカロラインを。カロラインがダレンを。守るために行動したのだ。どちらか片方が強くても片方が弱くては負担が偏りすぎて、やがて倒れてしまうだろう。思えばカロラインはダレンが守ってくれることに甘えていた。


 彼に愛想を尽かされる前にマーテルたちに会えたのは幸運だった。


「ねえ、ダレン。もしかしてマダム・マーテルとわたしを会わせるために、ここを選んでくれたの?」


 ダレンが苦笑した。


「いや、マダムとは初対面だ」


 どうやら本当に偶然らしい。偶然でも何でも、共感できて成長しあえる相手と出会えたことは奇跡に等しい。ミュレルの嫌がらせさえ自分を成長させる壁だとすら思えた。




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